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チアガールの隣で


#高校野球の思い出

五十嵐が一塁ベースに必死になって飛び込み、泥だらけになりながら審判へと視線を移す。

一塁塁審は右手を上げコールする

アウト!ゲームセット!

一塁ベースを枕にしながら中々立ち上がれない五十嵐。

見かねた3年生が抱きかかえるようにして整列をする。

本来ならば真っ先に出て行ってオレが五十嵐を並ばせるのに。

目の前には金網がある。

流れたのはいつも聴いているイントロではなく、相手校の校歌だった。

夏が終わった・・・。

俺と五十嵐は中学からとても仲が良く、キャッチボールもいつもペアを組み、登下校も一緒にしている。

中学では五十嵐がショート、オレがセカンドで二遊間を守った。

県大会でもベスト16に入り、同じ高校で甲子園を目指そうと誓い合っていた。

五十嵐は県内の強豪校から特待生としてスカウトが来ていたが、残念ながら俺には同じ高校の特待生の話は来なかった。

良くて県立高校でそこそこ強いところでの推薦がいいところだ。

しかし、本気で甲子園を目指す為には五十嵐と同じ高校に行かなきゃ無理だ。

親や先生、監督には猛反対された。野球だけが人生じゃない。

将来を考えて高校には進んでほしいとの事だ。

そりゃそうだ。私立で一般で野球をやるなんて金がかかる。

貧乏ではないが、決して裕福ではない家庭だ。

野球もやるが、勉強もしっかりやるからと言って2学期の点数を5教科で80点程上げたら親父の方が許してくれた。

本当に嬉しい!五十嵐にすぐに伝えた!!

一緒に甲子園だ

本気でそう思った。すぐに五十嵐と慣れない硬球でキャッチボールをした。

グラブ越しでもボールは凄く痛かった。

入学式にも一緒に自転車で行った。特待生組は入学式前に練習合流が許可されている。

一般組はオレを含め25人いた。特待生は10人なので一学年35人だ。

とんでもない練習量だ。

辛すぎてあまり覚えていないが、1ヶ月で10人辞めていった。

先輩のいじめもあって夏までには13人は辞めていた。

特待生も2人入ってる。

心の底から辞めるんだったらその特待生の枠オレにくれよと思った。

最初の夏は二人ともベンチに入れず応援していた。

予選はベスト4で敗れた・・・。あんなに強い先輩たちが敗けるのが信じられなかった。

翌日から新チームが始動し猛練習に耐えた。正直、五十嵐がいなかったら絶対辞めていた。

冬を越し春になるまでで4人辞めた。それぐらいキツかった。

体重も10キロぐらい増えて強くなってきた。

このころになると2軍戦にはちょくちょく出させてもらっていた。

五十嵐とコンビを組んでいる試合は本当に最高だ。

楽しくて仕方がない。サインプレー内野手の連携、阿吽の呼吸で全てがうまくいく。

それはオレにだけにではなかった。

五十嵐は2年生でありながら1軍に合流し始めた。

まだレギュラーではないが、メキメキと頭角を現し始めている。

2年生の夏には五十嵐は背番号14を付けてグラウンドに入ったほかにも3人の2年生がベンチ入りしている。

羨ましかった。背番号が輝いて見えた。喉から手が出るほど欲しいというのはこういうことを言うのかと本当に思った。

今年は甲子園に行ける。

皆そう思っていたが、決勝で負けてしまった。

信じられなかった。先輩たちが負けた。

五十嵐は泣いていた。

俺は泣いている場合なんかなかった。甲子園へのチャンスはセンバツを含めると2回しかないのだ・・・。

秋の予選で初めて背番号をもらえた20番だった。

お母さんは泣きながら喜んでくれた。

当時の携帯の待ち受けは20の背番号だ。

結論から言うと1度も試合には出れず、負けてしまった。甲子園へのチャンスは最後の夏だけになってしまった。

最後の夏に選手をはじめ、監督、部長共々、並々ならぬ決意で臨んでいた。

俺も練習試合の出場機会が増えて五十嵐とコンビを組む機会が増えてきた。

しかし。

春の大会前の打撃練習中に右手の人差し指にボールをぶつけてしまう。

内角の球を打ちに行って、当たってしまったのだ。

グラウンドに緊張が走り、部長が一目散に走ってやってくる。

すぐに病院に行ったが結果は骨折。

春の大会は絶望となった。もちろんベンチも外れた。

もともとレギュラーじゃない人間だ。

当然だ。

しかし、当然と割り切れなかった。

春の大会、僕が入ってないチームは優勝した。

夏に向けて調整はバッチリだった。

怪我してから別メニューでの調整が続き、人差し指を使わないで投げる技も会得したが、監督には

これで勝敗が決まるかどうかの土壇場で、本当にそれが使えるのかとの問いに僕は答えることが出来なかった。

夏の予選、最後の大会。背番号の配布。

今でも夢に見る。1番から20番までの中に僕の名前はなかった。

僕の選手としての3年間はここで終わってしまった。

僕が秋につけていた20番の背番号は奇しくも、僕にボールを当てたピッチャーの3年生がつけた。

仲のいいチームメイトだ。こいつの頑張りも知っていたから、ベンチに入れて本当に良かったと思えた。

しかし悔しかった、もう本当に悔しい・・・。

人目をはばからずにわんわん泣いた。

強豪校だ。同じ3年生でも8人入れなかった。

その8人が監督に呼ばれて、言われた事はほぼほぼ覚えていない。

ベンチには入れないが俺たちはチームだ。

他の奴等をサポートしてやってくれ。

甲子園に行くためには誰が欠けても行けない

みたいなことを言われたと思う。

なんもやる気がなくなってしまった。

唯一この日だけは五十嵐と一緒に帰ることが出来なかった。

両親には言わないようにしたが、ずっと泣いていたからバレたと思う。

夕飯もいらないと言って自分の部屋に入りまた泣いた。

流石に夜中に腹が減って下に降りると、チンすればいつでも食べれる状態になっていた。こんな僕に優しくしてくれる母ちゃん。

申し訳なくってまた泣いた。泣きながらご飯を食べた。

翌朝、いつも通り朝練には行かなきゃいけないと思った。

俺たちが目指しているのは甲子園だ。レギュラー組にいらぬ心配をかけたくないという思いだけで行った。本当は何を練習するの?サポートだけでしょ?

とか思ったが、母ちゃんがいつも通り大盛り弁当を作ってくれて、泣きそうになる、今日帰ったら話そうと思った。謝ろうと思った。

五十嵐といつもの待ち合わせ場所から学校に向かった。

優しい奴で、怪我がなけりゃお前がレギュラーとか、オレが絶対甲子園に行くからそん時までに治せばベンチはいけるでしょ!

とか優しい言葉をかけてくれた。

分かってる、気休めだ。これからベンチ外の人間は練習などせず、サポートだ。つまりアピールできるものがない。

それに県予選では20人ベンチに入れるが、甲子園は18人までだ。

なるべく暗い気持ちは出さずに練習でも以前より大きな声を出した。

盛り上げることしか出来ないからだ。

母ちゃんにはその日に伝えたが、分かってた。話してくれてありがとうと言って泣いた。僕もゴメンなさいとしか言えなかった。

父ちゃんは一言だけ、今できることを全力でやれといった。そう言った父ちゃんの声は震えていた。

実を言うと今できることとは勉強かなとも考えた。

今すぐ野球を辞めて大学受験一本に絞ったほうがいいかなとも思った。

しかし、道徳的にそれは有り得ないと、行きたくもない練習に行っていた。

ある時ベンチ入りしてる3年生から外れた3年生に手紙を書く恒例行事があり、手紙をもらった。

もらったときは不貞腐れて、こんなもん・・・と思ったが、家に帰って全員の読んだら泣いた。

この時期は泣いてばっかりだった。

夏が始まる。

手紙のおかげか吹っ切れてアルプススタンドで応援する日々が続いた。

1,2回戦はコールドで勝ち。

3回戦からはチアリーダーが応援に加わる。

謎の伝統で3年生はチアリーダーの隣で応援してもいいという伝統がある。

逆に僕は恥ずかしかった。3年生なのにベンチに入れてないとか思われるのがとても恥ずかしかった。

3、4回戦も勝ち準決勝まで勝ち上がってきた。

五十嵐は今大会調子が良く、打率6割くらい打ってた。

あと2回勝てば甲子園。

しかし、そううまくはいかなかった。準決勝では初回に3点を取られてずっと追いかける展開になった。

相手の左ピッチャーも調子が良く中々点差が縮まらない。

5回に1点犠牲フライで返し3-1

7回には相手校の6番バッターにソロホームランを浴び4-1

8回もチャンスが作れず、3点ビハインドで残るは9回。

打順は7番からの最悪な展開、簡単に1アウトを取られ、続く8番は2ベース反撃の狼煙が上がったと思いきや、続く9番が三振。

2アウト2塁で五十嵐に打順が回ってきた。

しかし上位打線に繋がり、今大会打ちまくってる五十嵐だ。

応援のボルテージは最高潮だ。

1-1からの3球目ボテボテのゴロがセカンドに飛んだ。

3年間が終わった。グラウンドにいる奴らは泣いていた、

ベンチ外の奴らで泣いている奴もいる。

僕は不思議と涙が出なかった。多分ここ最近泣きすぎたんだろう。

今日で引退だ。

試合後、球場の外で父兄の皆様、お母さん達に、監督、キャプテンからお礼を言うというものがある。

うちの母ちゃんも来てくれていた。息子は試合に出れないのに。

監督は勝てなかったのは自分のせい。すごくいいチームだったと言ってくれてた。どこか疎外感を覚えた。

キャプテンはなにを話したか覚えてない。多分涙でボロボロだったんだ。

その間五十嵐はずっと泣いていた。

バスに乗る前に五十嵐が約束守れなくてゴメンと抱きついてきた。

もう枯れ果てたと思っていた涙がこみ上げてきた。

こいつは本当に俺たちの為にも戦ってくれてたんだと。

なにが大学進学の為だ、何が野球部辞めたいだ。

俺は恥ずかしくなった、オレのほうこそゴメン・・。

そう言って泣いた。他の3年生全員泣いていた。

この時チームが本当に一つになった気がした。

遅すぎるっての。

あくる日、部室の荷物を片付けにやってきた。

監督、部長のありがたいお話を聞き終わると、その先には自由な世界が待っている。

毎日地獄のように走り、手の皮がずるむけるほど振り込み、喉から血が出るくらい大きな声でノックを呼ばなくてもいい。

すごい解放感だ。ありがたいお話が終わり、五十嵐と他愛のない話をしながら帰ってると照れくさそうに、久しぶりにさキャッチボールするべ。

五十嵐がそう言ってきた。

ついたのは硬球の練習を初めてした公園。

結局試合では一度もコンビを組むことはなかったなと思いながらキャッチボール。人差し指の包帯は取れているが、まだ少し痛みがある。

こいつとはずっと友達でいられるだろうな。そう確信したキャッチボール

五十嵐と他の3年生と夢中に熱くなれた思い出があるのなら。

チアガールの隣で終えた夏も悪くはないだろう。そう思えた。


最後まで読んでくれてありがとうございます。





お知らせがあります。

全部作り話ですwwwwwwwwww


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