「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第17回で取り扱われている範囲で)
岡上容士(おかのうえ・ひろし)と申します。高知市在住の、フリーの校正者です。文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんが連載なさっている「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」の校正をさせていただいており、その関係で、「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所」という、この連載も書かせていただいています。
なお、頭木さんの連載は、前回までは雑誌『みすず』に掲載されていましたが、今回からはオンラインマガジンの『WEBみすず』に掲載されるようになりました。私の連載は、第13回までは頭木さんのブログに掲載させていただいていましたが、第14回からは私の note に掲載しています。
私の連載の内容は、基本的には題名のとおりでして、『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所を取り上げて、私なりに分析しています。ただし、どの解釈が絶対に正しいとは明確に決められない箇所も少なくありませんので、それらに関しては断定的な結論は出していません。
また、時には、この連載の趣旨からは若干外れていますが、解釈自体は分かれていなくても訳し方の違いがいろいろある箇所を取り上げて比較したり、文法的・語法的に難しい箇所を説明したり、これまでの諸訳のいずれかが特に上手に訳していると思った箇所を示したりもしています。
ですが、基本的なスタンスは題名に該当する箇所を取り上げて分析することですから、構文が複雑な箇所や内容が特に面白い箇所であっても、諸訳の解釈が特に分かれていない場合には取り上げない、ということもありえますが、この点はご了承下さい。
なお、以下に※で列挙しています凡例(はんれい)的なものは、その回から初めてお読み下さる方もおられると思いますので、毎回記させていただくようにしていますし、今後もそのようにします。ただ、英訳に関する項目だけ、今回から「※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。」と変更しました。
※解釈が分かれている箇所は、詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。
※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、コメントの形でお寄せいただけましたら幸いです。
※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明に必要な部分だけをあげている場合もあります。
※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。
※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。
※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。
※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。
※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。
※原文や邦訳や英訳など、他書からの引用部分には色をつけてありますが、解説文の文中であげている場合にはつけていません。
説明の都合で、②から先に検討します。
②aus Rücksicht auf seine Eltern は、文字どおりには原田訳のように、「両親のことを考えて」となりますが、この文をゆっくり読んでみますと、「具体的に両親のどんなことを考えたのかな」と、気になってしまいますね。ですがここに関しては、邦訳、英訳ともに、原田訳のような感じで直訳しているものがほとんどで、それなりの解釈を加えているのは、上掲の中井訳と川島訳のみです。どちらが妥当かということについては、今回の頭木さんの連載でも述べられていますが、私も頭木さんと同じく、川島訳が妥当であると思います。
あとのほうでは、グレーゴルは床や壁や天井を這い回っていると書かれていますね。ですが、両親に見られることを避けたいのでしたら、そのように這い回ることもしないはずでして、窓ぎわにだけ行かないというのは不自然と言わざるをえません。この趣旨のことは頭木さんもおっしゃっています。
それから、これ以外に私がそう思った理由を記しますと、この箇所のすぐ前(前回の連載で扱った箇所)では、
と書かれており、少なくとも母親に関しては、入ってくることを否定してはいません。
さらには、sich zeigen は、直訳しますと「自分を見せる」ですから、母親や妹の側からも言えないことはありません。ですから、絶対的な根拠にはならないのですが、この表現はどちらかと言いますと、外から見られるというニュアンスが強いと思いますし、母親と妹の側から言っているのでしたら、nicht beim Fenster sein とすれば済むのではないかとも思います。
このようなわけで、やはり川島訳のように、両親の世間体を考えて外から見られることを避けたとみなした方がよいと私も思います。頭木さんもおっしゃっていましたが、この「世間体」という訳は、とてもお上手と思います。
①ただ、aus Rücksicht auf seine Eltern の前の schon に関しては、私は川島訳とは解釈を異にします。邦訳では、この schon を訳出していないものが多いです。また、川島訳のように「...[を考えた]だけでも」という感じで訳している訳もいくつかありまして――ついでながら、このあとに出ている、schon während der Nacht の schon は、明らかにこの意味ですね――、この解釈も成り立つとは思います(ですから、間違いでは決してありません)。
ですが、私はどちらかと言いますと、この schon は一番もともとの意味である「すでに」という意味であり、「すでに[このときには]両親のことも考えるようになっていて」ということを言っているのではないかと思いました。もっとも、英訳では、訳出していないか、川島訳のような感じで if only out of considerarion for his parents のようにしているかのどちらかでして、「すでに」と解している訳はありませんでしたが、邦訳ではいくつかあります。
グレーゴルはこれまではたびたび窓から外をのぞいていたにもかかわらず、なぜここで心境が変わったのかは、私もはっきりとは言えません。頭木さんは今回の連載で、考えられる理由を3つほど書いて下さっていますが、私は個人的には、そのうちの1つである、「母親が部屋に入りたがってくれていることで、グレーゴルのほうも両親の気持ちを考えるようになった」からなのかなと思いました。つまり、母親が自分に会いたがってくれていることをうれしく思い、母親を含む両親のことも考えてあげなくてはいけないと思ったからなのかなと。
③この auch は微妙ですが、「窓辺にいることもしたくなかったし、かと言ってこんな狭い床では這い回ることもあまりできなかった」という感じかなと私は思います。邦訳、英訳ともに、訳出していないものも少なくありませんが、邦訳で訳出しているものはおおむね、このように訳しています。一部の邦訳では「這い回ったところでたいしたこともできなかった」という感じで訳していますが、これはちょっと違うと思います。
英訳では、文中に also を入れたり、文末に either を置いたりしているものもありますが、これではどこにかかっているかわかりませんね。nor か neither を文頭に置いて、あとを動詞+主語という倒置の形にしている訳がいくつかありますが、これが妥当ではないかと思います。ご参考までに、2つだけあげておきます。
なお、この auch は、「実際のところは」というニュアンスの、単なる強めの意味とも、解せないことはないと思います。
①hing の不定形(原形)の hängen は「ぶら下がっている」がおおもとの意味ですが、「くっついている」という意味で使われることも多いです。ここでは過去形になっていて、しかも副詞の gern と結びついていますから、たとえば、原田訳のように「ぶら下がっているのが好きだった」とか、立川訳のように「ひっついているのが好きだった」いう訳になってきます。ですが、ここでは便宜上、hängen をどう解釈しているかということに限定して話を進めます。
邦訳では、「ぶら下がっている」という意味に解しているものと、「くっついている」という意味に解しているものとが半々くらいになっています。その一方で英訳では、ほとんどが「ぶら下がっている」と解しており、「くっついている」と解しているものは次の3つしかありません。
連載で言いますと第10回で扱った箇所になるのですが、「[グレーゴルの]小さな足の裏のふくらみには少しねばるものがついていた(原田訳)」とありましたから、天井にはこのねばりを利用して足の先だけでくっついていたと考えられます。ですから、「くっついている」ことは確かですが、足の先以外の身体は「ぶら下がっている」とも言えますから、どちらに訳しても間違いではないということになりますね。
ただし、auf は英語の on に近い感じの前置詞であり、ある面に接触しているというイメージが強いですし、「ぶら下がっている」と言いたいのでしたら、aus der Decke か von der Decke として、「天井からぶら下がっている」と言うのではないかとも思います。英訳の多くも、from the ceiling として、前置詞を from に変えてしまっています。やはり上掲の3つの訳のように、hang on ... とするのが妥当ではないでしょうか。このようなわけで私は、この hing(→hängen) は「くっついている」という感じで言いたかったのではないかと思います。
ですが、ドイツ語や英語の文法的にはともかく、これはむしろ日本語の好みの問題になってきますから、「ぶら下がっている」という感じで訳しても、決していけなくはありません。
②ここで er ではなくて man になっている理由は、私もはっきりとは断定できませんが、「彼だけではなくほかの人が同じ立場になっても」というニュアンスで言いたかったのかもしれませんね。日本語に訳すさいには、主語をなしにして訳せばよいと思いますし、邦訳ではみな、このように訳しています。英訳では、one にしているか、he にしているかです。1つだけ a fellow としているものがありましたが、fellow も人を意味する one と同じ意味で用いられることがあるようです。
この konnte(→können) のここでの意味は、日本の辞書には、私が知るかぎりでは、三省堂の『クラウン独和辞典』にしか載っていませんが――載っている辞書をほかにご存知でしたら、ご教示いただけましたら幸いです――、習慣を表す意味であり、「ときどき(あるいは、よく)...する[ことがある]」という感じの日本語になります。
邦訳では、種村訳はとても上手に訳していますし、「...こともよくあった(高橋義孝訳)」「...ことがよくあった(高本研一訳)」として、「よく」を入れているものが2つあります。英訳では sometimes や occasionally や now and then を入れてあるものがいくつかあります。本当はこのような言葉を入れるのが望ましいとは思いますが、原田訳のようにしても間違いではありません。
なお、一部の邦訳では「...が起こりえた」と、konnte(→können) の文字どおりの意味に訳しているものもありまして、これは誤訳とまでは言えませんが、適切な訳とも言えないと私は思います。
①この für sich は、訳出していない訳が多いですが、原田訳のように「自分で」、あるいは川崎訳のように「自分のために」と訳出している訳もあります。英訳では、訳出していないか、for himself としているかの、いずれかしかありません。
für sich には「自分で」という意味も「自分のために」という意味もありますから、どちらに訳しても間違いとは言えません。ですが、グレーゴルの今の状況では、このようなことを考え出すのに家族の力を借りれるというような状況ではなく、ことさら「自分で(独力で)」と言う必要性は少ないのではないかと思われます。ここでは、「すっかり変わってしまった新しい自分のために考え出したなぐさみ」という感じで言いたかったのではないでしょうか。
②この auch も微妙ですね。auch には、ここでの ja と同じく、「...だから」という、理由を表す意味がありますので、ここでは ja と auch を2つ並べて意味を強めたのではないかと、私は思います。ですから、訳としましては、「...からである」だけでもよいと思いますが、「...からなのである」としたり、川崎訳のように「というのも」などを加えたりして、意味を強めてもよいでしょう。
ただ、邦訳では「実際」「なにしろ」、英訳では after all、in fact と訳出して、この auch を単なる強意と解しているものもありますが、それでも間違いではないと思います。
ですが、邦訳でも英訳でも、er につなげて「彼も」と考えたり、beim Kriechen につなげて「這うときでも」のように考えているものもありますが、これらは内容的に成り立ちにくく、ちょっと無理と言えるでしょう。
①sich(3格) … in den Kopf setzen には、「...を思いつく、考えつく」という意味と、「...に固執する、...をすることを固く決心する」という意味とがあり、辞書では片方しか載っていなかったり、両方載っていたりします。かなり多くの英訳で使われている、get ... in one’s head と take ... in one’s head にも、sich(3格) … in den Kopf setzen と全く同じ2つの意味があるようです。
邦訳では解釈が分かれていますし、英訳でも、前記の2つの言い回しを使っていてどちらの意味か明白でないもの以外は、やはり解釈が分かれています。ですが、邦訳も英訳も、「...を思いつく、考えつく」という意味に解しているものが多いです。
私としましては、急にこんなことに「固執した」とか、こんなことを「決心した」と考えるよりも、やはり「思いついた」という意味に解した方が自然ではないか思いますが、「決心した」と解しても間違いではありません。
②この größt[em] は最高級(英語の場合には、最上級)になっていますね。文字どおり「一番大きな」という意味と解しても間違いではありませんが、ここでは「きわめて大きな」という感じの意味で、文法的に言いますと、いわゆる「絶対最高級」になっているのではないかと、私は思います。ですから、原田訳で言いますと、「最大の規模で」と言うよりも、「とても大きな規模で」とか、「できるだけ大きな規模で」などとした方がよいかと思います。
なお、この箇所全体はいろいろに訳せますが、特に英訳ではヴァリエーションに富んでいますので、巻末の付録で一覧にしてみました。ご関心がおありでしたらご覧下さい。
①この Nun に関しては、訳出していない訳がほとんどで、訳出しているものは、邦訳では「ところで」か「さて」、英訳では文字どおり Now としているくらいです。ここでは「[しかし]さて[どけるとなると]」というニュアンスかなと私は思いますが、どうしても訳出しなくてはいけないというほどではありませんね。
②この tapfer はいろいろに訳せますし、「勇敢に(英訳ですと courageously や valiantly)」という感じで訳している訳もあります。これでも間違いではありませんが、ausharren という動詞は「辛抱してもちこたえる」という感じの意味ですから、「けなげに」の方が合うのではないかと、私は思います。
ちなみに、英訳では bravely としているものが多いですが、この語にも「勇敢に」という意味と、「けなげに」という感じの意味との両方がありますね。
③Vergünstigung には、「特権」という意味と「許可」という意味とがあり、この場合にはどちらに解しても意味は通りますね。
邦訳では、原田訳のようにこの語をあまり出さないような形で訳している訳もありますが、訳出している訳では解釈が分かれています。ただ、「特権」と言うと、この場合にはちょっと大仰(おおぎょう)な感じがしますので、高安訳のように訳した方がよいとは思いますが(ほかに、山下肇・萬里訳と田中一郎訳では、「特別扱い」と訳しています)。
英訳でも(冠詞は省略)favo[u]r、special favo[u]r、special dispensation、privilege、permission などとしていて、解釈が分かれています。
この文脈で考えますと、「許可」と解しても間違いでは全然ありませんが、この語が許可という意味で使われるのはまれなようですので(普通は Erlaubnis と言いますね)、「特権」的な意味に解した方が自然かなとも思われます。
この auch も微妙ですし、原田訳のように、訳出していない訳も多いですが、前のことに起因して起きたことを強調するために用いられる auch ではないかと、私は思います。訳すとしますと、(一部の邦訳にありますように)「事実」「事実また」となります。また、「呼ばれて[母親は、...]」「呼ばれた[母親は、...]」としている訳もあり、上手だなと思いました。ですが、どうしても訳出する必要まではないでしょうね。
ちなみに、英訳で訳出しているものは、also、duly (これら2つはちょっと違うかなと思いますが)、indeed としています。また、did come として動詞を強調している訳がいくつかありましたが、これも案外上手な訳だなと思いました。
①前半の部分は、邦訳では、「いっそう深く引っかぶった(ziehen には「引っかぶる」という感じの意味もありますね)」という感じで訳している訳と、「いっそう[下に]引き下ろした」という感じで訳している訳とがあります。
グレーゴル自身はソファーの下にいるわけですから、私は後者に解したいと思います。ただ、彼はソファーの下に入りきれずにはみ出してもいました*から、部分的にでもかぶっているとは言えないことはなく、「引っかぶった」でも間違いではありません。
*(岡上記)このことは、連載の第13回で扱った、次の箇所に書かれていました。
英訳ではおおむね、「pulled / had pulled(または、これらを使っている英訳は少ないですが、drew / had drawn)」+「目的語(the sheet としているものが多いですが、the bed sheet や the linen sheet などもあります)」+「deeper / lower /down farther / down further / further down / down lower / lower down」としています(比較級の前に even や still を入れて意味を強めているものもあります)。英語の pull にも「引っかぶる」という意味はあるようですが、限られた辞書にしか出ておらず、あまり一般的ではないようですし、draw に関しては私が調べた辞書で「引っかぶる」という意味が出ていたものはありませんでした。ですから、英訳者たちはやはり「引き下ろした」と解しているのではないかと思われます。ただ、pulled the bedspread farther over him (Christopher Moncrieff 訳) とか、drew the bed sheet over him (Nina Wegner 訳) と訳している訳もあり、これらはあるいは、「引っかぶった」と解しているのかもしれませんが。
ついでながら、in größter Eile の größt[er] も、前に出てきた in größtem Ausmaße の größt[em] と同じく、「絶対最高級」になっていますね。
②Leintuch の訳語は、前回の私の連載で検討しました。短いですので、ここにそのまま再録します。
辞書では、Leintuch の訳語として、「亜麻布」「麻布」も勿論ありますが、「シーツ」「敷布」もあります。ここでは、「亜麻布」や「麻布」としても無論間違いではありません。ですが、その部屋にこんなに大きな亜麻布や麻布がなぜあったのかとも思ってしまいますので、「シーツ」「敷布」とした方が自然ではないかと、私は思います。
③das Ganze は「全体」という意味で間違いはありませんので、「全体が」「全体は」と訳しても勿論構いませんし、一部の邦訳では、主語のようにではなく「全体的には」「全体的に見ると」のような感じで訳しています。ただ、よく考えてみますと、「どこの全体なのかな」とも思ってしまいますね。一応は「シーツに覆われた範囲の全体」ということなのかなと思われますが。
しかしながら、それではどう訳したらベターかということは、私も思いつきませんでした。この点で高安訳は、ニュアンスは微妙に違っているかもしれませんが、das Ganze の感じも含めて、上手に訳しているのではないかと思いました。
英訳では、the whole thing としている訳が多いです。しかし、単に it とだけしている訳もかなり多く、この英訳者たちも「全体」というイメージに違和感を抱いたのかもしれませんね。これら以外では、everything、the scene、the whole arrangement、the whole of it としている訳が、それぞれ1つずつあります。
④zufällig は「偶然」「たまたま」という意味であり、ここではそう訳せばよいと思いますが、「さりげなく」「何気なく」「なんの気なしに」「無造作に」としている邦訳もあり、英訳でも at random、randomly、carelessly としているものもあります。ただ、このように訳しても誤訳では勿論ありませんが、私としましては、ニュアンスが微妙に違うような感じもします。
①この auch ですが、原田訳のように diesmal にかけて訳している訳と、辻訳のようにあとの zu 不定詞句にかけて訳している訳とがあります(また、中井訳だけは Gregor にかけて訳しています)。グレーゴルはソファーの下に隠れたり、そこからこっそりのぞいたりすることはありましたが、少なくとも「のぞこうとしてやめた」というシーンは、これまでになかったのではないかと思います。ですからここでは、辻訳のように訳した方がよいと、私は思います。シーツをいつもより引き下ろしただけでなく、のぞくこともやめておいた、という感じで言いたかったのではないでしょうか。
ちなみに、英訳では also や as well や too を入れているものもあるものの、いずれもどの語にかかっているのか明確ではなく、どちらに解しているのかは判断できません。
ついでながら、原田訳は unterließ を「やめなかった」と正反対の意味に訳していますが、これは誤訳と言うよりも勘違いではないかと思われます。
②schon diesmal を直訳しますと、「今回にもう」となりますが、日本語としては今一つわかりにくいですので、原田訳や辻訳のように訳して構わないと思います。また、「のっけから」としている邦訳が2つあり(高本訳と立川訳)、これも上手だなと思いました。
③の war nur froh, daß sie nun doch gekommen war は案外難しいです。3つの語について検討してみます。
※まず nur ですが、原田訳のように「daß 以下のことだけがうれしかった」という感じの訳と、辻訳のように「daß 以下のことが、ただただうれしかった」という感じの訳とがあります。後者のように解した方が意味的に自然ではないかと、私は思います。
※nun は、訳出している訳はほとんどありませんが、「いまこのときに」という感じの意味ではないかと思われます。
※doch は強めの意味ですが、いろいろに訳せますね。邦訳では「とにかく(または、ともかく、ともかくも)」のほかに「やっぱり」「とうとう」「やっと」「それでも」、英訳では anyway、at all、after all、at last、finally、despite everything、even としています。ここでは、いろいろ問題があったにもかかわらず来てくれたという気持ちではないかと思われますから、「とにかく」が一番いいかなと私は考えます。ですが、doch のニュアンスの感じ方は、ネイティブでさえも個人差があるようですから、「やっぱり」「とうとう」「やっと」「それでも」やこれらに該当する英訳でも、決して間違いではないと思います。ただ、英訳で ... , and [he] was just happy that she had even come. としているものがありましたが、これですと「来てくれさえしたことが...」としか解しようがなく、ちょっと合わないのではないかと思います。
①man は前にも出ましたが、ここの man はそれとはニュアンスが違い、話している相手のことを言っていて、ここでは du に近い感じではないでしょうか。「du(ここでは、お母さん) だけでなくほかの人が[見ても見えない]」というニュアンスも含んでいると思われますが。
邦訳では、主語を入れずに「見えないから」という感じで訳しているか、「兄さん[の姿]は見えないのよ」という感じで訳している訳が多いです。英訳では、you can't see him としているものが多いですが、he を主語として、he can' t be seen、he's out of sight、he's not visible などとしているものもあります。また、1つだけ、we can't see him としているものがありましたが、これもこれで間違いではないと思います。
それから、これはこのあとの内容にもかかわってきますので、このさいに確認しておきたいと思いますが、ここで彼の姿が見えないのは、勿論彼が(部屋のソファーの下に)隠れているからであって――野村訳ははっきりそう訳していますが――、彼が部屋にいないからではありませんね。もしも彼が部屋にいないのであれば、er ist nicht hier のように言うでしょうし。
②offenbar はこれまでにも出てきましたが、「明らかに」という意味と、「どうも...らしい」という意味とがあり、どちらの意味に解すべきか迷うことも少なくありません。
この offenbar も、邦訳では解釈が分かれています。英訳では apparently や evidently としているものが多く、これらの語も両方の意味がありますから、その訳者がどちらの意味に解しているのかはわかりません。obviously としているものもありますが、obviously は基本的に「明らかに」の意味だけですね。
ただここでは、グレーゴルはソファーの下に隠れていて、のぞくこともしていませんから、原田訳のように推測的な意味に解した方がよいかもしれませんね。
①この nun は、訳出していない邦訳も多いですが、訳出しているものも解釈が分かれており、「さて」「いまや」「それから」などとしています。英訳で訳出しているものは、文字どおり now としているか、then としているかです。
私としましては、nun には「それから」という意味もないわけではありませんが、あまり使われませんので、ここでは「さて」と「いまや」の両方のニュアンスを含んでいるのではないかと思いました。
②この immerhhin は難しく、私も確言はできません。訳出していない訳も多いですが、訳出している訳でも、実にいろいろに訳しています。
長くなりますので網羅的には記しませんが、ただ単に「かなり」とか「相当」とか訳すのはちょっとどうかと思います。immerhin にはこのような意味は全くありませんから。
これ以外の解釈は、「ただでさえ(重いのだから、力の弱い2人には大変だ)」という感じのものか、「(2人がかりで運んでいるが)それでもやはり(重い)」という感じのものが多いようです。どちらも間違いではありませんが、私としましては、前者の方がここの状況から見て自然ではないかと思います。
英訳では、明確に訳出しているものは少ないですが、たとえば Stanley Corngold 訳は、Now Gregor could hear the two frail women moving the old chest of drawers―heavy for anyone―from its place and ... (以下略) としており、「ただでさえ」という感じを出していますね。
文頭の Wohl は「たぶん」「おそらく」という意味ですから、厳密には高橋訳のように訳すのが正確ですね。
①ここは解釈が大きく分かれています。Gefallen は、男性名詞で「親切、好意」、中性名詞で「喜び、楽しみ」の意味があり、ここではどちらに解しても意味は通りますね。「グレーゴルに親切が行われる→グレーゴルのためになる」とも、「グレーゴルに喜びが起こる→グレーゴルが喜ぶ」とも解釈できます。邦訳では解釈が真っ二つに分かれていますが、英訳では多くが前者のように解し、 do Gregor (または him) a favo[u]r を使って訳しています――たとえば、… , it was not certain that they were doing Gregor a favor by removing the furniture. (Jolas 訳)――。
ここに関しては、私としましては前者(「親切、好意」)ではないかと思いますが、後者(「喜び、楽しみ」)でも間違いとは決して言えませんから、読者の好みでよいのではないかと思います。
②この Ihr scheine das Gegenteil der Fall zu sein も、単に「逆のように思われる」という直訳的な感じの邦訳以外では、前の「ein Gefalllen geschehe の反対のように思われる」という解釈と、原田訳のように「部屋をこのままにしておいた方がいい」という感じの解釈とに分かれています。ここに関しては、前者のように単純に解した方が、文章の流れから見て自然であると私は思います。
ただ、前者のように解しても、ひいては「部屋をこのままにしておいた方がいい」ということになってきますから、後者の解釈も誤りとは言えませんが。
ちなみに、英訳ではほとんどが、「逆のように思われる」という感じで直訳していますが、次の訳だけは説明的に訳しています。[ ] の部分は、前の文から判断して私が補っています。
③この geradezu も前に出てきましたが、強めの意味と、「ほとんど」という感じの意味とがあります。邦訳、英訳ともに、訳出していないものも多いですが、訳出しているものは解釈が分かれています。
これに関しても、ここではどちらの意味に使われているのか断定はできません。ただ、geradezu が「ほとんど」という意味で使われることは少ないですから、私としましては、浅井訳や川島訳のように、強めの意味と解したいと思います。特に川島訳は上手に訳していますね。
ここで使われている solle(→sollen) は、「本当に...なのだろうか」という意味(ただし、ここでは nicht で否定されていますが)で、疑惑を表す用法でしょうね。私はこれまで、この用法は接続法第Ⅱ式だけで使われると理解していましたが、一部の辞書によりますと、普通の形でも使われるようです。ここでは間接話法ですので接続法第Ⅰ式になっていますが、直接話法に直しますと、普通の現在形の soll となりますね。
①この wie sie überhaupt fast flüsterte ですが、既訳はほぼすべて、前の ganz leise の言い換えで、このように小声で話しているのはこの部屋に入ってからのことと解し、als wolle 以下はここの説明である(つまりは、ここ〔いわば flüsterte〕にかかっている)とみなしています。英訳の中には、ご丁寧にも次のように ever since ... と書き足しているものさえあります。
また、やはり英訳の中には、次のように as if の前にコンマを入れず、原文の als wolle ... が flüsterte にかかっていることを明確にしているものもあります。
ですが、実を言いますと私は、これまでは、この wie sie überhaupt fast flüsterte は挿入句であり、「彼女はもともとが、ささやくような小さな声で話す人だったのだが」という意味である、と解していました(こう解しますと、als wolle 以下は schloß die Mutter ganz leise にかかっていることになりますね)。しかしながら、既訳の中でこう解していると思われるものは、次の英訳しかありませんでした。
ここで改めてよく考えてみますと、「絶対に私がこれまでに読んでいたとおりの意味なのだ」とは主張できません。これまでの母親の言動を見てみますと、グレーゴルが起きてこないので最初に声をかけたときには、確かにやさしい声で言っていましたが、その後は(こわかったからとは言え)大声で叫んでいるようなシーンばかりであり、「もともとが、ささやくような小さな声で話す人」というイメージはしにくいですから。こう考えますと、やはり Boettcher 訳以外の既訳の解釈のとおりに、カフカは言いたかったのかもしれません。
けれども、überhaupt は「そもそも」「根本的には」「一般的には」といったニュアンスですから、wie sie überhaupt fast flüsterte をドイツ語として普通に読みますと、Boettcher 訳や私の解釈のような意味にしかならないと思いますし、「部屋に入ってから」ということで言いたいのでしたら、もっと別の書き方をするのではないかとも思います。それから、母親はこの物語ではこわがって大声で叫ぶようなシーンばかりが描かれていますが、そうでないときには穏やかな話し方をする人であったのかもしれません。
このようなわけで、Boettcher 訳や私の解釈は断じて成り立たないとまでは言い切れないように思います。ですから、1つの解釈の可能性として、ここであえて申し上げることにした次第です。
②この ja は微妙で、単に意味を強める用法と解することもできます。ですが、昔、あるドイツ語の先生が私に、「このような文中に入っている ja は、主語の人物が『うん、そうなんだな』と自分で自分にうなずいているニュアンスだと覚えておいたらいい」と教えて下さったことがあります。とは言え、このニュアンスを訳出するのはとても難しいですね。
これを訳出しているとおぼしい訳は3つだけで、2つの英訳が意味を強める用法と解して really としており、邦訳では野村訳が上掲のように訳しています。一見、本当に何でもないようですが、私がさきほど記したニュアンスを「自分には」という言葉で的確に出しており、私は大いに感心しました。
③この denn は、意味的には全く普通ですが、用法的にはちょっと特殊で、前の文に書かれた内容の理由を直接的に言っていると言うよりは、前の文全体、もしくは前の文の特定の個所に関して、ことさらそのような言動をした理由を説明する用法と思われます。つまりここでは、「母親が(部屋の中で)とても小さな声で話を終えた」ということをなぜしたのかという理由を説明していると考えられます。
ちなみに、母親はこの前の箇所では「たんすはやっぱりこの部屋に置いておくほうがいいのでないか」(原田訳;原文は間接話法で man solle den Kasten doch lieber hier lassen となっており、hier は直訳的には「ここに」という意味)と言っていますので、母親が妹にこの話をしたのは、家具を運び出した先のどこかではなく、やはり部屋の中と考えてよいと思われます。
それで、彼が言葉を理解できると母親が思っていたのであれば、ほんのわずかでも聞かれてはまずいと思ったはずでして、それこそ妹に小声で耳打ちするか、離れた所へ行って小声で話すかしたのではないかと思われますから、部屋の中で小声で話すということは、ちょっと考えにくいのではないでしょうか。しかしここでは、言葉が理解できないと思っていたのですから、声を聞かれても別に差し支えはないはずであるにもかかわらず、とても小さな声で言ったというニュアンスで言いたかったのではないでしょうか。この感じを訳で出すのはなかなか難しいですが、野村訳や(特に)多和田訳はこの感じが出ているのではないかと思われます。
ただ、多和田訳で「グレゴールが部屋にいることも知らない」となっている部分はちょっとどうかと思います。原文は「彼の正確な居場所を知らなかった」という感じで言っていますし、前に妹が母親に「いらっしゃいな、(彼の姿は)見えないわよ(原田訳;カッコ内は私による補足)」――同じ箇所を別の訳では「さあ、入ってきて。兄さんは隠れているわ(野村訳)」――とも言っており、彼が部屋のどこかに隠れていたことだけは知っていたはずですから。
実は他の邦訳でも、この部分を「たしかにいるのかいないのかさえよくわかっていない」とか、「そもそもどこにいるのかいないのかさっぱりわからぬ」とか、「この部屋にいるのかどうかすら母親にはわかっていなかった」としているものがありますが、いずれも不適切と言わざるをえませんね。
それはともかくとしまして、ここをさらに敷衍(ふえん)してみますと、「彼は言葉を理解できると母親が思っていたのなら、耳打ちするなり、離れた所へ行って小声で話すなりするのが自然だが、彼女は部屋の中でとても小さな声で話を終えた。それは、彼は言葉を理解できないと彼女が思っていたからにほかならない」ということになります。
もっとも、言葉が理解できないと思っていたのだから、声を聞かれても別に差し支えはないはずなのに、なぜ小声で話を終えたのかは、明確には言えません。(原文には特に書かれていませんが)はじめは少し興奮していたのかもしれないが、だんだん落ち着いてきたからとも、あるいはそれこそ我田引水的になりますかもしれませんが、①での Boettcher 訳や私の解釈のように、もともとはそのように小さな声で話す人だったからとも考えられます。以上、ここの denn を私はこのように解釈しましたが、絶対に正しいと言うつもりはありませんし、異論もありうるかもしれませんので、ご意見がおありでしたら、お寄せいただけましたら幸いです。
ただ、ごく一部の邦訳では、自分たちがここにいるのをグレーゴルに悟られたくなかったから小声で話したという趣旨のことを、付け足し的に記していますが、これはちょっとどうかと思います。既に自分たちで家具を動かしていたのですから、自分たちが部屋に出入りしていることにグレーゴルが気づかないわけはなく、それは母親もわかっているはずで、小声で話した理由としては不自然でしょう。
①この Ansprache ですが、ここでの基本的な意味は「話しかけること」ですね。ですが私は、グレーゴルが家族などに話しかけるのか、家族などがグレーゴルに話しかけるのか、その両方なのか、どれなのかなと思ってしまいました。
そこで邦訳と英訳を見てみましたところ、いずれとも解せる訳し方をしているものは別として、邦訳も英訳も、この3通りの訳し方に分かれていました。英訳の中には、大変丁寧に、the fact that not a soul had addressed a word directly to him (Corngold 訳) とか、the fact that no one had addressed him directly in the past two months (J. A. Underwood 訳) とまでしているものもありました。ですが、英訳の中でも、Ansprache を communication や conversation や contact と訳して、いわば両方向と解しているものもありました。
一部の辞書で Ansprache を見てみますと、「話し合い」「対話」という意味もあるようですから、両方向と解してよいのではないかと思う一方で、今のグレーゴルとしては、話しかけてもらいたいという気持ちが強いかなとも思ってしまいます。とは言え、グレーゴルから話しかけたいと解しても、間違いとは勿論言えません。
このようなわけで、ここもどの解釈が正しいかは断定できませんので、読者の好みでよろしいのではないかと思います。
②hatte verwirren müssen の hatte は、müssen にかかっていて、この2語で過去完了形になっています。ただし、このような場合の慣例で、müssen は過去分詞形にはならず、不定形(原形)と同じ形になっていますが。ともあれ、完了の意味になっているのは verwirren ではなくて müssen の方ですから、厳密には「混乱させてしまったにちがいない」ではなく、「混乱させているにちがいなかった」という感じで訳すべきところです。ですが、邦訳ではこのように訳しているものは1つもありませんでした。
とは言いましても、意味が大きく変わってくるわけではありませんし、「混乱させてしまったにちがいない」の方が日本語として響きがいい感じもしますから、あまり気にしなくてもよいかもしれませんね。
説明の都合上、引用が少し長くなりましたが、ご容赦下さい。
ここの文章は、おおむね過去形で書かれていますが、原田訳ではおおむね現在形で訳しています。これはなぜかと言いますと、この部分が体験話法であるからです。
ただし、体験話法か否かを決める絶対的な基準のようなものはありませんから、この部分を普通の地の文(語り手の文)として過去形で訳しても、誤訳とは言えません。
体験話法のことは、次の題名の頭木さんのブログをご覧下さい。
「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました
ご参考までに、この部分を直接話法で書いてみますと、次のようになります。
Habe ich wirklich Lust, das warme, mit ererbten Möbeln gemütlich ausgestattete Zimmer in eine Höhle verwandeln zu lassen, in der ich dann freilich nach allen Richtungen ungestört werde kriechen können, jedoch auch unter gleichzeitigem schnellen, gänzlichen Vergessen meiner menschlichen Vergangenheit? Bin ich doch jetzt schon nahe daran, zu vergessen, und nur die seit langem nicht gehörte Stimme der Mutter hat mich aufgerüttelt. Nichts soll entfernt werden; alles muß bleiben; die guten Einwirkungen der Möbel auf meinen Zustand kann ich nicht entbehren; und wenn die Möbel mich hindern, das sinnlose Herumkriechen zu betreiben, so ist es kein Schaden, sondern ein großer Vorteil.
最初の文を、原田訳は「彼はほんとうに、...つもりなのだろうか」と訳していますね。体験話法として訳すのでしたら「ぼくは...」と訳すか、主語を入れずに訳すかした方が良いですが、このように時制だけを現在形にして、主語は原文で書かれたとおりに訳す訳し方もあります。
次に、この部分で解釈が分かれている箇所や、文法的な説明が必要な箇所を見ていくことにします。該当箇所の原文と原田訳を、もう一度繰り返して引用します。
①[eine] Höhle は、邦訳ではかなりいろいろに訳されており、「洞窟」「獣の巣窟」「洞穴[みたいな部屋]」「[ただの]巣穴」「がらんどう[の部屋/の洞窟/の空室]」「空洞」「[何もない]穴蔵」「地獄(これは Hölle と勘違いしたのでしょうね)」としています。英訳では cave が非常に多いですが、cavern、den、lair もあります。また、ある英訳はなんと desert と訳しており、原文とはまるで違っていますが、面白いと思いました。
それで、グレーゴルが一応動物であることをイメージしますと、「洞窟」「巣窟」「洞穴」「巣穴」という訳も構わないとは思いますが、これは訳者の好みになってくるでしょうね。
②verwandeln [zu] lassen となっていますから、正確には「変える」ではなくて、「変えさせる」「変えてもらう」ですね。
前半は、動詞が前に来ていますから疑問文とも解せますし、普通の文でも意味を強めたいときには動詞が前に出ることがありますから、それであるとも解せますね。邦訳、英訳ともに、ほぼ真っ二つに分かれています。
ただ、疑問文で言いたいのでしたら、むしろ doch のあとなどに nicht を入れて、「忘れかけていないのだろうか[、いや忘れかけている]」のように、修辞疑問文として言うのではないかとも思われますので、私としましては普通の文と解したいと思います。
なお、後半の方は、文の形からしましても、明らかに普通の文ですね。
①この wenn は「...ならば」という意味よりも、「...としても」という意味に解した方が自然であると、私は思います。邦訳でも大部分はこう訳しています。英訳では if だけのものが多いですが、even if としているものもあります。
②この sinnlos[e] は、邦訳では(原田訳のように副詞の形で訳されているものが多いですので、副詞の形に統一して示しますと)「意味もなく」「無意味に」(これらは直訳ですね)「見境なく」「むやみやたらと」「やたら」「やみくもに」「とりとめもなく(これはちょっと当てはまりにくいですね)」としています。また、「ばかげた[這い回り]」のようにしている訳も2つありまして、間違いとまでは言えませんが、自分が這い回る行為をここまで否定するのはどうかと思いますので、私は不賛成です。
英訳では、(逆に形容詞の形に統一して示しますと)senseless が非常に多いですが、aimless、pointless もあります。また、副詞句ですが、[crawling around] without rhyme or reason (Michael Hofmann 訳) もあり、面白いと思いました。それから、crazy、mindless、stupid もあり、これらもやはり「ばかげた」に近い解釈ですが、不賛成です。
この allerdings は、訳出していない訳も多いものの、訳出している訳では、邦訳、英訳ともに、「もちろん」という感じの訳と、「ただし」「もっとも」という感じの訳とに分かれています。ですがいずれも、前者が大部分です。allerdings には両方の意味がありますので、どちらとも解せますが、「今までの妹の世話ぶりからすると、こうなっていたのももちろんのことだ」という感じで、やはり前者に解した方が自然かなと、私は思います。
なおこの文は、この allerdings 以外では解釈が分かれている箇所はないように思われますが、特に英訳ではいろいろな訳し方をしていてヴァリエーションに富んでいますので、巻末の付録で一覧にしてみました。ご関心がおありでしたらご覧下さい。
この auch は、so とほぼ同じ意味で因果関係を表していて単に so を強めているだけとも、あるいは、原田訳のように jetzt にかかっていて「[こんな習慣がついていたので、]今このときにも[、こんな態度を取ったのだ]」という意味を作っているとも解せますが、後者の解釈でよいのではないかと私は思います。
問題があるのは後半のみですが、前半も示しませんと内容がわかりにくいと思いましたので、ここも引用を少し長くしましたが、ご容赦下さい。
①der schwärmerische Sinn はいろいろに訳せますが、直訳していない邦訳をあげておきますと、
「熱に浮かれた気持」「熱くなる癖(くせ)」
「空想好きな心」「ゆめみがちな性向」「陶酔感」:これらはいずれも、訳としては上手と思いますが、ここでは彼女のとても強い気持ちを表していますから、「熱」という字が入った方がよいようにも思います。
「偏執(へんしゅう)的な逆上」:これはちょっと、感じが違いますね。
②seine Befriedigung sucht は、直訳しますと「自分の満足を求める」ですし、このように直訳している訳も多いですが、よく考えますと、どういうことなのかなと思ってしまいますね。具体的にどんなことを言いたかったのかは、私も断言はできませんが、「満足がゆくまでやる」というようなことでしょうか。ご参考までにこれも、直訳していない邦訳をあげておきますと、「自分で満足がいくまでやり抜かないと気のすまない」「[とことん]気のすむまでやろうとする」「なにがなんでも満足いくまでやりとげなきゃ気がすまぬ」「気のすむまでやりたがる」「最後まで追いかけないと気がすまない」
「思いのままに振舞いたがる」「自らをとき放とうとしている」「はけ口を求めている(英訳[以下、動詞はすべて原形で示します]でも、seek an outlet、seek release としているものがあります)」:いずれも訳としては上手ですが、ここまではちょっと言えないのではないかとも思われます。
なお、英訳では、seek expression、seek out every opportunity for [self-] expression、be always ready to show itself、be yearning to express itself のように、「自己を表現しようとする」のような感じで訳しているものがいくつかありますが、これらに関しても、ここまでは言えないように思われます。
③この und durch den Grete jetzt sich dazu verlocken ließ は、少し難しいですので、ご説明しておきます。den は Sinn を受けている関係代名詞で、前置詞の durch と結びついています。sich lassen (ließ はこれの過去形) にはいろいろな意味がありますが、ここでは受動の意味です。厳密には「...されるがままになっている」というニュアンスを含んでいますが、ここでは普通の受動に近い感じで考えてもよいと思います。また、dazu の da の部分は、次の④の不定詞句 die Lage Gregors noch schreckenerregender machen zu wollen を受けています。ですから、この部分を逐語訳しますと、「グレーテはこのとき、der schwärmerische Sinn によって、④の不定詞句のようなことをするように、誘惑されていた」となります。
それで、この④の不定詞句の部分ですが、schreckenerregend のもとの意味は「恐怖を引き起こす」であり、schreckenerregender で比較級になっていて、前の noch は比較級を強める用法ですから、「グレーゴルの状況を、なおいっそう恐怖を引き起こすものにしたい→(もう少し砕いて言いますと)見た人をなおいっそうこわがらせるようなものにしたい」ということを言っています。
邦訳では「なおいっそう恐ろしいものにしたい」という感じで訳しているものが多いですが、やはりちょっと不十分ではないでしょうか。「見た人をこわがらせる」の意味は、見た人にはこわく見えるのだが実際にはこわくはないということなのか、実際にも本当にこわいということなのかまではわかりませんね。ですが、「なおいっそう恐ろしいものにしたい」とだけ訳しますと、後者のみの意味にしか受け取れません。
しかし邦訳でも、三原訳のように、感じをとても上手に出しているものもあります。また、
としているものもあり、こうしますと、erregend(「引き起こす」)のニュアンスも少し入りますから、これらの訳も上手と思いました。
英訳では、noch schreckenerregender を even more appalling や even more frightening や even more terrifying と訳している訳は、一応はこのニュアンスを含んでいますが、even more frightful や even more horrific や even more difficult と訳している訳は、「なおいっそう恐ろしい」とか「なおいっそう難しい」とかいった意味にしかなりませんから、やはり不十分ですね。
英訳では次の2つの訳が、原文に忠実に訳しています。この不定詞句の部分のみを示します。
それから、英訳ではいくつかの訳が、「グレーゴルの状況を誇張して言う(あるいは、見せる)」という感じで訳しています。これらもそれなりに考えた訳であると思います。
最後になりましたが、英訳に関したいくつかの点につきまして、第15回に続き今回も、高知市のエヴァグリーン英会話スクールの菊池春樹先生にご教示をいただきました。記して感謝いたします。ただ、英訳についての説明も、最終的にはすべて私の判断で記しましたので、責任は私にあります。ご意見がおありの方がおられましたら、私宛にお寄せ下さいましたら幸いに存じます。
なお、以下の付録(英訳一覧)のほかに、今回は「番外編〈2〉」において、カフカの「通りに面した窓」という小品に関して、翻訳の解釈が分かれている箇所を分析しています。ご関心がおありでしたら、こちらもご覧下さい。
https://note.com/okanoue_kafka/n/n53505ef3c5df
なお、以前に公開した別の「番外編」では、「変身」の第Ⅲ部で、翻訳の解釈が非常に大きく分かれている、ある箇所を取り上げて分析しています。こちらも、ご関心がおありでしたらご覧下さい。
https://note.com/okanoue_kafka/n/n8cb4bded5788
付録
〔1〕...–, und da setzte sie es sich in den Kopf, Gregor das Kriechen in größtem Ausmaße zu ermöglichen und die Möbel, die es verhinderten, also vor allem den Kasten und den Schreibtisch, wegzuschaffen.(グレゴールがはい廻〔まわ〕るのを最大の規模で可能にさせてやろうということを考え、そのじゃまになる家具、ことに何よりもたんすと机とを取り払おうとした。〔原田訳〕)の英訳の一覧
... , and Grete took it into her head to help him in his walks by removing all the furniture likely to be a hindrance, particularly the chest and the desk. (A. L. Lloyd 訳)
And at once she decided to try to arrange things that he might do his crawling with the least possible hindrance by removing the furniture most in the way, especially the box and the writing-desk. (Eugene Jolas 訳)
...―and she got the idea in her head of giving him as wide a field as possible to crawl (本によっては、ここにaroundが入っています) in and of removing the pieces of furniture that hindered him, above all the chest of drawers and the writing desk. (Willa & Edwin Muir 訳)
...―and so she got it into her head to make it possible for Gregor to crawl on an altogether wider scale by taking out the furniture which stood in his way―mainly the chest of drawers and the desk. (Stanley Corngold 訳)
...―and [she] took it into her head to give Gregory as much crawling-space as possible by removing such items of furniture, chiefly the wardrobe and the desk, as precluded it. (J. A. Underwood 訳)
...―and she then took it into her head to provide Gregor with the maximum crawling-space and to remove the pieces of furniture that stood in his way, which meant above all the wardrobe and the writing-desk. (Malcolm Pasley 訳)
And so, taking it into her head to enable Gregor to crawl over the widest possible area, she decided to remove the obstructive furniture―especially the wardrobe and the desk. (Joachim Neugroschel 訳)
...―so she took it into her head to provide Gregor with the greatest possible crawling space by clearing away the pieces of furniture that impeded him, in particular the wardrobe and desk. (Karen Reppin 訳)
...―and she got it into her head to allow Gregor the widest crawling space possible by the removal of the furniture that hindered him, namely the bureau and the desk. (Donna Freed 訳)(岡上記:この possible は、最上級〔ここでは widest〕の意味を強める用法と思われます。普通は the widest possible crawling space となりますが、このように名詞のあとに置かれることもあります)
...―and then she got the notion of enabling Gregor to crawl around as freely as possible, by removing the furniture that prevented this, especially the wardrobe and the desk. (Stanley Appelbaum 訳)
... ,(本によっては...―)and so she got the idea of making Gregor’s creeping around as easy as possible and thus of removing the furniture which got in the way, especially the chest of drawers and the writing desk. (Ian Johnston 訳)
...―and [she] got it into her head to make it(=Gregor’s new way of entertaining himself) as easy as possible for him by removing the furniture that got in his way, especially the chest of drawers and the desk. (David Wyllie 訳)
...―and [she] decided to give Gregor as much crawling-space as possible by removing the furniture which stood in his way, especially the chest of drawers and the desk. (Richard Stokes 訳)
...―and [she] got the idea of making Gregor’s crawling as easy as possible by getting rid of the furniture that impeded him, especially the chest of drawers and the desk. (M. A. Roberts 訳)
...―and she got it into her head to maximize the amount of crawling Gregor could do, by removing those pieces of furniture that got in his way, in particular the wardrobe and the desk. (Michael Hofmann 訳)
...―and [she] took it into her head to help him beetle about as freely as possible by removing all the furniture that might get in his way, especially the wardrobe and the writing desk. (Will Aaltonen 訳)
...―so she got it into her head to make it easier for Gregor to crawl to a much greater extent by getting rid of the furniture that prevented it, which meant chiefly the wardrobe and the writing-desk. (Joyce Crick 訳)
...―and therefore she got the idea to enlarge the space available for Gregor to crawl in, and to move the furniture which hindered his movements, especially the chest and writing desk. (Charles Daudert 訳)
...―so she hit on the idea of giving him more space to crawl about by removing the furniture that was in his way, especially the chest of drawers and the writing table. (John R. Williams 訳)
...―and the idea came to her of moving some of the furniture in his way, especially the bureau and the desk. (C. Wade Naney 訳)(岡上記:この訳では、原文の Gregor das Kriechen in größtem Ausmaße zu ermöglichen の部分は訳出されていません)
...―and she got it into her head to make it possible for Gregor to range as widely as possible by removing the furniture that impeded his movement, above all the wardrobe and desk. (Susan Bernofsky 訳)
...―and so she took it on herself to provide as much space as possible for him to gallivant around in by removing any furniture that got in his way, particularly the chest of drawers and the desk. (Christopher Moncrieff 訳)
...―and she set her mind to allowing Gregor the largest amount of crawling space possible by removing the furniture that was hindering him, primarily the chest and the desk. (Katja Pelzer 訳)(岡上記:この possible の用法に関しては、Freed 訳の箇所をご参照下さい)
[She realized that Gregor was crawling on the walls] and this gave her the idea that he might be more comfortable if all the furniture were removed from the room. (Nina Wegner 訳〔抄訳〕)
...―and [she] decided to provide as much space for him for it as she could by taking out of his room the furnitre that could obstruct his movements, which included, first and foremost, a chest and a table. (Mary Fox 訳)
And so she had decided to enable Gregor to crawl as much as possible. For this, furniture that was in the way, in particular the chest and the desk, had to be removed. (Philipp Strazny 訳)(岡上記:furniture に定冠詞の the がないのが気になりますが、特定の家具だけをさしているのではないからでしょうね)
...―and she got it into her head to make it possible for Gregor to crawl to the greatest extent possible and to get rid of the furniture that prevented it, especially the chest and the desk. (Christopher Drizzen 訳)
...―and she took it into her head to enable Gregor to crawl to the greatest extent possible and to remove the furniture that prevented it, that is, above all the box and the desk. (Robert Boettcher 訳)
〔2〕... ; sie hatte sich, allerdings nicht ganz unberechtigt, angewöhnt, bei Besprechung der Angelegenheiten Gregors als besonders Sachverständige gegenüber den Eltern aufzutreten, ...(妹はグレゴールに関する件の話合いでは両親に対して特別事情に明るい人間としての態度を取ることに慣れていたし、それもまんざら不当とはいえなかった。〔原田訳〕)の英訳の一覧
... ; she had become accustomed to assume authority over her parents where Gregor was concerned―this was not without cause―... (Lloyd 訳)
Of late she had come to adopt with her parents, and not without some justification, the attitude of special expert whenever Gregor’s affairs were being discussed. (Jolas 訳)
... ; she had grown accustomed, and not without reason, to consider herself an expert in Gregor’s affairs as against her parents, ... (Muir 訳)(岡上記:consider には、目的語と補語〔to be+形容詞か名詞;to be は省略可〕を取って「...を~とみなす」という意味になる用法と、辞書によっては正しい用法ではないとされていますが、「目的語+as+形容詞か名詞」という形で、前記と同じ意味になる用法とがあるようです。ここでは勿論前者ですね。as against her parents は、consider の補語になっているのではなしに、「[自分自身を、] 両親とは反対に [、グレーゴルの諸事に関するエキスパートとみなす]」という意味になっています)
... ; she had become accustomed, certainly not entirely without justification, to adopt with her parents the role of the particularly well-qualified expert whenever Gregor’s affairs were being discussed; ... (Corngold 訳)
... ; in discussions of Gregory’s affairs she had taken to presenting herself, not without some justification, as something of an expert compared with her parents, ... (Underwood 訳)
... , she had become accustomed, and not without some justification, to adopt with her parents the role of a special expert whenever Gregor’s affairs were being discussed; ... (Pasley 訳)
... ; in the discussions concerning Gregor, she had gotten into the habit—not without some justification, to be sure—of acting the great expert in front of the parents. (Neugroschel 訳)
She had grown accustomed, and not without some justification, to adopting with her parents the role of a special expert in matters concerning Gregor, ... (Reppin 訳)
... ; she had grown accustomed, not entirely without reason, to being especially expert in any discussion with her parents concerning Gregor, ... (Freed 訳)
... ; not without some justification, true, she had grown accustomed to play herself up to her parents as a special expert whenever matters affecting Gregor were discussed; ... (Appelbaum 訳)
She had grown accustomed, certainly not without justification, so far as the discussion of matters concerning Gregor was concerned, to act as an special expert with respect to their parents, ... (Johnston 訳) (岡上記:as an special expert の an は、a が正しいと思われますが、原書でもこうなっています)
... ; she had become used to the idea, not without reason, that she was Gregor's spokesman to his parents about the things that concerned him. (Wyllie 訳)
... ; not without some justification, she had grown accustomed to taking on the role, vis-à-vis her parents, of a particularly well-qualified specialist whenever Gregor’s affairs were being discussed, ... (Stokes 訳)
...; she had, certainly not without reason, been in the habit of interceding with the parents as an expert witness in matters concerning Gregor, ... (Roberts 訳)
... ; she had become accustomed, not without some justification either, to cast herself in the role of a sort of expert when Gregor’s affairs were discussed with her parents, ... (Hofmann 訳)
She‘d grown used to taking charge of her parents when it came to Gregor. There was good reason for all this, ... (Aaltonen 訳)
When discussing anything that concerned Gregor she had become accustomed, and not unjustifiably, to taking on the role of special expert towards her parents, ... (Crick 訳)
... ; she had, not without good reason, come to consider herself somewhat of an expert in regard to Gregor’s circumstances as opposed to her parents, ... (Daudert 訳)(岡上記:ここの構文に関しては、Muir 訳の箇所をご参照下さい。ただし、ここの場合は、as opposed to her parents を、Muir 訳と同じく「両親とは反対に」と解しても、「両親とは反対の」と解して前の an expert にかけて考えても構わないと思います)
In the discussions about Gregor with her parents she had become accustomed, not without some justification it must be said, to act as the expert in the matter, ... (Williams 訳)
... ; she had, and not without some justification, come to see herself as the expert in matters concerning Gregor and as being his proper representative to their parents in any discussion of him. (Naney 訳)
... ; she had developed the habit―not entirely without cause, to be sure―of presenting herself as the holder of particular expertise when discussing Gregor with her parents, ... (Bernofsky 訳)
In matters concerning Gregor she had become accustomed, not wholly unjustifiably, to behaving towards her parents as if she were the one with special expertise, ... (Moncrieff 訳)
... ; when discussing matters related to Gregor with her parents, she had become accustomed to acting as the speciel expert, which was admittedly not entirely unjustified. (Pelzer 訳)
She made the point that she was the only one who took care of Gregor, so she knew his habits and needs better than anybody else. (Wegner 訳〔抄訳〕)
... ; as she got accustomed―and not without any reason to do so―to present herself as an expert when she discussed Gregor with her parents, ... (Fox 訳)
In discussions with the parents, she had grown accustomed to acting as special expert on all matters concerning Gregor. (Strazny 訳)(岡上記:この訳では、この前の文は Unfortunately, the sister was of a different opinion, which was not wholly baseless. となっており、原文の allerdings nicht ganz unberechtigt に該当する部分は、前の文につなげて訳されています)
... ; she had got into the habit, though not entirely unjustifiably, of appearing as a special expert to her parents when discussing Gregory’s affairs, ... (Drizzen 訳)
... ; she had made a habit, though not altogether unjustified, of acting as a special expert to the parents when Gregor’s affairs were discussed, ... (Boettcher 訳)
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