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「トラウマが背景にある人たち」への心理支援について(3):傾聴とトラウマ

※この記事はいわゆる「投げ銭」式となっています。問題なく全文読めますが、最後に課金設定をしておきます。

はじめに

もうしばらく前であるが、「トラウマが背景にある人たち」への心理支援についてというタイトルで、(1)支援の基本姿勢(2)回復の過程と支援のニーズと言う2本の記事を書いた。これらはトラウマが背景にあるクライエントが訪れるものの、さまざまな制約がある現場で働く、若手の心理職の臨床の手助けになればと思って作成した資料に基づく記事である。

ありがたいことに2022年3月の時点で、(2)は最も読まれた記事となっており、(1)も三番目に読まれた記事となっている。もともとの資料はせいぜい見ていただいたのは20人くらいだったので、すごく嬉しいことである。

そんな中で先日、やっぱり若手心理職は依然として「トラウマが背景にある人たち」への心理支援をどのように行なって良いのか、困っているという話を目の当たりにすることがあった。そこでは簡単にコメントをするだけで終わったのだが、まだニーズがあるということで、今回その続きを書くことにした。

書くにあたっては、若手の心理職が働く環境にはさまざまな制約があること、そしてトラウマセラピストの話は経験が浅い場合に理解するのが難しいことを考慮に入れる。その上でもう少しだけ(1)と(2)の内容を深掘りをすることで、より実用的な内容にできればよいなと思う。

これは繰り返しにはなるが、筆者自身まだまだ経験は十分でなく、さらなる技能の習得が必須な立場である。ただそれでも、何かの参考にしていただければ幸いである。

この人には次のセラピストがいる

まず最初のテーマは、見通しを持った支援を行うこと、ということである。

これは(1)の記事の中で、大島栄子先生の言葉を引きながら、支援の「バトンをつなぐ」こととして述べた点である。自分の次の支援者がいるということを意識することが、トラウマが背景にある人の支援を継続していくために非常に重要になる。

大島先生も指摘しているが、このような援助観は一般的でない。知らず知らずの間に、私たちは自分が最後のセラピストというつもりでケースに臨んでしまっているのである。もちろん、それが現実的であれば取り組むべきであるし、基本的にはそうであるべきだとは思う。

しかし実際は、そう簡単にいかないことも珍しくはないだろう。その理由として考えられることは、まず持ち込まれた問題が大きすぎる、という場合である。トラウマ処理を行うことが良いと思われても、その技法を取得していなかったり、環境的に難しい場合があるだろう。あるいは経験が少なく、問題が複雑すぎてどうしていいかわからない、ということがありえるだろう。

こうした場合、適切な対処としてはそれを扱える支援者に対してリファーを行うことである。資格試験的にはこれで正解である。ただし、セラピスト側にもクライアント側にもさまざまな事情があって、リファーが難しいことは現場では少なくないように思う。同じ理由で、適切なSVが見つからないということもあり得るだろう。

その場合、きちんと次の支援者が存在することを前提に、その現場で取り組むことができる支援を行なっていく必要がある。

自分の置かれている現場とクライアントの状態を見立て、場合によってこのように思考を転換することが必要であると思う。そしてそれに基づいてクライアントに自分の限界とできることを説明するというインフォームド・コンセントを行い、治療契約を結ぶことが最も誠実な態度であろう。

この人には次のセラピストがいるのだ。自分の対応によって、その次のセラピストとどのように会うのかが変わってくる。場合によっては、次の支援につながるまで長い時間がかかってしまったり、あるいはつながること自体が難しくしてしまうこともある。神田橋(2021)がその点を複雑性PTSDにおける「医療被害」であるとして述べている。

見通しを持った支援においては、クライアントの援助希求力というのもアセスメントの重要な要素となる。次の治療を妨害せず、そこに希望を持ってもらうめに、今の自分がどのように関われば良いか?クライアントに十分な準備が整っていなかったり、またセラピストのトレーニングが十分でなかったり、あるいは支援の現場が制約されているときは、こうした視点を持つことは大事になる。

「傾聴」に注意

さて、見通しを持つことによって「自分ができる支援を精一杯行って、次の支援者にバトンを渡せばいい」(上岡・大島,2010)という支援のスタンスをとることができる。

しかしここで気をつけなくてはならないのは、だからと言ってトラウマが背景にある人に対して、安易に「傾聴」という対応を取ってはならない、ということである。

杉山登志郎先生は、繰り返し「複雑性PTSDに対して傾聴は禁忌である」ということを述べている(杉山,20192020)。その理由としては、傾聴によって依存・退行が引き起こされてしまい、フラッシュバックの蓋が開いてしまうからであることを指摘している。

上岡先生も次のように述べている。

援助者の皆さんは、「相手の話を深く聞いたらその人が楽になるんじゃないか」と思って、がんばって聞くことがありますよね。深い話を聞くことに専門職としてのアイデンティティを感じている人もいるかもしれません。そして話をする側も、自分の過去のトラウマについて深く話せば、「解決するかも、変化するかも」と期待して話します。
でも、それは幻想です。トラウマの経緯を深く話しても楽にはならないし、解決もしません。

上岡陽江・大嶋栄子(2010)その後の不自由:「嵐」のあとを生きる人たち

深い話を聞くことに専門家としてのアイデンティティを感じているのでは、という上岡先生の指摘はゾクッとさせられるところであるが、この後で上岡先生も杉山先生と同様に、安易な傾聴によってフラッシュバックが誘発されてしまい、そのことで支援が途切れてしまう可能性について指摘している。

二人の指摘は、トラウマが背景にある人の治療・支援に長年取り組まれてきた、まさに臨床的な視点においてなされているものである。自分自身の臨床を振り返っても、その通りである。

しかしなぜトラウマが背景にある人たちに傾聴が禁忌となるのか?傾聴の理論的支柱である、ロジャーズの受容・共感・自己一致を学んできた、まだ臨床の現場が短いセラピストには簡単には受け入れ難いところがあるかもしれない。しかし、この記事の後半で論じたように、ロジャーズの人間観がトラウマという次元を見ていないがために理論的な限界があるかもしれない。また、この記事で触れたように、トラウマ体験は日常経験と質的に異なる種類のものであり、それに触れることは実存的恐慌を引き起こすものであるのかもしれない(いつか機会があれば深めたいところである)。

いずれにしても、治療同盟が築けていない状態や、あるいはPEやEMDRなど構造化されたセラピーでなければ、トラウマの中身を聞きっぱなしで傾聴するような関わりは危険なのであろう。

しかしだからと言って、「トラウマについては聞きません!」みたいな関わりをするのは問題である。それこそ加害者が訴える「悪事に口をつぐんでいたいという万人の持つ欲望」にセラピストが応えることになり、医原性の再トラウマを招くことになってしまう。

必要なのは、0か100ではないあり方で、トラウマを扱うことである。

他にも、一般的な認知的コーピングを促すようなアドバイスはやめておいた方が無難であるだろう。トラウマが背景にある人たちは、サバイバルのプロである。基本的に、こちらが考えるようなことはすでにやっていると思って良い。

また別の記事で論じることになると思うが、彼ら・彼女らの症状は基本的に生き抜くためのコーピングである場合が非常に多い。その場合、プログラム化した治療に無理矢理乗せようとしても、うまくいかないのは当然であるという見立てをした方が良いように思う。またACT(アクセプタンス・アンド・コミットメント・セラピー)のような技法も、ともすればそれが適応的なパーツとの相性が良すぎるため、かなり慎重に導入した方が良いと思う。

傾聴に代わるいくつかの対応

様々な要因からトラウマ処理の過程に入ることが難しく、傾聴対応が不適切であるとしたら、何ができるのか。以下でいくつか提案をするが、最終的には、ケース・バイ・ケースでしかないといえる。アセスメントが足りなかったが故に、ある人にうまくいった対応が、ある人にはうまくいかないということは本当に多くある。筆者もまだまだ試行錯誤の段階であるが、それでも思うことをいくつか書いていきたい。

支援のニーズを掘り起こす

その後の不自由』で述べられているように(そしてこの記事で取り上げたように)、回復には段階があり、その時々に合ったニーズがあり、そして支援がある。まずはこれをしっかりと踏まえることが必要になる。

重要なのは、このニーズはクライアントが持ち込んでくる「主訴」と異なることがあるということである。むしろ、トラウマが背景にある人の場合は、これが異なる場合の方が多いだろう。とりわけ《後期》の前の段階では、ほとんどそうであると考えて良い。

とりわけ心理職は、その支援において主訴を大事にするような教育を受けている。しかしトラウマが背景にある人にはこの姿勢で臨んでも、うまくいかないことは珍しくない。現在進行形の被害が隠されていることもあれば、自分は希望していないのに連れてこられることもあれば、結果を求めようとする焦りからの訴えもある。あるいは、解離したパーツの訴えであり、その人格全体のコンセンサスが取れていない、ということも考えられる。こうした場合、主訴にこだわりすぎて治療過程がスタックしてしまいかねない。

まずは起きていることを整理し、支援のニーズを掘り起こし、そして必要とされる支援を提供していく。こうした姿勢が求められると思う。

心理教育と情報提供

トラウマが背景にある人に対して、初期におけるもっとも大切な支援が、心理教育と情報提供である。『その後の不自由』で挙げられているように、心理教育と情報提供は回復のすべての段階で必要な支援となる。とりわけ心理教育を中心とした支援をトラウマ・インフォームド・ケアと呼び、現在それは広まりつつある介入である。

トラウマ処理の方法を身につけるためには、ある一定期間のトレーニングが必要である。しかし、心理教育は勉強しているか、していないかである。もちろんトレーニングを積むことによって、より深い知識を得ることができるだろう。しかし、ある程度までは自分でも勉強すればいける。さあ、勉強を始めよう。

とりあえずこのあたりの書籍が手始めになるように思う。筆者の好みに即することはご容赦いただきたい。

とりわけ上の二冊は、クライアント本人に手渡すだけで大きな治療効果を生むことも珍しくない。

さらにやる気がある人は、これらの本を読んでおくと良いと思う。

骨太の本であるが故、Tシャツを着替えて読んで欲しい。

インテークとトラウマ

ここで大事なポイントとなるのが、どこで心理教育・情報提供を行うのかということである。これは、(1)の記事の中で述べたようにトラウマの出来事をいつ、どのように語るかという問題と表裏一体である。筆者の場合ではあるが、インテーク時から行うようにしている。主訴や困りごとの背景にトラウマティック・ストレスや解離が存在している可能性があると判断した場合、それを尋ね、そして来談者の語りに対してその場で心理教育をしているのである。

これは、なるべく中立的視点から客観的な情報を取得をしようという態度と矛盾する。そのため、これが現実可能かどうかは、実施する現場によるだろう。

しかしすでに述べたように、トラウマエピソードは、聞きっぱなしではフラッシュバックを誘発してしまうことになる。そのため、中立的な態度でインテークを取ろうとするのであれば、トラウマエピソードをそもそも聴取しないということが正解、ということになりかねない。このことは、メンタルクリニックが乱立する中で、それにもかかわらずトラウマが見過ごされてしまうことが多いということの、一つの理由になるかもしれない。

トラウマエピソードを想起し、語るということは、どうしても再受傷が起きてしまうのである(時たまそれが淡々と語られることはあるが、それは解離によって別の誰かの受傷としているためである)。この再受傷に対してケアをすることが、適切にトラウマを見つけ、そして支援に繋げるためには必須のことであるように思う。

心理教育は、トラウマエピソードを語ることによって生じた再受傷に対する事後的なケアであり、カサブタのような蓋をする役割を果たすことになる。またその事前のケアとして可能になるとすれば、この後述べる安定化の作業であろう。先日知ったある著名なトラウマセラピストは、生育歴の聴取の前に安定化のプロセスを先行させていた。またその語り方についても、工夫させることができる。以前も述べたが、もう一度『その後の不自由』の中で上岡先生が述べていることについて確認しよう。

はじめて話を聞くときに、トラウマをなかったように扱ったら、相手は傷ついてしまいますよね。だから話をどこで止めるかの判断は命がけです。ストップをかけるときは、「あなたと長くつきあいたいから、ゆっくり話したいから、もしよければちょっとここで止めておかない?」と言います。
<中略>「言葉にならないけど大変なことがあって」とか、「今はまだ言えないけどもとてもつらかった」のように、経験をカッコの中に入れるような話し方を教えたりします。

上岡陽江・大嶋栄子(2010)その後の不自由:「嵐」のあとを生きる人たち

この「経験をカッコの中に入れるような話し方」以外にも、筆者は相手に負担をかけないように、イエスorノーで答えられるような、クローズド・クエスチョンで聞くなどの工夫をしているが、これは再受傷を最小限にするためのケアということができるだろう。

安定化

TF-CBT(トラウマフォーカスト認知行動療法)はPTSDに対して効果が確かめられており、複雑性PTSDに対しても十分にその効果が期待できる治療法である。このTF-CBTは大きく分けて3段階に分かれているのであるが、その最初の段階がこの安定化にあたる。

TF-CBTの安定化の段階は、その頭文字をとってPRACと呼ばれるが、複雑性PTSDの場合はそこにEを加え、以下の順番で行われる。

  • E:安全・安心の強化

  • R:リラクゼーション

  • P:心理教育

  • A:感情調整

  • C:認知コーピング

とりわけ複雑性PTSDに対しては、最初の二つに時間をかけることが必要であるとされる。

安全・安心の確保は現在の状況の丁寧なアセスメントはもとより、再演について治療者がしっかりと理解することも大事であるし、また治療関係における安全・安心も関わる大きな問題である。これらも詳しくは、今後の記事の中で取り上げていく。

リラクゼーションに関しても、また機会があれば取り上げようと思うが、とりあえずここでは入門として良さそうなものを筆者の好みに沿ってあげていく。リラクゼーションに関しては、白川先生のトラウマのことがわかる本が入門としては良いように思う。どういう場面でどのようなリラクゼーションが適切なのかを判断するためには、ポリヴェーガル理論は臨床的な有益さをもつ。これも入門としてわかりやすい本としてあげるとしたら、「はるちゃんのおにぎり」などが良い。ここには解離に対するグラウンディングも含まれるのであるが、それについては武蔵野大学心理臨床センターの動画をクライアントと一緒に見ることから始めている。

ただし、安全・安心の確保、そしてリラクゼーションに関しては、単にやればいいというものではないように思う。トラウマが背景にある人たちにとって逆説はつきものであり、その理解こそが治療と回復の鍵である。これは心理教育もなのであるが、トラウマに関する全般的な知識、そしてクライアントに沿ったアセスメントの力、それらが問われるところなのであろう。

相談と愚痴のやり方を教える

これもまた『その後の不自由』の中で述べられており、このNoteの中で何度も取り上げている(今確認したら有料部分に書かれていたので、もうここまで読んでくれて興味がある人は『その後の不自由』を買うしかない。絶対に損はしない)ので、繰り返すことはしないが、とても重要なことである。

正しい相談と愚痴のやり方を覚えることで、その人の援助希求力(つながる力)は大幅に上昇することになると思う。これは正しいバウンダリーの感覚を育むことにつながるものである。

他にも、トラウマが背景にある人に対しては、例えさまざまな制約があったとしても、傾聴する前にやれることはまだまだあるはずである。それらは全て、トラウマに対する基礎的な対応力であると言える。トラウマ処理の技法と同時に、こうした基礎的な対応力も身につけていきたいし、また心理職に広まることが望ましいな、と思っている。

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