「死にたい」

2021/4/23  一錠/†Fanatic
この日ある曲を聴いて震えた。
Fanaticはvo.水槽さんから知った。
Fanaticの楽曲には宗教感、それでいながらのゲームのようなポップさがあると思う。
でもこの曲は違う。
水槽さん、タラチオさんのお二人の声が絶妙にマッチングしており、穏やかなのに激情的である。心の叫びなのだろう。

これまで特段「死にたい」と思ったことはない。でもずっと生きづらさがあった。まるで世界にとって自分が邪魔であるような、何者かに自分の存在を否定されているようなそんな生きづらさ。
この気持ちはなんなのだろうか。
「生きたい」「死にたい」そんな明確なものじゃない、死ぬ理由がないからただ漠然と生きている。
どれだけ努力をしても誰も認めてはくれない、他人からの評価を求めるだけの人生、そんなものに意味があるのか。でもそうでもしなきゃ生きる理由がない。死ぬ理由もなければ生きる理由もない。何をしても生きている実感なんかない。果たして何のために生まれてきたのだろうか。
日常のふとした時に、「死」を実感する。
高いビルに登った時、トラックが横を通った時。
どこにでもある日常風景のなかで、自分が死ぬ瞬間を想像してしまう。「死」の幻を見ている。
この気持ちの正体を知りたかった。なぜこんなにも生きづらさを感じているのか。

「あ また今日も死にたいかな」
サビの最後のこの一言。これが全て。ふとした時に気づく。今日もまた幻に殺されていることに。
明確な「死ぬ」理由なんてなくても、生きづらくて、幻想に殺され続ける。これが当然のように流れていく日常。全てを消したい、己の存在すらも静かに消え去ってしまいたい。それでいいんだと思った。そう思うと、少し息が楽になった。

この世には「死」を否定することが多すぎる。でもそうじゃない、「死にたい」と思うことは悪ではない。
自分の意思で終わりを決められる、何があっても終わらせることができる。「死」を受け入れることによって救われる人間が存在する。実際に行動には移さなくても、「死」に囚われている人間は多い。
この曲は、そんな人たちに共感し、「死」を受け入れることを許してくれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?