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網走と監獄、戦前の資本主義の残念な関係

網走は、監獄を中心に発展した街の一つです。
明治時代に釧路の監獄から分離してできた網走刑務所は、全国から極悪人と言われる人たちが集められ、彼らが自分たちで生きていくための食料を作ったり、強制労働のような形で山を開拓して道路や鉄道の線路を作ったりしていました。囚人は1000人以上に上り、網走監獄で働く職員の家族らも北の果てへ移住し、貧しい漁村だった網走の人口は飛躍的に増加しました。

明治維新の真っただ中、南下政策を進めるロシアの日本進軍を防ぐため、北海道を開拓し、軍備を増強することを進めます。そのため、明治時代から昭和初期にかけて、北海道では囚人やタコ部屋労働といった、人権を奪われた人を酷使して、猛スピードで鉄路・道路の整備や炭鉱開発を行いました。こうした過去の人を人と見ない政策によって、今の北海道、ひいては日本があるのかもしれません。


網走監獄の特徴的な「舎房及び中央見張所」は重要文化遺産に登録されています。この5方向にのびた囚人の監視方法は、近代ヨーロッパで功利主義的な考えを持つベンサムが考案したパノプティコンと呼ばれる一望監視システムをもとにしていて、中央に監視台を置くことで、囚人がいつ監視されているか分からないようにして管理していました。
人口約600人だった小さな漁村に近代的で資本主義的な建築物を建てることで、網走はその構造に飲み込まれていきました。


石北本線の常紋トンネルもタコ部屋労働によりできたものの一つで、建設期間の2年間で100人以上が亡くなりました。人柱の噂もあり、トンネル内に死体が埋められていたのを戦後発見されています。現在は金華信号場付近に常紋トンネル工事殉職者追悼碑が建てられていますが、2016年に金華駅が信号場に格下げされたことで列車で行くことが難しくなっています。この金華地区は金華駅によって国鉄官舎や区会館などがあるほどの集落でしたが、現在は過疎化が進み、廃屋が目立ちます。鉄道という資本主義のもとでもありインフラでもあるものを中心に発展した地域は、やはり地域の中心がなくなってしまうと人もいなくなってしまいます。鉄道が廃止されてバスに転換されるとより過疎化が進む原因はそこにあるのでしょう。

休泊所(通称:動く監獄)

小林多喜二『蟹工船』でも広く知られているタコ部屋労働ですが、これは囚人労働と同じ扱いです。囚人労働が廃止されてから、安くものを言わない機械のような労働力を求めた民間業者が東京や大阪などから連れてくることもありました。体罰や不法監禁も横行し、労働環境は劣悪でした。この「タコ」を管理するのは下請けの業者で、中抜きなどの搾取により上層部の地元の有力者や政治家に金が流れる、資本主義の負の構造が成立していたのです。

「タコ」を管理する業者と政治家の癒着により、どれだけ「タコ」が労働環境の改善を求めても、上からの改革は達成されません。そのため、タコ部屋労働が禁止されたのはGHQの指令によるものでした。このほかにも、GHQにより上の上から命令されて廃止になったものに治安維持法がありますが、これも政治家が決めたものです。敗戦という、今までの政策が間違っていたことが明らかになったのに、過去の決定を否定しない、保身に走ってしまったことは大変残念であり、またこれから将来私たちにも必要なことを学ぶ材料にもなったとして反面教師的な扱いをしてよいでしょう。

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