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【歴史】「光る君へ」がもっと面白くなる(4)〜藤原家の系図編(後編)

今年(2024年)のNHK大河ドラマ
「光る君へ」
をよりわかりやすく理解するために、登場人物を紹介しています。

第1回目は、全体の登場人物を紹介
 ▼

第2回目は、
3人の天皇(冷泉、円融、花山)を紹介。
 ▼

第3回目は、
道長の祖父や伯父世代の藤原氏を紹介しました。
 ▼




さて、4回目となる今回は「藤原氏」の後編。
柄本佑が演じる藤原道長の父や兄弟、従兄弟などを紹介します。

同じ藤原一族ですさまじい権力闘争が繰り広げられておりますが、
この辺りの藤原氏が、物語のキーパーソンになりそうですね。

今回も、下記の系図を参照に願います。  
 ▼

(▲ 藤原氏の家系)
※クリックして拡大してご覧ください
赤い枠で演者名が書いてあるのが現時点のキーマンです。




■道長の父と兄弟の時代(九条流)

(08)藤原兼家かねいえ(道長の父)【段田安則】


「光る君へ」にまつわる藤原氏の一族を紹介。
前回に続く後編、最初の人物は、野心家・藤原兼家から。

●長兄の伊尹これただについてはコチラ ▶  藤原伊尹これただ
●次兄の兼通についてはコチラ ▶  藤原兼通

藤原兼家かねいえは、
藤原・九条流を築いた、藤原師輔の三男で、
道長の父親です。

兼家は、長兄の伊尹これただ、次兄の兼通が亡くなった後、藤原北家の嫡流として、藤氏長者(藤原一族の長)となり、一族を率いていきます。

京の東三条に屋敷を構えていたことから
「東三条殿」とも呼ばれています。

ドラマでの正妻は、
声優の三石琴乃が演じる「時姫
(エヴァンゲリオンのミサトさん役)。
この時姫が、道隆、兼通、道長三兄弟の母となります。

時姫亡き後に、妻役を演じるのが、財前直見の
藤原寧子やすこ
藤原寧子やすこは「蜻蛉かげろう日記」の作者としても有名です。

兼家と寧子やすこの間には、
道長の異母兄となる藤原道綱(上地 雄輔)がいますね。

兼家の姉・安子が村上天皇のもとへ入内したため
兼家は、義理の兄となった村上天皇の政務を、他の兄弟と共に支えます。

村上天皇が崩御した後、
天皇には息子の冷泉天皇が即位。
関白には、安子や兼家の父で、冷泉天皇の外祖父でもある、藤原師輔が就くべきでしたが、
既に亡くなっていたため、
師輔の兄である藤原実頼さねよりが就任します。

しかし、伯父の実頼さねよりが高齢であったため、
実際の政務は、師輔の子、伊尹これただが行います。

兼家は、兄の伊尹これただを支え、
弟を信頼する兄の手で、
朝廷内での職位も厚遇されます。

伊尹これただは、冷泉天皇のもとへ娘の懐子ちかこを、
同じく兼家も娘の超子とおこを入内させます。 

冷泉天皇も懐子ちかこ超子とおこも、同じ藤原の血を引く従兄弟同士なのですが、血の結束を固めようとするのが平安貴族流
(;^ω^)

懐子ちかこは後の花山天皇を、
超子とおこは後の三条天皇(一条天皇の次の天皇)を
生みます。

こうして、伊尹これただと兼家は、
天皇家との外戚関係を深めていきます。

冷泉天皇の弟、幼い円融天皇が次の天皇に即位すると、伊尹これただは摂政に就任。

摂政となった伊尹これただは、
引き続き兼家を重用しましたが、
この過程で、次兄・兼通と兼家の官位は逆転し、
冷遇された兼通との確執の原因となります。

しかし伊尹これただは、翌年死亡。

円融天皇の母・安子の
摂政・関白の座は兄弟の順に就任すること
という遺言で、
伊尹これただの次に、兼家の兄・兼通が関白に就任します。

兼通は関白になると、明らかな報復人事を実行!
弟の兼家は格下げされ、伊尹これただの時代とは一転、不遇の時代を過ごします。

病に倒れた兼通は、後継の関白に、弟の兼家ではなく、従兄の頼忠を指名します。

兄・兼通の死から2年後、
兼家は、関白の頼忠の推しもあり、右大臣となり、政権に復帰します。

かねてから望んでいた娘の詮子あきこも、円融天皇に入内し、懐仁親王やすひとしんのう(後の一条天皇)に恵まれます。

※「光る君へ」の第1回は、この辺りの時代からスタートします。

その後、約束通り
円融天皇が退位し、さきの冷泉天皇の子・花山天皇が即位。
退位の条件として、円融天皇と兼家の娘・詮子あきことの子・懐仁親王やすひとしんのうが、東宮として立てられます。

あとは、花山天皇が早々に退位して、懐仁親王やすひとしんのうが、次の天皇に即位さえすれば、兼家の最大の悲願である「摂政・関白」の就任が実現するのです。

ところが、その前に新たな政敵が立ち塞がります。

藤原義懐よしちか
兼家の兄・伊尹これただの息子で、兼家の甥にあたる人物。

義懐よしちかの姉、懐子ちかこは、花山天皇の母親ですから
義懐よしちかと花山天皇は、叔父甥という関係になります。

ドラマでは、高橋光臣が演じていて、
花山天皇から「叔父うえ~」と呼ばれていましたね。

この義懐よしちかが、権中納言に昇進し、
花山天皇と共に政治を主導することになったため、
前関白で太政大臣の頼忠、左大臣の源雅信、右大臣の兼家の3人と対立するという構図となるのです。

そして、兼家一派の策略により、花山天皇は退位。
出家させられてしまいます。
寛和かんなの変)

懐仁親王やすひとしんのうが即位し、一条天皇となり
兼家は念願の「摂政」となります。
と同時に、藤原一族の頂点、藤氏長者の座も手に入れます。

長年の悲願をついに達成した兼家は、この時58歳。

兼家は、次に、その地位を盤石にしようと考えます。
上官である頼忠(太政大臣)、源雅信(左大臣)を超える立場となるため、右大臣を辞職。
今までの前例にない、
大臣の身分を持たない「摂政」となり、
この結果、「摂政・関白」という身分が、太政大臣、左大臣の上に立つ最高権力として認められるようになるのです。

それから4年後、太政大臣の頼忠が亡くなると、兼家は後任の太政大臣に就任し、
その権力を更に絶大なものにします。

そして、一条天皇の元服を機に、
「摂政」から「関白」となりますが、
病のため、わずか3日で辞任。
「関白」の座を長男の道隆に譲り、出家します。

それから2ヶ月後、兼家は、62歳で波乱の人生の幕を閉じます。

こうして兼家は、陰謀と策略、天才的な政治力を駆使して、息子・道長の時に全盛を迎える、藤原氏の基盤を築いていったのです。


(09)藤原道隆みちたか(道長の長兄)【井浦新】


藤原道隆みちたか
は、
兼家の嫡男。道長より13歳年上の長兄です。

嫡男として、一家をまとめようとする道隆は、
いかにも貴族の長男という、明るくて穏やかな性格だったそう。

父・兼家の策略で、花山天皇が退位し(寛和の変
妹の詮子あきこの子、一条天皇が即位すると
急速に昇進し、宮中で活躍するようになります。

その4年後、長女の定子さだこを、甥の一条天皇に入内させます。

父・兼家の死後は「関白」の座を継ぎ、
政権を主導しますが、大酒飲みであったことが災いして、僅か5年ほどで病に倒れ、43歳の若さで亡くなります。
今で言う、糖尿病であったとされています。

道隆は、後任の関白の座を、嫡男である伊周これちかに譲るよう一条天皇に懇願しますが、許されませんでした。

この伊周これちかが、道長のライバルとなり、ドラマ「光る君へ」も盛り上げていくことになります。

道隆を祖とする、一族のことは中関白家なかのかんぱくけという呼称でも呼ばれています。


(10)藤原道兼みちかね(道長の次兄)【玉置玲央】


藤原道兼みちかね
は、
兼家の三男で、道長より5歳年上の兄です。
長男・道隆の8歳下の弟です。

因みに次男は、兼家と寧子やすこの間に生まれた
藤原道綱(上地 雄輔)となります。

ドラマの中で道兼は、残酷非道な男として描かれていますが、
これにはモデルがありまして
平安時代の歴史物語
『栄花物語』では、道兼の容姿が「顔色が悪く、毛深くて醜い」と酷評、
『大鏡』では、「非常に冷酷で、人々から恐れられていた」と記されており、意地が悪く、長幼の順序もわきまえずに、兄の道隆をいつも諭しているようなところがあった、とされています。

あまり、人から好かれてはいなかったのかもしれませんね。

道兼は、父・兼家の策略で、花山天皇に近づき、
寵妃・忯子よしこを失って落胆する花山天皇をそそのか
内裏から寺へ連れ出して、騙すように出家させてしまいます。
これが寛和かんなの変」

まさに、父・兼家のクーデターの影の立役者。

その4年後、父・兼家が亡くなると、
後任の関白には、長兄の道隆が任じられます。
父のクーデターを実行した自分が、次の関白になると信じていた道兼は、
兄が後継に選ばれたことを甚だ憎み、父の喪中であるにもかかわらず、客を集めては遊興に耽ったと言われています。

更に5年後、兄の道隆が亡くなると、
道兼は、ようやく後任の関白に任じられますが、
すぐに重い病を患い、僅か数日で病死してしまいます。
享年35歳。

このため、道兼は「七日関白」とも呼ばれています。


■道長の親戚たち

(11)藤原実資さねすけ(道長のはこと)【秋山竜次(ロバート)】


藤原実資さねすけは、
道長の親戚(父・兼家の従兄弟の子/はとこ)という関係で
道長より9歳年上の兄貴分というべき存在です。

実資さねすけは、道長の家系「九条流」とは別系統の
「小野宮流」の当主で、
政治や儀式のしきたり(有職故実ゆうそくこじつ)に精通した、知識人として、宮中で欠かせない存在です。
一方、正義と筋道を重んじるがため、プライドが高い頑固者でもあり、道長にとっても、やや煙たい存在として描かれていますね。

実は、この実資さねすけが、今回の「光る君へ」の狂言回し的な役割になるんじゃないかと思います。

前回も書いてますが
道長の祖父である、師輔もろすけ「九条流」を創設、
その兄である実頼さねより「小野宮流」を創設しているのですが
実資さねすけは、その「小野宮流」の流れを汲む一族となります。

実資さねすけは、筆まめであり、彼の残した日記『小右記しょうゆうき』はこの時代を知る貴重な資料となっています。

ドラマでも、花山天皇や義懐よしちか、兼家の政治のやり方に対し、毎日のように妻の桐子に愚痴をもらしていると、妻から『あなた、それ私に言わないで。日記に書きなさいよ。もう聞き飽きたから』とたしなめられていますね😅

妻から言われて日記を書いたというのは、もちろんフィクションですが
実資さねすけ行成ゆきなりの残した日記は、
プライベートや、物語、自身の主張を述べるものではなく
儀式と政務の具体的なありさまを後世に残す目的で書かれた古記録こきろくと言われます。

この「古記録」が客観的に記載されているが故に、
1000年も昔の平安時代の政治や生活が、割と正確に現代まで伝えられているのです。


(12)藤原義懐よしちか(道長の従兄弟)【高橋光臣】


藤原義懐よしちか
は、
道長の従兄弟(父・兼家の兄・伊尹これただの子)で
道長より9歳年上、実資さねすけと同い年となります。

花山天皇の側近として、権力の座を巡り、
さきの円融天皇の子、懐仁親王やすひとしんのうの擁立を目指す、兼家らと対立。
ドロドロの抗争劇を繰り広げます。

元々、義懐よしちかは、
兼家の兄で、円融天皇の摂政であった伊尹これただの子として誕生しますが、
16歳の時に父が急死、その2年後に2人の兄も病死するという災難に見舞われます。

後任の関白の座は、父の弟、兼通かねみちが引き継ぎ、
義懐よしちかは、藤原北家の嫡流筋でありながら、昇進が遅延していました。

しかし、姉の懐子ちかこの子である花山天皇が即位すると
花山天皇の叔父である義懐よしちかは、天皇の首席秘書官というべき、蔵人頭くろうどのとうに抜擢。
急速に昇進し、花山天皇派のリーダー的存在として、政治を主導し、活躍を開始します。

また、義懐よしちかは、花山天皇が寵愛した忯子よしこの実姉の夫でもあり、
花山天皇の実の叔父にして、義理の兄でもあるという、実に複雑な親戚関係にあるのです。

こうして、花山天皇17歳、義懐よしちか28歳、
更に花山天皇の乳母の子である藤原惟成これしげ32歳という
若い陣容が中心となり、急激な政治改革を推進するようになります。
ドラマ「光る君へ」では、まひろ(紫式部)の父、藤原為時(岸谷五朗)も側近の一人として加わっていますね。

このイケイケの改革に危機感を抱いたのが、
右大臣・兼家と、太政大臣・藤原頼忠、左大臣・源雅信らの一派。
宮中の権力の座を巡って、政務は停滞するようになっていきます。

これを憂いたのが、実資さねすけ
ドラマでも、『帝はいよいよおかしい』『義懐よしちかごときを重用されるとは』などと、妻の桐子に愚痴るというシーンがありますね。

しかし、寛和2年(986年)6月23日
「寛和の変」にて、花山天皇は出家。
三種の神器は、道隆や道綱らの手で皇太子である懐仁親王やすひとしんのうの許(兼家の屋敷)に運ばれ、新たに、一条天皇が即位します。

この兼家の電光石火のクーデターに、義懐よしちかは政治的な敗北を悟ります。
こうして、義懐よしちかは、惟成これしげと共に、花山天皇と同様、出家の道を選び、これ以上、政治の表舞台には登場しなくなるのでした。


(13)藤原行成ゆきなり(道長のはとこ)【渡辺大知】


藤原行成ゆきなり
は、
道長の親戚(父・兼家の兄・伊尹これただの子・義孝の子)で、道長より6歳年下の弟分というべき存在です。

花山天皇派の義懐よしちかの兄の子ですから、
義懐よしちかとは叔父・甥の関係になりますね。

道長の学問仲間、公任きんとう(町田啓太)や斉信ただのぶ(はんにゃの金田)らと共に登場するシーンで見かける、敬語で話す若い貴族です。

行成は、藤原北家の主流である、九条流、伊尹これただの子、義孝の長男として誕生。
ほどなく、祖父・伊尹これただの養子となります。

しかし、祖父も実の父も病で急逝。
男親のいなくなった行成の家は没落していきます。

そんな行成を養育してくれたのは、
母方の祖父・源保光でした。
中国史や漢学に造詣の深い保光から、学問や知識を学びながら行成は成長していきます。

その後、一条天皇の治世が始まると、行成は蔵人頭くろうどのとうに抜擢。
真面目で勉強熱心だった行成は、努力を重ね、一条天皇や道長の信頼を得るようになり、道長の右腕として活躍します。

こうして行成は、権大納言に任じられ、
俊賢としかた、藤原公任きんとう、藤原斉信ただのぶと共に、一条天皇の治世を支えた四納言しなごんと称されるようになります。

また行成は、書道の高度な技術と教養がある能書家のうしょかとしても著名で、小野道風おののみちかぜ、藤原佐理すけまさと共に三蹟さんせきと称され、その「書」は国宝に認定されています。

更に「清少納言」の著作「枕草子」にも藤原行成がしばしば登場するなど、
2人は恋人だったという説もあります。

政治だけではなく、文化芸術の面でも著名な人物と言えますね。

こうした事象を知りながら、ドラマを見ると、また違った印象を持つかもしれません。

その後、行成は享年56歳で亡くなりますが、
その日は道長と同日だったそうです。



以上、藤原道長に関わる「藤原氏の13人」を紹介しました。

ちょうどリアルタイムの昨日(2024年3月10日)、
「光る君へ」の第10回「月夜の陰謀」で、
兼家の陰謀の集大成「寛和の変」の詳細が描かれましたね。

用意周到、綿密に計画されたこのクーデターで
念願の権力の座を手に入れた、藤原兼家。

この後、ドラマは、道隆と道兼、道長の兄弟を巻き込んだ、更なる闘争が始まるかと思われます。

登場人物の背景がわかると、ドラマの理解度が深まります。

「光る君へ」を見る際の参考になれば幸いです。

今回も長くなり恐縮です。
m(_ _)m
それでは、また。

(つづく予定?)

(2024年3月11日投稿)

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もっと詳しく知りたい方へ
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光る君へ 前編 (NHK大河ドラマ・ガイド)

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【藤原氏の13人/INDEX】

クリックすると紹介ページへリンクします

■道長の曽祖父と祖父の時代

01)忠平ただひら
02)実頼さねより
03)師輔もろすけ
04)頼忠よりただ/(演:橋爪淳)

■道長の伯父の時代(九条流)

05)伊尹これただ
06)兼通かねみち
07)為光ためみつ/(演:阪田マサノブ)

■道長の父と兄弟の時代(九条流)

08)兼家かねいえ /(演:段田安則)
09)道隆みちたか/(演:井浦新)
10)道兼みちかね/(演:玉置玲央)

■道長の親戚たち

11)実資さねすけ/(演:秋山竜次・ロバート)
12)義懐よしちか/(演:高橋光臣)
13)行成ゆきなり/(演:渡辺大知)



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