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「ゼミ&会議でうまくしゃべれないという悩みのために」:第六回 まずは「つなぎコメント」からでいいからやってみる。

<とにかく「つなぎコメント」でもいいからやってみる>
 大学に入って、議論の場に遭遇して「コメントしてごらんなさい」と言われ、途方に暮れている学生諸君、そういうことをスキップして社会人になってしまったみなさんは、まずは一つの事を出来るようにすることで、スタートを切れます。それはとにかく「お通夜状況」に陥らないようにすることです。
 何度も強調してきましたように、立派なことは言わなくてよいのですから、お地蔵さんのようになる、あるいはそう決め込む、そうやってやり過ごそうとすることをまず止めることです。
 この習慣からちょっとだけ自由になれれば、今後の知的世界において楽しさ、ポジティブな喜びを得られると思います。なぜならば、以心伝心がかろうじて許される愛の共同体(家族など)ではない、言葉以外にお互いの意思を確認できない世界にあっては、原則としては、声帯を震わせることなく沈黙していると、「居ない人」あるいは「病気で調子が悪い人」にされてしまうからです(「いろいろお考えがあって、必ずしもそれを口に出せない方もいらっしゃると思いますが」などと助け舟を出してくれるのは、この島国だけです。そして、そういう曖昧さが「みんなを不幸にする忖度」を作り出すのです)。


岡田「君は、この90分の間ずっとノーコメントだけど、来週も授業に来るの?もし辛くて苦しいなら、また来年履修すればいいからさ」。
学生「・・・ちょっちょっと待ってください。え?名簿抹消ですか?」。
岡田「コメントが全く無かったから、授業が苦痛なのかなと思ってさ」。
学生「え?しゃべらないとクビですか?」。
岡田「ん?クビって言うか、そのつまり、黙っていて何の意思表示もないので勉強を継続する気が無いのかなって・・・」。
学生「いやっ、ああります!ありますよ。ちゃんとやりますよ!」
岡田「でもお地蔵さんにどんな意志があるんだろうと思っちゃうんだよ」。
学生「え?俺ってお地蔵さんなんすか?」。
岡田「何も言わないでしょう?」。
学生「それだと駄目なんすか?」。
岡田「ダメとかいう段階以前に、居ないのと同じだし、もしかして体調が悪いのかな、とか思っちゃうからね」。
学生「(焦って)どうしたらいいんですか?」
岡田「何か言えばいいのよ。声帯を振るわせてよ。それだけ」
学生「え?それだけでいいんすか?」
岡田「うん、それだけでいいの。生存確認もできるしw」

 私がここで言いたいことは、お地蔵さんから人間になりなさいということです。そして、コメントって言われても・・・と途方に暮れる姿があまりに不憫なので、コメントといっても大学の教室で飛び交うものは、大体5~6種類しかありませんよと助け舟を出しているわけです。かつ中身のないことを言ってしまう可能性があっても、つなぎや自分のための時間稼ぎのようなコメントでも良いのだと言っているのです。
 黙って座っているのは大人しくて手のかからない従順な良い子だとされるのは18歳までです。そこを過ぎると、世界は一変して「病人か幽霊がいる」ことになってしまうのです。実にもったいない。
 かつて書いた本の中で、私は「考えがまとまってから何かを言おうとすると、永遠にものが言えません」と指摘しました(『言葉が足りないとサルになる』、亜紀書房)。そして、とにかく出だしからエイヤッと言葉を使って話し始めると、自分の中に眠っていたいろんな考えが浮上してくるから、話し始めて考えればいいともいいました。心のもやもやに言葉を当てはめるんじゃない、言葉を使って心にある考えをはっきりさせて、引き出すんだといいました。言葉と心の順番を逆にしろと言うことです。
 何でもいいから声帯を震わせれば何とかなるのです。もちろんそれですべてがうまくいくとは言いません。しかし、この苦手な場をやり過ごそうと、例の、あの、いつもの「自分、まだ考えとかまとまってないんでぇ・・・」という定番に逃避すると、みなさんの眠っている考えも素晴らしいセンスもずっと引出されません。

 断言します。「そうですねぇ、◯◯って、◯◯◯◯だって思ってるんですけど、それでわかりますかね?」くらいでいいから、肩の力をぬいて「つなぎコメント」をしてみてください。人生は一変します。

本当です。

とりあえず、ここで一度終了します。
別項目でまた連続投稿する予定です。

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