【大阪観光】 #2 〜 ミナミに行ってきた編(2023年6月)
こんにちは♪
北海道民のオジロワシ🦅です。
大阪観光シリーズのパート2です。
前回の記事はこちら
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また、「USJ」の記事と「関西グルメ」の記事は『マガジン』にまとめております。
リンクを貼りましたので、よろしければ、ご一読ください。
さて、大阪に旅行へ行った方の90%以上が、
「大阪ミナミ」へ行くのではないでしょうか。
知らんけどー😅
私の勝手なイメージですが、大阪エリアって何となくこんな感じ💦
「キタ」は大阪駅や梅田周辺のビジネス街、
「ミナミ」は難波、心斎橋あたりの繁華街。
「キタ」と「ミナミ」をまっすぐ南北でつなぐのが御堂筋。
「西」にUSJがあって。「東」に大阪城。
西と東を結ぶのが、地下鉄中央線で
山手線のようにグルッと囲むのが、JR環状線
というイメージです。
こうしてみると、今回の3泊4日の大阪旅行では
「キタ」「ミナミ」「USJ」「大阪城」と全て網羅してしてきたと大満足しております😙。
という訳で、今回は「大阪ミナミ」の訪問ログです💁🏻
(1)大阪国際空港(伊丹空港)から市内へ
我々一家が大阪空港に到着したのが、朝11時。
到着ロビーには、宝塚の「手塚治虫記念館」の看板が大きく飾られています。20年前の大阪旅行では行ってきたのですが、今回はスケジュールの都合で残念ながらお預け😿
機会があれば、また行ってみたい場所です。
伊丹空港から大阪市内へはバスで移動します🚌。
「心斎橋」に用事があったので、「なんば駅前」行きに乗車。
およそ1時間。料金は650円です(訪問当時)。
東京の「スイカ」、関西の「イコカ」同様、
JR北海道のICカード「キタカ」も無事に使えました🚃
今回の旅行用にチャージしておいて良かったです。
(2)トイ・ストーリー・カフェ@心斎橋
ちょうど、ディズニーのトイ・ストーリーとコラボしたコンセプトカフェが今回の旅行のタイミングで大阪で開催中。北海道では開催されないため、
娘と家内が予約して行ってきました。お父さんは別行動の予定でしたが、結局一緒に行くことにしました💦
お店の感想や詳細は「食べログ」で紹介しています☕️ ▼
この後に、
ホテルにチェックインして荷物を預け、
大阪城を見学、
続いてお好み焼きを食べに、道頓堀へ向かいます。
(3)食い倒れの街「道頓堀」を満喫する😋
食い倒れの街、大阪・道頓堀界隈は
江戸時代に大阪が「天下の台所」と呼ばれた頃に
中心街の南に位置したことから
通称「ミナミ」と呼ばれています。
界隈には「法善寺横丁」や「宗右衛門町」など、大人向けの繁華街が続き、その真ん中を東西約3キロに渡って、「道頓堀川」が流れています。
知らない観光地に行くと、土地勘がないのと、方向オンチで結構迷います😵💫
ざっくり、方角が分かっているとスムーズに動きやすいですね。
◆大阪城からミナミへ
大阪城を見物した後、我々一家は、旨いお好み焼き屋を目指してミナミへ向かいます。
まずは大阪城の大手門側にある地下鉄「谷町四丁目駅」からお隣の「堺筋本町駅」へ。
そこで、堺筋線に乗り換え「日本橋駅」で下車。
大阪では「にっぽんばし」と呼びます。
ここから千日前通を西へ進み「千日前商店街」を目指します🚶
◆道頓堀の歴史
「道頓堀」というのは、人口の河川だったそう💦
今回、初めて知りました。
作ったのは大阪商人「安井道頓」。
「本能寺の変」があった天正10年(1582年)、49歳の道頓は羽柴秀吉から大阪城の南のエリアを拝領します。「大阪冬の陣」の2年前、慶長17年(1612年)、79歳となった道頓は、城南の開発には河川の掘削が必要と考え、豊臣氏の許可を受け、私財を投じて城南地域中心部の水路(後の道頓堀)の掘削作業に着手します。
しかし、その3年後、元和元年(1615年)の「大坂夏の陣」に巻き込まれ、秀吉の遺児・豊臣秀頼に味方した道頓は、大坂城内で討死します。
その後、道頓の意志は親族に引き継がれ、
同年(1615年)運河は完成。
開削者・道頓の功績を後世に伝えるため、「道頓堀」と名付けられました。
(参考:道頓堀商店街オフィシャルサイト)
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(4)お好み焼きを楽しむ
せっかく大阪に来たのだから、大阪グルメを思う存分楽しみたい!
そこで、まずオジロワシ一家が向かったのが
大阪コナモン文化の代表格「お好み焼き美津の」。
「千日前商店街」のちょうど真ん中辺りにあります。
お店の感想や詳細は「食べログ」で紹介しています😚▼
(5)たこ焼きを楽しむ
「お好み焼き美津の」を出て、千日前商店街のアーケードを北に進むと、
道頓堀と並走する通り「道頓堀商店街」へと繋がります。
大勢の人波に紛れ、左方向へ。
商店街には日本人だけでなくたくさんの外国の観光客もひしめき合い、「これぞ大阪」といった喧騒にあふれています。
もちろん、「たこ焼き」もここで買います。
今回は、道頓堀の
「たこ焼き道楽 わなか 道頓堀店」と
「たこ焼 十八番 SONS-DOHTONBORI店」の
たこ焼きを食べ比べしました🐙
お店の感想や詳細は「食べログ」で紹介しています😚▼
(6)うどんを楽しむ
「大坂夏の陣」で荒廃した大坂ですが、元和5年(1619年)、江戸幕府の直轄領となり、改めて都市開発が行われます。
寛永3年(1626年)頃から次々と芝居小屋が道頓堀に誘致され、 道頓堀は、歌舞伎、義太夫、見世物などの本場として栄えていきます。
さらに、芝居の見物客をもてなす芝居茶屋が周辺に軒を連ね、日本最大の歓楽街へと発展していきます。
こうして、町人の台頭を背景に、道頓堀は日本独自の「元禄文化」の中心となっていったのです。
道頓堀のうどんの名店「道頓堀今井」も、元々は天保9年(1838年)に創業した芝居茶屋「稲竹」がその前身。
時代に合わせて商売替えはしたものの、今年(2023年)で、創業185年という道頓堀を代表する老舗です。
道頓堀というと、エネルギッシュで若者の街というイメージでしたが、「道頓堀今井」の店内は、静寂で落ち着いた「上方の情緒」を感じさせてくれるお店です。
お店の感想や詳細は「食べログ」で紹介しています😚 ▼
(7)くいだおれ太郎
大阪を代表するキャラクターといえば
「くいだおれ太郎」。
名物料理店「大阪名物くいだおれ」の看板人形として、昭和25年(1950年)から設置されましたが、残念ながら「くいだおれ」は平成20年(2008年)に閉店。しかし、「くいだおれ太郎」はビルのシンボルとして現在も太鼓を叩き続けています。
◆なぜ大阪は「くいだおれ」の街なのか?
江戸の昔から、
「京の着倒れ」「江戸飲み倒れ」そして「大坂は食い倒れ」という言葉がある通り、
京都の人は着物道楽が過ぎ、江戸っ子は良い酒を飲み過ぎて、財産を失うと言われてきました💦
「食い倒れ」は『飲み食いに贅沢して貧乏になること』という意味がありますが、大阪は昔から大阪湾で新鮮な魚が獲れ、肥沃な大阪平野と、淀川、大和川の豊富な水資源に恵まれ、米や野菜などを作るのにも大変適した土地で、食材の宝庫でした。
更に、物流・商業の中心地として発展してきた大阪には、日本各地の豊富な食材が集まり「天下の台所」という別名で呼ばれるようになります。
このため、日本の食文化の中心として、「くいだおれの町」と呼ばれるようになっていったのです。
(8)巨大看板を楽しむ
大阪名物コテコテの巨大看板。
立体造形の巨大看板は道頓堀のエネルギッシュなパワーを象徴しています。
見ているだけで楽しい、巨大看板の数々を紹介します。
◆グリコのランナー
大阪・道頓堀といえば「グリコのランナー」。
正式には「道頓堀グリコサイン」といい、平成26年(2014年)10月から6代目としてリニューアルされています。
この屋外広告が初めて設置されたのは昭和10年(1935年)。
88年も前から、道頓堀のシンボルとして、大阪の風景を彩ってきたという訳です。
(9)「ひっかけ橋」に到着
ここが道頓堀商店街の終点。
昔、大阪の先輩カズさんに連れてきてもらった時に「ひっかけ橋」と教えてもらった橋は、正式には「戎橋」と言います。
カズさんもこの橋でよくナンパしていたそう😂
靴が片方脱げたフリをして
「ボクのクツ👞知りまへんか?」
というのが定番のフレーズだったそう🤣
この話のおかげで
ずっと「ひっかけ橋」の名前しか知りませんでしたね😅
それにしても、ものすごい人の数。
大阪のパワーを感じる橋です💪
(10)「戎橋」を渡って再び「心斎橋」へ
戎橋を渡って、北に進むと「心斎橋商店街」に繋がっています。
最初に書いた「トイ・ストーリー・カフェ」がある場所ですね。
土地勘がなく、スマホのナビを見ながら、ミナミをあるき回りましたが、
コツをつかめば、碁盤の目になっているので、意外にわかりやすいですね🙆🏻
まとめ
という訳で、「日本橋」から「戎橋」まで、グルっと「ミナミ」を散策してきました。
大阪は活気にあふれ、楽しかった😸
大阪ミナミに行く際の参考になれば幸いですw
最後までお付き合いいただき
ありがとうございました
m(_ _)m
(2023年6月15日、16日訪問)
(2023年8月20日投稿)
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