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刺繍少年フォーエバー

目黒区美術館で開催中の『青山悟 刺繍少年フォーエバー』を観た。

青山氏は工業用ミシンを用いて作品を作っている。作業机とミシンも展示してあった。ビデオで流していた製作風景と同じ机、同じミシンのようだ。

ITの世界にどっぷりと浸り、すべては《仮想》で良いのではないかとさえ思っている私には、青山氏が《刺繍》《手作業》にこだわっているところが面白かった。

アンケートの文字も《刺繍》だったのか。

絵はがきがぶら下がるように展示してある。もうすこしオシャレな展示でもよいのにというほどにぶっきらぼうにさげてある。私は形式こそすべてだと思いすぎていたのかもしれない。

2階の展示会場に上がる踊り場にも、飛行機と飛行機からの噴煙に文字が描かれたものが吊されていた。東京オリンピックのときのブルーインパルスらしい。紙に《刺繍》? 不思議な気持ちだ。

そのとき、時はどんな風に動いていたのだろう。

へ~、こんなものにも《刺繍》ってしていいんだ。既成概念とか、当たり前ってなんだったのだろうと思わされる。

朝焼けが美しい。実際の刺繍は本当に細かい。小さな街のあかりが、いつかみた記憶の中の徹夜明けのあのときのようだ。

そうそう、東京の小学校や中学校の校庭ってこんな感じだったよ。私の中の記憶と重なる。

"Just a Piece of Fablic"ってタイトルが可笑しい。まぁ、そうだよね。お金を作っちゃ怒られちゃうものね。作っちゃってるけれど。

蛍光もあるんだ。展示の地図は暗くなると国境が浮かび上がった。

300年後、もしかすると20世紀後半から21世紀前半は記録のない時代と言われるかもしれない。そんな話を会社の先輩とかつてした。記録媒体に保存された資料やデジタルツールで記録されたものは読み出し装置が失われてしまえば、もう存在しなくなってしまう。我が家の結婚式のあのビデオとかも、形はあるのにもう観ることができない。記憶の中だけになっていく。

記憶と記録。手作業と工業。生活の記録とか、そういったものも失われていくんだなぁ。レシートが懐かしく思い出される日がくるのだろうか。

踊り場の2機のブルーインパルスは、ガラスに映って4機になっていた。

【青山悟 刺繍少年フォーエバー:List_of_exhibition】

https://mmat.jp/static/file/exhibition/2024/list_of_exhibition_aoyama.pdf

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。