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不確定日記(晴れた熱海)

 友人たちと熱海に一泊して帰ってきた。海にはり出した、一度潰れて再開されたホテルは巨大で、ほどほどに古臭く、煌びやかで軽薄で、衝動的な一泊旅行に何もかも最適だった。

 海しか見えない風呂に入り、畳に敷かれた花柄の布団でゴロゴロし、赤絨毯敷きの広大なホールでビュッフェに迷った。ロングドレスを着たピアニストの演奏する「異邦人」に影はなく、私たちも陽気に歌って拍手した。白いカイザー髭の老人が嬉しそうにナポリタンを食べていた。高さ10メートルはありそうなガラス窓の外は巨大な岩肌と海で、波の音は穏やかにずっと聞こえていた。

 泊まった部屋のある階のどこからか三味線の音がして、私たちの中では三味線の幽霊の想像が膨らんだ。三味線の稽古をしつづける幽霊なら恐ろしいが、三味線自体の付喪神なら少しかわいい。

 眠って起きても気温は高く、海は眩しく、細い坂道を上り下りしても、浜辺に行ったり寿司を食べても、喫茶店でクリームソーダを飲んでも、すべてが40年は変わっていないような(そしておそらく本当にかわっていない)のに、ちっとも寂しくも気持ち悪くもならないのが不思議だった。

 20年ほど前に熱海を散策した時は、閉業した温泉ホテルの海風による錆や、増えていた空き地ばかりを見た。空き地のちょうど真ん中に革靴とポカリスエットのペットボトルだけがあった。今回は、海沿いの道を見下ろす喫茶店からコンクリートミキサー車や工事用のトラックがひきりなしに行き来するのが見える。観光地として、昭和をそのまま分厚く、飲み込みやすく補強しているようだった。帰りの特急で私たちが全員眠りこんだのも、一度眠らないと東京にうまく戻れなかったからかもしれない。
 

そんな奇特な