エルピーダ関連人物列伝

※エルピーダメモリにかかわった人たちの略歴を列伝形式で記載しています。公人(会社役員経験者・アカデミア・著名人)に絞り、公開情報をもとにした記述となります。

坂本幸雄(1947-2024)

エルピーダメモリCEO。詳細については下記Note記事、
エルピーダ戦記 異色の経営者坂本幸雄氏と、ある半導体メーカーの盛衰
を参照のこと。
https://note.com/ojisan_handoutai/n/ncc1223f49303

大塚周一(1951-)

エルピーダCEO坂本氏と同じく日本TI出身。後にソニーで半導体事業に従事。2004年よりエルピーダメモリのCOOとなり坂本氏の下でナンバー2を務めた。NEC、日立、三菱電機のDRAM事業が統合して発足したエルピーダでの経験を買われ、2011年より水面下で話が進められていた日立、東芝、ソニーの液晶事業統合準備会社のCEOとなる。液晶事業の統合新会社ジャパンディプレイは無事に発足し、会社成立~2018年まで小型液晶のシェアで世界一を誇ったが、Apple向けビジネスに偏った収益体制であり課題の残る船出となった。2015年にジャパンディプレイのCEOを退任。

牧本次生(1937-)

日立製作所の半導体事業で活躍し専務として経営にかかわる。のちにソニーに移籍し、専務として半導体事業を推進。1990年代初頭の日米貿易摩擦では日本側の要人として交渉にあたる。半導体産業において、標準化とカスタム化の波が10年周期で訪れるという牧本ウェーブを提唱したことでも知られている。半導体業界での豊かな経験を買われて2006年にエルピーダメモリの社外取締役に就任。坂本氏の経営を支えた。

安達隆郎(1955-)

NEC出身。2006年にエルピーダメモリCTOに就任。坂本氏の下で次世代メモリの開発等、エルピーダでの技術開発方針の策定に影響を及ぼした。エルピーダメモリ倒産後は、スーパーコンピューターを開発するベンチャー企業、PEZY Computingの一部門としてカスタムメモリ設計を行うDRAM設計会社ウルトラメモリの代表取締役となる。2010年代後半ごろまで、PEZY Computingとウルトラメモリは順調に事業を展開していたが、2017年にPEZY Computing社長の斎藤氏がNEDOに対する詐欺容疑で逮捕されるトラブルが発生。現在安達氏はウルトラメモリから離れた模様。

木下嘉隆 (1958-)

日立製作所出身。2011年に大塚周一氏がジャパンディスプレイ準備会社に移ったのちにCOOに昇格。リーマンショック後で市場の落ち込むPC市場から、成長著しかったスマートフォン向けのモバイルDRAMに注力分野をシフトする戦略を進めた。エルピーダメモリ倒産後は、Micron日本法人マイクロンメモリジャパンの社長として、日本で継続的にDRAMの研究開発/先端DRAMの製造が続けられる環境維持に尽力した。現在はMicronを離れ、Panasonicが台湾Nuvoton社に売却した半導体部門、現ヌヴォトンテクノロジージャパンの取締役として引き続き半導体業界で活躍されている模様。

青砥なほみ(1958-)

NEC出身。日本の総合電機メーカーにおいて女性エンジニアに活躍の場が広がりはじめた時代に頭角を現し、後に続く女性エンジニアたちのロールモデルとなった。坂本氏によってDRAMプロセス開発のリーダーに抜擢され、2011年にエルピーダ執行役員に就任。現在はMicronを離れ、広島大学での特命教授・東北大学での特任教授、ローツェ社外取締役、日本電気硝子社外取締役を務めている。

竹内健 (1967-)

東芝にてフラッシュメモリ発明者である舛岡富士雄氏と共に研究開発に従事、後にスタンフォード大学にてMBA取得。帰国後東京大学にて博士号取得し同大学の准教授となる。エルピーダメモリ末期に開発が行われた抵抗変化型の次世代メモリ、ReRAMの共同研究にシャープのチームとともに加わる。日本でSNSが普及し始めた初期のころより、Twitter (現X)を通じて半導体産業の動向について発信していたという側面も持ち、エルピーダメモリの倒産についても何度か言及がある。中央大学に移籍後、再び東京大学に戻り現在は大学院工学系研究科電気系工学専攻教授。

湯之上隆(1961-)

日立製作所出身、ドライエッチングを専門とする技術者。エルピーダメモリ出向→国家プロジェクトの半導体先端テクノロジーズ(Selete)出向を経て2002年に退職。長岡技術科学大学の客員教授を務めながら同志社大学のフェローとして、日立・エルピーダでの経験を元に日本半導体衰退の原因を分析。2009年の著書:日本「半導体」敗戦 は半導体業界の関係者に大きな驚きをもって受け止められた。現在は講演活動や執筆活動を通じて、自身の半導体業界での経験を世間に伝えている。

木村雅昭(1959-)

元経済産業省官僚。2007年に商務情報政策局担当となり、半導体業界に関する産業政策を担う。2009年の改正産業活力再生法の成立に尽力し、エルピーダメモリに対する公的資金注入の立役者となったが、2012年にエルピーダ及びNECエレクトロニクス株のインサイダー取引容疑で逮捕。エルピーダメモリの業績悪化時に半導体の産業政策を担う官僚が逮捕されたことは、同社への公的支援を躊躇わせる原因の一つとなり、エルピーダメモリ倒産に間接的な影響を与えた。

宇佐美典也(1981-)

元経済産業省官僚。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)にて電機・IT分野のプロジェクトマネジメントに従事。官僚時代よりSNSを通じた情報発信で知られ、現在でもXアカウントにおいて半導体産業に関する言及がみられる。下記NEDO研究評価委員会 議事録にはエルピーダメモリCTO足立隆郎氏の名前と共にNEDO電子・材料・ナノテクノロジー部主査として宇佐美典也氏の名前が記されており、半導体産業に関する産業政策に関わっていたことが確認できる。https://www.nedo.go.jp/content/100151093.pdf

Steve Appleton / スティーブ・アップルトン(1960-2012)

アメリカを代表する大手メモリメーカーMicron社CEO。大学卒業後にMicron社の工場夜間シフトの作業員としてキャリアを開始するも頭角を現し1991年にCOOに就任、1994年には34歳の若さでCEOに就任する。1997年のTI(テキサスインスツルメンツ)社DRAM事業買収、2001年の東芝北米DRAM工場買収を通じてMicronの事業を拡大させ、Micron社を世界有数のメモリメーカーに育て上げた。2012年に業績の悪化したエルピーダメモリと提携交渉を行っているさなかに、自家用飛行機操縦中の事故により死亡。彼の不運な事故死により、エルピーダの運命は大きく狂うことになる。

Mark Durkan / マーク・ダーカン(1961-)

Micron社CEOスティーブ・アップルトンの急死により後継CEOに就任。エルピーダ会社更生法申請時にスポンサーとして名乗りを上げる。2013年にMicronがエルピーダを買収することが決定したため、エルピーダメモリはMicronの日本法人、マイクロンメモリジャパンとして存続することが確定した。2017年にCEOを退任。

Sanjay Mehrotra / サンジェイ・メロートラ(1958-)

大手フラッシュメモリメーカーSanDiskをエリ・ハラリ氏と共に創業。メモリ業界では名の知られた人物であったが、2016年のWestern DigitalによるSanDisk買収により同社を離れる。2017年のマーク・ダーカン氏のMicron CEO退任に伴い後任として現在のMicron CEOとなった。エルピーダメモリの末裔であるMicron日本法人、マイクロンメモリジャパンの生殺与奪権を握る人物でもある。アメリカ半導体業界の要人として定期的に政治的な場にも出席しており、広島に元エルピーダの工場があることから、同じく広島を地盤とする岸田総理ともたびたび会合を重ねており、対日投資の交渉を行っているものと推測される。

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