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長編読書会『源氏物語』[1]

読書会"猫町倶楽部"に参加するようになって約2年、その中でも長編読書会はどれも参加して良かった。高校生の頃に読んで面白かった『アンナ・カレーニナ』は、”死ぬまでに読み返すことはあるまい”と諦めていたが新訳で読むことができた。小学生の頃に『ドリトル先生と秘密の湖』を読んでチャレンジし秒殺された『旧約聖書』もおっつかっつではあるが読み通せた。しかも『新約聖書』まで。聖書を読み通したという満足感は高い。しかも、小説や映画のちょっとしたエピソードに『旧約聖書』や『新訳聖書』のエピソードを以前より重ねることができるようになった。読書や映画を観る楽しみが増えたような気がする。

『平家物語』も”死ぬまでに読むことはあるまい”と思っていたが、無事に読了することができた。『平家物語』は古川日出男訳で読んだが、とても面白かった。

なので、今回の『源氏物語』と今後予定されているという『カラマーゾフの兄弟』によって、読まないで死ぬのかシリーズの宿題がさらに果たせるような気持ちがし、すごくワクワクしている。


高校のときの国語の先生は「自分の専門は源氏物語です」と話す人だった。そして、古文は1年間で源氏物語と百人一首しかやらなかったような記憶がある。しかし、どちらも授業の内容の記憶がほとんどない。本当に申し訳ない気持ちだ。

覚えているのは、"桐壺" "雨夜の品定め" "若紫"ぐらいだろうか。たしか1年で明石ぐらいまでしか行かなかったような気がする。古文自体よりも、"頭中将"や"六条の君"、"明石入道"のキャラの印象だけが記憶にぼんやりと残っている。明石にある事業所に勤務することになり、引越しの話を八尾の人すると「須磨より西は田舎やでぇ~」と言われた。そのときも明石入道のことを思い出した。


今回の長編読書会、林望訳で読み始めた。

『桐壺』は、「おお、これはラノベか! 『無職転生』×『悪役令嬢』か!」と思って楽しく読めた。しかし『帚木』では一転、「え、この頭中将の"浮世床"みたいな口調、ウザ」と、かなり苦しくなった。頭中将のことを高校生の頃はもっとナイスガイだと思っていたのに???だ。

その後、角野光代訳で読んでみると、"雨夜の品定め"はもう少しふわっと描かれていて、たぶん、私にはそちらの方が読みやすいかもしれない。『平家物語』のときは古川日出男訳でいいじゃんと思っていたので迷う。

そんなことを最初の読書会のときにチラリとすると、「そもそも帚木は飛ばす」(意訳です)というコメントがあり、a系・b系(紫上系・玉鬘系)の話に展開し、「好きなのは宇治十帖(d系)」という話になり、私の中での『源氏物語』読了へのモチベーションが爆上がりした。長編読書会ではネタバレの話がときどき話題になるが、私自身は”古典にネタバレはなかろう”派なので、先の話との関係を語られてもほとんど気にならない。構造的に先を読む楽しみにつながるようにさえ思う。

特にa系・b系の話では「a系だけ先に読むといいかも」というサジェスチョンに納得だ。私はかなりラノベ脳なので「ああ、なるほどb系は"外伝"ね。そりゃ、後から読む方が楽しいわ」となるのだ。

ダメな高校生だった私は、古文に関連する古典をまったくと言ってよいほど読んでいないため、読み進めるためには自分と作品との関係の中にどこか《とっかかり》が必要なのだ。ひっくり返った黄金虫がツルツルの机の上では起き上がれず、置いてある紙の端をひっかりとして初めて起き上がれるのに似ている。古典に対する《アフォーダンス》(環境が動物に対して与える「意味」、環境に実在する動物(有機体)がその生活する環境を探索することによって獲得することができる意味/価値である)が必要なのだ。

思い返すと高校のときの「源氏物語」の記憶は"キャラ読み"だったような気もする。読書会でも、「娘の名前をつけるならどれにする」、「男性キャラでの推しは誰」という話(意訳)になり、私の中の読了モチベーションがさらに上がった。実は林望訳の『帚木』でモチベーションが一瞬下がってしまっていたので大感謝だ。

『桐壺』や『帚木』における伏線や、"当時の人だと楽しめるかもしれない部分"の話もでて、しかも、そんな話をしているうちに、「林望訳の『桐壺』『帚木』の落差が"わざと”だとすればもしかしてそれはそれでありかも・・・」という気持ちになってくる。

そういえば、「大石静の脚本って面白い」と思ったのもNHKの朝の連ドラ『ふたりっ子』で、真田広之の不倫報道で揺れる最中、手塚理美も役中で、神戸のお嬢様だったのに駆け落ちして結婚した豆腐屋の主人役の段田安則が、手塚理美という妻と双子の子どもを捨てて演歌歌手のオーロラ輝子と逃げてしまうというシーンが描かれ、それをドキドキしながら観ていたことを思い出す。

あれ、なんの話をしているのかわからなくなってしまった。要は、今回の読書会に参加して、私の中での読了モチベーションは爆上がりしたということが言いたかったのだ。

次回の部分を、林望訳で読むか角田光代訳で読むかは、まだちょっと迷っている。

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