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E90: 自己紹介風エッセイ3


自己紹介というのは、皆さんの前でフルヌードになっているような恥ずかしさを覚えます。うっすら腹筋が割れていた35年前なら、それなりに自信があったのですが、今のお腹は恥ずかしくて仕方がありません。見ないで!

…え? 何の話でしたっけ?


では続きを。
このシリーズは今日で終わります。長々とすみません。

私が若い頃、世の中には「マザコン、ファザコン」なる言葉が流行っておりました。父や母とべったりである人を批判するような風潮がありました。

そういう流れで言うと、私は「精神的ババコン(グラマザコン?)」だったと思います。祖母…私のデビュー記事E1に出てくる、その人です。
一緒に住んでいるわけでもなかったので、ベタベタと甘えているわけではありませんが、何かにつけ祖母に意見を求めることが多かったと思います。私の生育歴において、また社会人になってからも、精神的に大きな支えでした。



ですから、まあ、亡くなったときの喪失感というのは、自分でも驚くほど大きいものでした。いなくなってしまいましたが、私のnoteの中で、祖母は元気に笑っております。いろんな感覚を研ぎすませば、祖母を感じることができるような気もします。


私が社会人としてどん底だった頃、世の中には、少しずつSNSというものが出回り始めました。

私は某SNSで、嬉しいことも、悲しいことも、腹立たしいことも、ぞっとすることも、一応一通り経験しましたので、noteに対する向き合い方は、ある程度決めています。マイルールみたいなものですかね。

言葉と向き合って生きてきましたが、それでもわからないことだらけです。至らないことだらけです。
いつになったら、もっとスマートな言葉の使い手になれるのか…。ただ、これは一生かけてする修行なのかもしれません。

うちのツレに
「なんで俺を選んだの?」と聞いたことがあります。
その答えは
「源ちゃんが死ぬ前に、病院のベッドで手を握りながら教えてあげる」のだそうです。

……あらら、俺が先に死ぬの、既定路線なのねー。

ただ、「初対面」と「2回目」の間に数ヶ月の時間があるのですが、その間に、当時SNS上にある私の文章(現在は存在しません)を隅から隅までチェックしたようです。読んだうえで今に至っているので、まぁ、それが答えなのかも…。と解釈しているんですけど。

「文章書いてたら、
 おかぐちや源太が、
 人生のパートナーに、
 出会ったーー!」

脳内再生される方、世界ウルルンの下條アトムさんの声でお願いします。
(若い人わかんないだろうなぁ。ごめんね)

長ーい自己紹介にお付き合いいただいて、ありがとうございました。このシリーズは今日で終わりです。

また詩のような、つぶやきのような、そんないつものエッセイを、明日から始めます。

【66日  の 5日目】

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