「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第16回で取り扱われている範囲で)

岡上容士(おかのうえ・ひろし)と申します。高知市在住の、フリーの校正者です。文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんが雑誌『みすず』に連載なさっている「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」の校正をさせていただいており、その関係で、「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所」というコラムも書かせていただいています。『変身』の諸訳による解釈の相違にご興味がおありでしたら、お読みいただけましたら幸いです。

なお、以下に※で列挙しています凡例(はんれい)的なものは、初めてお読み下さる方もおられると思いますので、今回も記しておきます。

 ※解釈が分かれている箇所は、詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。 

※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、コメントの形でお寄せいただけましたら幸いです。 

※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明に必要な部分だけをあげている場合もあります。 

※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。 

※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。

 ※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。 

※英訳に関しては、今回は、特に示す必要はないと思われた若干の箇所では省略してあります。

 ※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。

 ※原文や邦訳や英訳など、他書からの引用部分には色をつけてありますが、解説文の文中であげている場合にはつけていません。 

○Oft lag er dort die ganzen langen Nächte über, schlief keinen Augenblick und scharrte nur stundenlang auf dem Leder.
しばしば彼はそのソファの上で長い夜をあかし、一瞬も眠らず、ただ何時間でも革をむしっているのだった。(原田義人〔よしと〕訳)
長々しい夜のあいだ一睡もせぬままに、そのソファーの上に横たわり、何時間も革を引掻(ひっか)きつづけてだけいることが度(たび)重なった。(川村二郎訳)
そのソファーの上に夜じゅう横になったまま、一睡もせず、何時間も張り革をただ引っ掻いている、ということがよくあった。(浅井健二郎訳)

 この nur の解釈ですが、
(1)この文は「一晩じゅうずっと起きていて、そのうちの何時間かだけ、ソファーを引っかいていた」というふうに解することもできます。こう解しますと、文中の nur は「...だけ」という意味で stundenlang にかかっていると考えられます。しかしながら、この nur を stundenlang にかけてこのように訳している訳は、邦訳、英訳ともに、1つもありませんでした。
(2)あるいは、この nur は「ただもうひたすら」という感じの意味で、この箇所全体(実質的には動詞の scharrte)の意味を強めている、とも解せます。川村訳や浅井訳は、明らかにこのように解していますね。
それで、stundenlang という語はもともと、かなり長い時間を意味しており、nur の「...だけ」という意味とはちょっと合いにくい感じもします。ですので、私は(2)と解したいと思いますが、(1)が絶対に誤りとは断言できません。
邦訳では、原田訳のように「ただ何時間も」という感じで訳している訳が多いですし、三原弟平(おとひら)訳は「何時間もただひたすら」、丘沢静也(しずや)訳は「何時間もひたすら」として、意味をさらに強めています。これらの訳は勿論、「何時間かだけ」と言っているのではありませんし、nur を(2)の意味で解していると考えてよいと思います。また、「何時間も」としか訳していない訳もかなりありまして、これらは nur をやはり(2)の意味で解しているとも、訳出していないとも受け取れます。
英訳では、この nur を訳出していない訳もかなりありますが、訳出している場合には、ほぼどの訳も、 

Often he lay there all night long. He didn’t sleep a moment and just scratched on the leather for hours at a time. (Ian Johnston 訳)
Often he would lie there all through the long nights, not sleeping for a minute but only scratching on the leather for hours on end. (Stanley Appelbaum 訳)

 などのように、nur に該当する語(just と only のほかに、merely や simply もあります)を動詞の前に置いています。原文もこのように und nur scharrte stundenlang auf dem Leder という語順してくれていれば、(2)の意味であることが明確になりますが、ドイツ語ではこのようには言いませんし、ネイティブのような語感のない私でも違和感があります。このようなことは文法や理論ではご説明ができず、申し訳ないのですが。

 ○Oder er scheute nicht die Mühe, einen Sessel zum Fenster zu schieben, dann ①die Fensterbrüstung hinaufzukriechen und, ②in den Sessel gestemmt, sich ans Fenster zu lehnen, ③offenbar nur in irgendeiner Erinnerung an ④das Befreiende, das früher für ihn darin gelegen war, aus dem Fenster zu schauen.あるいは、大変な労苦もいとわず、椅子を一つ窓ぎわへ押していき、それから窓の手すりにはい上がって、椅子で身体を支えたまま窓によりかかっていた。以前窓からながめているときに感じた解放されるような気持でも思い出しているらしかった。(原田訳)
あるときはまた、ひどい骨折りもいとわずに肘(ひじ)掛け椅子を窓べりまで押していき、窓下の壁を這(は)いのぼって、椅子でからだを支えながら窓へ凭(よ)りかかり、以前に窓から外の風景を眺めやるたびに味わった解放感をいきいきと思いうかべた。(中井正文訳)

①die Fensterbrüstung hinaufzukriechen は少し難しいですが、文字どおりに読みますと、「窓の下の壁をはい上がる」と解するのが正しいと私は思います。なお、hinaufkriechen は他動詞ではなく自動詞ですから、die  Fenster-brüstung は、厳密に言いますと4格の目的語ではなく、距離感を含んだ副詞の4格になりますが(例:Er geht die Treppe hinauf.〔彼は階段を上って行く〕)。
邦訳ではこう訳しているものも多いですが、原田訳のように「...に[まで]はい上がって」という感じで訳しているものも少なくありません。die Fenster-brüstung はいろいろに訳されており、「窓のかまち」「窓の敷居」「窓の手すり」「窓のふち」「窓枠」などとなっています。Fensterbrüstung にはこれらのような意味はないと思われますから、ちょっとどうかとも思いますが、結果的にはこのように上がってくることになってきますから、全くの誤訳とまでは言えません。
そして、大変意外なことに、英訳では大部分の訳が、sill や windowsill を使って、「窓の敷居に[まで]はい上がって(たとえば、... , he would crawl up to the windowsill ...)」という感じで訳しています。明確に「壁をのぼって」と訳しているのは J. A. Underwood 訳(Or he embarked on the laborious task of pushing a chair over to the window and crawling up the wall to the sill in order to brace himself in the chair and lean against the glass, ...)だけでした。また、Mary Fox 訳は、「壁」とは明記していませんが、簡潔に、... , putting as much effort into it(このあとの内容を予示していると思われます) as he could, pushed the armchair to the window, climbed up, and, pressing himself against the armchair, reached the window sill, ... としています。

②in den Sessel gestemmt も難しいですね。stemmen は、意味がいろいろあって訳しにくい語の1つです。ここに当てはまりそうな意味は、「支える」「突っ張る」「押しつける」「持ち上げる」などですが、意味の検討はあとにして、まずはここの構文から見ていきたいと思います。
gestemmt は過去分詞であり、他動詞の過去分詞がこのような分詞構文に用いられた場合には、「...されて」のような受動の意味になります。しかしここでは、誰かにされたとか、してもらったとかいった状況ではなく、グレーゴルが自分でこのような動作をしている状況ですね。
ここでは他動詞の stemmen の過去分詞ではなく、再帰動詞の sich stemmen の過去分詞が、分詞構文になったものと考えられます。ここで使われている stemmen という動詞は、他動詞として使われる以外に、sich を伴って再帰動詞となることがあります。再帰動詞で使われる sich は、「自分自身を」という意味になります。この in den Sessel gestemmt は、stemmte(過去形) sich in den Sessel と同じ意味になり、stemmen の意味を特定せずに逐語訳しますと、「椅子の中へ自分自身を stemmen した」のようになります。現在分詞を使って sich in den Sessel stemmend という分詞構文に書き換えても、意味は大きくは変わりませんが、現在分詞ですと「...しながら」という意味がメインになりますから、ニュアンスが少し違ってきますね。ちなみに、ここでは indem er sich in den Sessel stemmte と書き換えることはできるのではないかと思います。接続詞の indem は「...しながら」と訳す場合も少なくありませんが、「...して」という意味もありますから――もっとも、この意味の場合には、「...することによって」という感じで、手段や方法を表すニュアンスが加わることが多いですが――。
再帰動詞では、このように sich が入らずに過去分詞となって、完了的な意味になるという用法があります。こういった感じの説明をどこかで見た記憶があるのですが、今の私の手元の文法書や参考書では見つかりませんでした。この用法の明確な説明が書かれた文法書や参考書をご存知の方がおられましたら、ご教示下さいましたら幸いです。
ちなみに、この用法は案外よく見られるのですが、私はこの用法の文例を特に収集したりはしませんでしたので、文例としては今のところ、次のものしか思い浮かびません。 

Sie saß, die Hände im Schoße, vornübergelehnt(=lehnte sich vornüber), vom Klavier abgewandt(=wandte sich vom Klavier ab), und blickte auf ihn. (Thomas Mann: Tristan) (岡上記:die Hände im Schoße は、文法的には「絶対4格」と言われている使い方であり、現在分詞の haltend を補って、die Hände im Schoße haltend と考えて解釈します。また、一部の原書では im Schöße となっていますが、普通のドイツ語としては im Schoße が正しいです)
彼女は両手を膝(ひざ)に、前屈(まえかが)みになって、ピアノから身をそむけたまま彼の方を見つめた。(実吉捷郎〔さねよし・はやお〕訳)
彼女は坐(すわ)ったまま両手を膝におき、前屈みにピアノから身をそむけて、彼の方をじいっと見詰めていた。(豊永喜之〔とよなが・よしゆき〕訳)
夫人は腰かけたまま、両手を膝において、前かがみになり、ピアノから身をそむけて、彼をみつめた。(佐藤晃一〔こういち〕訳)
彼女は手を膝に置いたまま、ピアノから顔をそむけて、前屈みに坐り、じっと彼のほうへ眼を注いでいる。(谷友幸〔たに・ともゆき〕訳)
夫人は両手を膝に置いたまま、椅子の背越しにピアノからのけぞるようにして彼のほうを見つめていた。(池田紘一〔こういち〕訳)(岡上記:この訳では vornübergelehnt が明確には訳出されていませんが) 

次に、ここでの stemmen の意味ですが、考えるに先立って、in den Sessel gestemmt を既訳がどう訳しているかを見てみることにしましょう。
邦訳では、「椅子で身体を支えて」という感じにしているものが非常に多いです。そうでない訳は(前後の読点等は省略)、 

椅子の上に脚を突っ張り(高安国世訳)
下半身は椅子のうえで突っぱりながら(三原訳)
ソファーに身を押しつけて(多和田葉子訳)
椅子の上に体を乗せ(田中一郎訳)
椅子を踏み台にして(川島隆訳) 

くらいです。
英訳では直訳的に、「(分詞構文の過去分詞は3通りあって)braced / propped / propped up 」
+「(次にくる前置詞も3通りあって)against / in / on」
+「the chair」が多いですが、「the armchair」や「the seat」も
と訳しているものが多いですが(たとえば、braced against the chair〔Willa & Edwin Muir 訳〕、propped in the armchair〔Susan Bernofsky 訳〕)、そうでない訳は(前にあげた2つの訳も含め、前後のコンマ等は省略)、 

[in order to] brace himself in the chair (Underwood 訳)
braced(過去形) himself in the chair (Charles Daudert 訳)
supporting himself against the chair (Appelbaum 訳)
supporting himself with the chair (Philipp Strazny 訳)
[... , he would ... , ... ,] wedge himself against the seat (Will Aaltonen 訳)
jammed(過去分詞形) into the chair (Joyce Crick 訳)
[... he would ... ,] prop himself up on the chair (John R. Williams 訳)
pressing himself against the armchair (Fox 訳)
bracing himself in the armchair (Robert Boettcher 訳) 

くらいです。
それでここの解釈ですが、原文の前置詞が in となっており、しかもこの in は4格を支配していて、「...の中へ」という運動の方向を意味していますから、多和田訳や Aaltonen 訳や Crick 訳や Fox 訳のように、椅子に身体を押し込まんばかりにするようなイメージが正しいのではないかと私は思いました。Sessel にもいろいろな種類があろうかと思われますが、おおむねはクッションがついた椅子のことを言うようですから、このような動作をしても不自然ではありませんし。ただ、Crick 訳では、この分詞構文で jammed(過去形) himself into the chair と同じ意味にしているつもりかと思われますが、英語でもこのように言えるのかどうかは、ちょっと疑問ですね。
また、stemmen を「持ち上げる」と解して、田中訳のように解することもできないことはないと思いますが、in den Sessel とありますから、「椅子の上に」ではないですね。それから、私がこれまでにドイツ語を読んできた感じから言いますと、この「持ち上げる」という意味では、身体に対してはあまり使われないようにも思います。ですが私はネイティブではありませんから、この点は当てになりませんし、あるいは「持ち上げる」という意味と、椅子に身体を「押しつける」という意味とを、兼ねて言いたかったのかもしれません。こう考えますと、「椅子にはい上がり、[身体を、ここでは下半身を?]椅子に押しつけて[安定させ]」などのようにも訳せるかもしれません。
最後に、これまでの既訳に関して2つほど言いますと、まず、「支える」「突っ張る」という解釈は、誤訳とまでは言えませんが、ここではちょっと当てはまりにくいと思われますから、私は不賛成です。次に、原文が「in+4格」となっていることから考えますと、邦訳の場合には「上」という語を使っている訳や、英訳の場合には、運動の方向を意味している against はまだしも、into を使わずに in や on を使っている訳は、文法的にはどうかなと思います。ですがいずれの訳も、結果的には私の解釈のようなことにほぼなっていますから、これらも誤訳というわけではないとも思います。 

③offenbarは前回にも出ましたので、ご興味がおありでしたらご覧下さい。https://note.com/okanoue_kafka/n/nf7747563669d:「○»①Was er nur wieder treibt«, ...」で始まる箇所にあります。
この offenbar には「明らかに」という意味と「どうも...らしい」という意味とがあり、解釈に迷いますね。ここでも、邦訳はほぼまっ二つに分かれています。英訳で使われている clearly と obviously は前者の意味ですが、apparently や evidently はどちらの意味とも解せますね。
私としましては、offenbar はだいたいは「明らかに」というイメージが強いですし、この作品はもともとグレーゴルの視点で書かれていますから、「明らかに」と解したいと思います。ですが、絶対的な決め手はありませんので、「どうも...らしい」という解釈も誤訳とは言えません。
④das Befreiende は、「解放感」と訳している邦訳が非常に多く、これは確かにいい訳ですね。
ご参考までに、そうでない訳は、原田訳のほかには、「あの胸の開けるような気分(高安訳)」「なにか解放的なもの(三原訳)」「日々のストレスから自分を解放してくれること(野村廣之訳)」「解放的な気持ち(真鍋宏史訳)」があります。
英訳では、「the/that」+「feeling/sense」+「of」+「freedom/liberation/deliverance/release」というパターンのほかに、単純に the freedom、the liberation、はては the happiness や the satisfaction まで、いろいろあります。

 ○Denn tatsächlich sah er von Tag zu Tag die auch nur ein wenig entfernten Dinge immer undeutlicher; das gegenüberliegende Krankenhaus, dessen nur allzu häufigen Anblick er früher verflucht hatte, bekam er überhaupt nicht mehr zu Gesicht, und wenn er nicht genau gewußt hätte, daß er in der stillen, aber völlig städtischen Charlottenstraße wohnte, hätte er glauben können, von seinem Fenster aus in eine Einöde zu schauen, in welcher der graue Himmel und die graue Erde ununterscheidbar sich vereinigten.
というのは、実際、少し離れた事物も一日一日とだんだんぼんやり見えるようになっていっていた。以前はしょっちゅう見えていまいましくてたまらなかった向う側の病院も、もう全然見えなくなっていた。静かな、しかしまったく都会的であるシャルロッテ街に自分が住んでいるのだということをよく知っていなかったならば、彼の窓から見えるのは、灰色の空と灰色の大地とが見わけられないくらいにつながっている荒野なのだ、と思いかねない有様だった。

 ここでは、構文が複雑な部分もありますが、解釈が大きく分かれる箇所はあまりないと思われますので、次の点を指摘するだけにとどめておきます。das gegenüberliegende Krankenhaus の前には、sogar(...で[さえ]も) のような語を補って考えると訳しやすいですね。原田訳では「[向う側の病院]も」とだけしていますが、たとえば片岡啓治訳では「...あの向い側の病院でさえも、いまではもう目にはとどかなくなっていた」としています。
このような例は前々回にも出ており、そこでは「変身」以外の文例もあげてお話ししていますので、ご興味がおありでしたらご覧下さい。https://note.com/okanoue_kafka/n/n415478a748e7:「○Während aber Gregor unmittelbar ...」で始まる箇所にあります。 

○Nur zweimal hatte die aufmerksame Schwester sehen müssen, daß der Sessel beim Fenster stand, als sie schon jedesmal, nachdem sie das Zimmer aufgeräumt hatte, den Sessel wieder genau zum Fenster hinschob, ja sogar von nun ab den inneren Fensterflügel offen ließ.
注意深い妹は二度だけ椅子が窓ぎわにあるのに気づいたにちがいなかったが、それからは部屋の掃除をしたあとでいつでも椅子をきちんと窓べに押してやり、おまけにそのときからは内側の窓も開け放しておいた。

 den inneren Fensterflügel は少しわかりにくいですね。頭木さんも今回の連載で説明しておられますが、この窓は防寒のために二重になっており、ここではその内側(家の側)の窓の扉のことを言っています。「窓の扉」という言葉も、日本ではあまりなじみがありませんが、窓枠と窓ガラスを合わせた部分が、いわゆる本当の扉のように前後に開閉されることを言っています。当時の建物の窓はほとんどが観音開きでしたから、ここでもそう考えますと、扉は2つあったことになりますが、原文では単数形になっていますから、開け放たれていたのは片方の扉だけであったと考えられます。ただ、2つの扉のうちの1つということでしたら、den einen inneren Fensterflügel のように言いそうな感じもしますが、たとえば2つの扉のうちの1つはつねに閉められていたとしますと、den(開け閉めされる方の) inneren Fensterflügel と言っても不自然とは言えないかなとも思います。とは言いましても、扉が1つしかない窓も勿論ありますから、あるいはこのタイプの窓のつもりで書かれたという可能性も、完全に否定することはできません。
邦訳では、「内窓」「内側の窓」「内側のガラス窓」「内がわの開き窓」「内側の窓の戸」「内側の窓の扉」「内側の開き窓のとびら」「内側の両開きの扉」「窓の内側のよろい戸」「窓の内側の両開きの扉」「両開きの窓の内側の方の窓」としています。それから、山下肇(はじめ)・萬里(ばんり)訳 (2004) が「二重窓の内側の開き戸」として以降は、「二重窓」という訳語も使われるようになり、「二重窓の内側」「二重窓の内窓」「二重窓の内側の扉」「二重窓の内側のほうの窓」とも訳されています。
英訳では、the inner casement、the inner casements(ですが原文は複数形ではありませんね)、the inner casement of the window、the inner one of the double windows、the inner pane of the window、the inner sash、the inner window、the inner window flaps(これも複数形にしてしまっていますね)、the inner window frame、the inner window sash、the inside sash、the inside shutter of the window、the window’s inner sash としています。厳密な意味では原文と違っているものも少なくありませんね。また、its(=of the window )  lower half、the lower half of the casement としている訳もありますが、これらは明らかな誤訳と言ってよいと思います。

 ○Hätte Gregor nur mit der Schwester sprechen und ihr für alles danken können, was sie für ihn machen mußte, er hätte ihre Dienste leichter ertragen; so aber litt er darunter.

これに関しては、説明の都合上、邦訳はあとであげることにします。
この so aber litt er darunter も案外難しいです。so をどう解釈するかということと、darunter の dar の部分が何をさしているかということとが、問題になります。邦訳では、この so と darunter のどちらか一方だけしか訳出していない訳や、この2つをまとめた感じで訳している訳もあります。
それでまず so ですが、
(1)前の文を受けていて「そんな状態で」、詳しく言いますと、「妹と話ができて御礼が言えたらいいのだが、それができない状態で」、または、「妹と話ができて御礼が言えたなら、妹の奉仕をもっと楽に耐えられただろうが、それができない状態で」というふうにも解せます。あるいは、「...状態なので」と、理由を表すように訳すこともできます。
(2)単なる強めの意味とみなして、「ひどく」「それほど」などとも解せます。
英訳では、この so を、「実際のところ」という感じで、as it was(あるいは、これと似た表現の as it stood や as things were)と訳しているものが非常に多いです。
次に、darunter の dar が何をさしているかですが、
(3)やはり前の文の内容(上記の(1)のような状態であること)とも解せます。
(4)前に出ている ihre Dienste とも解せます。

次に、ここの邦訳をいくつかあげ、それから、so と darunter の dar に対して上記のどの解釈を採っているかを示しておきます。この解釈だと絶対的に断言できないものも2、3ありますが、私の判断で示します。

もしグレゴールが妹と話すことができ、彼女が自分のためにしなければならないこうしたすべてのことに対して礼をいうことができるのであったら、彼女の奉仕をもっと気軽に受けることができただろう。ところが、彼はそれが苦しくてたまらなかった。(原田訳):so は訳出せず;(4)
もしもグレーゴルが妹と話をして、そういう心づかいのすべてにたいして妹に感謝することができさえしたならば、妹のサービスをもっと安らかな気持ちで受けることもできたであろう。しかしそれができなかったので妹にたいして心苦しかった。(高橋義孝訳):so と darunter を1つにまとめて、(1)の意味で解釈。
妹へ口をきくことができて、いろいろ世話をしてもらっているお礼を言ってやれさえしたら、グレゴールは彼女の奉仕をこれほど心苦しくかんじないでもすんだことだろう。そのことで彼はひどく悩んだ。(中井訳):(2)(3)
妹と話をすることができ、自分のために彼女がしなければならないすべてのことに対して、礼を言うことができれば、その奉仕ももっと楽に耐えられるところだった。それほど彼には、妹の奉仕がつらかったのである。(辻瑆〔ひかる〕訳):(2)(4)
グレゴール(のちの訳では、グレーゴル)が妹と話し、やむをえず自分のためにしてくれるすべてにたいし、感謝することができさえしたら、彼はもっと楽な気持でその奉仕に堪えたであろう。しかしこんなふうで、そのため彼は苦しんだ。(城山良彦訳):(1)(3)。私はこの解釈に賛成なのですが、日本語としてはもう一つですね。
もしも妹と話をすることができたなら、そして礼を言うことができたなら、グレゴールのために妹がこんなにいろいろ苦労しなければならないことも少しは我慢できただろう。しかし礼が言えないので、グレゴールはなおさら苦しいのだった。(多和田訳): so を「なおさら」と解釈したと考えますと、(2)(3)。「礼が言えないので」とはっきり言っている訳はこれだけです。 

(3)(4)に関して言いますと、邦訳では(3)と解している訳が多いですが、英訳では逆に(4)と解している訳が大部分です。たとえば、A. L. Lloyd 訳(... ; but as it was, they[=ここの前に出ているher services] pained and embarrassed him.)や Stanley Corngold 訳(... ; as it was, they[=ここの前に出ているher services] caused him pain.)などのように。ただし英訳でも、Eugene Jolas 訳(As it was he suffered keenly from his inability.)や C. Wade Naney 訳(... ; he suffered for his inability to speak.[soは訳出しておらず])や、Christopher Drizzen 訳(... ; but he suffered from it. [soは訳出しておらず;it はこの前の内容をさしている])のように、(3)と解している訳もわずかにありますが。
それで、(1)か(2)、および、(3)か(4)の、どの解釈が正しいかということですが、文法的にはどれも間違っていません。ですが、私個人としましては、(1)(3)と解したいと思います。このような感じの構文では、so は(1)のような意味になることが多いですし、so が(1)の内容を意味しているとしますと、あとの darunter の dar が、変わって別のものをさしているとはちょっと考えにくいからです。とは言え、これはネイティブではない私の感覚であり、絶対に正しいとは言えませんので、読者の好みで解釈してよいのではないかとも思います。

 ○①Die Schwester suchte freilich die Peinlichkeit des Ganzen möglichst zu verwischen, und je längere Zeit verging, desto besser gelang es ihr natürlich ②auch, aber auch Gregor durchschaute mit der Zeit alles viel genauer.
妹はむろん、いっさいのことのつらい思いをぬぐい去ろうと努めていたし、時がたつにつれてむろんだんだんそれがうまくいくようになったのだが、グレゴールも時間がたつとともにいっさいをはじめのころよりもずっと正確に見て取るようになった。(原田訳)
妹はむろん、この事件全体にかかわる不愉快なものをできるだけぬぐい去ろうと努めたし、事実、時がたつにつれて、だんだんうまくいくようにはなった。グレーゴルの方も、時とともに、すべてをずっと正確に見抜けるようになった。(高本研一訳)
いうまでもなくこんどの不愉快なできごとにともなう苦痛については、根こそぎ拭(ぬぐ)い去ろうとするのが妹の真意であったし、事実日とともにだんだんと成功するかに見うけられたが、グレゴールとても、日ましにいっさいをずっとはっきり見ぬけるようになっていた。(川崎芳隆訳)

①Die Schwester ... zu verwischen, ... は、意味の解釈が分かれるような箇所ではありませんが、いろいろな訳し方ができますね。特に英訳ではいろいろなヴァリエーションがあって面白いですので、終わりの付録〔1〕で一覧にしてみました。ご興味がおありでしたらご覧下さい。
②細かいことですが、この auch はどのような意味でしょうか(この2つあとの auch は、文字どおり「も」という意味で、あとの Gregor にかかっていますが)。
邦訳では、この前の natürlich だけを訳出し、auch は訳出していない訳が多いです。
一部の邦訳では、「それも当然日がたつにつれて、うまくいくようになってきてはいたのだが」「それも時がたつにつれて、もちろんうまくいくようになっていたが」「時がたてばたつほどに、その試みがすんなり成功するのも当然のことだった」「日がたつにつれて当然うまく隠せるようにもなってきたのだが」「それはまた時が経つにつれて、当然、次第にうまくゆくようにもなった」「もちろん時間が経つにつれてそれもうまくなっていったのだが」「時間が経過すればするほど消し方もうまくなっていったが」のように、どこかに「も」や「また」を入れて訳していたり、前の natürlich といっしょにするような感じで「もちろんまた」「むろんまた」としたりしています。
ですが私としましては、これらの訳を見てみましても、この文のどこかに「も」や「また」と入れる必要性があるとは考えにくいです。ここでは「事実(高本訳と川崎訳。ただ、これらの訳では前の natürlich を訳出していませんが)」「はたして」「やはり」「それもそのはず」というニュアンスで、natürlich に近いような意味ではないかと、私は思いました。けれども、あるいは異論もありうるかもしれませんので、ご意見がおありでしたら、お寄せいただけましたら幸いです。
英訳では、多くの訳が natürlich を naturally か of course として訳出していますが、auch を訳出しているとおぼしい訳は、Williams 訳しかありませんでした。この訳では、... , and indeed the more time went by the more she was able to (前に出ている dispel the embarrassment of it all が省略されています) ; ... としており、indeed はこの auch をこう訳したのではないかと思われます。ただ、この訳でも前の natürlich を訳出していませんが。
ともあれ、私見では、この auch は前の natürlich と意味の大きな差はありませんから、このように2つの語を並べて、意味を強めようとしたのではないでしょうか。この2つの語をきっちり訳出しますと、「もちろんやはり」とか、「もちろん...のも確かであった」とかのようになろうかと思いますが、ちょっとくどい感じがしないこともありませんね。ですから、邦訳の多くのように、natürlich だけを訳出しても、それは構わないと思います。
ついでながら、この natürlich を「おのずと」とか「より自然に」とか訳している邦訳もありまして、「当然」「むろん」「もちろん」とはニュアンスが少し違っていますが、意味が大きく変わってくるというほどではありませんね。

 ○Schon ihr Eintritt war für ihn ①schrecklich. Kaum war sie eingetreten, lief sie, ②ohne sich Zeit zu nehmen, die Türe zu schließen, so sehr sie sonst darauf achtete, jedem den Anblick von Gregors Zimmer zu ersparen, geradewegs zum Fenster und riß es, als ersticke sie fast, mit hastigen Händen auf, blieb auch, selbst wenn es noch so kalt war, ein Weilchen beim Fenster und atmete tief.
妹が部屋へ足を踏み入れるだけで、彼には恐ろしくてならなかった。ふだんはグレゴールの部屋をだれにも見せまいと気をくばっているのだが、部屋に入ってくるやいなや、ドアを閉める手間さえかけようとせず、まっすぐに窓へと走りよって、まるで息がつまりそうだといわんばかりの恰好(かっこう)であわただしく両手で窓を開き、まだいくら寒くてもしばらく窓ぎわに立ったままでいて、深呼吸する。(原田訳)
このごろでは妹が部屋へはいって来るのが重荷になった。というのは、妹のやつは中へはいると、いきなり、ろくろくドアを閉めないで――前にはグレゴールの部屋をだれにものぞかせまいと思って、用心すぎるほど注意していたくせに――まっすぐに窓へ走って行って、いまにも窒息しかかったように、いらだたしい手つきで窓をはね開けるのだ。どんな寒いときでも、いっとき窓べりに佇(たたず)んで、深呼吸をしている。(中井訳)
妹がはいってくるだけでも、彼にとってはやりきれないことだった。だれにもグレゴールの部屋を見せまいとして、ふだんはあれほど気をつかっているのに、部屋にはいってくるやいなや、ドアをしめる暇(ひま)もなく、まっすぐに窓のところにかけ寄って、まるで窒息でもしかけているように、両手であわただしく窓をつきあけ、まだずいぶん寒いというのに、しばらくは窓ぎわに立ったままで深呼吸をする。(辻訳)

 ①この schrecklich を「恐ろしい」のような感じで訳している邦訳も多いのですが、妹が入ってくることを「恐ろしい」とまで言ってしまうのはちょっとという感じもしますので、「いやな」とか「耐えがたい」などと訳した方がよいのではないかと私は思います。「恐ろしい」という感じで訳していない邦訳は、中井訳と辻訳以外では、(war と合わせた形で示しますと)「[もう]たまらなかった」「耐えがたいことだった」「嫌で仕方がなかった」などとしています。
英訳では、terrible が多く、dreadful もいくつかありますが、これらの語にも、「恐ろしい」という意味のほかに、「いやな」という感じの意味もありますね。また、horrifying や、very unpleasant や、冠詞+名詞ですが an ordeal としているものもあります。
また、次のように、動詞を使って意訳しているものもあります。dread と frighten を使った訳は、schrecklich を「恐ろしい」と解したと思われますし、それら以外の訳は違う意味に解したと思われますが。

The very way she came in distressed him. (Muir 訳)
He began to dread her visits. (Aaltonen 訳)
Soon her very entrance frightened him. (Daudert 訳)
He even dreaded the moment she entered the room. (Williams 訳)
Even her entrance troubled him. (Naney 訳)
Even the way she made her entrance jangled his nerves. (Bernofsky 訳)

②ohne sich Zeit zu nehmen, die Türe zu schließen は、文法的には、Zeit のあとに dafür か dazu を補って考え、da の部分はあとの die Türe zu schließen を受けているとみなします。逐語訳をしますと、「ドアを閉めることに対して自分に時間を取ることなく」となります。
邦訳では、「ドアを閉める時間(または、手間)を惜しんで」「ドアを閉めるのももどかしげに」「ドアを閉めるゆとり(または、いとま)もあらばこそ」「ドアを閉める暇もなく」のようにしています。中井訳は大胆に訳していますが、これが一番わかりやすいのではないかと思いました。
英訳では、ほとんどが直訳して without taking [the] time to close (shut) the door のようにしていますが、not even stopping to shut the door (Malcolm Pasley訳)などのようにしているものもあります。
いずれにしましても、全くドアを閉めようともしないで無視したのか、少しは閉めようとしたのか、この原文だけでは明確ではありませんが。
なお、一部の邦訳と英訳で、「すばやくドアを閉めて」という感じで訳しているものがあります。状況によってはこのようにも訳せるかもしれませんが、ここでこう訳しますと、あとの so sehr sie sonst darauf achtete, jedem den Anblick von Gregors Zimmer zu ersparen と意味が合いませんので、この訳は違うのではないかと私は思います。so sehr 以下の意味は、上掲の3つの訳をご参照下さい。この so は、あとに形容詞か副詞を伴ってはじめに置かれ、「どれほど...であっても」とか「とても...なのに」とかいった意味になります。 ただ、原田訳では sehr の意味が出ていませんね。辻訳はここの原文に忠実に訳しています。

○Einmal, es war ①wohl schon ein Monat seit Gregors Verwandlung vergangen, und es war doch schon für die Schwester kein besonderer Grund mehr, über Gregors Aussehen in Erstaunen zu geraten, kam sie ein wenig früher als sonst und traf Gregor ②noch an, wie er, unbeweglich und so recht ③zum Erschrecken aufgestellt, aus dem Fenster schaute.
あるとき、グレゴールの変身が起ってから早くも一月がたっていたし、妹ももうグレゴールの姿を見てびっくりしてしまうかくべつの理由などはなくなっていたのだが、妹はいつもよりも少し早くやってきて、グレゴールが身動きもしないで、ほんとうにおどかすような恰好で身体を立てたまま、窓から外をながめている場面にぶつかった。

 ①この wohl は、「たぶん」「おそらく」という意味でよく使われる wohl ですね。
邦訳では訳出していないものも多いですが、一部の邦訳では「もうおそらくひと月がたってからのことだったろう」(高安訳)、「もう一月にもなっていたろうか」(片岡訳)、「ひと月もたったころだろうか」(立川〔たつかわ〕洋三訳)のように明確に訳出しています。あるいは、「一か月はたっていた」「一か月ほどたっていた」のように、「一か月」と言い切らずにそのニュアンスを出そうとしていると思われる訳もあります。
英訳ではほとんどが訳出しており、perhaps や probably としたり、it must have been a month after(または since) Gregor’s metamorphosis のように must を使ったりしています。ついでながら、原文の Verwandlung を、なぜか metamorphosis とは訳さずに、transformation と訳している英訳も案外多くありますし、change と訳しているものも3つあります。

②この noch はどのような意味でしょうか。
邦訳、英訳ともに、訳出していないものも多いですし、訳出している場合には、以下のように訳しています。
邦訳では、「グレーゴルがまだじっと動かず棒立ちになって窓から外を眺めていたことがある。妹はそういうグレーゴルの姿を見てたまげてしまった」「グレーゴルがまだじっと動かずに、彼女がぎょっとするほどまっすぐに立って窓から外を見ているところにぶつかってしまった」「グレゴールがまだじっと、いかにも人の驚くような格好(かっこう)で、立ったまま、窓の外を眺めているのに出くわした」「グレゴールがまだ窓ぎわで見ていて、身動きもならず、まさに虚をつかれて棒だちになっているところにぶつかってしまった」「まさに驚きを掻(か)きたてるような立ち上がった格好で、じっと動かずに窓からまだ外をのぞいている彼に妹は出くわした」「[妹がいつもよりちょっと早くやってきて、]グレーゴルを目撃した。そのときグレーゴルはまだ、ギョッとするような直立不動の姿勢で、窓の外をながめていた」
英訳では、次のようにしています。長くなりますので、unbeweglich und so recht zum Erschrecken aufgestellt の部分は省略し、---で示します。また、似たような訳し方をしているものは、1つだけをあげるにとどめます。...―she [... and] caught Gregor still looking out the window, ---.;...―she [... and] found Gregory, ---, still looking out of the window.;...―she [... and] encountered Gregor while he was still looking out the window, ---.;...―she [... and] came upon Gregor as he was still looking out the window, ---.;... , she [... and] found him still staring out the window, ---.;... , she [... and] saw Gregor still looking out the window, ---.
ですが、この noch は「まだ」という意味なのでしょうか。
このような意味で「まだ」と言いたいのでしたら、あとの wie 以下の副文の中のどこかに入らなければ不自然と思われますし、上掲の諸訳を見ましても、wie 以下の副文の中の unbeweglich の前か、あるいは aus の前に noch が入っているように訳していると言ってよいと思います。
ここが、「もう少ししたら、彼に会えなくなるところだったが(あるいは、彼はとてもこわい姿になるところだったが)、そうならないうちに彼に会うことができた」といったような状況を言っているのでしたら、ここに noch があっても「まだ」という意味――ただし、「まだなんとか間に合って」というニュアンス――になりうるかもしれません。ですが、ここではそのような状況ではなく、逆に見られたくなかったのに見られてしまったという状況ですし。
私としましては、この noch は「さらになお」という感じの意味で、「妹は予定より早く来た――これはいつもと違うことだった――だけでなく、さらになお、こんな状態のグレーゴルに出くわしてしまった――これもいつもと違うことだった――」というニュアンスで言っているのではないかと思いました。これにつきましては、ドイツ語の口語表現に詳しい知人にも意見を伺いましたが、私と同意見でした。ですが、絶対的な自信があるとまでは言えませんので、ご意見がおありの方がおられましたら、お寄せいただけましたら幸いです。
なお、wie er, ... について少しだけ。これと全く同じ用法が第10回の連載にも出ていましたが、ここでもう一度、説明を繰り返しておきます。この wie は、品詞としては接続詞ですが、ここでは関係代名詞に近い用法であり、前の Gregor の具体的な動作を描写しています。つまり、文法的に正確には、「...していた Gregor に出くわした」と訳すことになります(参考例として、Ich blickte dem Wagen nach, wie er durch den staubenden Sand dahinzog. 私は砂ぼこりの中を走り去る車を見送った〔小学館独和大辞典〕)。

③この zum Erschrecken ですが、前項の②であげた邦訳からもおわかりのように、「(その姿を見て)妹がびっくりした」という感じで訳している訳と、「一般の人たちがその姿を見てもびっくりしてしまう」という感じで訳している訳とがあります。英訳でも訳し方が分かれていますが、前者のように訳しているものは4つだけです。私としましては、前者のように言いたいのでしたら zu ihrem Erschrecken とするのが自然ではないかと考えますので、後者を採りたいと思います。ただし、実際のところは、ここでびっくりしているのは妹しかいませんから、前者のように訳しても誤訳とまでは言えません。

○Es wäre für Gregor nicht unerwartet gewesen, ①wenn sie nicht eingetreten wäre, da er sie durch seine Stellung verhinderte, sofort das Fenster zu öffnen, aber sie trat nicht nur nicht ein, sie fuhr sogar zurück und schloß die Tür; ein Fremder hätte ②geradezu denken können, Gregor habe ihr aufgelauert und habe sie beißen wollen.
妹が部屋に入ってこなかったとしても、グレゴールにとっては意外ではなかったろう。なにしろそういう姿勢を取っていることで、すぐに窓を開けるじゃまをしていたわけだからだ。ところが、妹はなかへ入ってこないばかりか、うしろへ飛びのいて、ドアを閉めてしまった。見知らぬ者ならば、グレゴールが妹のくるのを待ちうかがっていて、妹にかみつこうとしているのだ、と思ったことだろう。(原田訳)
(ein Fremder 以下のみ)他人が見たら、それこそグレゴールが待ちかまえていて、妹にかみつこうとしたのだ、とも思いかねないところだった。(辻訳)
(同上)何も知らない人なら、まさに、グレーゴルが待ち構えていて彼女に噛(か)みつこうとしたのだ、と思いかねなかった。(浅井訳) 

①この wenn は、原田訳などのように、(「...ならば」ではなく)「...としても」という意味に解した方が自然と思われます。邦訳でも、多くはこう訳しています。
②この geradezu は意味を強めています。邦訳では、訳出していない訳と、たとえば辻訳や浅井訳のように訳出している訳とがあります。
英訳でも、訳出していない訳と、well、even、really などの強意の語として訳出している訳とがあります。また、almost (ほとんど) としている訳も4つあり、geradezu にはこの意味もありますが、あまり使われませんし、ここではこのニュアンスではないように私は思います。

 ○Gregor versteckte sich natürlich sofort unter dem Kanapee, aber er mußte bis zum Mittag warten, ehe die Schwester wiederkam, und sie schien viel unruhiger als sonst. Er erkannte daraus, daß ihr sein Anblick noch immer unerträglich war und ihr auch weiterhin unerträglich bleiben müsse, und daß sie sich wohl sehr überwinden mußte, vor dem Anblick auch nur der kleinen Partie seines Körpers nicht davonzulaufen, mit der er unter dem Kanapee hervorragte.
グレゴールはむろんすぐソファの下に身を隠したが、妹がまたやってくるまでには正午まで待たねばならなかった。そのことから、自分の姿を見ることは妹にはまだ我慢がならないのだし、これからも妹にはずっと我慢できないにちがいない、ソファの下から出ているほんのわずかな身体の部分を見ただけでも逃げ出したいくらいで、逃げ出していかないのはよほど自分を抑(おさ)えているにちがいないのだ、と彼ははっきり知った。

原文の5行目の wohl も、前出のそれと同じく、「たぶん」「おそらく」という意味ですね。そのあとの mußte (müssen) は、原田訳のように「...にちがいない」と訳している訳もありますが、こう解しますと wohl と意味的に整合しにくいですから、この mußte (müssen) は「...しなければならない」という意味ではないかと、私は考えました。この考え方にきっちり添って訳しますと、「…逃げ出さないためには、必死で自制していなくてはいけなかっただろう」のようになろうかと思います。次の諸訳はこの考え方に添っています。長くなりますので、ここの部分だけをあげておきます。

...逃げ出さないようにするのには、彼女がおそろしく自分の気持ちと争わねばならないだろうこともたしかだ。(高安訳)(岡上記:「...だろうこともたしかだ」は日本語としてちょっととも思いますが)
...逃げださないでおくために、おそらく妹がひじょうな努力をしなければならないことがわかった。(三原訳)
...逃げださないでいるためには、ものすごい努力が必要なんだろうな。(丘沢訳)
... 、妹は、逃げ出さないでいるためにはたぶん、怯(ひる)む心をすごく鞭(むち)打たなければならないのだ、と[彼には分かった]。(浅井訳)

 英訳では、... she probably(または no doubt) had to ... という感じで訳しているものが多いです。 

○Um ihr auch diesen Anblick zu ersparen, ①trug er eines Tages auf seinem Rücken – er brauchte zu dieser Arbeit vier Stunden – ②das Leintuch auf das Kanapee und ordnete es in einer solchen Weise an, daß er ③nun gänzlich verdeckt war, und daß die Schwester, selbst wenn sie sich bückte, ihn nicht sehen konnte.
妹に自分の姿を見せないために、彼はある日、背中に麻布(あさぬの)をのせてソファの上まで運んでいった。――この仕事には四時間もかかった――そして、自分の身体がすっかり隠れてしまうように、また妹がかがみこんでも見えないようにした。

 ①一部の邦訳では、この部分を「亜麻布を背中にのせて寝椅子(「ソファ」とルビ)の上へそれをかぶせ」(山下肇訳)、「麻の敷布を背なかに載せてソファの上にかぶせ」(高安訳)、「背中にシーツをのせて[――4時間がかりの仕事だった――]、長椅子にかぶせて」(丘沢訳)のようにしています。原文では、「シーツをソファーの上まで運んだ」としか言っておらず、「かぶせる」とは言っていませんが、このあとの内容から考えますと、やはりかぶせたのでしょうから、このように訳しても構わないと思います。
②辞書では、Leintuch の訳語として、「亜麻布」「麻布」も勿論ありますが、「シーツ」「敷布」もあります。ここでは、「亜麻布」や「麻布」としても無論間違いではありません。ですが、その部屋にこんなに大きな亜麻布や麻布がなぜあったのかとも思ってしまいますので、「シーツ」「敷布」とした方が自然ではないかと、私は思います。
③この nun は特殊な意味ではなく、「今や」くらいに解してよいと思います。邦訳でこれを訳出しているものはゼロでした。いくらちょっとした語であっても、このようなことは珍しいですね。英訳でも訳出していないものが少なくありませんが、いくつかの訳は文字どおり now としており、1つだけは from now on としています。

 ○①Wäre dieses Leintuch ihrer Meinung nach nicht nötig gewesen, dann hätte sie es ja entfernen können, denn daß es nicht zum Vergnügen Gregors gehören konnte, sich so ganz und gar abzusperren, war doch klar genug, aber sie ließ das Leintuch, so wie es war, und Gregor glaubte sogar einen dankbaren Blick erhascht zu haben, als er einmal mit dem Kopf vorsichtig das Leintuch ein wenig lüftete, um nachzusehen, wie die Schwester ②die neue Einrichtung aufnahm.
もしこの麻布は不必要だと妹が思うならば、妹はそれを取り払ってしまうこともできるだろう。というのは、身体をこんなふうにすっかり閉じこめてしまうことは、グレゴールにとってなぐさみごとなんかではないからだ。ところが、妹は麻布をそのままにしておいた。おまけにグレゴールが一度頭で麻布を用心深く少しばかり上げて、妹がこの新しいしかけをどう思っているのか見ようとしたとき、妹の眼に感謝の色さえ見て取ったように思ったのだった。

 ①ここでは接続法も使われていますが、文章全体は過去形で書かれていますね。ところが、原田訳では、はじめからwar doch klar genug, までは現在形で訳しています。これはなぜかと言いますと、この部分が体験話法であるからです。
ただし、体験話法か否かを決める絶対的な基準のようなものはありませんから、この部分を普通の地の文(語り手の文)として訳しても、誤訳とは言えません。
体験話法のことは、次の題名の頭木さんのブログをご覧下さい。
「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました
なお、現在形の接続法の動詞や話法の助動詞は、体験話法になっても地の文の過去形に合わせて過去形にはされずに、現在形のままにされることが多いのですが、過去形にされる場合もあります。どのような場合に過去形にされず、どのような場合に過去形にされるかという点に関しては、明らかに過去形にした方がよいという場合もときにはあるものの、絶対的なルールのようなものはありません。
それで、ここで過去形にされた理由は、私には思い当たりません。「作者の好みかな」くらいにしか私には思えませんでしたが、はっきりした理由がおわかりの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです。
ご参考までに、この部分を直接話法で書いてみますと、次のようになります。
Wäre dieses Leintuch ihrer Meinung nach nicht nötig, dann könnte sie es ja entfernen, denn daß es nicht zu meinem Vergnügen gehören kann, sich so ganz und gar abzusperren, ist doch klar genug, aber sie läßt das Leintuch, so wie es ist,
※zu meinem Vergnügen の部分は、もとの文では zum Vergnügen Gregors となっていますね。体験話法であっても、人称代名詞ではなくて Gregor などの固有名詞が使われることは(少ないですが)ありますから、体験話法であるのなら zu seinem Vergnügen となっていなくてはいけないということはありません。
※sich は、mich と書き換えてもよいかなとも思いましたし、それでも勿論意味は通りますが、この文の主語は ich ではなくこの sich so ganz und gar abzusperren という不定詞句(これを前の es が受けています)であり、mich としますと、主語に応じて再帰代名詞が決まるという原則とは違ってきますので、sich のままにしておきました。
※aber 以下の部分は、ここを体験話法として訳している邦訳でもみな、普通の地の文として訳していますが、私としましては、この部分も体験話法であると考えたいと思います。
それで、... , denn daß es nicht zum Vergnügen Gregors gehören konnte, sich so ganz und gar abzusperren, war doch klar genug, ... の部分に関しては、邦訳、英訳ともに、いろいろなヴァリエーションがあって面白いですので、終わりの付録〔2〕で一覧にしてみました。ご興味がおありでしたらご覧下さい。邦訳の方では、体験話法として訳しているものとそうでないものとがあることが、おわかりいただけることと思います。

②die neue Einrichtung の Einrichtung はいろいろに訳せますね。
邦訳では「工夫」が多いですが、「仕掛け」「設(しつら)え」「趣向」「処置」「やり方」もあります。「[新]案」は面白いですが、ニュアンスが少し違っていますね。「設営ぶり」は大げさな感じがします。「調度品」は、シーツのことを言っているつもりかもしれませんが、ここで「調度品」と言うのはどうかなと思います。「設備」「装置」「配置」もありますが、やはりちょっと違うのではないかなと思います。
英訳ではほとんどが arrangement としていますが、ほかには setup があります。また、だいぶ意訳していますが、change、development、innovation もあります。furnishings としているものもありますが、ちょっと違うかなと思います。 

○In den ersten vierzehn Tagen konnten es die Eltern nicht über sich bringen, zu ihm hereinzukommen, und er hörte oft, wie sie die jetzige Arbeit der Schwester völlig anerkannten, während sie sich bisher häufig über die Schwester geärgert hatten, weil sie ihnen als ein etwas nutzloses Mädchen erschienen war.
最初の二週間には、両親はどうしても彼の部屋に入ってくることができなかった。これまで両親は妹を役立たずの娘と思っていたのでしばしば腹を立てていたが、今の妹の仕事ぶりを完全にみとめていることを、グレゴールはしばしば聞いた。

 weil sie ihnen als ein etwas nutzloses Mädchen erschienen war で使われている erscheinen には、「現われる」という意味と、「...と思われる」「…のように見える」という意味とがありますね。どこで聞いたのかは忘れてしまいましたが、「『als+名詞 erscheinen』という形で使われると、『...と思われる』『…のように見える』という意味にはならず、『...として現われる』という意味になる(たとえば、als Zeuge vor Gericht erscheinen は『証人として出廷する』)」というようなことを聞いた記憶が、私にはあります。
もともとこの話自体があやふやで申し訳ありませんが、一応これに添って、ここの weil sie ihnen als ein etwas nutzloses Mädchen erschienen war を「彼女は、彼らにとって、いささか役に立たない娘として現われた」と解するのは、どうも不自然なように私は思います。それに、彼女がそのような娘であったことを断定的に言うのでしたら、単純に weil sie ihnen ein etwas nutzloses Mädchen gewesen war のように言うのではないかとも思います。ですから、ここは「彼女は、彼らにとっては、いささか役に立たない娘として見えた(本当にそうかどうかは断定していない)」のように考えて、原田訳のような感じで訳してよいのではないでしょうか。
邦訳でもこのように訳している訳が多いですし、英訳でも、seem(これが一番多いです)、appear、feel、think、consider (目的語と補語を伴って、「...を~とみなす」;consider ... as ~ でも同前の意味)、regard (regard ... as ~ で、同前の意味)、see (see ... as ~ で、同前の意味)、strike (strike ... as ~ で、「...に~のような印象を与える」) などの動詞を使って、断定していないように訳しているものが多いです。
けれども、あるいは私が聞いたことのように考えてなのかどうかはわかりませんが、断定しているような感じで訳している訳もないわけではありません。邦訳では、川崎訳が「妹のことをましゃくに合わないねんねだよと、腹にすえかねるところもあったようだが」(ただ、あとの方で「...ようだが」とは言っていますが)、山下肇・萬里訳が「役立たずの娘だとこれまではよく腹を立てていた」としていますし、次の英訳は weil sie ihnen als ein etwas nutzloses Mädchen erschienen war の全体を、for being a somewhat useless girl (Michael Hofmann 訳、Naney 訳)、for being a useless girl (Strazny 訳) 、for being such a good-for-nothing (Christopher Moncrieff 訳) とだけ訳しており、「...と思われる」という意味は含めていません。
私としましては、やはり「...と思われた」のように訳してよいのではないかと思いますが、ご意見がおありの方がおられましたら、お寄せいただけましたら幸いです。

 ○Nun aber warteten oft beide, der Vater und die Mutter, vor Gregors Zimmer, während die Schwester dort aufräumte, und kaum war sie herausgekommen, mußte sie ganz genau erzählen, wie es in dem Zimmer aussah, was Gregor gegessen hatte, wie er sich ②diesmal benommen hatte, und ob vielleicht eine kleine Besserung zu bemerken war.
ところが両親はしばしば、妹がグレゴールの部屋で掃除しているあいだ、二人で彼の部屋の前に待ちかまえていて、妹が出てくるやいなや、部屋のなかがどんな様子であるか、グレゴールが何を食べたか、そのとき彼がどんな態度を取ったか、きっとちょっと快方へ向いているのが見られたのでないか、などと語って聞かせなければならなかった。(原田訳)
ところが今では、妹がグレゴールの部屋を掃除していると、よくそのあいだ父親も母親も、二人そろって部屋の前で待っているのだった。(以下略)(辻訳)

 この Nun も特殊な意味ではなく、「今や」くらいに解してよいと思いますし、どうしても訳出する必要まではないのではないかとも思います。

○Die Mutter übrigens wollte verhältnismäßig bald Gregor besuchen, aber der Vater und die Schwester hielten sie zuerst mit Vernunftgründen zurück, denen Gregor sehr aufmerksam zuhörte, und die er vollständig billigte.
ところで母親のほうは比較的早くグレゴールを訪ねてみようと思ったのだったが、父親と妹とがまずいろいろ理にかなった理由を挙げて母親を押しとどめた。それらの理由をグレゴールはきわめて注意深く聞いていたが、いずれもまったく正しいと思った。

übrigens (im übrigen とも言います) は、辞書にはいろいろな訳語が出ており、どのように訳すか迷うことも少なくありませんが、意味を大きく3つに分けますと、「ところで」「それに加えて」「その他の点では」のような感じになろうかと思います。ここでは「その他の点では」はちょっと当てはまりにくいと思われますので、「ところで」か「それに加えて」のいずれかの意味になりそうですね。
邦訳では、訳出していないものもありますが、訳出しているものは「その一方で」「それで」「それはそうと」「ちなみに」「ついでに言えば」「ついては」「ところで」としています。「いずれにせよ」「その場合」「それにしても」「そんなわけで」「とにかく」「何にせよ」としているものもありますが、この語には基本的にはこのような意味はなく、ちょっと無理があるように私は思います。
邦訳を見るかぎりでは、「ところで」という感じの意味に訳しているものが多いですが、英訳では――文頭にきて大文字で始まっている場合もありますが、すべて小文字に統一して示します――、by the way、incidentally のほかに、also、besides、moreover、not only that としているものも案外多く、解釈が分かれています。as it was、however、in any event、in fact としているものもありますが、これらはニュアンスがちょっと違っているように思います。
ここでは verhältnismäßig bald(比較的早く)という語句があり、話が前に戻ったような感じがしますから、「ところで」と話題を転じるような意味と解した方が自然かなと、私は思いましたが、絶対に正しいとまでは言えません。

 ○Später aber mußte man sie mit Gewalt zurückhalten, und wenn sie dann rief: »Laßt mich doch zu Gregor, er ist ja mein unglücklicher Sohn! Begreift ihr es denn nicht, daß ich ①zu ihm muß?«, dann dachte Gregor, daß es vielleicht doch gut wäre, wenn die Mutter hereinkäme, nicht jeden Tag natürlich, aber ②vielleicht einmal in der Woche; ③sie verstand doch alles viel besser als die Schwester, die ④trotz all ihrem Mute doch nur ein Kind war und ⑤im letzten Grunde vielleicht nur aus kindlichem Leichtsinn eine so schwere Aufgabe übernommen hatte.
ところが、あとになると母親を力ずくでとどめなければならなかった。そして、とめられた母親が「グレゴールのところへいかせて! あの子はわたしのかわいそうな息子なんだから! わたしがあの子のところへいかないではいられないということが、あんたたちにはわからないの?」と叫ぶときには、むろん毎日ではないがおそらく週に一度は母親が入ってきたほうがいいのではないか、とグレゴールは思った。なんといっても母親のほうが妹よりは万事をよく心得ているのだ。妹はいくらけなげとはいってもまだ子供で、結局は子供らしい軽率さからこんなにむずかしい任務を引き受けているのだ。(原田訳)
(sie verstand 以下のみ)母は何だって妹よりよくわきまえている。妹は勇気はあれ、しょせんはまだ子供であって、厳密にいうと子供の軽はずみから、この厄介(やっかい)な使命を引き受けたにすぎないのだ。(池内紀〔おさむ〕訳)
(同上)どんなことでも妹よりずっと心得ていたのだから。勇気はあるが妹はまだ子どもにすぎない。結局、こんな大変な仕事を引き受けたのも、子どもの軽はずみからにすぎなかったかもしれない。(丘沢訳)

①zu ihm muß では、話法の助動詞の muß (müssen) が使われているだけで、動詞がありませんが、話法の助動詞が方向を表す語句とともに使われますと、動詞がなくても「行く」という意味が加わってきます。ですからここでは、zu ihm のあとに、日本語的な感覚からしますと gehen を補いたいところでして、それでも間違いではありません。ですがドイツ語では、相手の立場に立って考えて、日本語では「行く」と訳すところでも、kommen が使われることがよくあります。というわけで、私としましては、ここには kommen を補って考えたいと思います。
ついでながら、この前に出ている Laßt (lassen の ihr に対する命令形) もこれと似ており、4格の目的語と、方向を表す語句を伴って、「...を~へ行かせる」という意味になります(辞書によっては、lassen の所にこの意味を載せていないものもあります)。ここでも、zu Gregor のあとに kommen を補って考えればよいと思います。
②この vielleichtは、「おそらく」「たぶん」「もしかしたら」(「おそらく」「たぶん」という訳語は vielleicht には強すぎて正しくないという説もありますが、ここでは深入りせずにおきます)という意味になるのが一般的です。しかしながら、「およそ」「約」という意味もありますので、ここでは「週に1回くらいは」とした方が自然ではないかと私は思いますし、邦訳の多くもこのようにしています。
ところが、英訳はほぼすべてが maybe か perhaps とだけ訳しており、この意味を明確に出しているものはありませんでした。ただ、Hofmann 訳は、[not every day of course, but] perhaps as often as once a week、英語に問題が多いためにリストに加えていない2つの某訳は、[not every day, but] yes, for example, once a week、[not every day, understandably, but] perhaps at least once a week としており、「約」「およそ」というニュアンスを含めているような感じです。
③sie verstand から最後までの部分も、原文は過去形や過去完了形で書かれているにもかかわらず、上掲の訳ではおおむね、現在形で訳しています。この部分もやはり体験話法であるからですが、地の文とみなして過去形で訳しても勿論構いません。ここを体験話法とみなして直接話法に書き換えてみますと、次のようになります。
sie versteht doch alles viel besser als die Schwester, die trotz all ihrem Mute doch nur ein Kind ist und im letzten Grunde vielleicht nur aus kindlichem Leichtsinn eine so schwere Aufgabe übernommen hat(または、過去形のübernahm).
④この trotz all ihrem Mute を、原田訳のような感じや、「よくやってくれているが」のような感じで訳している邦訳も多いのですが、これらの解釈はちょっと無理ではないかと私は思います。Mut には、基本的には「勇気」か「気分」という意味しかありませんので、ここでは「勇気」と解すべきではないでしょうか。自分一人でグレーゴルの世話をしているのは、やはり勇気があるからと考えてよいと思いますし。ちなみに、古い邦訳では「勇気」と訳していないものが多いのですが、近年の邦訳ではほとんどが「勇気」と訳しています。
英訳ではほぼ全部が、courage か pluck か spunk を使っており、「勇気」と訳していない訳は次の2つしかありません。despite all her efforts (Katja Pelzer 訳) とdespite the efforts she was making (Muir 訳) がそうですが、新しい Muir 訳では despite her courage と修正されています。
⑤im letzten Grunde は im Grunde とほぼ同じ意味で、「結局[のところ]は」という感じの訳になりますね。これで全く問題はないのですが、このような言葉を「翻訳調」とみなしてあまり好まない方もおられるようです。
「結局」を使っていない訳としては、「突きつめていえば」「つきつめてみれば」「つまるところ」などもありますが、これらもやはりかたい感じがしますね。池内訳の「厳密にいうと」は、ニュアンスがちょっと違っていますし。
私は「こんなにむずかしい仕事を引き受けてしまったのも、子供らしい軽率さの行き着くところにすぎなかったのかもしれない」などとしてはどうかと考えましたが、もっと良い案も勿論あろうかと思いますので、お考えになった方がおられましたら、お教えいただけましたら幸いです。

さて、雑誌『みすず』での頭木さんの連載は、今回で終わりです。これまでお読み下さいまして有難うございました。私からも御礼申し上げます。
また、この連載に連動して、頭木さんの連載の途中からですがスタートさせていただいた、私の連載をお読み下さいました皆様方にも、心から御礼申し上げます。
回を重ねるにつれて、細かい事柄に深入りしすぎたような感じにもなってきましたが、少しでも正しい解釈を求めて、私なりに努力したつもりではあります。
とは言え、どの解釈が正しいかという結論を出せなかった箇所も多々ありまして、申し訳なく思います。ただ、このような難解な箇所は、ネイティブに尋ねても解釈が分かれることも少なくありませんから、ある程度そうなることはやむをえないとも思います。お許しいただけましたら幸いです。
私の連載の今後のことは未定ですが、何らかの形で続けられればと思っております。

それから、もう1つだけ。「変身」の第Ⅲ部で、解釈が非常に大きく分かれている箇所がありまして、今回はそこに関しての私の考察も公開させていただきました。諸訳による解釈の相違に特にご興味がおありの方は、こちらもぜひご一読下さいましたらと思います。
https://note.com/okanoue_kafka/n/n8cb4bded5788

付録
 〔1〕
Die Schwester suchte freilich die Peinlichkeit des Ganzen möglichst zu verwischen, ... (妹はむろん、いっさいのことのつらい思いをぬぐい去ろうと努めていたし、...〔原田訳〕) の英訳の一覧 

Grete naturally tried to hide any appearance of blame or trouble regarding the situation, ... (A. L. Lloyd 訳)
His sister tried to mitigate the embarrassment of the whole thing and ... (Eugene Jolas 訳)
She certainly tried to make as light as possible of whatever was disagreeable in her task, ... (Willa & Edwin Muir 訳)
Of course his sister tried to ease the embarrassment of the whole situation as much as possible, ... (Stanley Corngold 訳)
Admittedly she tried to cover up the awkwardness of the situation as much as possible, ... (J. A. Underwood 訳)
She certainly made every effort to gloss over the unpleasantness of the whole business, ... (Malcolm Pasley 訳)
Of course, she tried to surmount the overall embarrassment as much as possible, ... (Joachim Neugroschel 訳)
She certainly tried to ease the embarrassment of the whole business as much as possible, ... (Karen Reppin 訳)
The sister certainly tried to lessen the general awkwardness of the situation as much as possible, ... (Donna Freed 訳)
Of course, his sister tried to soften the painfulness of the situation as much as possible, ... (Stanley Appelbaum 訳)
The sister admittedly sought to cover up the awkwardness of everything as much as possible, ... (Ian Johnston 訳)
His sister, naturally, tried as far as possible to pretend there was nothing burdensome about it(=all that she had to do for him), ... (David Wyllie 訳)
His sister certainly tried to ease the embarrassment of the whole situation as much as she could, ... (Richard Stokes 訳)
The sister sought, of course, to conceal the embarrassment of everything as much as possible, ... (M. A. Roberts 訳)
His sister, for her part, clearly sought to blur the embarrassment of the whole thing, ... (Michael Hofmann 訳)
Naturally she tried to pass things off as lightly as possible, ... (Will Aaltonen 訳)
True, his sister tried as far as possible to dull the distress of it all, ... (Joyce Crick 訳)
His sister did her best to minimize the pain of the tasks she undertook, ... (Charles Daudert 訳)
Of course, his sister did everything she could to dispel the embarrassment of it all, ... (John R. Williams 訳)
Admittedly, his sister attempted to soften his embarrassment whenever possible, ... (C. Wade Naney 訳)
His sister, to be sure, did all she could to obscure the awkwardness of the situation, ... (Susan Bernofsky 訳)
It was true that she did as much as possible to make the embarrassing aspects of the situation more bearable for him, ... (Christopher Moncrieff 訳)
His sister certainly tried her best to erase the awkwardness of the whole thing, ... (Katja Pelzer 訳)
To be fair, Gregor’s sister put every effort into easing the torments brought upon him by the whole matter, ... (Mary Fox 訳)
The sister certainly tried her best to downplay the embarrassment of the whole thing. (Philipp Strazny 訳)
The sister, of course, tried to blur the embarrassment of the whole thing as much as possible, ... (Christopher Drizzen 訳)
Of course, the sister tried to hide the embarrassment of the whole thing as much as possible, ... (Robert Boettcher 訳) 

〔2〕
... , denn daß es nicht zum Vergnügen Gregors gehören konnte, sich so ganz und gar abzusperren, war doch klar genug, ... の邦訳と英訳の一覧
※この文は体験話法になっていると考えられますが、地の文(語り手の文)と考えても間違いではありません。詳しくはここについての私の解説をご覧下さい。邦訳でも、体験話法と解して現在形で訳している訳――特に川崎訳や立川訳は、ここが体験話法であることが明確にわかる訳になっています――と、地の文と解して過去形で訳している訳とがありますね。 

なぜならなにも酔狂でグレーゴルがこんなふうにすっかり体を隠しているわけではないということは、わかりきっていたからである。(高橋義孝訳)
グレゴールがなにもおもしろ半分にからだをすっぽり隠しているのでないことぐらい、はっきり妹にもわかっているはずだ。(ただし、同学社刊の対訳本では、「すっぽり隠しているのでない」の部分を「つき合いを絶っているのではない」としています)(中井正文訳)
グレゴール自身にしてみれば、なにも完全に目に触れなくすることが満足だというわけでないことはわかりきっているのだから。(山下肇〔はじめ〕訳)
というのは、身体をこんなふうにすっかり閉じこめてしまうことは、グレゴールにとってなぐさみごとなんかではないからだ。(原田義人〔よしと〕訳)
こんなふうにからだをすっかり隔離してしまうことが、なにもグレゴールにとって楽しみなどではないことは、じゅうぶんはっきりしていたからである。(辻瑆〔ひかる〕訳)
麻布ですっぽり身体を隠すなどということをグレーゴルが楽しんでやっているのではない、それはまったく明らかなことだった。(高本研一訳)
なぜなら、そんなに頭からすっぽりかぶって隠れているのが、グレーゴルの面白半分の行為でないことぐらいは、だれの目にも明らかだった。(高安国世訳)
麻布をかぶってからだをかくす――だてや酔狂でやるはずがないことぐらいはわかりきっているはずだろうさ。(川崎芳隆訳)
こんなにまるきり閉じ籠(こも)るのが、グレゴール(のちの訳では、グレーゴル)にとり楽しみでないことは、判(わか)りきっている。(城山良彦訳)
もちろん、グレゴールが自分の楽しみで、自分の体を見えないようにするのではない、ぐらいのことはわかりきっていたからである。(片岡啓治訳)
おれだって何も好きこのんで、こんなふうにぴったり閉じこもっているわけじゃないのは、火を見るよりもあきらかではないか。(立川〔たつかわ〕洋三訳)
グレーゴルがすき好んでそんな隠れん坊をしているのでないことは、一目瞭然(いちもくりょうぜん)だったのだから。(川村二郎訳)
というのも、なにもグレゴールが自分の娯(たの)しみでこのような交わりを絶つようなまねをしているのでないのは誰の目にもあきらかだったからだが、...(三原弟平〔おとひら〕訳)
そんなにすっぽり隠れるなどグレーゴルに楽しいことではあり得ないと、すぐにわかったはずなのだ。(池内紀〔おさむ〕訳)
... 、完全な遮蔽(しゃへい)をグレゴールが喜んでいないことは明白なのだから、...(山下肇・萬里〔ばんり〕訳)
グレーゴルが好きで全身を隠しているわけでないことくらい、明らかだったのだから。(丘沢静也〔しずや〕訳)
なにしろ、そんな風に自分をすっかり隔離するように閉じ込めることが、グレーゴルにとって楽しいわけではありえないのは、十分明白だったのだから。(浅井健二郎訳)
こんな風にかくれんぼをすることがグレーゴルの楽しみではないことは、明白であったからである。(野村廣之訳)
そんなふうに完全に閉じこもるなんていうことを、グレゴールが好きでやっているわけではないということは明らかだからだ。(真鍋宏史訳)
グレゴールが好きで自分を包み込んでしまったはずがないことは一目瞭然なのだから。(多和田葉子訳)
というのはこんな風に完全に外界を遮断(しゃだん)してしまって、彼が楽しんでいるわけではないのは明らかだからである。(田中一郎訳)
このような完全な自己隔離をグレゴールの側が何も楽しくてやっているわけではないことは、一目瞭然なのだから。(川島隆訳) 

※英訳では、前のコンマ等は省略します。
※邦訳の箇所でも記しましたが、この文は体験話法になっていると考えられます。体験話法の箇所は、ここに限らず、英訳ではおおむねは原文と同じ人称と時制(だいたいは過去形)で訳されています。
ただ、英語にも体験話法と同じく、地の文と同じ人称と時制で書かれていながら、実際には登場人物の思いや気持ちを表しているという話法がありまして、英語では Represented Speech(描出話法)と呼ばれているようです。
とは言え、このような体験話法の箇所を、英訳者が普通の地の文として訳したのか、描出話法として訳したのかは、判断することが困難ですので、ここでもせずにおきます。

 for she guessed that Gregor did not so completely shut himself away for pleasure; ... (Lloyd 訳)
―it was quite clear that it could not have added much to Gregor’s pleasure to isolate himself so completely. (Jolas 訳)
for it was clear enough that this curtaining and confining of himself was not likely to conduce to Gregor’s comfort, ... ; 本によっては、for it was clear enough that this total confinement of himself had not been undertaken just for his own pleasure, ... (Muir 訳)
for it was clear enough that it could not be for his own pleasure that Gregor shut himself off altogether, ... (Corngold 訳)
because surely it was obvious that it could not be Gregory’s idea of fun to cut himself off so utterly and completely, ... (Underwood 訳)
for it was clear enough that Gregor was hardly shutting himself off so completely for his own amusement, ... (Pasley 訳)
for it was plain that Gregor could not possibly enjoy cutting himself off so thoroughly. (Neugroschel 訳)
since it could obviously not have been to Gregor’s amusement to isolate himself so completely, ... (Reppin 訳)
because it was clear enough that Gregor could not possibly be pleased by his total confinement, ... (Freed 訳)
because it was clear enough that it was no pleasure for Gregor to close himself off so completely; ... (Appelbaum 訳)
for it was clear enough that Gregor could not derive any pleasure from isolating himself away so completely. (Johnston 訳)
as it was clear enough that it was no pleasure for Gregor to cut himself off so completely. (Wyllie 訳)
for it was clear enough that it gave Gregor no pleasure to close himself off so completely, ... (Stokes 訳)
because it was certainly clear enough that Gregor could have no pleasure in completely shutting himself up; ... (Roberts 訳)
because it was surely clear enough that it was no fun for Gregor to screen himself from sight so completely, ... (Hofmann 訳)
―it was clear he wasn’t hiding for fun. (Aaltonen 訳)
for it was clear enough that there was no pleasure for Gregor in cutting himself off so completely; ... (Crick 訳)
for it was not for Gregor’s benefit that he be so totally and completely blocked in, that was clear enough, ... (Daudert 訳)
for it was clear enough that Gergor did not derive any pleasure from totally isolating himself like this; ... (Williams 訳)
since Gregor obviously derived no pleasure being entirely shut off. (Naney 訳) (岡上記:beingの前にfromを入れないと不自然ですね)
since it was clear enough that it could not possibly be considered a pleasure for Gregor to shut himself off so completely, ... (Bernofsky 訳)
because it was obvious that Gregor hadn’t put it(=the bedspread) there for his own amusement, thus placing himself in isolation, so to speak. (Moncrieff 訳)
for it was clear enough that Gregor did not find amusement in entirely closing himself off in this way. (Pelzer 訳)
since Gregor covered himself not because it pleased him, that was obvious enough; ... (Fox 訳)
After all, it was quite obvious that it could not have been part of Gregor’s enjoyment to shut himself away like that. (Strazny 訳)
for it was clear enough that it could not be part of Gregor’s pleasure to shut herself off completely, ... (Drizzen 訳)(岡上記:herself はやはり himself となるべきであり、勘違いかと思われます)
for it was clear enough that it could not be part of Gregor’s pleasure to shut himself off so completely, ... (Boettcher 訳)

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