大山鶏の上書き保存
(本業専念中につき本日は番外編の思い出話です)
大学に入ったばかりの頃、テーマ系居酒屋が流行っていました。監獄だったりキリスト教だったりと、今思えば何が面白いのかさっぱり分からないそれらのテーマ系居酒屋が大好きだった私は、その中のひとつでバイトをすることにしました。
そのお店の名物は大山鶏を使ったお料理でした。私は店員として鳥取のブランド鶏を使ったその料理をアピールするようにしつこく教育されていました。
大山鶏を「だいせんどり」と読むことも、鳥取のブランド鶏だという事も初めて知りましたが、若くて素直で真面目だった私は、全てのメニューとそれらのアピールポイントは隅から隅まで暗記していました。(何故そんなに必死に頑張っていたのかは今でもわかりません)
ある日、お客様が「大山鶏はモモ肉ですか?」と私に尋ねました。答えに困った私はインカムで「大山鶏ってどこの部位ですか?」と誰かに助けを求めたところ、それが店長の逆鱗に触れたようでした。彼はインカムの向こうの阿呆な店員が、大山鶏がどこの地域の鶏かを今更確認していると勘違いしたのです。
店長は「今言ったの誰や?」とインカムの向こうから凄んできました。
私は冷静に「いや部位の話です。ムネですか?モモですか?」とインカム越しに言い返しました。
すると店長は小さい声で「…ムネ」と答えました。
しばらくして、店長は突然居酒屋に来なくなりました。住んでいた部屋ももぬけの殻で、退職する連絡もなく、夜逃げのように田舎に帰ったと、後になって分かりました。
私は店長がいなくなってしまったその居酒屋に、何となく愛着をもてなくなり、頑張る気持ちも萎え、後を追うように私もバイトを辞めてしまいました。
すごく小さな取るに足らない出来事なのですが、これが私にとっての分岐点でした。あの時、頑張り続けられなかった結果、アメリカで出前をやっている今に繋がってると何故か感じます。
日本のニュースなどで大山鶏の話題を見かけるたびに、必ずこの居酒屋と店長のことを思い出します。この思い出もそろそろ別の何かで上書きされてもいいなと思うほどには月日が流れましたが、きっといつまでも思い出すんだと思います。
大山鶏と忘れ得ぬ人。
その居酒屋はまだ同じ場所にあるようです。
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