「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第20回で取り扱われている範囲で)

岡上容士(おかのうえ・ひろし)と申します。高知市在住の、フリーの校正者です。文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんが連載なさっている「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」の校正をさせていただいており、その関係で、「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所」という、この連載も書かせていただいています。

 私の連載の内容につきましては、第17回の「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第17回で取り扱われている範囲で)」の冒頭で記しましたので繰り返しませんが、今回初めてお読み下さいます方は、第17回のその冒頭部分だけでもご覧いただければと思います。https://note.com/okanoue_kafka/n/n7b93dc212b5b

 なお、以下に※で列挙しています凡例(はんれい)的なものは、その回から初めてお読み下さる方もおられると思いますので、毎回記させていただくようにしていますし、今後もそのようにします。ただ、英訳に関する項目だけ、第17回から「※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。」と変更しています。

 ※解釈が分かれている箇所は、詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。

 ※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、コメントの形でお寄せいただけましたら幸いです。

 ※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明に必要な部分だけをあげている場合もあります。

 ※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。

 ※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。

 ※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。

 ※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。

 ※原文や邦訳や英訳など、他書からの引用部分には色をつけてありますが、解説文の文中であげている場合にはつけていません。

○Die schwere Verwundung Gregors, an der er über einen Monat litt – der Apfel blieb, da ihn niemand zu entfernen wagte, als sichtbares ①Andenken im Fleische sitzen –, schien selbst den Vater daran ②erinnert zu haben, daß Gregor trotz seiner gegenwärtigen traurigen und ekelhaften Gestalt ein Familienmitglied war, das ③man nicht wie einen Feind behandeln durfte, sondern demgegenüber es ④das Gebot der Familienpflicht war, den Widerwillen hinunterzuschlucken und zu ⑤dulden, nichts als zu ⑥dulden.
グレゴールが一月(ひとつき)以上も苦しんだこの重傷は――例のリンゴは、だれもそれをあえて取り除こうとしなかったので、眼に見える記念として肉のなかに残されたままになった――父親にさえ、グレゴールはその現在の悲しむべき、またいとわしい姿にもかかわらず、家族の一員であって、そんな彼を敵のように扱うべきではなく、彼に対しては嫌悪(けんお)をじっとのみこんで我慢すること、ただ我慢することだけが家族の義務の命じるところなのだ、ということを思い起こさせたらしかった。

①日本語で「記念」を良くない意味に使うことは決して間違いではありませんから、原田訳のような訳でも全く構わないのですが、この使い方に違和感を抱く人もいるようではあります。一応ご参考までに、「記念」とか「記念品」とか「記念のしるし」と訳していない邦訳では、「記憶」「思い出」「思い出の品」「形見」「忘れがたみ」としています。ですがこれらの訳語も、「記憶」以外はどうも良いイメージが強いようにも思いますが、「それではもっとピッタリした訳語があるのか」と問われますと、私も今のところ思いつきません。これはという訳語を思いついた方がおられましたら、ご教示下さいましたら幸いです。ちなみに、山下肇(はじめ)訳は「忘れがたみのように歴然と」、川村二郎訳は「[林檎は肉に食いこんだまま、]まざまざと眼に映る記念のしるしとなっていた」としており、Andenken の訳語はともかくとして、上手と思いました。
英訳では、reminder ――そして、前の語も含めると as a visible reminder としている――が特に多いですが、reminder の代わりに、memento、memorial、memory、souvenir もあり、いずれも「記念」「記念物」といった意味がありますね。こう訳していない訳としては、testimony(「証拠」とか「証明」という意味ですから、これは思い切った訳ですね) とtrace(「痕跡」とはちょっと違うように思いますが) があります。
それから、次のように説明を加えている訳もありました。邦訳では、「[目に見える]事件の[記念、記念品]」「この事件の[目に見える記念品]」、英訳では、[a visible reminder] of his injury、[an ostensible(この形容詞はちょっとニュアンスが違いますが) testimony] of what had happened です。

②他動詞の erinnern には「[人に]思い出させる」のほかに「[人に]注意を促す」という感じの意味もあり、この感じで解釈している訳もあります。ただこの場合には、父が daß 以下のことを事実上忘れていて、それを思い出させたと言っても決して不自然ではありませんから、どちらの意味と解しても間違いとは言えず、どちらを採るかは訳者の好みということになりそうですね。
ここもご参考までに、「思い出させた」とか「思い起こさせた」と訳していない邦訳をあげますと、――「傷を見て父は思い出した」のような感じで意訳しているものもありますが、すべて「...させた」という形にして示します――「思い知らせた」「思わせた」「気づかせた」「反省させた」「惻隠(そくいん)の情を起こさせた(とても上手な訳ではありますが、ちょっと作りすぎかなとも思えますね)」としています。
英訳では、――すべて原形で示します――remind が多いですが、これとか、make ... recall とか、make ... recollect とか、cause ... to remember とかのように訳していない訳では、make [even his father] realize that ... 、bring [even] to [his father’s] attention that ... 、bring home [even to his father] that ... としています。

③この man は、勿論父親のことも言っていますが、父親だけではなく他の家族にも話を広げて一般化しているものと思われます。邦訳ではどれも訳出していません。英訳では多くが、who could not(または、must not、ought not to、should not、was not to) be treated as(または like) an enemy などと受動態にしていますが、そうせずに man を everyone(これはこの場合はちょっとと思いますが) や、one や、they と訳している訳もあります。

④この [das] Gebot を、「掟(おきて)」(または「戒律」)と解している訳と、「命令」と解している訳とがあります。
邦訳では、「掟」(「戒律」)と解しているものは9つあります。間違いではないと思いますが、ちょっと大げさな感じがしますし、その家の――あるとしてですが――掟と、家族としての義務とは、やはりちょっと違うのではないかとも思います。
私としましては、ここではやはり「命令」と解したいと思いますし、原田訳やほかにもかなりの邦訳が「家族の義務の(または、義務が)命じる(または、命ずる)ところ」とか、「家族としての義務の命ずるところ」としているのは上手であるとも思います。
ちなみに英訳では、たとえば ... for(理由を意味する接続詞) family duty dictated that the others swallow down the disgust he aroused in them and show him tolerance, only tolerance. (Susan Bernofsky 訳) や、このあとにあげた C. Wade Naney 訳のように、「家族の義務が...を命じていた」という形で訳している訳が非常に多いですし、この [das] Gebot を [the] laws と訳して、はっきり「掟」と解している訳は1つだけでした。ただ、ほかに [the] commandment と訳している訳が3つあり、commandment にはまさに Gebot と同じく、「命令」という意味と「掟」という意味の両方がありますから、これらの訳者も「掟」と解したのかもしれませんが。

(だいぶ進みましたので、⑤と⑥を含む部分をもう一度、ここに示しておきますと、... , sondern demgegenüber es ④das Gebot der Familienpflicht war, den Widerwillen hinunterzuschlucken und zu ⑤dulden, nichts als zu ⑥dulden.)
⑤と⑥で dulden が出ていますが、この動詞には単に「我慢する(あるいは、「辛抱する」「耐える」という訳し方も勿論できます)」という意味になる自動詞と、意味は同じですが目的語を取って「...を我慢する(辛抱する、耐える)」という形で使われる他動詞とがあります。ですから、この2つの dulden には、次の3つの可能性が出てきますね。
〔1〕どちらの dulden も den Widerwillen を目的語とする他動詞。
〔2〕⑤の dulden は den Widerwillen を目的語とする他動詞で、⑥の dulden は自動詞。
〔3〕どちらの dulden も自動詞。
邦訳では、どれとも解せるような感じで訳しているものが多いです。ですが英訳では、2つだけが、 事実上 und zu dulden までのみしか訳出せずに、und den Widerwillen zu dulden と解している*以外はすべて、〔3〕と解しているか、あるいは endure him、put up with him、endure anything などと、 him(=Gregor) や anything を補って訳しています。
*ご参考までに記しておきますと、Rather, in accordance with family duty, they should swallow their reluctance and bear it. (Katja Pelzer 訳) と、To the contrary, family duty required that they tolerate and endure, however reluctant they might be. (Naney 訳:これはちょっと微妙ですが、やはり und den Widerwillen zu dulden と解したと判断してよいと思います)。
私としましては、den Widerwillen を繰り返す必要性はそれほどないように思われますので、〔3〕と解してよいのではないかと思いますし、次の邦訳は一応〔3〕と解していると考えてよいのではないでしょうか。以下にここの部分の訳だけを示しておきます。前の読点は省略します。

不快な感情をもむりやり呑(の)みこんで、辛抱に辛抱を重ねることが...(中井正文訳の対訳版)
逆に嫌悪の情もすべて胸にたたんで、耐えがたきに耐え、忍びがたきを忍ぶのが...(山下肇訳)
嫌悪の情をのみ込んで、ただただがまんすることが...(高本研一訳)
嫌悪の情をのみ込み、辛抱に辛抱を重ねるのが、...(高安国世訳)
嫌悪の情ものみくだし、ただただ我慢することが、...(城山良彦訳)
嫌悪の気持をのみこんで、ただひたすら耐え忍ぶことが...(立川〔たつかわ〕洋三訳)
嫌悪感を呑みくだして、ただひたすら我慢するのが...(三原弟平〔おとひら〕訳)

山下訳はちょっと微妙ですが、それ以外の訳では zu dulden と nichts als zu dulden を事実上1つにまとめるような感じで訳していますね。zu dulden も nichts als zu dulden もはっきり訳出して、しかも〔3〕の解釈であることをはっきりさせるように、私なりに訳してみますと、「嫌悪感をのみこんで、ともかく我慢すること、ただひたすら我慢することが」のようになるのではないかと思います。「ともかく」といった言葉は原文にはありませんが、単に「我慢する」としますと、「嫌悪感を[のみこんでから、]我慢する」のようにも受け取れますから。
しかしながら、確実な決め手はありませんので、〔1〕や〔2〕も間違いとは言い切れません。ただ、一部の英訳のように勝手に目的語を作ってしまうのは、ちょっとどうかと思いますが。
それから、一部の邦訳では、demgegenüber のあとの es は、den Wider-willen hinunterzuschlucken und zu dulden までのみを受けているとして訳し、nichts als zu dulden の部分は独立させて、「じっとこらえるよりほか、どうするすべもないのだ」「がまんするしかないのだ」「耐えること以外に何もできなかったのだ」のように訳しています。nichts als を直訳しますと、確かに「…以外のなにものでもない」となりますから、このようにも訳せないことはなく、間違ってはいません。ですが、ここは独立した文になっているわけではありませんし、nichts als ... は nur と置き換えることもできますから、ここではこれを nur zu dulden のように考えて、前の hinunter-zuschlucken や zu dulden と同じく、これも es に受けられているとみなして訳してよいのではないでしょうか。

○Und wenn ①nun auch Gregor durch seine Wunde ②an Beweglichkeit wahrscheinlich für immer ②verloren hatte und vorläufig zur Durchquerung seines Zimmers wie ein alter Invalide lange, lange Minuten brauchte – an das Kriechen in der Höhe war nicht zu denken –, ...
ところで、たとい今グレゴールがその傷のために身体を動かすことがおそらく永久にできなくなってしまって、今のところは部屋のなかを横切ってはい歩くためにまるで年老いた傷病兵のようにとても長い時間がかかるといっても――高いところをはい廻(まわ)るなどということはとても考えることができなかった――、...(原田義人〔よしと〕訳)
グレーゴル自身も負傷によって機敏さが失われてしまったらしく、...(以下略。これ以降も同じです)(池内紀〔おさむ〕訳)
そして、グレゴールが傷のために素早さをおそらく永久に失ってしまって、...(真鍋宏史訳)
さて、グレーゴルは傷のために、身体を自由に動かすことはおそらく永久にできなくなってしまい、...(高本訳)
いっぽうグレゴールのがわにあっては、身に受けた重傷のおかげで、自由気ままの行動は永久に不可能となったので、...(川崎芳隆訳)
グレゴールの方はというと、傷による運動機能不全はおそらく二度と元には戻らないだろうし、...(田中一郎訳) 岡上記:ちょっと大げさな感じもしますが、それなりに上手な訳であるとも思います。
そしてグレゴールはどうやら傷のせいで二度と思うように身動きできなくなったらしく、...(川島隆訳) 岡上記:この訳も簡潔でいいですね。

①この nun は、話題を転じるような感じで、「さて今は」くらいの意味かと思われますが、あまり深い意味はありませんし、訳出していない訳もあります。訳出している邦訳では、「いっぽう」「さて」「ところで」「それで(この語は因果関係を示すこともありますが、話題を転じるさいにも使われますので、こう訳しても構わないと思います)」「もう(「今は」というニュアンスで訳したものと思われます)」としています。それから、「おかげで」「そこで」「(前の2つとは因果関係が逆になってしまいますが)というのも」としている訳もあります。しかしながら、このあとの内容を見ますと「グレーゴルを敵のように扱うべきではないと父が思ったから、居間のドアがあけられて、グレーゴルが家族の様子を見たり、家族の話し声を聞いたりできるようになった」ということが確かに言えるのですが、ここにあげた部分との間には因果関係は成り立ちませんから、やはり適訳ではないと私は思います。「確かに」としている訳もありましたが、nun の訳としてはちょっとずれていると思います。英訳では訳出していない訳が非常に多く、訳出していても文字どおり now としているだけです。

②verlieren(ここでは verloren hatte と過去完了形になっています) は、他動詞として目的語を取って「...を失う」という意味にもなりますが、自動詞として「an(前置詞) +3格の名詞か代名詞」を伴っても、やはり「...を失う」という意味になります。この2つの用法に微妙なニュアンスの違いがあるのかどうかまでは、私もわかりません。ご存知の方がおられましたら、ご教示下さいましたら幸いです。
それはともかくとしまして、ここでは「Beweglichkeit を失っていた」ということになりますね。この Beweglichkeit は Bewegung(動き) とは違いますし、原田訳のように「(動きを失った→)身体を動かすことが...できなくなってしまった」と言ってしまうのは、ちょっとどうかと私は思います。その直後を読んでもわかりますが、グレーゴルは全く動けなくなっていたわけではありませんから。Beweglichkeit の意味は、辞書によっていろいろに出ていますが、ここでは「活発さ」「敏捷(びんしょう)さ」「機敏さ」「素早さ」という感じの意味であり、このようなものを失っていたということを言っていると考えられます。ですから、池内訳や真鍋訳のように訳したり、高本訳以下のように意訳したりした方がよいと思います。
英訳では、Beweglichkeit を、his mobility(または、much of his mobility、some of his mobility) としている訳が多いですが、his ability to move(上記の理由で、これはちょっとどうかと思います)、his ability to move around、his ability to scamper、his agility(または、much of his agility) としている訳もあります。

○... , so bekam er für diese Verschlimmerung seines Zustandes einen seiner Meinung nach ①vollständig genügenden Ersatz dadurch, daß immer gegen Abend die Wohnzimmertür, die er schon ein bis zwei Stunden vorher ②scharf zu beobachten pflegte, geöffnet wurde, so daß er, im Dunkel seines Zimmers ③liegend, vom Wohnzimmer aus unsichtbar, die ganze Familie beim beleuchteten Tische sehen und ihre Reden, ④gewissermaßen mit allgemeiner Erlaubnis, also ganz anders als früher, anhören durfte.
自分の状態がこんなふうに悪化したかわりに、彼の考えによればつぎの点で十分につぐなわれるのだ。つまり、彼がつい一、二時間前にはいつでもじっと見守っていた居間のドアが開けられ、そのために彼は自分の部屋の暗がりのなかに横たわったまま、居間のほうからは姿が見えず、自分のほうからは明りをつけたテーブルのまわりに集っている家族全員を見たり、またいわば公認されて彼らの話を以前とはまったくちがったふうに聞いたりしてもよいということになったのだった。

①の vollständig genügenden Ersatz は、直訳しますと、「完全に十分な代償」のようになりますが、vollständig genügenden を「それを補ってあまりある」とか、あるいは「十分にお釣りがくる」とか、「十二分といえるほどの」のように訳している邦訳がいくつかあり、いずれも上手と思いました。また、池内訳では「ありがたい」としており、もとの語句とは飛躍していますが、これもやはり上手だなと思いました。
Ersatz に関しては、「代償」としている訳が非常に多いですが、原田訳のように意訳している訳もいくつかあり、名詞に言い換えますと「つぐない」となりますね。ほかには、「代償物(ただしこの場合には、厳密な意味では「物」とはちょっと違いますが)」「埋め合わせ」もありますし、高本訳では「利点」としており、Ersatz の本来の意味とは飛躍していますが、これも上手と思いました。
英訳では、vollständig の訳語としては、 completely、entirely、perfectly、genügenden の訳語としては、 adequate、satisfactory、sufficient、Ersatz の訳語としては、 compensation、recompense、replacement、substitute があります。ただ、英訳ではこの部分を前後も含めて大幅に意訳しているものも少なくなく、その訳し方なども興味深いのですが、長くなりますのでここまでにしておきます。

②の scharf は「じっと」としている訳が多く、これが一番無難かもしれませんね。ほかの訳には、「一心[不乱]に」「目を皿のようにして」「目を据(す)えて」があります。
英訳では、文字どおり sharply としている以外では、closely(これも多いです)、carefully、intently、keenly、eagerly(これはちょっとニュアンスが違うと思いますが) としています。
③の liegend は、邦訳では――動詞の語尾の訳し方はいろいろですが、すべて終止形で示します――「横たわっている」とか、単に「いる」としている訳が多いですが、「腹ばいになっている」「はいつくばっている」「じっとうずくまっている」「寝そべっている」としている訳もあります。ですが、彼は虫なのですから、やはり「腹ばいになっている」とか「はいつくばっている」が一番近いかもしれませんね。
なお、英訳では、lying として分詞構文にしているか、as he lay ... などと接続詞を使った文にしているかの違いはありますが、すべて lie を使っていました。
④の gewissermaßen mit allgemeiner Erlaubnis に関しては、邦訳、英訳ともに、原田訳のように訳している訳と、「ある程度みなの許しを得て」のように訳している訳とに分かれています。gewissermaßenには、「いわば」という意味も、「ある程度」という意味もありますから、ちょっと迷いますね。ですが、「いわば」の意味で使われることが多いと私は思いますし、ユーモラスな表現として「いわば公認で」と解してよいのではないかとも思います。「ある程度みなの許しを得て」のような訳も、勿論間違いではありませんが。

○①Freilich waren es nicht mehr die lebhaften Unterhaltungen der früheren Zeiten, an die Gregor in den kleinen Hotelzimmern stets ②mit einigem Verlangen gedacht hatte, wenn er sich müde in das feuchte Bettzeug hatte werfen müssen. ③Es ging jetzt meist nur sehr still zu.
むろん、聞こえてくるのはもはや以前のようなにぎやかな会話ではなかった。グレゴールは以前は小さなホテルの部屋で、疲れきってしめっぽい寝具のなかに身体を投げなければならないときには、いつもいくらかの渇望(かつぼう)をもってそうした会話のことを考えたものだった。ところが今では、たいていはひどく静かに行われるだけだ。(原田訳)
もちろんそれは、かつての頃の生き生きとしたお喋(しゃべ)りでは、もはやなかった。かつてグレーゴルはそのお喋りを、ホテルの小さな部屋で、疲れた身体をベッドの湿っぽい夜具のなかに投げ出すほかなかったとき、いつもいささか心を馳(は)せながら思い浮かべたものだった。それがいまでは、たいてい、ごくもの静かに過ぎていった。(浅井健二郎訳)
もちろん、それはもはや、グレーゴルが旅先の安ホテルの一室で、疲れたからだをしめっぽいベッドに投げ出さなければならぬようなとき、きまって自分も加わりたい気持にかられて思い出した、あの以前のにぎやかな団欒(だんらん)とはちがっていた。いまではたいていひどくひっそりとしか行なわれていなかった。(立川訳)

①freilich にも、allerdings と同じく、「もちろん」という意味だけでなく、「ただし」「とは言っても」という意味もあります。ですが freilich は、私のこれまでの読書経験では、「もちろん」の意味で使われることがほとんどでしたから、ここではこの意味でよいのではないかと思います。「ただし」「とは言っても」の意味に解している訳もありますが、邦訳では3つ、英訳では2つだけです。とは言え、こう解しても意味は通りますから、間違いでは決してありませんが。

②この mit einigem Verlangen を「いささか懐かしい気持ちで」という感じで訳している訳がいくつかありますが、Verlangen はあくまでも「(強い意味での)望み、願い」という意味ですから、ちょっと違うのではないかと私は思います。また、an die ... gedacht hatte を、「[にぎやかな会話]を思い出した」のように訳している訳もいくつかありますが、この記述は今のことではなく、まだにぎやかな会話が行われていて、グレーゴルも元気であった頃のことですから、「思い出した」とは微妙に違うのではないかと思います。私の感じでは、「自分も加わりたいという気持ちで会話のことを思った」ということを言っているのではないでしょうか。
「懐かしく」以外の訳としましては、(einigem は無視して記しますと)「あこがれ(または、憧憬〔どうけい〕)をもって」「渇望[の心]をもって」「羨望〔せんぼう〕の念をもって」「羨望をこめて」などがあります。また、高橋義孝訳は、最初は「少々懐しい気持で...を偲〔しの〕んだ(「偲んだ」という訳語はちょっとどうかと思いますが)」としていたのを、のちに「少々うらやましい気持ちで...をしのんだ」と直しています。ほかには、上であげた浅井訳は上手に訳していますし、立川訳は「...にかられて思い出した」という部分はちょっとと思いますが、「自分も加わりたい気持」は上手な訳ですね。
英訳では、with [a certain / a kind of / some] nostalgia としている訳もありますが少数で、with [a certain / a certain degree of / some] longing としている訳が多いです。ほかには、with [a certain / some] wistfulness、[rather / somewhat] wistfully、with [some] avidity、with [some] desire、with [some] yearning などとしている訳もあります。余談的になりますが、einigem の訳([ ]で示しています)もいくつかあって面白いですね。

③Es ging jetzt meist nur sehr still zu. の Es は何を意味しているのでしょうか。前に出てきている――die lebhaften Unterhaltungen(にぎやかな会話) ですと意味的に矛盾しますので――die Unterhaltungen(会話) と解せないこともないかもしれません。ですが、複数形になっていますから、es で受けるのはちょっと不自然ですし、zugehen という動詞(これは分離動詞で、ging ... zu はその過去形)が「起こる」とか「行われる」という意味で用いられる場合には、非人称の es が主語になるのが普通です。ですから、この Es も非人称の es であり、会話も含めた家族の状況を漠然と言っていると考えてよいのではないでしょうか。とは言え、この文はいろいろな訳し方ができると思われますので、意味が大きくずれていなければ、訳者の好みで自由に訳して構わないでしょう。
邦訳では、上であげた3つの訳や「いまではたいてい、ひどくしめやかに行なわれるだけであった(高本訳)」などのように、主語を出さない感じで訳している訳が多く、これが一番無難ですね。はっきり「話」を主語にしている訳や、人と考えて「みんな」を使っている訳もありますし、高橋訳の「いまではたいていひどくひっそりと時が過ぎていくばかりである」なども上手と思いました。ただ、「たいていのことが」とか「大多数のものが」としている訳もありますが、これはちょっとどうかと思います。この meist は、「たいていの場合には」とか「たいていのときには」という感じの意味であり*、起きている事柄にかかっているわけではありませんから。
*たとえば、Er kommt meist gegen Abend. で「彼はたいてい、夕方頃にやって来る」、Es war meist schönes Wetter. で「たいていは、良い天気だった」。
英訳では、この es を文字どおり it と訳している訳もありますが、things と訳している訳もあります。ほかには、the evenings、the talks、these new times、meals、they(グレーゴルの家族たちを意味している場合と、the conversations を意味している場合とがあります) と訳している訳もあります。夕方や食事に限定してしまうのはちょっとと思いますが、これも翻訳上の工夫ということで許容範囲かなとも思います。
それから、細かいことながら、この文中の nur は、あとの sehr still の意味をさらに強めているのでしょうが、訳出している訳としていない訳とがあります。特に英訳では、2つの訳で just、1つの訳で only とされている程度で、ほとんど訳出されていません。
なお、この文の訳に関しては、巻末の付録で一覧にしてありますので、ご関心がおありでしたらご覧下さい。

○Der Vater schlief bald nach dem Nachtessen in seinem Sessel ein; die Mutter und Schwester ermahnten einander zur Stille; die Mutter nähte, ①weit unter das Licht vorgebeugt, ②feine Wäsche für ③ein Modengeschäft; die Schwester, die eine Stellung als Verkäuferin angenommen hatte, lernte am Abend Stenographie und Französisch, um vielleicht später einmal einen besseren Posten zu erreichen.
父親は夕食のあとすぐに彼の安楽椅子のなかで眠りこんでしまう。母親と妹とはたがいにいましめ合って静かにしている。母親は明りの下にずっと身体をのり出して流行品を扱う洋品店のためのしゃれた下着類をぬっている。売場女店員の地位を得た妹は、晩には速記とフランス語との勉強をしている。おそらくあとになったらもっといい地位にありつくためなのだろう。

①この ... , weit unter das Licht vorgebeugt, ... は、分詞構文になっていますが、なかなか難しいです。ここの訳に関しても、巻末の付録で一覧にしてありますので、ご関心がおありでしたらご覧下さい。
以下、weit、unter das Licht、vorgebeugt の3つに分けて、私の考えを記します。説明の都合上、まず vorgebeugt から考えてみます。
※vorgebeugt は、vorbeugen という分離動詞の過去分詞形です。vorbeugen は、自動詞では「(3格の名詞や代名詞を伴って)...を予防する」、他動詞では「(4格の名詞や代名詞を伴って)...を前に曲げる、...を前にかがめる、...を前に乗り出す」、再帰動詞では「(sich を伴って)身体を前に曲げる、身体を前にかがめる、身体を前に乗り出す」といった意味で用いられます。ここでは明らかに「予防する」という意味ではありませんから、自動詞という解釈は除外します。そうしますと、他動詞か再帰動詞かということになってきますね。他動詞が過去分詞形になった場合には、「...される」とか「...されて」といった受動の意味になりますが、ここでは「誰か(または何か)によって前に曲げられて」ということではなく、母親は明らかに自分の意志でそうしていますね。ですからここでは、この vorgebeugt は、再帰動詞の sich vorbeugen が過去分詞になったものと考えられます。再帰動詞が過去分詞になりますと、sich はなくなります。意味は「...して」という感じで、完了を表すニュアンスになります。このことに関しては、私の連載の第16回で、カフカ以外の文例もあげてお話ししていますので、ご関心がおありでしたらそちらもご覧下さい。「○Oder er scheute nicht die Mühe, ...」で始まる項目の②にあります。https://note.com/okanoue_kafka/n/n3f61ad03c022   
このようなわけで、ここではこの vorgebeugt は、「身体を前に曲げて(かがめて)から」といったような意味になります。
なお、現在分詞を使って再帰動詞であることをはっきりさせ、... , sich weit unter das Licht vorbeugend, ... と書くのはどうでしょうか。現在分詞ですと「…しながら」というニュアンスが強いですから、この意味と考えますとここではちょっと合わない感じもしますが、現在分詞を用いた分詞構文では「…してから」という意味になることも全くないわけではありませんから、こちらの意味と考えますと書き換えは可能なのではないかと私は思います。
この vorgebeugt に関しては、邦訳ではおおむね、上記のような意味に訳されており、問題はないと思います。
しかし英訳では、ずいぶん多様に訳されています。これらの訳を網羅的に細かく示していきますと長くなりますので、ある程度概括的に示すことにします。
英語で「上体を曲げる」「かがむ」「身をかがめる」という意味の自動詞には、bend と hunch があり、単独で用いられる場合も、意味を強める副詞として down や over が添えられる場合もあります。それでここの英訳では、これらの動詞――あるいは down や over が添えられている――を、現在分詞か過去分詞にしている訳が多いです。過去分詞ですと、自動詞の過去分詞は受動ではなく完了の意味を表しますから、「...して」というニュアンスになり、ここの意味とも合っていますね。ですが、英語の現在分詞の構文でもドイツ語のそれと同じく、「…してから」という意味を表すこともありますから、現在分詞を使っても構わないと私は思います。
ほかには、上記の意味のほかに「もたれる」「もたれかかる」という意味もある自動詞の lean の現在分詞である、 leaning を使っている訳もいくつかあります。また、craning、sitting としている訳が1つずつあり、間違いとは言えませんが、vorgebeugt の訳としては、ちょっとニュアンスが違っているのではないかと思われます。
それから、vor のニュアンスをはっきり出すために、forward を入れている訳も多くあります。
※次に、unter das Licht ですが、前置詞の unter が das Licht という4格を支配していることにご注目下さい。ドイツ語をご存知の方々には、私が今さらお話しする必要はないでしょうが、ドイツ語の前置詞には3格と4格の両方を支配するものがあり、3格を支配する場合には単なる場所を示し、4格を支配する場合にはそこ(支配されているもの)への運動の方向を示します。ですからここでは、「明かりの下に[向かって]」「明かりの下へ」という意味になりますし、前出の vorgebeugt なども含めて簡潔に訳してみますと、たとえば「明かりの下へかがみこんで[から]、縫い物をした」のようになると思います。
邦訳ではおおむねは正しく訳されていますが、「明かりの下で身をかがめて、縫い物をしていた」という感じの訳もいくつかあります。まあ結果的にはこうなるのですから、一概にいけないと決めつけることはできませんが、文法的な面から見ますと明らかな誤訳と言わざるをえません。
英訳では、多くの訳が under か beneath を使っています。under や beneath は「...の下に」「...の下で」だけでなく、「...の下に向かって」「...の下へ」という意味でも使われます*から、――これらの訳者が後者の意味をはっきり意識して使ったとは断言できませんが――これでよいと私は思います。ですが、中には、「下」ということをあえて出さずに、into、toward、towards として、運動の方向を示していることを明確にしている訳もあります。
*この意味を明確に記していない英和辞典もありますが、確かに使われます。
それで、ここでは上記のように、「明かりの下へかがみこんで[から]、縫い物をした」という感じの意味になりますから、ここでの分詞はやはり、ドイツ語ならば再帰動詞の、英語ならば自動詞の過去分詞を使った方が、ニュアンスとしては近いのではないでしょうか。もっとも、上記のような理由で、現在分詞を使っても間違いでは決してありませんが。
なお、いくつかの英訳では、under とせずに、なぜか over を――前項で記した、動詞の意味を強める副詞としてではなく、前置詞として――使っています。ですがこうしますと、そもそも unter とは全く合いませんし、明かり(ランプ?)の上にかがみこんだという意味になってしまいますが、こんなことをしてはあぶないですし、普通はしないのではないでしょうか。これらの訳者がなぜこのような訳をしたのか、私にはよくわかりません。ちなみに Willa & Edwin Muir 訳では、はじめ over となっていたのが、あとになって under と直されています。
※最後に、この weit はどのような意味なのでしょうか。この場合にはちょっと大げさですが「遠い距離で」のような意味とも、単なる強めで「大いに」「すごく」のような意味とも解せますが、ここでは結局は「深々と[かがみこんで]」という感じの意味になるのかなと思われます。
実は私は、これまでは、たとえば「weit über +3格」で「...のはるか上の方に」、または「...のはるか向こうに」、「weit hinter+3格」で「...のはるか後方に」といった意味になることから連想して、――こう考えますと、ここでは明かりがだいぶ上の方にあることになりますが――「明かりのはるか下へ」という意味になるのではないかなと思っていました。ですが、よく考えてみますと、特にドイツ語圏とかに限ったことではなく、このような細かい針仕事をするさいの光源がそんな高い所にあることはちょっと不自然ですから、やはり無理であったかなと思います。ただ、weit が前置詞の前にきますと、このように「はるか...」という感じで意味を強めることが多いですから、この書き方はちょっと紛らわしいですね。「深々と」という感じの意味で言いたかったのであれば、文字どおり tief と書いた方がわかりやすいのではないかと思います。もっとも、ドイツ語の語感にも詳しい知人に意見を聞きましたところ、「確かに tief の方がわかりやすいかもしれないが、この場合は weit とした方が聞いた感じがよいと思う」とのことでした。
それでこの weit に関しては、訳出していない訳もありますが、訳出している訳では、邦訳では「ぐっと」としているものが多く、ほかは「ずっと(ここでは「ずずっと」という感じの意味で訳したのではないかと思われます)」、あるいは「深々と」としています。英訳では、文字どおり far と訳している訳が多いですが、low(これも多いです)、deeply、right([ここでは「ちょうど」という意味ではなく、単に意味を強める副詞として forward の前に置く)、well(意味を強める副詞として forward の前に置く)、way(意味を強める副詞として hunched[過去分詞] と over の間に置く) と訳している訳もあります。

②feine Wäsche は、単純に英語に訳しますと、fine lingerie となりますね。日本語ではいろいろな訳が考えられても、英訳はほぼこれだけではないかと、私は思っていました。ですが意外なことに、英訳でもけっこういろいろなヴァリエーションがありました。せっかくですから、邦訳と英訳の訳語を見てみましょう。
まず feine の訳語は、邦訳では「エレガントな」「きれいな」「高級」「高級な」「しゃれた」「繊細な」「上等な」「上品な」「上物」があり、英訳ではやはり fine としている訳が多いですが、delicate、fancy、high-quality もあります。
次に Wäsche の訳語は、邦訳では「下着」「下着類」「ランジェリー」があり、英訳では lingerie としている訳が多いですが、linen としている訳も多いです。linen はシーツやカバーなどを言うのではないかと私は思っていましたが、下着のことも言うようです。ただし辞書によっては、「下着」の意味で用いるのは古い用法と記されています。ほかには、garments、linen garments、undergarments、underthings、underwear もあります。また、needlework と訳して、あとの für ein Modengeschäft を for a clothing store や for a lingerie shop としている訳や、sewing と訳して、同上を for an underwear firm としている訳もあります。

③この [ein] Modengeschäft は、逐語訳的には「流行の服の店」のようになりますが、これもいろいろに訳せますね。
邦訳では、「おしゃれな服飾店」「高級服飾店」「高級洋品店」「しゃれた洋品店」「婦人衣裳店」「婦人服専門店」「婦人用服飾専門店」「ブティック」「モード・ショップ」「モードの店」「モード服専門店」「洋品店」「流行衣装店」「流行品を扱う洋品店」「流行[の]服飾店」「流行の店」「流行洋品店」「下着会社(ですが「会社」は、ドイツ語では普通、Firma か、Kompanie か、Gesellschaft と言いますから、ここでは違うかなと思います)」、英訳では、apparel ahop、clothing store、dress shop、dress store、fancy boutique、fashion boutique、fashion house、fashion shop、fashion store、fashionable shop、haberdashery、lingerie shop、underwear firm(上記と同じ理由で、これは違うかなと思います)、milliner(普通は「婦人用の帽子店」という意味であり、「婦人服店」という意味で使われるのはまれのようですから、あまり適切ではないと思います) と訳されています。

○Manchmal wachte der Vater auf, und als wisse er gar nicht, daß er geschlafen habe, sagte er zur Mutter: »Wie lange du heute schon wieder nähst!« und schlief sofort wieder ein, während Mutter und Schwester einander müde zulächelten.
ときどき父親が目をさます。そして、自分が眠っていたことを知らないかのように、「今晩もずいぶん長いこと裁縫(さいほう)をしているね!」といって、たちまちまた眠りこむ。すると、母親と妹とはたがいに疲れた微笑を交わす。(原田訳)
時々父親が目を覚まし、眠っていたことに気づいていないかのように、母親に「今日もずいぶん長いこと縫い物をしているんだな!」と言って、すぐにまた眠りこむ。そして、母親と妹は疲れた微笑を交わす。(真鍋訳)
父は時々眼をさますと、自分が眠っていたなどまるでおぼえのない様子で、母に向って「いつまでもよく続くものだな、今日は!」というと、すぐまた眠りこんでしまう。そんな時母と妹は、顔を見合わせて、けだるげに微笑するのだった。(川村訳)

als wisse er gar nicht は、als ob er gar nicht wisse の ob が省略され、その位置に wisse がきたものですが、直訳しますと原田訳のようになりますね。これでも勿論構いませんが、真鍋訳のように「気づいていないかのように」などと、「気づく」を使って訳している邦訳もいくつかあります。また、川村訳も上手に訳していると思います。
ただ、「自分が眠っていたのも素知らぬ顔で」という感じで訳している訳もいくつかありますが、誤訳ではないとしましても、私は賛成できません。ここの意味はあくまでも上記のとおりであり、自分が眠っていたことを父親が本当に知らなかったのか、知っていてしらばっくれていたのかまでは、この表現からはわかりませんから。
なお、英訳では、as if he did not know ... などのように know を使って訳している訳が多いですが、そうでない訳も案外多いです。どの訳も意味が大きく違っているわけではありませんので、例をいくつかあげておくだけにとどめます。接続詞の that は、省略されていたりいなかったりします。また、[ ] 内の語は、入れている訳といない訳とがあります。as if(または though) [quite] unaware [that] ... 、as if he were not aware ... 、as if he wasn’t aware ... 、as if he was unaware that ... 、as if he had [absolutely] no idea [that] ... 、as if he was quite ignorant that ... 、as if he did not realize ... 、in that tone as if having no idea that ...

○①Mit einer Art Eigensinn weigerte sich der Vater, auch zu Hause seine Dieneruniform abzulegen; und während der Schlafrock ②nutzlos am Kleiderhaken hing, schlummerte der Vater vollständig angezogen auf seinem Platz, als sei er immer zu seinem Dienste bereit und warte auch hier auf die Stimme des Vorgesetzten.
父親は一種の強情さで、家でも自分の小使(こづかい)の制服を脱ぐことを拒(こば)んでいた。そして、寝巻は役に立たずに衣裳(いしょう)かぎにぶら下がっているが、父親はまるでいつでも勤務の用意ができているかのように、また家でも上役の声を待ちかまえているかのように、すっかり制服を着たままで自分の席でうたた寝している。

①Mit einer Art Eigensinn を直訳しますと原田訳のようになりますし、これでも全然構いませんが、もう少し意訳することもできますね。「なにかかたくなに(高橋訳)」「何か強情に(高本訳)」「何か意地になったようにして(片岡啓治訳)」「何か奇妙なこだわりがあるらしく(多和田葉子訳)」「何やら意固地になり(川島訳)」は意訳していますし、真鍋訳は「頑固なところのある父親は、...」としており、これは特に上手と思いました。
英訳では、einer Art の訳としては a kind of か a sort of くらいしかないのではと思っていましたが、some kind of、some sort of としている訳もありましたし、単に some だけにしている訳もありました。さらには、a certain、a form of、ニュアンスはちょっと違っていると思いますが、[an] almost [mulish obstinacy]、a peculiar form of [stubbornness]、[his] peculiar [obduracy] としている訳もありました。それから、前置詞の Mit の英訳は、文字どおりには With となりますが、Out of(これも案外多かったです) や By や In としている訳もありました――この前置詞句を文頭に置かずに、従ってこれらの前置詞を小文字で始めている訳もわずかにありますが――。
②この nutzlos も、原田訳のように文字どおりに訳しても構いませんが、やはりもう少し意訳したい感じもしますね。邦訳では、直訳以外にもいろいろに訳されており、「着ることもなく」「手を通さないで」「手つかずのまま」「使われずに」「使われないまま」「無用の長物然と」「用もなく」としている訳もあります。英訳では uselessly としている訳が多いですが、unused としている訳もかなりあります。

○Infolgedessen verlor die ①gleich anfangs nicht neue Uniform trotz aller Sorgfalt von Mutter und Schwester an Reinlichkeit, und Gregor sah oft ②ganze Abende lang auf dieses über und über fleckige, mit seinen stets geputzten Goldknöpfen leuchtende Kleid, in dem der alte Mann höchst unbequem und doch ruhig schlief.
そのため、はじめから新しくはなかったこの制服は、母親と妹とがいくら手入れをしても清潔さを失ってしまった。グレゴールはしばしば一晩じゅう、いつも磨かれている金ボタンで光ってはいるが、いたるところにしみがあるこの制服をながめていた。そんな服を着たまま、この老人はひどく窮屈に、しかし安らかに眠っているのだった。(原田訳)
(前略)そこでグレゴールは、よく宵(よい)の口から夜更(よふ)けまでずっと、このしみだらけのくせに金ボタンだけはたえず磨かれてピカピカの制服を眺めて過ごした。これを着た寝心地(ねごこち)は最悪のはずだが、老人はすやすやと眠っていた。(川島訳) 

①この gleich anfangs は、直訳しますと「はじめにすぐ」となりますが、具体的には「この制服(中古品でしょうね)をもらったときからもう」ということを言っていると思われます。高橋訳はまさにこのとおり、「支給されたときにもう」としていますし、英訳でも when it(=the uniform) was issued to him (A. L. Lloyd 訳、Will Aaltonen 訳)、when he got it(=the uniform) (Peter Wortsman 訳)、when he started out (Philipp Strazny 訳;「銀行で仕事を始めたとき」という意味かと思われます) のように説明している訳もあります。どうしてもこのように言わなくてはいけないことは、勿論ありませんが。

②この ganze Abende lang に関しては、時間の長さを示す lang を伴っていますが、Abend のように時間を意味する語は、単独でも――文法的には、lang を伴った場合と同じく、4格になりますが――時間の長さを意味することができますので、この lang はなくても同じと考えてよいと思われます。それでこの訳は、邦訳ではほとんどすべて、原田訳のように「一晩じゅう」(または、「夜どおし」とか、「夜の間ずっと」など)か、あるいは、川島訳のように丁寧に説明された訳になっているかのいずれかです。ganz の一般的な意味は、「全部の」「全体的な」「まるまるの」という感じになりますから、勿論間違いでは決してありません。
英訳では、all evening long、the entire evening long、all through the evening、for an entire evening、for the entire evening、for entire evenings と訳されています。また、spent や would [often] spend や passed の目的語という形にして、the evening、evenings、the whole evening、whole evenings 、[the] entire evenings、long evenings としている訳もあります*。これらのどの英訳も間違ってはいません。ただ、ganz を無視してしまうのはちょっとと思いますし、それから、Abende は明らかに複数形ですから、英訳でも evenings と複数形にした方が、厳密には正確ではありますね。
*これらの訳ではおおむね、「...を見て...を過ごした」として、意味が合うように工夫されています。ご参考までに、2つだけ例をあげておきます。

... , and Gregor often spent whole evenings gazing at this uniform jacket, all covered with stains and gleaming with its constantly polished buttons, ... (Malcolm Pasley 訳)
... , and Gregor often spent entire evenings looking at this jacket, with its many stains, shining with its unfailingly polished golden buttons, ... (Pelzer 訳)

しかしです。ここにあげてきた諸訳を一概に否定するわけではありませんが、私はこの ganze Abende lang を、ちょっと違ったふうに解釈しています。辞書によってはこの意味を載せていないものもありますが、実は ganz には、口語的な使い方で、viel に近い意味になることがありまして、ganze Tage ですと「何日も」、ganze Nächte ですと「幾夜も」となります。ですからここでも、「幾晩もにわたって」という意味になるのではないかと、私は考えました。それに、「一晩じゅう」と言うのでしたら、単数形で den ganzen Abend などとするのが普通ですから。
もっとも、カフカがこの ganze に「夕方から夜遅くまでずっと」という意味を持たせたかったという可能性も否定はできませんから、そう考えますと、「夕方から夜遅くまでずっと」ということを――複数形になっていますから――何回か、ということになりますね。毎日連続していたのか、飛び飛びであったのか、あるいは両者が混じっていたのか、ということまではわかりませんが。 ともあれこのように解しますと、もともと複数形になっていますから、oft は必ずしもなくてもよいようにも思いますが、しょっちゅうということを強調したのでしょうね。それに対して、私のように解釈しますと、「幾晩にもわたって」ということがしばしば(何回も)あった、ということになりますね。
ですが、どちらに解しても、細部のニュアンスの違いはありましても、意味が大幅に変わってくるわけではありませんから、私の解釈でなければいけないと主張するつもりはありません。もっとも、知人を通じてネイティブの意見を求めたところ、その方は私の解釈に賛成とのことでした。ネイティブが言ったからそれが絶対に正しいということは勿論ありませんが、少なくとも私の解釈が完全に間違っているということはないと思います。ちなみに、英訳でたった1つ、Wortsman 訳だけは、以下のとおり、これを many an evening と訳していました。この訳では oft が訳出されていませんし、全体的にもかなり大幅に意訳されていますが、Wortsman さんが ganz のこの使い方を知っていたことは確かですね。 

... ; and many an evening Gregor eyed the old man sleeping uncomfortably, but still, in that garment dappled with stains, studded with shimmering golden buttons.

○Sobald die Uhr zehn schlug, suchte die Mutter durch leise Zusprache den Vater zu wecken und dann zu überreden, ins Bett zu gehen, ①denn hier war ②es doch kein richtiger Schlaf, und diesen hatte der Vater, der um sechs Uhr ③seinen Dienst antreten mußte, äußerst nötig.
時計が十時を打つやいなや、母親は低い声で父親を起こし、それからベッドにいくように説得しようと努める。というのは、ここでやるのはほんとうの眠りではなく、六時に勤めにいかなければならない父親にはほんとうの眠りがぜひとも必要なのだ。(原田訳)
時計が十時を打つのを待ちかまえて、母親は小さい声でよびかけて、父の目を覚まさせようと試み、それから早くベッドへ行くように説得しにかかるのだった。こんな場所では熟睡などできなかったし、それに六時にはもう職務へ就かねばならぬ父親には、十分な休養が絶対に必要だったからだ。(中井訳)

①この denn 以降を、体験話法と考えて、原田訳のように現在形で訳している訳がいくつかあります。体験話法に関しての詳しいことは、次の題名の頭木さんのブログをご覧下さい。
「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました  
ですがここで言われていることは、母親や父親にとっては切実なことではありますが、それほど切迫している状況を語っているとは言えないとも思われますので、体験話法とは考えなくてよいのではないかと私は思いました。中井訳のように、普通に過去形で訳してよいのではないでしょうか。この訳も mußte の部分だけは現在形で訳していますが。
②この es は父親が椅子で眠っていることを漠然とさしていると考えてよいと、私は思います。ですが、この hier war es doch kein richtiger Schlaf の訳し方としましては、原田訳や中井訳のような感じで構わないと思いますし、「実際こんな格好(かっこう)で眠っていたのでは本当に眠ったことにはならない(高橋訳)」「椅子ではちゃんと眠れないし(真鍋訳)」などのように、ある程度具体的に説明するのもよいと思います。この2つの訳では、ここの部分を体験話法と判断しているようですが。
③この seinen Dienst antreten は、原田訳のように「仕事に行く」という意味ではなく、中井訳のように「(職場に出勤して)仕事を始める」という意味であると、私は思います。邦訳では、古い訳では「仕事に行く」という感じで訳していたものが多いのですが、新しい訳では「勤務/仕事/職務/勤め/につかなければならない」とか「勤務/仕事を始めなければならない」という感じで訳しているものが多いです。英訳では、「仕事に行く」という感じで訳している訳は、私が見たかぎりでは1つしかありませんでした。

○Aber in dem Eigensinn, der ihn, seitdem er Diener war, ergriffen hatte, bestand er immer darauf, ①noch länger bei Tisch zu bleiben, ②trotzdem er regelmäßig einschlief, und war dann überdies nur mit der ③größten Mühe ④zu bewegen, den Sessel mit dem Bett zu vertauschen.
しかし、小使になってから彼に取りついてしまった強情さで、いつでももっと長くテーブルのそばにいるのだと言い張るのだが、そのくせきまって眠りこんでしまう。その上、大骨を折ってやっと父親に椅子とベッドとを交換させることができるのだった。(原田訳)
しかし、いつもきまって眠り込むくせに、守衛になって以来とりつかれていた強情さを発揮し、さらにもっと長いことテーブルのそばにいると言い張るのだった。それから椅子をベッドに替える気にならせるまでには、じつにたいへんな苦労だった。(三原訳)
だが、用務員になってから、がんこになった父親は、きまって寝てしまうくせに、なかなかテーブルから離れようとはしない。そのうえ父親を動かして、椅子をベッドに交換させるのは、ものすごく骨の折れる仕事だった。(丘沢静也〔しずや〕訳)
しかし父親は、雑用係になってから身につけた頑固さのために、もっとテーブルのそばにいると言うのだが、決まって眠ってしまう。そうなると、体を動かして椅子からベッドに移すのはひと苦労だった。(真鍋訳)
けれども、勤めはじめてからというもの、にわかに意固地になっていた父親は、決まって眠り込んでしまうくせに、テーブルから離れないといつも言い張るのだ。それだけでは済まない。こうなると、椅子とベッドを取り替える気にさせるのに散々苦労する。(川島訳)

①この noch länger は、一見何でもないようでいて、考えだしますと案外難しいです。解釈の可能性としては、
〔1〕どちらの語も一番一般的な意味と考えて、「まだもっと長く」。
〔2〕noch には比較級の意味を強める用法がありますので、そのように考えて、「もっとずっと長く」。
〔3〕noch は「まだ」、länger は絶対比較級――他のものと比べて「もっと...」という意味になるのではなく、「かなり...」という感じの意味になる――で、「かなり長く」。「もうしばらく[の間]」のようにも訳せると思います。
邦訳では、〔1〕の意味で「まだもっと」「さらにもっと長いこと」としている訳もありますが、noch を訳出せずに、「もっと」とだけしている訳が多いですし、「もっと長く」としている訳もあります。また、〔2〕の意味に解したものと思われますが、「いつまでも」「もっといつまでも(ただこれは、日本語としてちょっとと思いますが)」としている訳もあります。また、〔3〕の意味で「もうしばらく」「まだしばらくは」としている訳もあります。なお、丘沢訳のように意訳していたり、川島訳のように訳出していない訳もありますが、このあたりの意味が大きく変わってくるわけではありませんから、それはそれで構わないと思います。
英訳では、noch はほとんど訳出されておらず、longer とだけしている訳が多いですが、〔2〕の意味で even longer としている訳や、〔3〕の意味で a while longer としている訳もあります。また、a bit longer、a little longer としている訳もあり、〔3〕の意味に解したのかもしれませんが、絶対比較級の訳としてはちょっとニュアンスが弱いかなと思います。
この場合も、どの解釈が絶対に正しいとかは言えません。ただ、このような状況では、「まだもっと長く」とか「もっとずっと長く」いるのだと言うよりも、「まだもうしばらく」いるのだと言う方が、普通の話し方としては自然ではないかと思われますので、私は〔3〕を採りたいと思います。

②この trotzdem er regelmäßig einschlief なのですが、三原先生は『カフカ「変身」注釈』の中で次のように書いておられます。 

「いつもきまって眠り込むくせに」と訳した部分は、〈trotzdem er regelmäßig einschlief〉であるが、英訳(岡上記:Muir 訳)では〈although he regularly fell asleep again〉、すなわち「いつもまた(「また」に傍点)きまって眠り込むくせに」と、余分な〈again〉を入れることで、そのまま母が父にここにいさせても、どうせまた眠ってしまうくせに、というニュアンスにしてある。ドイツ語ではそこまでは取れない。 

なるほどそのとおりかもしれませんが、これは非常に細かいニュアンスの問題ですし、私は全く気がつきませんでした。この Muir 訳以外で、「また」という語を入れてある訳があるのかなと思い、調べてみましたところ、意外にも、邦訳では高橋訳(「そのくせきまってまた眠りこんでしまう」)と川崎訳(「またぞろ眠りこんでしまうのがお定まり」:この訳は上手ですね)と片岡訳(「また必ず眠りこんでしまうのだった」)で入れていました。ついでながら、regelmäßig は「き(決)まって」と訳している訳が多いですが、「いつでも」「いつもかならず」「かならず」「そのつど」「何度も何度も」としている訳もあります。
英訳では、Pasley 訳(Muir 訳と同じ)と、 Charles Daudert 訳(even though he regularly fell asleep again)と、 Mary Fox 訳(although, ordinarily he fell asleep again:although のあとのコンマは不要のようにも思いますが)で、 again を入れていました。また、again ではないのですが、Michael Hofmann 訳(even though he quite regularly fell asleep there)と、 Naney 訳(and then he would regularly fall asleep in his armchair)と、 Miqhael-M. Khesapeake 訳(even though, as a rule, he would fall asleep there)では、眠り込む場所を示す語を加えており、これらもこれらで、わかりやすくする工夫をしたのかなと思われます。それから、regelmäßig は文字どおり regularly と訳している訳が多いですが、as a rule、constantly、invariably、ordinarily としている訳もあります。

③この größt[en] は最高級(英語の文法用語では、最上級)ですが、文字どおり「最大の」というよりは、いわゆる絶対最高級として「きわめて大きな」のように解した方がよいのではないかと、私は思います。訳としては原田訳のようにしても勿論構いませんし、「すごく苦労して」などとも訳せると思います。もっとも、これを含む war dann überdies nur mit der größten Mühe zu bewegen, den Sessel mit dem Bett zu vertauschen. の部分は、war ... zu bewegen――「sein[この場合には過去形の war] ... zu 不定詞」で、「...されうる」とか「...されねばならない」という意味になる――との兼ね合いで、邦訳、英訳ともに、非常にいろいろな訳し方をしています。ですが、次の④で取り上げる bewegen の解釈は別として、構文的には問題はありませんし、長くなりますので、上掲の邦訳以外に既訳の訳例をあげることは省略します。

④それで、この bewegen なのですが、文字どおり「動かす」(前項②のような感じでこのあたりを直訳しますと、「すごく苦労して動かされえた」のようになります)と解している訳と、心理的な意味で「説得する」(同じように直訳しますと、「すごく苦労して説得されえた」のようになります)と解している訳がありますが、邦訳ではどちらとも解せる訳が多いです。原田訳はちょっと微妙ながら、「大骨を折って」とありますから、「動かす」かなと思いますが。
それで、邦訳ではこのように解釈がかなり分かれていますが、英訳では、「行かせる」とか「連れて行く」という感じの意味の get を使っている訳と、どちらの意味とも解せる「(強制的に)...させる」という意味の make を使っている訳が1つずつと、やはりどちらの意味とも解せる move を使っている訳が2つあるほかは、すべて「説得する」という意味である persuade (これが特に多いです)、coax、convince、get ... to 不定詞、induce、prevail upon を使っています。
それでこの場合には、母親と妹は父親を説得もしていますが、あとの方の記述からもわかりますように、父親が動くのを助けようともしていますから、どちらとも解せますね。私としましては、動きの方に重きを置いて、「動かす」と解したい気がしますが、「説得する」でも勿論間違いではありません。

○①Da ②mochten Mutter und Schwester ③mit kleinen Ermahnungen ②noch so sehr auf ihn eindringen, viertelstundenlang schüttelte er langsam den Kopf, hielt die Augen geschlossen und stand nicht auf. Die Mutter ④zupfte ihn am Ärmel, sagte ihm Schmeichelworte ins Ohr, die Schwester verließ ihre Aufgabe, um der Mutter zu helfen, aber beim Vater verfing das nicht.
すると母親と妹とがいくら短ないましめの言葉でせっついても、十五分ぐらいはゆっくりと頭を振り、眼をつぶったままで、立ち上がろうとしない。母親は父親の袖(そで)を引っ張り、なだめるような言葉を彼の耳にささやき、妹は勉強を捨てて母を助けようとするのだが、それも父親にはききめがない。

①の Da は多くの訳では訳出されていません。邦訳では「すると(原田訳)」「で(片岡訳)」「そうしたときの[父は](三原訳;これは案外上手な訳ですね)」「そんなとき(川島訳)」があるだけですし、英訳では Then がいくつかと、In this situation が1つあるだけです。
ここでは原田訳や三原訳や川島訳のようにも解せますし、片岡訳が1字だけで言っているように「それで」「こんな調子だから」というニュアンスとも解せますね。どちらも間違いでは決してありませんが、私はこの前の箇所との因果関係を重視して、後者のように解したいと思います。
②の mögen(mochte は過去形) や noch so は、「どれほど...しても」という感じの意味を表しますので、原田訳のような訳でよいと思います。mögen には勿論、ほかにもいろいろな意味がありますが。

③この mit kleinen Ermahnungen は、直訳しますと「小さな警告で」という感じになりますが、いろいろに訳せますね。解釈が分かれているわけではありませんから、訳例を全部はあげませんが、いくつかあげておきます。「ちょっとしたいさめの言葉をはきながら(辻瑆〔ひかる〕訳)」「短いお説教をくり返して(高本訳)」「ちょっとした訓戒をくり返しながら(高安訳)」「短い小言をくりかえしながら(川崎訳)」「ちょっぴりさとしたりして(池内訳)」「さあとかほらとか声をかけて(川村訳)」。池内訳は、簡潔ながら上手ですね。川村訳はちょっと作りすぎかなとも思いますが、これもそれなりに上手な訳ではありますね。
英訳では、mit は with としか訳されていませんが、kleinen は、gentle、little、mild、small、soft、また Ermahnungen は、admonishments、admonitions、coaxing、encouragements、exhortations、hints、reminders、reproaches、warnings と、多様に訳されています(前置詞句を使わずに gently urged him などと意訳している訳も少しだけありますが、これらは除外します)。

④この zupfte ihn am Ärme は、ドイツ語でも英語でも時々見られる独特な表現で、「動詞(A)+主に人を表す目的語(B)+前置詞+定冠詞(または、所有を表す代名詞)+身体や衣服などの一部分を表す名詞(C)」で、「B を C で(前置詞の部分の訳はそれぞれの前置詞によって変わってきますが、仮に「で」としておきます)A する」→「B の C を A する」という意味になりますね。もっとも、この公式的なものは、私が勝手にこしらえたものでして、間違ってはいないと思いますが、もっと良い表し方をご存知の方がおられましたら、ご教示いただければ幸いです。それはともかく、ここでは、逐語訳的には「父親を袖で引っ張り」となりますが、原田訳では「父親の袖を引っ張り」と訳されています。
それで、この zupfen(zupfte は過去形) には、「引っ張る」のほかに「つまむ」という意味もあり、「つまんで」と訳している邦訳が1つあります。ですが、ここでは父親をせっついているのですから、やはり「引っ張る」とした方が自然ではないかと私は思います。また、「つかみ」としている邦訳も1つあり、つかむという動作でしたら父親をせっつく感じも出ないことはないのですが、複数の辞書を見てみましても、zupfen には「つかむ」という意味はないようですので、これはちょっと無理かと思います。

○Er versank nur noch tiefer in seinen Sessel. Erst als ①ihn die Frauen ①unter den Achseln faßten, schlug er die Augen auf, sah abwechselnd die Mutter und die Schwester an und pflegte zu sagen: ②»Das ist ein Leben. Das ist die Ruhe meiner alten Tage.«
彼はいよいよ深く椅子に沈みこんでいく。女たちが彼のわきの下に手を入れるとやっと、眼を開け、母親と妹とをこもごもながめて、いつでもいうのだ。
「これが一生さ。これがおれの晩年の安らぎさ」

①この ihn ... unter den Achseln faßten も、さきほどの zupfte ihn am Ärme と同じ表現で、直訳しますと「彼を肩(脇)の下でつかむ」、日本語らしくしますと「彼の肩(脇)の下をつかむ」となりますね。ここはいろいろに訳されていますが、邦訳では「脇の下に手を入れて/差し込んで/突っ込んで」という感じにしている訳が多いです。これでも勿論間違いではありませんが、こうしますと「肩(脇)の下に腕を通して向こう側に出して」という意味とも、受け取れないことはありません。このような感じで相手を起こそうとすることもありえますが、fassen のもともとの意味は「つかむ」ですから、ここではやはりこのような意味にはならず、最初に記したとおりの意味になるのではないかと、私は思います。中井訳は「[女たちに]両方の肩の下を引っ摑(つか)まれて」としており、このように訳した方がより正確かとは思われます。
英訳では、grabbed him by the underarms、grabbed him under his(またはthe) armpits(または arms)、grasped him under the armpits、gripped him beneath the arms、hoisted him up by his arms(または the armpits)、lifted him under his armpits、lifted him up by his armpits、lifted him up under his arms、lifted him up from under his arms、pulled him up under the arms、seized him under his(または the) arms、took him under the arms、took hold of him under the arms(または armpits) としており、「つかむ」という感じを明確に出している訳と、そうでない訳とがありますね。

②この父親の言葉に関しましては、頭木さんが今回の連載で非常に詳しく考察しておられますので、ここでは簡単に、既訳の状況と私の考えを記しておくにとどめます。
邦訳では、原田訳のように直訳的に訳している訳が多いです。ただ、「一生」ではなく「人生」としている訳が大部分ですが、ここではまだ自分の一生が終わっているといった話まではしていませんので、「人生」とした方がよいかなとは思います。ほかに高安訳は「生活」としており、これでも構いませんが、やはり「人生」の方が合うかなと感じます。辻訳は「生きがい」としており、訳としては上手とは思いますが、原文の Das ist ein Leben. では、このような意味までは出ていないのではないかとも思いました。
しかしながら、池内訳は「こんなことになろうとはな。年とったあげくが、こんな目にあおうとはな」、多和田訳は「なんて人生だ。これがわたしの安らかな老後か。」としていて、かなり感じが違っています。
英訳では、“This is a life. This is the peace of my old days.” (Robert Boettcher訳) のように直訳している訳も多いですが、前半を What a life. または What a life! と、感嘆文として訳している訳もあります。ドイツ語では、名詞に不定冠詞の ein をつけただけで「なんと...であろう」というニュアンスを持つこともありますから、この訳は成り立つと思われます。また、Some life! としている訳が1つありましたが、some もこのようなニュアンスで使われることがあるようです。
ただ、前半を感嘆文として訳している訳では、(1) 後半は明らかに直訳している訳と、(2) 後半は直訳しているのか、池内訳や多和田訳のような感じを出そうとしているのか、はっきり判断できない訳と、(3) 明らかに池内訳や多和田訳に近い感じで訳していると思われる訳とがあります。ここでは (3) の例をあげておきます。

“What a life! Is this the hard-earned rest of my old days?” (Lloyd 訳)
‘What a life! So much for a quiet old age!’ (J. A. Underwood 訳)    岡上記:so much for .., は「...なんてその程度のものだ」という感じの意味で使われるようです。
‘What a life. So much for a peaceful old age.’ (Richard Stokes 訳)
‘What sort of life is this? What sort of peace and dignity in my old days?’ (Hofmann 訳)
‘What a life! Is this the hard-earned rest of my old age? (Aaltonen 訳)
“What sort of life is this? Is this the peace and quiet of my old age?” (Bernofsky 訳)

さて、それでここの意味をどう考えるかですが、池内訳や多和田訳やこれらと似た意味の英訳は、このように解することは不可能ではありませんので、決して間違いではありませんが、私は直訳的な意味に解したいと思います。池内訳や多和田訳のように言いたかったのでしたら、普通は »Das ist ein Leben!(感嘆符を入れる)  Ist das die Ruhe meiner alten Tage?« のように書くのではないかと考えましたから。
ここでは、――原田訳を若干修正して訳しますと――「これが人生さ。これがおれの晩年の安らぎなのさ。だからほうっておいてくれないかなあ」というニュアンスで言いたかったのではないでしょうか。ちなみに、M. A. Roberts 訳は、“Live and let live. This is the peace of my old age.” と訳しています。私は英語にはあまり詳しくありませんが、live and let live という言い方は「お互いに干渉せずに自由に生きる」という感じの意味にもなるようです。Das ist ein Leben. をこのように訳すのはちょっと飛躍しているようにも思いますが、Roberts さんは「ほうっておいてくれ」という意味を出したかったのではないかと思われますね。

○Und ②auf die beiden Frauen gestützt, erhob er sich, ③umständlich, als sei er für sich selbst die ④größte Last, ließ sich von den Frauen bis zur Türe führen, winkte ihnen dort ab und ging ⑤nun selbständig weiter, während ⑥die Mutter ihr Nähzeug, die Schwester ihre Feder eiligst hinwarfen, um hinter dem Vater zu laufen und ihm weiter behilflich zu sein.
そして、二人の女に支えられて、まるで自分の身体が自分自身にとって最大の重荷でもあるかのようにものものしい様子で立ち上がり、女たちにドアのところまでつれていってもらい、そこでもういいという合図をし、それからやっと今度は自分で歩いていく。一方、母親は針仕事の道具を、妹はペンを大急ぎで投げ出し、父親のあとを追っていき、さらに父親の世話をするのだ。

①まず、この箇所全体についてですが、原田訳のような感じで、現在形で訳している邦訳が案外多くあり、また、全部でなくても一部を現在形で訳している訳もあります。ですがここは、みながそれなりに大変な状況ではありますが、深刻な切迫感があるような状況であるとは言えませんから、単なる描写とみなすべきであり、どう考えても体験話法にはならないと私は思います。
訳者の方々に確認したわけでは勿論ありませんが、現在形で訳したのは、いわゆる歴史的現在――過去のことを現在形で表現することによって、そのことがあたかも今起きているかのようにし、生き生きとした感じを出す表現法――として訳したからではないかと、私は思いました。それでしたら、勿論間違いでは決してありません。

②auf die beiden Frauen gestützt は分詞構文ですが、... , weit unter das Licht vorgebeugt, ... の箇所でも詳しくお話ししたのと同様に、この gestützt は他動詞 stützen の過去分詞ではなく、再帰動詞である sich stützen が過去分詞になって sich がなくなったものであり、「[...に]もたれかかって」という完了的な意味になっていると、私は思います。他動詞 stützen の過去分詞であるのでしたら、von den beiden Frauen gestützt とならなければいけませんから。ちなみに、上記の箇所でも記しましたように、ここを sich auf die beiden Frauen stützend と、現在分詞を用いて書き換えることもできます。
邦訳では原田訳のような訳が多いのですが、上記のとおり、文法的にはそうはならず、「ふたりの婦人の肩につかまって(高安訳)」「女たちにつかまって(立川訳)」「二人の女に寄りすがるなり(川村訳)」「二人にもたれかかって(ナボコフ、野島訳)」のように訳すのが正確です。けれども、ここの意味としては、原田訳のような訳でも結局は同じことになりますから、いけないとは言えないとも思います。
英訳では、supported(または、propped、propped up) by the two women(または、both women など) としている訳も多いですが、leaning on the two women(または、both of them など) としている訳も多いですし、supporting himself on the two women としている訳もあります。これらの前にはおおむね、And(あとにコンマがある訳もない訳もあります) か Then, がありますが。それで英訳に関しては、前の ... , weit unter das Licht vorgebeugt, ... の場合とは違い、自動詞の過去分詞を用いて訳した訳はありません。ですが、上記のとおり、ここは現在分詞を用いて書き換えることができますから、英訳でもそれを踏襲して現在分詞を用いて構わないでしょうし、support や prop はそもそも自動詞としては使われないようですから、これでよいと私は思います(大きな辞書によりますと、prop はまれに自動詞としても使われるそうですが、「支える」という意味にはならないようです)。

③umständlich は訳しにくい語の1つです。原田訳のような訳でもよいと思いますし、「大仰(おおぎょう)に」「仰々しく」といった訳でもよいと思います。これらと似た感じで、「どっこいしょと」「やっこらせとばかり」「やっこらしょと」と訳している訳もあります。また、umständlich には「面倒な」という感じの意味もあることから、「いかにもめんどうくさげに」「面倒そうに」「もたもたと」「のろのろと」「手間暇(ひま)をかけて」と訳している訳もあり、このような解釈も成り立つとは思いますが、私はどちらかと言いますと、「大仰に」「仰々しく」のように訳した方が面白いのではないかとも思います。それから、「大儀そうに」「苦労して」「やっとのことで」などと訳している訳もありますが、umständlich にはここまで苦労する感じの意味はあまりないようです。けれども、ここの雰囲気からしますと、このように訳してもいけないことはないと思います。
英訳でも邦訳と同様に、多種多様に訳されています。意味の傾向で分けずに、アルファベット順に列挙しますと、awkwardly、carefully、cumbersomely、elaborately、haltingly、laboriously、painfully、ponderously、slowly、with [great] difficulty があります。ほかに、almost cremoniously、making heavy weather of it、slowly and fussily、with lots of circumstance としている訳もあり、これらはそれなりに面白いですね。

④この größt[e] は最高級ですが、文字どおり「最大の[重荷]」とも解せますし、前出の絶対最高級として「きわめて大きな[重荷]」とも解せますね。邦訳でも英訳でも、前者に解している訳が多いですが、後者に解している訳もあります。この場合には「最大の」と解してよいのではないかと私は思いますが、このようなものは絶対にどちらが正しいとは断言できませんから、読者の好みでよいのではないでしょうか。
邦訳では、「最大の」以外では、「たいへんな」「ひじょうな」「重すぎてどうしようもない」「自分自身もてあます[大荷物]」としている訳もあり、これらの訳者は絶対最高級と考えたのではないかと思われます。英訳では、文字どおり greatest か、great(これだけでは厳密には誤訳になりますが) としている訳がほとんどですが、enormous、immense、tremendous としている訳もあり、これらの訳者も絶対最高級と考えたのではないかと思われます。

⑤この nun は、原田訳の「今度は」が一番合っているのではないかと、私は思います。邦訳ではほとんど訳出されておらず、原田訳以外では「そのまま」「それから」としている訳が1つずつあるだけです。英訳でもほとんど訳出されておらず、now としている訳が2つ、then としている訳が1つあるだけです。

⑥この die Mutter ihr Nähzeug, die Schwester ihre Feder eiligst hinwarfen は、原田訳のように「母親は針仕事の道具を、妹はペンを大急ぎで投げ出し」ということですし、語学的には特に難しい箇所ではありません。
ただ、ここでの hinwarfen は、物理的に放り投げたと言うよりは、そのまま放っておいたという意味と解すべきではないかと私は思います。もっとも、邦訳で「投げ出し」とか「放り出し」といった訳をしていないのは、「...をその場へほうっておいて(中井訳)」「...をほったらかしにして(山下肇訳)」「...をさっとあきらめて(丘沢訳)」くらいです。英訳でも直訳的に threw down か flung down か discarded としている訳が多いのですが、abandoned、dropped、left としている訳もあります。また、tossed aside、put ... by side としている訳もありまして、感じはよくつかめますが、熟語としてはあまり一般的ではないようです。put down としている訳もいくつかありましたが、「やめる」という意味もあるものの一般的ではないようで、これはあまり良くないのではと思いました。
ですが、それはともかくとしまして、ここの前の方では、「母親は父親の袖を引っ張り、なだめるような言葉を彼の耳にささやき、妹は勉強を捨てて母を助けようとするのだが、それも父親にはききめがない(原田訳)」などと書かれていて、母親と妹は針仕事や勉強をいったんやめていたことははっきりしていると思われます。それなのになぜここでまた、このように書かれているのでしょうか。三原先生も『カフカ「変身」注釈』の中で、

しかし最後の「あわてて母は裁縫道具、妹はペンをほうりなげ、走ってあとを追い、さらに父の世話をやこうとする」という文章が少々腑(ふ)に落ちない。女たちは父の脇のしたに手をさし込んだり、支えてドアまで連れていくところですでに裁縫道具やペンは放り出しているはずだ。裁縫道具やペンを手にもったまま女たちは父を支えていたのだろうか?

と疑問を呈しておられます。ただ、「裁縫道具やペンを手にもったまま女たちは父を支えていた」――これですと、裁縫道具やペンを、本当に物理的に放り出したことになりますが――とは、やはりちょっと考えにくいですね。私やご意見を伺った2人の方々の考えは次のようなものです。母親と妹は、父親をいったん一人で歩かせて、裁縫や勉強に戻ったものの、歩き方がひどくぎこちなかったとか、あるいは、つまずいて倒れたとか何かで、また裁縫や勉強をやめて、父親を助けに行った、ということではないでしょうか。
ちなみに、父親が一人で歩いている部分を、英訳の Donna Freed 訳は labor on alone、Joachim Neugroschel 訳は trudge on unaided と訳していました。他の英訳ではすべて、carry on、continue [on]、head [off]、proceed、walk on、go [on] など、普通の「進む」という意味の動詞を使っているのに、このお2人はわざわざこんな語を使っていますから、母親と妹は父親の足取りがあぶなっかしかったからまた助けてやろうと思ったとお考えになったのかもしれませんね(これらの動詞は、過去の習慣を表す助動詞の would とともに使われたりしていて、必ずしも過去形にはなっていませんので、煩瑣を避けるため、ここでは動詞はすべて原形で示しました)。
いずれにしましても、本当でしたら eiligst wieder hinwarfen のように、wieder などを入れた方がよいでしょうし、さらにあえて言いますと、母親と妹が裁縫や勉強に戻っていたことにもふれた方が望ましく、この箇所はちょっと説明不足ではないかなと思いました。
ですが、このような考え方以外の可能性もあるかもしれませんので、ご意見がおありの方がおられましたら、お寄せいただけましたら幸いです。

最後になりましたが、英訳に関したいくつかの点につきまして、今回も高知市のエヴァグリーン英会話スクールの菊池春樹先生にご教示をいただきました。記して感謝いたします。ただ、英訳についての説明も、最終的にはすべて私の判断で記しましたので、責任は私にあります。ご意見がおありの方がおられましたら、私宛にお寄せ下さいましたら幸いに存じます。

 付録

〔1〕Es ging jetzt meist nur sehr still zu. の邦訳と英訳の一覧

 いまではたいていひどくひっそりと時が過ぎていくばかりである。(高橋義孝訳)
いまではたいてい、話がごくしめやかにすすめられる。(中井正文訳)
今は、[会話は、]おおかた、ごくひっそりと、ぽつりぽつり交わされるだけにすぎない。(山下肇〔はじめ〕訳)
ところが今では、たいていはひどく静かに行われるだけだ。(原田義人〔よしと〕訳)
今はたいてい、ひどくひっそりとしたものだった。(辻瑆〔ひかる〕訳)
いまではたいてい、ひどくしめやかに行なわれるだけであった。(高本研一訳)
今ではたいていひどくひっそりと食事の時が過ぎていった。(高安国世訳)おおかたはひそやかにぽつりぽつりとかわされたしめやかなまどいであった。(川崎芳隆訳)
いまは大概(→のちの訳では、たいがい)ひどくひっそりと行なわれた。(城山良彦訳)
今では大方は、ごくひっそりとすぎてゆくだけだった。(片岡啓治訳)
いまではたいていひどくひっそりとしか行なわれていなかった。(立川〔たつかわ〕洋三訳)
今では至極(しごく)もの静かなのがふだんのことだった。(川村二郎訳)話はいまではたいていがひじょうにひっそりとしか進まなかった。(三原弟平〔おとひら〕訳)
いまはおおかた、もの静かに過ぎていった。(池内紀〔おさむ〕訳)
今ではたいていのことが、ごくひっそりとしか行なわれなかった。(山下肇・萬里〔ばんり〕訳)
いまはたいてい、とても静かだった。(丘沢静也〔しずや〕訳)
それがいまでは、たいてい、ごくもの静かに過ぎていった。(浅井健二郎訳)
今は、たいてい、ただただ静かに時が過ぎていった。(野村廣之訳)
今では、たいていとても静かだった。(真鍋宏史訳)
みんな何も言わないことの方が多かった。(多和田葉子訳)
今では大多数のものがごく静かに進行していた。(田中一郎訳)
今ではたいてい、終始ごく静かなままだ。(川島隆訳)

Most of the time, now, they(彼ら) discussed nothing in particular after dinner. (A. L. Lloyd 訳)
For the most part, everything went along very quietly now. (Eugene Jolas 訳)
They(彼ら) were now mostly very silent. (Willa & Edwin Muir 訳)
Now things were mostly very quiet. (Stanley Corngold 訳)
Now it was mostly a very peaceful time. (J. A. Underwood 訳)
Now things were mostly very still. (Malcolm Pasley 訳)
Now, the evenings were usually very hushed. (Joachim Neugroschel 訳)
Now things were mostly very quiet. (Karen Reppin 訳)
Now it was mostly very subdued. (Donna Freed 訳)
Generally the talks were very quiet. (Stanley Appelbaum 訳)
For the most part what went on now was very quiet. (Ian Johnston 訳)
All of them(=the conversations) were usually very quiet nowadays. (David Wyllie 訳)
Things were now mostly very peaceful. (Richard Stokes 訳)
What went on was now mostly very quiet. (M. A. Roberts 訳)
Generally, things were very quiet. (Michael Hofmann 訳)
Most of the time, now, they(彼ら) sat in silence. (Will Aaltonen 訳)
Now things were very quiet in the main. (Joyce Crick 訳)
Most of the time they (=the conversations) were very still. (Charles Daudert 訳)
Things were mostly very quiet now. (John R. Williams 訳)
For the most part now, it(この it は非人称的な使い方ではなく =the conversation) was just very quiet. (C. Wade Naney 訳)
Now everything was fairly quiet. (Susan Bernofsky 訳)
Nowadays they(=the conversations) were usually quite sedate. (Christopher Moncrieff 訳)
Now things were usually quite calm. (Katja Pelzer 訳)
Meals were now generally taken in silence. (Peter Wortsman 訳)
Generally, it was now very quiet. (Mary Fox 訳)
Now it was usually very quiet. (Philipp Strazny 訳)
Now it was mostly only very quiet. (Christopher Drizzen 訳)
Now these new times were very quiet, mostly. (Miqhael-M. Khesapeake 訳)
It was mostly just very quiet now. (Robert Boettcher 訳)

〔2〕... , weit unter das Licht vorgebeugt, ... の邦訳と英訳の一覧
 便宜上、Die Mutter の訳も、[ ] に入れて示しました。

[母親は]燈下(とうか)に上体を乗り出して...(高橋訳)
[母は]灯(あかり)の下へぐっと屈(かが)みこんで、...(中井訳)
[母親は]灯りの下へぐっとのりだすように屈みこんで、...(山下肇訳)
[母親は]明りの下にずっと身体をのり出して...(原田訳)
[母親は]明かりの下にのりだすように身をかがめて、...(辻訳)
[母親は]あかりの下にぐっと身体を乗り出して、...(高本訳)
[母親は]灯の下にずっと上体をのり出し、...(高安訳)
あかりの下に身をのり出した[母親は...](川崎訳)
[母親は]明かりの下に軀(からだ)をずっと乗り出して、...(城山訳)
[母親は]、明りのしたにぐっと身をのりだして、...(片岡訳)
[母親が]明かりの下にからだを乗り出して、...(立川訳)
[母の方は]、灯の下に身を乗りだすようにかがみこみ、...(川村訳)
[母親は]ランプのうえにかがみこんで、...(ナボコフ、野島秀勝訳)
[母は]明かりのもと、深々と前かがみになって、...(三原訳)
[母は]明かりの下で身をかがめ、...(池内訳)
[母親は]灯りの下へ身を乗りだすようにかがみこみ、...(山下肇・萬里訳)
[母親は]、明かりのしたでぐっと前かがみになって、...(丘沢訳)
[母は]明かりの下へぐっと身を屈めて、...(浅井訳)
[母親は...高級下着を]、灯りの下に身を乗り出すようにして、[縫っていた。](野村訳)
[母親は]、明かりの下で背をかがめて、...(真鍋訳)
[母親は]灯りの方にぐっと身を傾けて、...(多和田訳)
[母親は]明かりの下で前かがみになって...(田中訳)
[母親は]明かりの下に身を乗り出して、...(川島訳)

 以下、前がコンマになっている場合には、そのコンマは省略します。

leaning forward in the light, ... (Lloyd 訳)
bent(過去分詞) far forward under the light, ... (Jolas 訳)
bending low over(のちの訳では、under) the lamp, ... (Muir 訳)
bent(過去分詞) low under the light, ... (Corngold 訳)
bending low over the lamp, ... (Vladimir Nabokov 訳)
leaning forward into the light, ... (Underwood 訳)
craning right forward under the lamp, ... (Pasley 訳)
hunched(過去分詞) way over beneath the light, ... (Neugroschel 訳)
leaning far forward under the lamp, ... (Reppin 訳)
bent(過去分詞) over toward the light, ... (Freed 訳)
leaning far forward under the light, ... (Appelbaum 訳)
(文頭で)Bent(過去分詞) far over, ... (Johnston 訳)
bent(過去分詞) deeply under the lamp, ... (Wyllie 訳)
leaning far forward under the light, ... (Stokes 訳)
bent(過去分詞) down under the light, ... (Roberts 訳)
sitting well forward under the lamp, ... (Hofmann 訳)
(文頭で)Leaning forward into the light, ...(Aaltonen 訳)
... ; bending far forward over the lamp, ... (Crick 訳)
bent(過去分詞) close to her work under the light, ... (Daudert 訳)
... ; bending down low under the light, ... (Williams 訳)
leaning toward the light, ... (Naney 訳)
bent(過去分詞) far over beneath the light, ... (Bernofsky 訳)
... ; hunched(過去分詞) under the lamp, ... (Moncrieff 訳)
bent(過去分詞) far forward beneath the light, ... (Pelzer 訳)
... ; bent(過去分詞) far forward under the overhead beam of light, ... (Wortsman 訳)
... ; bending closer to light, ... (Fox 訳)
[The mother] bent(過去形) over towards the light, ... (Strazny 訳)
bent(過去分詞) far over the light, ... (Drizzen 訳)
bent(過去分詞) low under the lamp, ... (Khesapeake 訳)
bent(過去分詞) far under the light, ... (Boettcher 訳)


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