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ホンモノ・ニセモノ(エンドレス?)

まだやるんかい(笑)
でももうそろそろ終わる兆しが見えた
2〜3日前に「練習しよう」と書いたばかりなのに

見えないものの世界の説明は
なぜこんなに人によってバラバラなのか
多少共通のことばがあるとしても
それすら人によって定義が微妙に違う
定義の異なることばについて
あるとかないとか言っても話が進まない

ここまでくると
何万通りの説明の中にホンモノがある
というようなことではなくて
もっと包括的に他の説明が必要

結論からいえば
「人それぞれ」(それだけ?)
自分がホンモノと決めたら
それはホンモノです
それを決めるのが自分
自分の創造する世界

発信者に悪意があるかどうかは
別のおはなしになります
受信側が依存させられようが
お金をむしり取られようが
その人にとってはホンモノ
になってしまうんです
自身の創造した世界

自分からみて明らかにニセモノ
と感じたとしてもそれを他者にはあてはめられない
目を覚ますべく人助けと思って助言しても残念ながら
その人にとって心地よいものがホンモノです(騙されていても)
盲目的になりたいというのもひとつの世界観
ということすらあるのです(それの方が多い?)
であれば、「目を覚ましなさい」は不適です
ホンモノかニセモノかについてではありません

おもう力、創造する力、ことばの力、
想像以上に凄いものです
自身の世界や病魔ですら劇的に変えていきます
依存することと、信じる力は表裏一体
なおさら他者からどうこう入る余地はありません
結局はご自身の奥底に繋がるものがそのまま反映されています

究極にはひとは孤独でもあります
自身が世界を創造してしまっていると知ると
他者の役に立ちたい、他者に干渉したい、と思ったとしても
それは自身が創造した他者というもので、
真の?他者はそこにはいません
すべて自身のうつし鏡
それでよいのです

利己なき利他の強要はひっくり返せば利己であり
最終的には利己でも利他でもないところに
原初の地点はあるのかなと
それはホンモノ・ニセモノどちらもないのが
本来の姿なのでしょう


Ω\ζ°)チーン
何を書いているのか自分でも分からなくなってきたが、ひょっとしてまだ終わらないのだろうか?記事はゴミのようだでYESと反応が出てしまうのだが(笑)、削除しなくてもよいらしく、道端のゴミだとしても、捨てるものあれば拾うものあり、少しはどなたかのお役に立つようだ。

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