「変身」において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第18回で取り扱われている範囲で)
岡上容士(おかのうえ・ひろし)と申します。高知市在住の、フリーの校正者です。文学紹介者の頭木(かしらぎ)弘樹さんが連載なさっている「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」の校正をさせていただいており、その関係で、「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所」という、この連載も書かせていただいています。
なお、頭木さんの連載は、前々回までは雑誌『みすず』に掲載されていましたが、前回からオンラインマガジンの『WEBみすず』に掲載されるようになりました。私の連載は、第13回までは頭木さんのブログに掲載させていただいていましたが、第14回からは私の note に掲載しています。
私の連載の内容につきましては、前回の「『変身』において翻訳の解釈が分かれている箇所(連載の第17回で取り扱われている範囲で)」の冒頭で記しましたので繰り返しませんが、今回初めてお読み下さいます方は、前回のその冒頭部分だけでもご覧いただければと思います。
https://note.com/okanoue_kafka/n/n7b93dc212b5b
なお、以下に※で列挙しています凡例(はんれい)的なものは、その回から初めてお読み下さる方もおられると思いますので、毎回記させていただくようにしていますし、今後もそのようにします。ただ、英訳に関する項目だけ、前回から「※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。」と変更しています。
※解釈が分かれている箇所は、詳しく見ていくと、このほかにもまだあるかもしれませんが、私が気がついたものにとどめています。
※多くの箇所で私なりの考えを記していますが、異論もあるかもしれませんし、それ以前に私の考えの誤りもあるかもしれません。ご意見がおありでしたら、コメントの形でお寄せいただけましたら幸いです。
※最初にドイツ語の原文をあげ、次に邦訳(青空文庫の原田義人〔よしと〕訳)をあげ、そのあとに説明を入れています。なお邦訳に関しては、必要と思われる場合には、原田訳以外の訳もあげています。ただし、原田訳以外の訳は、あとの説明に必要な部分だけをあげている場合もあります。
※ほかにも、文の一部分や、個々の単語に対して、邦訳の訳語をあげている場合があります。この場合には、『変身』の邦訳はたくさんありますので、同じ意味の事柄が訳によって違った形で表現されていることが少なくありません(たとえば「ふとん」「布団」「蒲団」)。ですが、説明を簡潔にするため、このような場合には全部の訳語をあげず、1つ(たとえば「ふとん」)か2つくらいで代表させるようにしています。
※邦訳に出ている語の中で読みにくいと思われるものには、ルビを入れています。
※高橋義孝訳と中井正文訳は何度か改訂されていますが、一番新しい訳のみを示しています。
※英訳に関しては、特に示す必要はないと思われる箇所では省略します。
※ドイツ語の文法での専門用語が少し出てきますが、これらを1つ1つ説明していますと長くなりますし、ここのテーマからも外れてきます。ですから、これらに関してはご存知であることを前提とします。ご存知でない方でご興味がおありの方は、お手数ですが、ドイツ語の参考書などをご参照下さい。
※原文や邦訳や英訳など、他書からの引用部分には色をつけてありますが、解説文の文中であげている場合にはつけていません。
①この部分は少し難しいですので、ご説明しておきます。sich lassen(ließ はこれの過去形) にはいろいろな意味がありますが、ここでは受動の意味であり、そしてまた、「...されるがままになっている」「甘んじて...される」というニュアンスを含んでいます。それから、「人を表す4格+von+3格+abbringen」で、「人に von 以下のことをやめさせる」という意味になります。ですから、この部分を逐語訳しますと、「彼女は母親によって、自分の決心をやめさせられることに甘んじたりはしなかった」のようになり、日本語らしくしますと原田訳のような訳になります。池内先生の訳は大胆ですが、これもこれで上手に訳しておられますね。
②この auch は案外難しく、諸訳を見ましても解釈はいろいろに分かれています。
〔1〕die(関係代名詞で、先行詞は die Mutter) にかけて考える:ただこの解釈は、間違いとは言えませんが、これですと妹のグレーテも不安を感じていたようなニュアンスになりますね。グレーテもいろいろ不安を感じることも多かったかもしれませんが、少なくともこの直前(前回の連載の最後になりますが)ではグレーゴルを独占したかったという趣旨の話が出ており、不安を感じていたのとはちょっと違うような感じもします。
〔2〕原田訳のように in diesem Zimmer にかけて考えて、「この部屋に入ってからも」のように訳す:この解釈も間違いとは言えませんが、母親はグレーゴルが不気味な虫になっていることはもう知っていますから、部屋に入って不安な気持ちが消えると仮定できる可能性はちょっと考えにくく、「この部屋に入ってからも」とことさら言うのはやや不自然かなとも思います。
〔3〕「ただでさえ」「ともかく」「(英訳で)in any way」などのように、強めの意味と考える:このように解している訳も多いですし、これでも間違いではないと思います。
〔4〕池内訳のように「[妹を説得できなかっただけでなく]さらにまた」という意味と考える:私はこれではないかと考えました。もっとも、はっきりこう解している訳は少なく、邦訳では池内訳、英訳では次の3つくらいではありますが。
③この unsicher の訳し方もいろいろに分かれています。邦訳では、schien を無視して記しますと、「頼りない」「落ち着きがない、そわそわしている」「おろおろしている」「自信がない」としています。英訳もいろいろありますが、上記の Muir 訳や Corngold 訳のような unsure(または uncertain) of herself が特に多く、「自信がない」が優勢です。
どれも間違いではありませんが、ここでは不安のあまりどうしてよいかわからずに、「おろおろしている」とか「自信がない」とかいった感じで言っているのではないかと、私は思います。
①この文は過去形で書かれていますが、原田訳では mußte を現在形で、真鍋訳では konnte も mußte も現在形で訳しています。
これはなぜかと言いますと、この文が体験話法であるからです。
ただし、ある文が体験話法か否かを決める絶対的な基準のようなものはありませんから、この文を普通の地の文(語り手の文)として過去形で訳しても、誤訳とは言えません。
体験話法に関しての詳しいことは、次の題名の頭木さんのブログをご覧下さい。
「咬んだり刺したりするカフカの『変身』」6回目!月刊『みすず』8月号が刊行されました
ご参考までに、この部分を直接話法で書いてみますと、Nun, den Kasten kann ich im Notfall noch entbehren, aber schon der Schreibtisch muß bleiben. となります。
なお、原文が体験話法であるのなら、Gregor ではなく er となっているはずという考え方もあるかもしれません。ですが、体験話法でも人称代名詞ではなく固有名詞が使われることは(少ないですが)ありますから、この文が体験話法であることを否定する根拠にはならないのではないかと、私は思います。
②冒頭の Nun は、訳出していない訳もありますが、邦訳では「ところで」か「さて」、英訳では Now か、Well としています。ですがここでは、話題を変えているような感じではありませんから、連載の第6回にも出てきた「消極的な肯定を表す nun」ではないかなと、私は思いました。
そう思って見てみましたところ、真鍋訳だけが「まあ」と訳していました。 ちなみに、英語の well にもこの意味があります。Well とした英訳者がこの意味を意図していたのかどうかはわかりませんが。
この nun の用法はあまり知られていませんので、これをお話しした第6回の該当部分の一部を、ここに再記しておきます。ついでながら、この部分も体験話法になっています。
○Ja, aber war es möglich, dieses möbelerschütternde Läuten ruhig zu verschlafen? Nun, ruhig hatte er ja nicht geschlafen, aber wahrscheinlich desto fester.
だが、あの部屋の家具をゆさぶるようなベルの音を安らかに聞きのがして眠っていたなんていうことがありうるだろうか。いや、けっして安らかに眠っていたわけではないが、おそらくそれだけにいっそうぐっすり眠っていたのだ。(原田訳)
だが家具が揺れるほどの大音量で鳴ったのに、安らかに眠っていられるものだろうか? まあ、十分に眠ってはいないのだが、おそらくそれだけ深く眠ったのだろう。(田中一郎訳)
この Nun は案外難しいです。邦訳では「いや(「いや、いや」「いやいや」「いいや」も含めて)」としている訳が非常に多いですし、そう訳すと次につながりやすいですね。しかし、この訳ですとドイツ語の nein と同義ということになりそうですが、どの辞書を見てもこの意味は出ていません。
この Nun を訳していない訳もありますし、「ところで」(中井正文訳)、「たしかに」(高本研一訳)、「さて」(菊池武弘訳)、「もちろん」(立川〔たつかわ〕洋三訳)、「すると」(浅井健二郎訳)、「まあ」(田中訳)のように、「いや」と訳していない訳もあります。私の考えでは、消極的な同意を表わす意味の「まあ」が近いのではないでしょうか。
(以下略)
①an den sie sich ächzend drückten を逐語訳的に訳しますと、「彼女らははあはあ言いながら戸棚に身体を押しつけて」となります。邦訳や英訳では、単に「戸棚を押して」と訳しているものが多いですが、結局はそうなりますね。「戸棚にしがみついて」「戸棚にとりついて」「戸棚にへばりついて」「戸棚を抱えて」と訳している訳もあり、間違いとは言えませんが、ちょっとニュアンスが違っているのではないかとも思います。
②eingreifen は「介入する」「干渉する」という意味であり、文字どおりこう訳している訳も多いですが、違ったふうに訳している訳や、説明を加えている訳もあります。
邦訳で「介入する」「干渉する」としていない訳では、könnte は無視して記しますと、「書き物机を運び出すことを止めさせる(野村廣之訳)」「制止する(川崎芳隆訳)」「阻止(そし)する(丘沢静也〔しずや〕訳)」「次の作業を阻止する(多和田葉子訳)」「その仕事をやめさせる(川村二郎訳)」「待ったをかける(山下肇〔はじめ〕・萬里〔ばんり〕訳)」としています。
英訳ではほとんどが intervene の1語だけで済ませています(あるいは、interfere と intercede[これはちょっとニュアンスが違いますが] だけにしている訳が1つずつあります)。そうでない訳は、[to examine] the possibilities of making a prudent and tactful appearance (A. L. Lloyd 訳)、[to see] how he could feel his way into the situation as considerately as possible (Corngold 訳)、[to see] what he could do about it (David Wyllie 訳)、[to see] how best, with due care and respect, he might intervene on his own behalf (Michael Hofmann 訳)、[to see] if he might make a prudent and tactful intervention (Will Aaltonen訳) だけですが、いずれももう一つという感じで、邦訳の方がすぐれているのではないかと思います。
①gerade は「まさに」といったような意味で die Mutter を強めていますが、多くの邦訳では「母親のほう」と訳してこの意味を出しています。「ほかならぬ母の方」とか「よりによって母親」として、gerade の意味を明確に出している邦訳もありますが、2人しかいないのですから、ちょっと大げさな感じもしないではありませんね。
②ここで私が気になりましたのは、なぜohne ihn natürlich von der Stelle bringen zu könnenとしていないのかということです。
ですが、「もちろんそれを(彼女の意志で?)その場から動かしはせずに[ひとりでゆすっていた]」としますと、そんなことをしても何の意味もなく、やはり不自然ですから、ohne ihn natürlich von der Stelle bringen zu können と同じ意味で書いたと考えざるをえませんね。
邦訳はほぼみな、この意味で訳しています(1つだけ、「むろんのこと、位置をかえようなどとは思いもそめまい」としていますが、やはり不自然な感じがします)。
それで、実は英訳では、... , without of course moving it from the spot. (Muir 訳) のように直訳しているものも多いのですが、... , without, however, being able to move it from its place. (Eugene Jolas 訳) とか、... , without, of course, managing to move it at all. (Katja Pelzer 訳) とかのように補っているものもかなりあり、私と同じように考えたものと思われます。
けれども、ここをドイツ語の口語表現に精通している知人に見ていただきましたところ、「ここは勿論、ohne ihn natürlich von der Stelle bringen zu können の意味だが、私は können がなくても不自然とは全く感じない」とのことでしたので、ドイツ人もおそらくそうなのでしょうね。
また、ドイツ語の語感に乏しい私でも、finden(見つける) という動詞は、これだけで finden können(見つけることができる) の意味でしばしば使われることは知っていますから、この場合もこれに似たようなことなのかもしれませんね。
①この erschrocken は、邦訳、英訳ともに、実にいろいろに訳されています。ですが、もとの意味の「驚いて」「びっくりして」では、間違いではありませんが、ここの雰囲気にはちょっと合わないのではないかと私は思います。「あわてて」がピッタリするとも思いますし、そう訳している訳もかなりありますが、いろいろな辞書を見ましても、erschrocken には「あわてて」という感じの意味は出ていません。
上掲の立川訳は「はっとして」としており、これが一番感じが合っているのではないかと思いました。あるいは、ニュアンスはちょっと違ってきますが、「ぎょっとして」でもよいかもしれません。
②vorne は「前に」という意味の副詞ですが、副詞は時々、名詞のあとに置かれてその名詞を修飾することがあります――最も簡単な例では、der Mann da (そこにいる男の人)――から、ここでは「[グレーゴルから見て]前の方のシーツ」という意味かと思われます。
なお、「シーツが前の方で少し動いている」という感じで、vorne を独立した副詞のように訳している訳もかなりありますが、vorne には「前で」という意味は基本的にありませんので、ちょっと無理かと思います。
また、Leintuch の訳語は、前々回(第16回)の私の連載で検討しました。短いですので、ここにそのまま再記します。
辞書では、Leintuch の訳語として、「亜麻布」「麻布」も勿論ありますが、「シーツ」「敷布」もあります。ここでは、「亜麻布」や「麻布」としても無論間違いではありません。ですが、その部屋にこんなに大きな亜麻布や麻布がなぜあったのかとも思ってしまいますので、「シーツ」「敷布」とした方が自然ではないかと、私は思います。
①④まず、2箇所に出てくる sich(3格) sagen について検討します。
sich(3格) sagen には、おおよそ、「自分に言い聞かせる、自分に納得させる」「一人言を言う、つぶやく」「思う、考える」といった複数の意味があり、どれが正しいとは決められないことも少なくありません。その場の雰囲気からして不自然でなければ、訳者の好みで訳して構わないと思います。
ただ1つだけ私見を記しますと、④に関しては、あとの言葉の内容からして、「言い聞かせる」はちょっと合わないのではないかと思います。ですが、「それでは『一人言を言う、つぶやく』か『思う、考える』のどちらなのか?」と問われますと、私も決めることはできません。読者の好みでよいのではないかと思います。
ご参考までに、既訳がどのように訳しているかを、できるだけ簡潔に記します。なお、一部を除いて、④での mußte は無視して示します。
訳し方はやはり千差万別になっており、原田訳のように両方を「言い聞かせる」と訳しているものや、④の sich sagen はあえて訳出していないものや、中には前に出てきた wie er sich bald eingestehen mußte と一緒にしてしまって、「...だと認めざるをえなかった」としているものもありますが、比較的多いパターンを示しますと:
邦訳では、①を「言い聞かせる」、④を「つぶやく」としているものです。英訳では、①を「言い聞かせる」、④を「認める(大体は admit)」――前の wie er sich bald eingestehen mußte と一緒にして訳しているものも、一緒にはせずに別々に訳出しているものもあります――か、「結論づける(conclude など)」という感じにしているものです。
①の英訳は、said to himself が多いかと思っていたのですが意外と少なく、told himself(と言うよりも、kept telling himself としているものの方が多いですが) が大部分でした。
②の ja は強めで、「実のところ」「じっさい」「(英訳で)really」と訳している訳や、「なに大事件が起るというのじゃない(高橋義孝訳)」「これといって変わったことが起きたわけじゃないんだよ(川崎訳)」「べつにどうっていうこともないさ(山下肇・萬里訳)」「変なことが起きてるわけじゃないぞ(丘沢訳)」のように、それなりに感じを出している訳もありまして、これらの訳も勿論良いと思います。
ただ、前回の連載で、
昔、あるドイツ語の先生が私に、「このような文中に入っている ja は、主語の人物が『うん、そうなんだな』と自分で自分にうなずいているニュアンスだと覚えておいたらいい」と教えて下さったことがあります。
と記しましたが、このニュアンスを特に出すのでしたら、(原田訳をもとに修正しますと)「何も異常なことが起きてるわけではないじゃないか」のようになると思います。
なお、余談的ながら、nichts Außergewöhnliches geschehe はいろいろに訳せそうですが、英訳では [that] nothing out of the ordinary was happening としているものがとても多いです。最初にこう訳したのは J. A. Underwood さんのようですが、あとの訳者たちもこの表現が気に入って、使うようになっていったのでしょうか。
③今回、特に問題になりそうなのが、この wie ein großer, von allen Seiten genährter Trubel という表現です。
この中の genährter ですが、genährt は、nähren(養う、栄養を与える、食べ物を与える) の過去分詞ですから、「エネルギーのようなものを与えられた」という意味になるのではないかと思われます。
この解釈で訳していると思われる訳を、次にあげておきます。前後のコンマ等は省略します。原田訳、高本訳、高安国世訳はちょっと微妙かもしれませんが、このあとであげる解釈のような「押し寄せてくる」とか「近づいてくる」とかいった意味とは違うと思われますので、ここに入れておきます。
なお、「湧(わ)きあが[ってく]る」とか「湧き起こ[ってく]る」とかいった感じで訳している訳もかなりありますが、これらはこのように解したのか、あるいはこのあとであげるような解釈をしたのか、はっきりわかりませんので、ここでは記さずにおきます。
また、英訳では「エネルギーのようなものを与えられた」のように解していると思われる訳が比較的多いですが、長くなりますので例は6つだけにしておきます。ここでも前後のコンマ等は省略します。
ですがその一方で、かなりの訳は、この genährter を「押し寄せてくる」「襲いかかっている」「迫ってくる」「近づいてくる」といった感じで訳しています。しかしながら、genähert[er] でしたらnähern(近づく) の過去分詞になりますが、これは上記のとおり、nähren の過去分詞ですから、やはり「エネルギーのようなものを与えられた」といった意味になるのではないでしょうか。今の時点では私は、このように解するのが妥当と考えています。
けれども、そうは言いましても、nähren の過去分詞と解しますと、何によって nähren されているのか今一つはっきりしませんし、「押し寄せて」のようにした方がこの場の雰囲気には合いそうですから、あるいはもしかしましたら、原本の誤植かカフカの誤記という可能性も、ゼロではないかもしれません。私が調べた範囲では、ここが genäherter となっている本は見つかりませんでしたが、もしもそのような本をご存知の方がおられましたら、ぜひご教示下さいましたら幸いです。
なお、この genährter を仮に nähern(近づく) の過去分詞と考えた場合、もとの nähern を他動詞とみなすのか、再帰動詞とみなすのか、はたまた自動詞(として使われることはまれではありますが)とみなすのかという問題が起きてきますが、これを詳しく論じだしますと、お話が非常に長く、複雑になってきますので、この点は取りあえず棚上げとしておきます。
ただ1つだけ、記しておきますと、「押し寄せてくる」→「押し寄せている」という意味で言いたいのでしたら、過去分詞ではなく現在分詞を使って、wie ein großer, sich ihm von allen Seiten nähernder Trubel のように書くのが普通であるとは思います。
⑤so fest er Kopf und Beine an sich zog und den Leib bis an den Boden drückte の so は、少し難しいですが、「so+形容詞、あるいは副詞+主語+動詞」という構文で、「どれほど...でも」という感じの意味になります。ただし、ここでの原田訳のように、「...けれども」という感じで訳されることもあります。文中に auch や auch immer が慣用的に入ることが多いですが、絶対に必要ではありません。
なお、an sich zog は、直訳しますと、「...を自分(ここでは自分の胴体)に引き寄せて」となりますが、「...を縮めて」のように訳している訳も多く、ここではこれでも構わないと思います。
①の Sie räumten ihm sein Zimmer aus; nahmen ihm alles, was ihm lieb war; の部分を、原田訳のように体験話法的に訳している邦訳がかなりあります。たとえば川村訳では、「二人がかりで、この自分の部屋を空(あき)部屋に仕立てている。愛着のこもるものを何から何までさらって行く」と、はっきり体験話法として訳しています。ここの直前は、... , und er mußte sich, so fest er Kopf und Beine an sich zog und den Leib bis an den Boden drückte, unweigerlich sagen, daß er das Ganze nicht lange aushalten werde. となっていて、sich sagen が使われていますから、ここの延長のように考えたのではないかと思われます。
けれども、ここはグレーゴルにとっては確かに深刻な状況にはなっていますが、緊迫感がとても強いとまでは言えませんし、書き方もあまり体験話法らしくはありませんので、私は(中井訳などと同じく)体験話法とは考えなくてよいのではないかと思いました。ですがこれも、読者の好みで判断して構わないと思います。
②この den schon im Boden fest eingegrabenen Schreibtisch も難しいですね。邦訳でも英訳でも、いろいろに訳されています。
「床にしっかりとすえつけられた」とか「床にしっかりと根を張った」とかいった感じの邦訳や、... which(関係代名詞で、先行詞はthe writing desk) was fixed tight to the floor, ... (Ian Johnston 訳)、... that(同、先行詞は the desk) seemed to have taken root in the floor, ... (Hofmann 訳) という英訳もありますが、eingraben は「埋め込む」という意味(ここでは過去分詞で、かつ形容詞として使われていますから、「埋め込まれた」という感じの意味)ですから、このような訳にはちょっとなりにくいのではないかと私は思います。
また、「床にしっかり食い込んだ」とか「床にしっかりめり込んだ」とかいった感じの邦訳や、... , which(同、先行詞は the desk) was already firmly buried in the floor, ... (Robert Boettcher 訳) とか、... which(同、先行詞は the writing desk) had almost sunk into the floor, ... (Muir 訳) とか、... , which(同、先行詞は the desk) had already dug itself firmly into the floor, ... (Pelzer 訳) という英訳もあり、確かにこれらは eingegrabenen の意味をきちんと出してはいますが、具体的にどのような状況を言っているのかなと考えざるをえませんね。
ですから私は、次の2つを考えてみたのですが、いずれも難点があり、確信は持てませんでした。
〔1〕床を掘り込んでそこに家具などの下端部をはめ込み、倒れにくくしていた:しかし、今のところ、向こうではこのような習慣があるとかいった情報は得られませんでした。ご存知の方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです。
〔2〕この机が年月とともにその重みで床にめり込んでいた:しかし、いくら机が重いと言っても、ここまでになるとはちょっと考えにくいですね。
ところが英訳を見ているうちに、Charles Daudert 訳が ... which(関係代名詞で、先行詞はthe writing desk) was almost stuck in the carpet ... としているのを見つけ、これ(つまり絨毯〔じゅうたん〕にめり込んでいるということ)かなと思いました。彼の部屋には厚手の絨毯が敷かれていたようですから。もっとも、絶対にこれと断言することはできませんが、可能性としては一番ありそうな感じではありますね。
③Handelsakademiker はいろいろに訳されています。主な邦訳をあげておきますと、「商学部の学生」「商科大学生」「商科大学の学生」「商業学校のとき」「商業専門学校の学生」「商業高等学校の学生」「高等商業学校生」となっています。ですがこれは、当時の教育制度にかかわってくることでして、私の手には余りますし、語学的な解釈の違いというお話ではありませんから、商業関係の上級学校の学生ということさえ出ていれば、それでよいのではないかと思います。ただ、こうしたことを若干ご存知の方のお話では、今で言う大学生とはちょっとニュアンスが違っていたようです。
übrigens(im übrigen とも言います) のことは前々回(第16回)の連載でもお話ししましたが、辞書にはいろいろな訳語が出ており、どのように訳すか迷うことも少なくありません。ですが意味を大きく3つに分けますと、「ところで」「それに加えて」「その他の点では」のような感じになります。ここでは「[前のことに]さらに加えて」という感じの意味ではないかと、私は思います。
ここの übrigens に関しては、邦訳、英訳ともに実にいろいろに訳されています。しかし中には、上記のような übrigens の基本的な意味をわきまえずに、全く違う意味の語句を当てているものも少なくなく、どうかと思いました。
この gerade は「ちょうどそのとき」という感じの意味であり、彼が飛び出したのと母親と妹が休んでいたのが同時であることを言っているものと思われますが、やはり中井訳のように「そのとき」という言葉も入れた方が、よりわかりやすくなるのではないかと私は思います。
それで、この die Frauen stützten sich gerade im Nebenzimmer an den Schreibtisch, um ein wenig zu verschnaufen という文は、英訳では意外にもかなり多様に訳されており、the women were just leaning against the writing desk in the next room ... (Muir訳) のような感じで単に just を使っているものが多いのですが、はっきり just then としたり、接続詞の as や while を使ったり、the women happened to be leaning against the desk in the next room, ... (Underwood 訳) としたり、gerade を at the moment、at that moment、at that particular moment(これはちょっと言い過ぎかもしれませんが) と訳しているものもあります。
①前々項で出た übrigens と同義の im übrigen が出てきています。ここでは、「それ(=絵、または写真)のほかには」という意味ですね。
英訳では、訳出していないものも多いですが、訳出しているものはほぼすべて、otherwise としています。この場合には「そうでなければ(→絵、または写真がなければ)」という意味になりますから、im übrigen とはニュアンスが違っていますが、英訳としてはこれが一番無難で妥当かもしれませんね。
②この das Bild を「絵」と解釈するか「写真」と解釈するかは、従来から議論を呼んでいるようですが、第5回の私の連載でも検討しました。これも短いですので、ここにそのまま再記します。
das Bild を絵と解釈するか写真と解釈するかということは、頭木さんも連載でふれておられ、訳では「絵」としておられます。山下肇・萬里訳の『変身・断食芸人』(岩波文庫)のあとがきで、山下萬里さんが「居間の壁にはグレゴールの少尉時代の『写真』が掛けられており、これは Photographie が使われている」などと書いておられることによっています。もっとも、「写真」とするのが誤りとまでは言えませんが。
③この das ihn festhielt は、「[ガラスは]彼をしっかり支えていた」という感じで訳している訳がわりあい多いのですが、ちょっとニュアンスが違うかなと私は思います。
festhalten は「しっかり支えている」と言うよりもむしろ、「しっかりつかまえている」という感じの意味がメインですが、ここでは「つかまえている」はちょっと不自然ですので、「しっかり離さずにいる」「しっかりくっつけている」というニュアンスかと思われます。
英訳では、... , which(関係代名詞で、先行詞は the glass) held him fast(あるいは、firmly や tight) のような感じで直訳しているものが多いですが、そうでない訳もあります。
①この文は多くの邦訳が、体験話法として訳しています。直接話法にしますと、Dieses Bild wenigstens, das ich jetzt ganz verdecke, wird nun gewiß niemand wegnehmen. となります。ちなみに、未来形が体験話法になる場合には、たとえばここで言いますと、wird は wurde とはならずに würde となります。
②この nun がどのような意味で用いられているのかは、私にもよくわかりません。邦訳では訳出しているものは全然ないようですし、英訳でも now とだけしているものが少しある程度です。前の das Gregor jetzt ganz verdeckte の内容を受けて、「それだから」というニュアンスで言っているのかもしれませんし、「とにかく」という感じで、あとの gewiß を強めているのかもしれません。ですがここでは、あまり深い意味はなく、口調の関係で入れただけとも考えられますね。
①also はいろいろに訳せますが、ここでは相手を促すようなニュアンスですね。訳語としてはいろいろ考えられ、どれが正解ということはないと思います。ご参考までに、邦訳では、「さ」「さあ」「さあて」「さて」「じゃあ」「それじゃ」「それじゃあ」、英訳では、All right、So、Well、(文末にコンマのあとで)then としています。
②この jetzt を「次は」「次には」「(英訳で)next」と訳している訳が、案外多くあります。jetzt のもとの意味からしますと、やはり「今度は」の方が正確ですが、ここでは結局同じ意味になってきますので、これらの訳でも構わないと思います。
①この nur を訳出していない訳もありますが、「彼女が平静を保った理由は、母親がそばにいたということだけであった」というニュアンスですね。ですが、これを簡明に訳出するのは案外難しく、訳出していても不自然な訳になっているものも少なくありません。
原田訳は訳自体は良いと思いますが、「理由で」のあとに読点を入れませんと、「きっとただ母親がこの場にいるというだけの理由で」が「度を失わない」だけにかかっているようにも読めますね。
「それでも妹が平静を保てたのは、ひとえに母親がそばにいたからだったのだろう」などとしましたら一番感じが出ると思いますが、ちょっと説明的な訳でしょうか。
「母親がそばにいたからこそだろう」のように「こそ」を入れてある訳もいくつかあり、これですとそれほど長くはならずに、この nur のニュアンスを出せるかなとも思います。
②この allerdings ですが、訳出していないものは別としまして、邦訳では多くが「もちろん」という感じで訳しており、「ただし」という感じで訳しているものは4つしかありませんでした。しかし、英訳では逆に、ほとんどが「ただし」という感じで訳しており、「もちろん」という感じで訳しているものは2つしかありませんでした。
ここの前では、彼女が一応は平静を保っていて、母親に周囲を見せないようにしたりしていますから、ここでは「もちろん」ではなく「ただし」の方が合うのではないかと、私は思います。
①辞書によっては載せていないものもありますが、kommen の命令形の komm には、「さあ」「じゃあ」「ねえ」などのような、相手を促す意味があります。
邦訳の中には、原田訳のように文字どおり「いらっしゃい」と訳しているものもいくつかありますが、この場合にはそれでも間違いではないと思います。
②この noch の意味も、案外難しいですね。いずれも一部の辞書にしか出ていませんが、noch は lieber に近いニュアンスを持つこともあるようですし、「まず取りあえずは」という感じの意味になることもあるようですから、このどちらかかなとは思います。ここでは lieber という語自体が既に出てきていますから、「まず取りあえずは」という意味かもしれませんね。
邦訳では、どれも訳出していません。英訳では、for another minute とか、for just another moment とか、for one more moment としてこれらの句に noch の意味を含ませ、全体で「もう一度短い間だけ」のような感じの意味にしているものもありますが、この意味で言いたいのでしたら、noch は auf einen Augenblick の前にくるのが自然ではないかと、私は思います。
ここは典型的な体験話法であり、ほぼすべての邦訳がそのように訳しています。
ただ、①の Die Absicht Gretes war für Gregor klar は導入的な表現で、これもほぼすべての邦訳が、地の文として過去形に訳しています。中井訳だけはここも体験話法とみなして現在形で訳していますが、それでも間違いではないと思います。
体験話法の部分を直接話法にしますと、... , sie will die Mutter in Sicherheit bringen und dann mich von der Wand hinunterjagen. Nun, sie kann es ja immerhin versuchen! Ich sitze auf meinem Bild und gebe es nicht her. Lieber werde ich Grete ins Gesicht springen. となります。
②の Nun, sie konnte es ja immerhin versuchen! は難しく、Nun をどう解釈するかにより、ニュアンスが変わってきます。Nun を除いた部分を逐語訳的に訳しますと、「妹はともかくもやってみることはできるじゃないか(または、やってみたらいいじゃないか)」のようになろうかと思います。そのうえで、
〔1〕Nun を「さあ」という感じの強い挑発的な意味に解して、全体を「さあ、やれるものならやってみろ」などのように訳すか、
〔2〕今回の連載でもさきほど取り上げた「消極的な肯定を表す nun」に近い感じの意味に解して、「まあ、やりたければやったらいいじゃないか」などのように訳すかです。
邦訳でもこの点は分かれています。一方で英訳では、非常に多くが Well, just let her try! としています。just がなかったり、try の前に入っていたり、try のあとに it や that が入っているといったように、微妙に違っているものもありますが。それはともかく、間投詞として用いられる Well には、促しの意味は基本的にないようですから、ここではあとの just ともども、消極的な肯定のニュアンスを示していると考えられます。ですから、英訳者の多くは〔2〕のように解したのではないかと思われます。
私の考えでは、Nun, sie konnte es ja immerhin versuchen! だけではどちらかは判断できず、前後の内容から判断するしかないのではと思います。さらには、このあとで Lieber würde er Grete ins Gesicht springen. という、かなり強い内容の文が出ていますから、〔1〕のように解した方が自然ではないかとも思います。
①頭木さんも連載でふれておられますが、geblümten とありますから、グレーゴルの部屋の壁紙は花模様であったことがわかります。三原弟平先生は、「『変身』を劇化する人はだれも、グレゴールの部屋の壁はただの灰色の壁にするだろう」(『カフカ「変身」注釈』平凡社、p.171)と書いておられ、それに続けてさらに、「英訳では flowered と訳されているが、仏訳では訳されていない」という趣旨のことも書いておられます(岡上記:ただこれは、三原先生がこの当時にご覧になった訳だけのことを言っておられますね)。複数の英訳を見てみますと、大部分の英訳は flowered、flower-patterned、floral などと訳していますが、考えがあってのことでしょうか、on(または over) the wallpaper とだけしている訳も4つあります。仏訳に関しましては、私はフランス語は全然わかりませんので、参照することはできませんが、ご容赦下さい。
②この rauh の訳語はいろいろ考えられますが、「しわがれた」が一番無難かなと私は思います。ほかには「あらあら(荒々)しい」「かすれ気味の」「調子はずれの」「耳ざわりな」があります。「けたたましい」は、訳としては面白いですが、ちょっと感じが違いますね。「大へんな」「がさがさの」「むきだしの」もありますが、これらはちょっとどうかと思います。
英訳もわりにヴァリエーションが多く、harsh か hoarse が多いですが、cracked、high pitched raw、raucous、raw、 bone-tingling、rough、strident、shrill、terrible(最後の2つはちょっと意訳しすぎですが) もあります。
③この »Ach Gott, ach Gott!« を口にしている状況は、母親はグレーゴルの姿を見てやはりびっくりし、そしてこわがったということでしょうが、いろいろに訳せますね。このような感じが出てさえいれば、どの訳が正解とかベストとかいったことはないと、私は思います。
邦訳ではヴァリエーションがいろいろあって面白いですから、巻末の付録で一覧にしてみました。ご関心がおありでしたらご覧下さい。
英訳では、Oh God, oh God! か、Oh, God, oh, God! か、Oh God! Oh God! かOh, God! Oh, God! か、あるいはこれらのいずれかの God の前に my が入っているかに、ほぼ集約されます。これらとは違うものも少しだけありますが。英訳の方も巻末の付録で一覧にしました。
①この »Du, Gregor!« は、「あんた、グレーゴル兄さん、何てことをしてくれたの(実際にしたわけではありませんが、このような場合にはよく言われますね)」とか、「あんたのせいよ、グレーゴル兄さん」とかいったニュアンスで言われていると思われますが、前項の »Ach Gott, ach Gott!« と同じく、どの訳が正解とかベストとかいったことはないと思います。
邦訳では、「...ったら!」としている訳が多いです。また、前に「こら」「まあ」「もう」「ほら見なさい」「やだ」(あとの2つはちょっと違うような感じもしますが)と入れているものもあります。
英訳ではおおむね、単に Gregor! か、You, Gregor! か、You! Gregor! か、Gregor, you! か、Gregor, you ... のいずれかです。Gregor の前に You 以外の言葉を入れているものは少なく、Hey が3つと、Just wait と Ooh が1つずつだけです。しかし、Ooh はいいと思いますが、Hey は驚きを表しはするもののどちらかと言うと明るい感じの雰囲気が強いですし、Just wait もちょっと違うように思います。
②[mit] eindringlichen Blicken は、解釈が分かれるような箇所ではありませんが、いろいろに訳せますね。「刺すようなまなざしで兄を見て」という感じで訳すのが、原文には一番近いと私は思います。
ともあれ、①②ともに、そして、邦訳も英訳も、ヴァリエーションがいろいろあって面白いですから、ここも巻末の付録で一覧にしてみました。この文全体の訳として示してあります。
①と③の auch は特別な意味の auch ではなく、①は Gregor にかかっていて「グレーゴルも」、③は er にかかっていて「彼も」ということになると考えてよいと思います。
②の zur Rettung des Bildes war noch Zeit を体験話法と考えて、「絵を救い出す余裕はまだある」(高橋訳)のように訳している邦訳がかなりあります。私個人としましては、ごく短い表現ですし、著しく緊迫感のある表現とまでは言えませんから、体験話法と解さなくてもよいのではないかと思いますが、体験話法か否かを決める絶対的な基準はありませんから、読者の好みでよいのではないでしょうか。
これを体験話法と考えた場合には、直接話法にしますと、zur Rettung des Bildes ist noch Zeit となります。
①この umfloß ihn は、何でもないようでいて、考えだすと案外難しいです。直訳しますと原田訳のような感じで「彼のまわりに流れた」とか「彼のまわりを流れた」となりますが、薬品が彼に全くかからないで、彼の回りにだけ流れたということはちょっと考えにくいですね。ein eng die Figur umfließendes Kleid で「体をぴったり包んでいる洋服」といった使い方もありますので、ここではやはり、薬品が彼の体を取り巻くようにかかってしまっていて、しかも下に流れていたのではないかと思われます。池内先生は、おおむねは簡潔な訳をむねとしておられるのですが、ここに関しては、一番丁寧に訳しておられると思います。
②この nun は、邦訳、英訳ともに、訳出していないものが多いですし、訳出しているものでも、邦訳では「一方」「すると」「ところで」、英訳では文字どおり now か then としている程度です。ですが私としましては、「さて今」くらいの軽い意味に解してよいのではないかと思います。
③ohne sich länger aufzuhalten の訳は、原田訳のように訳しても、池内訳のようにあっさり訳しても構わないとは思いますが、länger は比較級になっていますから、このニュアンスを出そうとすれば、(原田訳をもとに修正しますと)「それ以上長くそこにとどまってはいないで」のようになりますね。
ちなみに、立川訳は「これ以上の長居は無用とばかり」、川村二郎訳は「もうそれ以上長居は無用とばかり」としており、原文を見事に生かした、上手な訳であると思いました。ただ、この状況で「長居は無用」と言うかどうかは、ちょっと微妙かもしれませんが。
①この nun も、前項で出た nun と同じく、「さて今」という感じの意味ではないかと私は思いますが、「かくして」「こうして」「これで」「そうして」などと訳している邦訳もかなりありますし、英訳でも、文字どおりの now のほかに、consequently、so、thus としているものもあります。ですが、要は今までの結果でこのようになっているわけですから、「さて今」も、「こうして」という感じの諸訳も、意味的には大きな違いがあるわけではなく、解釈の違いと言うほどのことでもないのではありませんでしょうか。
②この die Tür からここの終わりまでの文章も、多和田訳のように体験話法とみなしている訳と、原田訳のように普通の文とみなしている訳とに分かれています。また、過去形の訳と現在形の訳とが混在していて、どちらとみなしているのか明確でない訳もかなりあります。
ここは確かに深刻な状況ではありますが、ここも緊迫感という点でもう一つのように思いましたので、私は体験話法とは判断しませんでした。ですが、体験話法と考えるか否かは、ここも読者の好みでよろしいのではないかと思います。
ここを体験話法と考えた場合には、直接話法にしますと、die Tür darf ich nicht öffnen, will ich die Schwester, die bei der Mutter bleiben muß, nicht verjagen; ich habe jetzt nichts zu tun, als zu warten; となります。
最後になりましたが、英訳に関したいくつかの点につきまして、今回も高知市のエヴァグリーン英会話スクールの菊池春樹先生にご教示をいただきました。記して感謝いたします。ただ、英訳についての説明も、最終的にはすべて私の判断で記しましたので、責任は私にあります。ご意見がおありの方がおられましたら、私宛にお寄せ下さいましたら幸いに存じます。
付録
〔1〕»Ach Gott, ach Gott!« の邦訳と英訳の一覧
「助けてえ、助けてえ」(高橋義孝訳)
「ああ!......ああ、神さま!」(中井正文訳)
「きゃあッ、くわばら、くわばら」(山下肇〔はじめ〕訳)
「ああ、ああ!」(原田義人〔よしと〕訳)
「あれまあ、あれまあ!」(辻瑆〔ひかる〕訳)
「ああ、ああ!」(高本研一訳)
(引用符なしで)きゃっ(高安国世訳)
「ああ、ああ!」(逐語訳の箇所では「あら、あら!」)(菊池武弘訳)
「ああ、どうしよう、ああ、どうしよう」(川崎芳隆訳)
「ああ、ああ!」(城山良彦訳)
「キャー、助けて」(片岡啓治訳)
「ああ、どうしよう、どうしよう!」(立川〔たつかわ〕洋三訳)「ひゃあ、助けて!」(種村季弘〔すえひろ〕訳)
「あれえ、あれえ」(川村二郎訳)
『あれェー、あれェー』(ナボコフ、野島秀勝訳)
「あれーっ、助けて!」(三原弟平〔おとひら〕訳)
「ああ、何てこと、ああ、何てこと!」(池内紀〔おさむ〕訳)「キャア、神様、助けて!」(山下肇・萬里〔ばんり〕訳)
「おおっ、助けて!」(丘沢静也〔しずや〕訳)
「あれえ助けて、あれえ助けて!」(浅井健二郎訳)
「ああ、神様! ああ、神様!」(野村廣之訳)
「神様、神様!」(真鍋宏史訳)
「あああ神様、あああ神様」(多和田葉子訳)
「ああ、ああ!」(田中一郎訳)
「ああ堪忍(かんにん)、堪忍して!」(川島隆訳)
“O God! O God!” (A. L. Lloyd 訳)
“Good God! Good God!” (Eugene Jolas 訳)
“Oh God, oh God!” (Willa & Edwin Muir 訳)
“Oh, God, oh, God!” (Stanley Corngold 訳)
‘Oh God, oh God!’ (Vladimir Nabokov 訳)
‘Oh God, oh God!’ (J. A. Underwood 訳)
‘Oh God, oh God!’ (Malcolm Pasley 訳)
“Oh God, oh God!” (Joachim Neugroschel 訳)
“Oh God, oh God!” (Karen Reppin 訳)
“Oh God! Oh God!” (Donna Freed 訳)
“Oh, God, oh, God!” (Stanley Appelbaum 訳)
‘Oh God, oh God’ (本によっては “Oh God, oh God”) (Ian Johnston 訳)
“Oh God, oh God!” (David Wyllie 訳)
‘Oh God, oh God!’ (Richard Stokes 訳)
“Oh, God, oh, God!” (M. A. Roberts 訳)
‘Oh my God, oh my God!’ (Michael Hofmann 訳)
‘O God! O God!’ (Will Aaltonen 訳)
‘Oh, my God! Oh, my God!’ (Joyce Crick 訳)
“Oh, God, oh God!”(Charles Daudert 訳)
‘Oh God! Oh God!’ (John R. Williams 訳)
“Oh God, oh God!” (C. Wade Naney 訳)
“Oh God, oh God!” (Susan Bernofsky 訳)
“My God! Oh my God!” (Christopher Moncrieff 訳)
“Oh God, oh God!” (Katja Pelzer 訳)
“Oh, my God! Oh, my God!” (Peter Wortsman 訳)
“Oh my God, oh my God!” (Mary Fox 訳)
“Oh, God, oh, God!” (Philipp Strazny 訳)
“Oh God, oh God!” (Christopher Drizzen 訳)
“Alas, you God, alas, you God!” (Miqhael-M. Khesapeake 訳)
“Oh, God, oh, God!” (Robert Boettcher 訳)
〔2〕»Du, Gregor!« rief die Schwester mit erhobener Faust und eindringlichen Blicken の邦訳と英訳の一覧
特に »Du, Gregor!« と eindringlichen Blicken の部分の訳にご注目下さい。
邦訳では、rief を訳出していないものがいくつかあり――この場合はそれでも問題はないと思います――、これらは私の書き漏らしではありませんので念のために。
また、頭木さんや私の連載を途中からお読み下さっている方々のために記しておきますと、Gregor の邦訳は「グレゴール」と「グレーゴル」のおおむね2通り――例外として、菊池訳では「グレーゴア」、古い中井訳では「グレゴオル」――があり、どちらも間違いではありません。ご参考までに、ここで「グレゴール」や「グレーゴル」と記していない訳が、ほかの箇所では Gregor をどう訳しているかを示しておきますと、野村訳では「グレーゴル」、山下肇・萬里訳、真鍋訳では「グレゴール」と訳しています。さらには、部分訳や抄訳のため、ここにはあげていない訳に関しては、種村訳、神品(こうしな)友子訳、酒寄(さかより)進一訳では「グレゴール」、須田諭一訳では「グレーゴル」と訳しています。なお、高橋訳は城山訳と同様に、古い訳では「グレゴール」でしたが、のちに「グレーゴル」に変更しています。
妹は「兄さんったら」と拳固(げんこ)を振りあげてグレーゴルをにらみつけた。(高橋訳)
「まあ、あんた、グレゴールったら!」
握りこぶしをふりあげ、鋭い視線を投げつけて、妹がそう大声で叫んだ。(中井訳)
「まあ、グレゴールったら!」と妹は叫びながら握りこぶしをふりあげて、彼を睨(にら)みつけた。(山下肇訳)
「グレゴールったら!」と、妹は拳(こぶし)を振り上げ、はげしい眼つきで叫んだ。(原田訳)
「まあ、グレゴールったら!」と妹はこぶしをあげて、にらみつけながら叫んだ。(辻訳)
「グレーゴルったら!」と妹は拳をふり上げ、けわしい目つきで叫んだ。(高本訳)
「ほら見なさい、グレーゴル!」と妹はこぶしをふり上げて叫び、きっとグレーゴルの方を見すえた。(高安訳)
「まあ、グレーゴア!」と、妹はこぶしを振りあげて、鋭い目でにらんで叫んだ。(菊池訳)
「まあ、グレゴールったら!」と妹はそう叫び、こぶしを振りあげて、刺すような目でにらみつけた。(川崎訳)
「グレゴール(のちの訳では:グレーゴル)ったら!」と、拳を振りあげ、にらみつけながら、妹は叫んだ。(城山訳)
「グレゴールったら!」と妹は叫んで、拳をふりあげて、すごい目でにらみつけた。(片岡訳)
「まあ、お兄さんったら!」と、妹が拳をふりあげ、グレーゴルをにらみつけながら叫んだ。(立川訳)
(種村訳は抄訳であり、ここは訳出されていません)
「グレーゴル!」と妹は拳を振り上げて叫んだ。食い入るような眼つきをしていた。(川村訳)
『グレゴール!』と、妹が拳をふりあげ、彼をにらみつけた。(ナボコフ、野島訳)
妹はこぶしを振りあげ、つき刺すような眼(まな)ざしをして、「グレゴールったら!」と叫んだ。(三原訳)
「グレーゴル、あんたのせいよ!」
妹が拳を振り上げ、刺すような目でにらみつけた。(池内訳)
「まあ、兄さんったら!」と妹は握りこぶしをふりあげ、にらみつけながらさけんだ。(山下肇・萬里訳)
「やだ、グレーゴル!」と叫んで、妹はこぶしをふりあげ、ぐっとにらみつけた。(丘沢訳)
「もう、グレーゴル!」と妹は拳を振り上げ、強く訴えかけるような目付きをして叫んだ。(浅井訳)
「こら、兄さん!」と妹は、拳を振り上げ、挑むような眼差しをして叫んだ。(野村訳)
「もう、兄さん!」妹は拳を振り上げ、突き刺すような目つきで叫んだ。(真鍋訳)
「グレゴール、あんたったら!」と妹は拳骨(げんこつ)を振り上げて、食い入るような視線を向けて叫んだ。(多和田訳)
「こら! グレゴール!」妹はこぶしを振り上げ、にらみつけるような眼差しを送った。(田中訳)
「もう、グレゴール兄さん!」と妹は、拳を握ってふり上げ、にらみながら叫んだ。(川島訳)
英訳で、with raised fist、あるいは with uplifted fist としているものがありますが、fist は複数の辞書で確認したところでは可算名詞ですので、with a raised fist、あるいは with an uplifted fist とした方が正確ではないかと思われます。
“You, Gregor!” cried the sister, raising her fist and piercing Gregor with a look. (Lloyd 訳)
“You, Gregor?” cried his sister, with raised fist and devastating eyes. (Jolas 訳)
“Gregor”(本によっては “Gregor!”) cried his sister, shaking her fist and glaring at him. (Muir 訳)
“You, Gregor!” cried his sister with raised fist and piercing eyes. (Corngold 訳)
‘Gregor!’ cried his sister, shaking her fist and glaring at him. (Nabokov 訳)
‘Gregory!’ cried his sister, shaking her fist and glaring at him. (Underwood 訳)
‘You! Gregor!’ cried his sister, raising her fist and glaring at him, (Pasley 訳)
“Hey, Gregor!” the sister shouted with a raised fist and a penetrating glare. (Neugroschel 訳)
“You! Gregor!” cried his sister with a raised fist, glaring at him. (Reppin 訳)
“Gregor, you!” yelled the sister, glaring fiercely and raising her fist. (Freed 訳)
“Just wait, Gregor!” called the sister with raised fist and piercing glances. (Appelbaum 訳)
‘Gregor, you ... ,’(本によっては “Gregor, you ...”) cried out his sister with a raised fist and an urgent glare. (Johnston 訳)
“Gregor!” shouted his sister, glowering at him and shaking her fist. (Wyllie 訳)
‘You, Gregor!’ cried his sister with raised fist and piercing eyes. (Stokes 訳)
“Gregor, you ...” cried the sister as she raised her fist and shot him an intense glare. (Roberts 訳)
‘Ooh, Gregor!’ cried his sister, brandishing her fist and glowering at him. (Hofmann 訳)
‘You ― Gregor!’ Grete cried, raising her fist and shooting him a withering look. (Aaltonen 訳)
‘Gregor!’ his sister called, raising her fist with a compelling look. (Crick 訳)
“―You, Gregor!” his sister cried out with raised fist and a threatening look. (Daudert 訳)
‘Gregor, you ...’ cried his sister, glaring at him and raising her fist. (Williams 訳)
“You, Gregor!” cried his sister, with raised fist and haunted eyes. (Naney 訳)
“Gregor!” his sister shouted, raising her fist with a threatening glower. (Bernofsky 訳)
“Gregor, you! ...” screamed his sister, waving her fist and shooting him a furious glance. (Moncrieff 訳)
“Gregor!” shouted his sister with a raised fist and stern expression. (Pelzer 訳)
“Hey, Gregor!”, his sister cried out with a raised fist and a piercing look. (Wortsman 訳)
“Hey, Gregor!”, his sister yelled as she rose her fist and flashed her eyes. (Fox 訳)
“You, Gregor!” the sister shouted with raised fist and piercing eyes. (Strazny 訳)
“You, Gregor!” cried the sister with a raised fist and insistent looks. (Drizzen 訳)
“Gregor, you ... !” his sister shouted, with a raised fist at him and a piercing glare in her eyes. (Khesapeake 訳)
“You, Gregor!” cried the sister, with uplifted fist and penetrating looks. (Boettcher 訳)
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