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E127: えんどう豆虐待?

今日は42日目です

お風呂洗っておいてね
お米といでおいてね
新聞取ってきてね
買い物してきてね
洗い物しておいてね

小学生の頃、ありとあらゆる「お手伝い」をしたものである。
我が家(実家)では、お手伝いをするのは当たり前であって、そんな事で報酬はもらえないのである。

私自身も、お手伝いは当たり前だと思っていたので、特に不満に思う事はなかった。

ただ1つのお手伝いを除いては…。

私が全力で拒否したかったお手伝い、それは

「えんどう豆を房から取り出すこと」


実はこの文章を書きながらも、吐き気をもよおしそうになる。

私は、食べ物の中で
えんどう豆が、とにかく嫌いである。

あんなものを卵でとじたら
ニワトリさんに失礼だと思うし、

あんなものを焼売の上に乗せる人間の 
神経がよくわからない。
{崎陽軒のシウマイは好きである)

最近は減ってきたが
時々中華料理屋のチャーハンに入っていたりする
普段は、温厚な私が
カウンターをひっくり返したくなる。
そもそもカウンターはひっくり返らないけど…。

話を戻そう。

そんな世界一嫌いな食べ物の
「豆を房から取り出す」という
地獄のお手伝いが、

年に数回あった。

母の大好物、そして私の大嫌いなもの。
「えんどう豆ご飯」を作るために。

母は、自分が好きなものは息子も好きでいてほしい、という息子からするとはなはだ迷惑な思いを持っていた。


考えてもみてほしい。
自分が嫌いなものが食卓にのるだけでもテンションが下がるのに、その料理過程を手伝えと言う…。
そんな地獄がどこにあるだろう…。

もしこれが、餃子の皮であんを包む作業なら、
私は嬉々として手伝う。いくらでも…永遠に…


どんなに地獄の手伝いを重ねても
私がえんどう豆ご飯を好きになるわけではなかった。

房から取り出したときの、あのなんとも青臭い匂いが、私にはもうトラウマにしかならなかった。

もしそれを拒否すれば…。
昭和の我が家に、私の食事は無い。

母は、自分が食べられないものが多かったから、
父から厳しく言われていたそうだ。
「息子を偏食にしてはいけない」と。
その教育方針は、私にもわかる。 
確かに、偏食はいけない。

だが、私はえんどう豆が嫌いなだけだ。
偏食家ではない。 
何でもかんでも嫌いだと言っているわけではない。
にんじんだって、ピーマンだって、ブロッコリーだってなんでも野菜は食べてきたのである。

母は私のえんどう豆嫌いを躍起になって直そうとした。
その結果……見るのも嫌になった。

今でも苦手なものはいくつかあるが、
頑張れば食べることができる。

ただ、えずきながら手伝いをして
泣きながら食べたえんどう豆だけは
今でも、頑張っても、やっぱり好きになれない。


私はある種の恨みを込めて
当時のお手伝いを

「えんどう豆虐待」
と呼んでいる。

母は
「何よ、虐待やなんて!失礼ねぇ!」
と笑うが、私の目は笑っていない。

「頑張って食べないと大きくなれないよ!」なんて言われたが、

今の私は、もう大きくなる必要がない。
私も年に数回しか実家に帰らなくなったから、
実家では私の好きなものしか並ばなくなった。

母の言いつけを守り、頑張って食べたことによって、
確かに、身体は大きくなったが
縦ではなく、今では横に伸びてしまった…。
ただし、これは母のせいではなく、
完全に私のせいだが…


ただ、あの頃、頑張って食べた私に、
1つだけ、神様がご褒美をくれた。


なんという偶然だろう。
ツレもまた、
えんどう豆が大嫌いなのであった。

ああ、神様、仏様 
この幸運に心より感謝申し上げます🥺

これまで100本以上、エッセイを書いてきたが、
何度も「えずきながら」書いたのは初めてである。


※みんなのフォトに「えんどう豆ご飯」がいくつかありまして、一瞬使おうと思ったのですが、たぶんその方は、豆ご飯が大好きなのだと思います。もし私がこの記事内容でヘッダーに使ってしまったら、その方をがっかりさせてしまい、大変失礼な状態になってしまう気がしたので、やめました。
今回のヘッダーは「嫌いな食べ物」というカテゴリーの中から絵を選ばせていただきました 笑

※それから最後に、もし、えんどう豆生産者の方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。あなたの仕事を否定しているわけではありません。私の問題でございます。どうか数々の放言をお許しください。

【66日ライラン  42日目】

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