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今クラシックCDを聴く意義

どうも実に大層な題をつけてしまったのですが、これは常日頃自分に問いかけている言葉です。
タワーレコードやHMVのクラシックコーナーは縮小を続け、レコード芸術は休刊。クラシックCD好きとしては実に寂しい限りの状況となってしまいました。
こうした状況でクラシックCD収集を続けながら、なぜクラシックを聴くのだろうと、思うことしばしばです。
もっとも好きだから聞くのですが、なぜ好きなのか、クラシックCDを聴くのかと考えると、やはり理由はあるのです。
クラシックを聴くことはいわば決してスノッブではないわけです。
心底、自分の生活と密着している。
例えば、神や大自然を求める時、ブルックナーを聴きます。
ブルックナーの洪水に浸り、心を満たすのです。
人生について何か教えてほしい時、ベートーヴェンを聴きます。
生きる悲しみと喜びについて考える時はモーツァルトを聴きます。
必要な知識や感情をそこに求め補完する、そういった意味では読書に近い行為であると思うわけです。
私にとっていわばクラシックの大海は、人生を支え、励まし、時に心の避難所となる場所なわけです。
つまりクラシックを聴くということは、私にとって学びの場であり、安息の場所であり、様々な感情を共感しあう友人なのです。
流行やお金といったところからは遠い世界ですが、壺中の天のごとく、クラシック好きはこれからもクラシックを聴くことに大きな意義を持って、これからもこの趣味を続けていくと思うのです。
クラシックがどんなに世の中から縮小していこうとも、こうした意義を持ち続けて、死ぬまでクラシック!なのです。

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