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1-2|東洋思想が今後流行ると考える理由【落合陽一を批判的に読む】

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今年の6月1日に出版された『落合陽一を批判的に読む』の反響がそれなりにありまして、YouTube,noteのアカウントBAN記念に全文を無料で公開します。21世紀中盤の未来を予測したい方におすすめな、最新の評論が詰まった一冊です。








アカデミズムへの不信

ハローフロムジャパン!こんにちは。T-T lifestyleです。今日は、今後東洋思想が流行る理由を解説していこうと思います。

私が今後東洋思想が流行ると考えている理由は、西洋哲学及び西洋科学、こちらが近代のルネサンス以降ですごい支配的な考え方だったんですけど、これが限界にきてるっていうふうに考える根拠があって、それが最近で言うところの単純にアカデミズムに対する不信ですね。これがもう完全に理由です。結論出ました。

自分にとっては、今後東洋思想が流行ると考えてる根拠です。これはアカデミズムの腐敗です。

それに対立する概念として何が出てくるかっていうのがすごい肝になってて、さすがに西洋科学とかを前提にしないと今後のテクノロジーは成立しません。人間がトンカチでいくらものを作っても3Dプリンターでビルが建てられるわけですから。建てられないかもしれないけれど、建てられちゃうわけですから基本的に。

テスラの車は、上海の工場でばあーって作っちゃうわけじゃないですか。だからそういう感じでトンカチの時代に戻るということは有り得ない。石器時代に戻るとか、そういうことは考えられない。もちろんマタギドライブも真っ赤な嘘です(笑)。

そうなった時にじゃぁ何が流行ってくるの?って考えると、東洋思想、東洋科学じゃないけど、東洋哲学、東洋医学…東洋思想と言っておきましょうか。ここで言葉を厳密に定義すると西洋思想から東洋思想に中心がシフトしていくって言う、そういう感じの話で考えればいいかなと思います。

 

量子論を知ろう

現代の科学でも最先端の分野は必ずしも西洋的な考え方のフレームにはまりません。量子力学とか光学の分野でいうと量子コンピューター、あと医学の分野で言うと精神医学とか生活のトータルコーディネート、福祉、公衆衛生とかそういう考え方は、そもそもが複雑系を前提にした考え方なんですよね。

量子力学がどういう学問か説明します。例えば古典物理学でいうと、ここに物質があるとすると、ここに物質以外はないわけですよ。これが古典物理学、ニュートン物理学の考え方で、これに対して量子力学、すなわち量子論の考え方を導入すると、ここに物体が存在するのですが、あくまで見えたってだけで、実際にはここ(右下)にいるかもしれないし、ここ(テレビの奥)にいるかもしれないよね?っていうのが量子論なんですね。これ多分、別の人の説明でもう少し腑に落ちる説明があるのかもしれませんけど、僕はこういう解釈ですね。

僕はこういう解釈っていうか、全くこういう理系の知識を知らない人を想定して説明しました。詳しく知りたい方は光量子仮説とかをググってみてください。アインシュタインが提唱した光っていうのが粒子であり、かつ波であるってことを証明した100年前の有名すぎる論文です。

こういうの難しいですけど、証明したのがアインシュタイン。アインシュタインがノーベル賞を取った論文です。量子論においては例えば、シュレディンガーの猫とか有名な話だと思います。そういう風に掘っていくと色々あるんですけど、結局量子論て、今までの古典物理学だと、物質が見えたらすなわちその物質の存在を前提として捉えて先に進んでよかったんですよ。

しかし、それがすごいミクロな、めちゃくちゃミクロの世界になると物質が見えたからといってあるとは限らないっていうことが発生していて、そうするとその物質が見えたからといって必ずしもあるわけじゃないんで、その先の論理を展開していくのが量子論です。

例えば、数独とかで論証するじゃないですか。ここは3だから、3はここ以外にはもう入らないだろう。こことここが3だから、ここでこことここが3だから、ここ以外に3は入らないだろう。みたいな感じで3をぽんって埋めるじゃないですか。そういう感じで空間を粒子で埋めようとするのが古典物理学ですが、空間自体が揺らいでいるため、実際は粒子の外に全く別の何かが充填されていると考えるべきなんですね。

量子論を突き詰めると空間内部に存在する時間を考えることになると思うんですけど、キュアロランバルトが語れない物理学の世界ね。空間と物質っていうのを同時に考えるっていうことがすごい難しいわけです。

 

西洋思想は片方向性

空間が全く固定された中での物質の運動だったりとか、位置とか質量だったりとか、そういうものを考察するのが古典物理学です。これ何が言いたいかって言うと、西洋思想の中に西洋科学みたいなのがあるじゃないですか。西洋思想って基本的に唯物論っぽいんですよね。あんまり双方向のコミュニケーションを前提としないっていうか双方向の干渉を前提としていない。片方向なんです、片務的っていうか。片方からもう片方までっていう。あれがありましたね、片務的最恵国待遇って言葉から片務的って表現しました。

日米修好通商条約という井伊直弼1858年の外国との関税自主権がないみたいな条約が歴史上あったじゃないですか。あれと同じで片務的、つまり日本は大国と片務的最恵国待遇を結ばれたって、これが1番やばいですね。日本が他の国と、例えばオランダと片務的最恵国待遇結んでいて、イギリスと新しい条約結んだらそれが自動的にオランダ条約になっちゃうっていう感じなんですけど、まさにこれがもう西洋の思想そのもので、プログラム的なんですけど、日本っていうのが固定されたもんだというふうに考えちゃうっていうか、西洋の考え方っていうのは二者があったときに片方は常に固定して考えるんですね。哲学も科学もそういうもんだと思いますよ。デカルトのもそういうことを言ってますよね。

これに対して東洋は相互コミニケーションとか相互干渉を前提とするんで、別にどっちがどっちとかないし、2つないといけないという考え方を基本としています。磁石みたいなもんなんですね。N極とS極のどっちかしか考えないなんてのはありえないっていうか、グラデーションで考えるというか、2つものが見えた時はそれは端っこだよねって言う。1つの物の端と端が見えてるだけだよね、みたいな考え方をするわけです。そういう違いがあると思いますよ。一方通行の考え方だけだと1個を必ず固定しないといけない。

完全にコンピューターが凄すぎて、この世のほとんどの現象のパターンを記述する事は結構簡単で、データベースだけで解決するんですよ。そのデータベースを作っちゃえば解決するんですよ。西洋思想に基づいた科学研究の終着点にIT、コンピューターテクノロジーがあると考えています。科学研究におけるあらゆる実験データ及び計算結果、結論は全てコンピューターによる処理を経てデータベースに蓄積されていきます。近年のコンピューターの発展は著しく、この章で述べた片方向的に集積されたデータは全てデータベースに蓄積され、即時的に処理されると言えるのではないかと考えています。これが落合陽一の主張するシンギュラリティの様相であり、極論を申せば、全宇宙の科学的な法則は既にデータベース上で記述されてしまっているのではないでしょうか。

 

IQは不要な能力

例えば僕は、今日もしかしたらラーメン二郎を食べるか、松屋を食べるかでめっちゃ迷ったのかもしれないじゃないですか。めっちゃ迷って結局すき家を食べたんですけど、それってあたかも僕がめちゃくちゃ考えたように思うじゃないですか。でも全然そんなことなくて、普通にこれ統計取ったら、月曜日に結構すき家を食べている可能性が高いとかが判明するんですよ。そういう話。

もっと言うと典型的な24歳の男性が、私のことですが、そもそも食べるものが茶色い食べ物に偏るよね?とか、そういうことも言えるわけだし、これ完全にデータベースで研究すると、僕の行動って、ほんと統計的に正規分布で言うところの90%範囲の中に収まっちゃうっていうか、そういう範囲に収まっちゃうことが多いわけですよね。

大体のそういう推測みたいのが簡単にできちゃうようになるのがAIの革命で、これがシンギュラリティーと呼ばれてるものなんですね。基本的にいうとAIが無限に進化するって言う特異点、技術的特異点がシンギュラリティーなんで、AIはAIを超えないんですね。

AIがAIを作るということは可能になるらしく、多分それは実現するんですけど、ここでAIがめちゃくちゃ発展したからといって結局、つまるところAIがめちゃくちゃ発展するだけなんですね。それってすでに起こっていて、例えば将棋とかオセロのマシーンの技術が飛躍的に向上して既に人間は勝てなくなってきています。

実はここで羽生善治の手をAIにめちゃくちゃ覚えさせてもしょうがないんですよ。羽生善治の打ち手をめちゃくちゃインプットしても、確かに最初はこうやって将棋のAIは強くなっていくんですけど、羽生善治で学びながら同じように佐藤天彦の手も加えたAIを使って擬似的に羽生善治と佐藤天彦の竜王戦の4回戦を再現するみたいなこととかも、全くできるわけですから、そういうことを無限に組み合わせを増やすことによって、その将棋AIはどんどん強くなるのです。

これからIQいらなくなるんです、全く。もはや人間が何時間、何百年かけて論理的に思考したところで、そこから得られる結論は既にAIによってとっくの昔に解決された問題にすぎませんから。

 

アカデミズムからビジネスへ

ここまで述べたような世界が訪れたのはシンギュラリティ論の基本的な話ですよね。今回のタイトルにあるように、ここまでくるとさすがにここからは西洋思想では対処できない。西洋思想から生まれているものがやっぱりチューリングコンピューターですね。チューリングコンピューターから生まれているのがAI。AI…なんだろうな、もちろんね、チューリングコンピューター同士が干渉してチューリングコンピューターがチューリングコンピューターを作るようになって、みたいな話とかも多分あると思うんですけど、チューリングコンピューターがすごい発達することによって、何か楽勝でサーバーとかを組めるようになったりとか、逆に機材を組むことができるようになったりとかあるんですけど、どうして科学の発展がAIによって止まるかって話しなんですけど、これは難しくて…それを感じたのはアカデミックの腐敗ですね。つまり、大学の論文のレベルがもうめちゃくちゃ落ちてる。

これは大学の研究論文のテーマがめちゃくちゃ細分化されていて、本当はあっと驚くような2つの研究室の研究が合わせるとあっと驚くようなイノベーションが生まれるはずなのに、それは絶対に起こらない。理由は研究室間のコミュニケーションが限定されるからです。

東京大学の化学科のたとえば…生命科学、生命科学工学の更に下の何とか先生の研究室でやっている、何とか助手ってやってる人がやってる研究があるとします。これと一見全然違う領域の…神戸大学の社会学部の政策の何かの研究と実は深くつながっていて、全く新しい概念を生み出すということが起こる可能性があります。選挙AIを作っちゃうっていう。選挙アプリを作ってしまうっていう。そういうイノベーションが起こるみたいなことがありえます。

こういうことでしかイノベーションは起きない。つまり、アカデミズムはビジネスにとって変わられます。アカデミズムの代わりにイノベーションを起こすのはビジネスなんですよ。

こうやってこれ儲かるなっていうので、一見関係ない論文を組み合わせられるのがビジネスの強さです。生命バイオメカニクスの…バイオケミストリーの論文は、バイオメカニクスとかバイオ系とかケミカル系とかメディカル系とかと親和性高そうじゃないですか。しかし、一見全く違うアートとか、もしかしたらミドリムシアートとかがめちゃくちゃ熱いかもしれないじゃないですか。大学で研究された知識や技術を組み合わせられることができるのは、お金の力しかありません。金融なんですよ。

金の力で、ビジネスの力で融合させるしかないっていう状況にまで恐らく今なっていて、この現象は論文というか大学の研究室が細かくなりすぎたことが理由です。これは遅かれ早かれ起こることなのでしょうがないですけど、西洋の哲学の…西洋思想の限界だなって。ここまで、dare to say, あえて言ってしまう根拠は、データベースとAIの問題ですね。AIというか、シンギュラリティの問題ですね。

 

科学実験の終焉

結局、科学ってエビデンスの積み重ねじゃないですか。エビデンスって結局データなんです。データを解釈するためには必ずデータベース使うっていうか、グラフとかデータベースを使うということになってしまっていて、それはもう全部コンピューターの仕事なんですよ。全部コンピュータの仕事なんで、十分にコンピューターが発達した現在においては極論、科学の研究のために実験なんかしないほうがいいと思っています。

コンピューター内で全部処理して仮想的、つまりin vitroな空間で全ての科学的な実験を済ませてしまえばよいです。In vitroというのは試験管の中で実験をするって意味なんですけど、これに対してin vivoという概念があります。これは生命に関係してるというか、ビーボ、viva la vidaみたいな感じなんです。

確か、生命の中で実際に実験をするみたいな話なんです。それと対峙する概念とか、新しいインビトロの先にある概念が出てくると思っていて、これがin computoですね。今作った造語ですが。コンピューター内に仮想実験環境を用意するっていうことが今後必ず、というか今すでに割ともう出来てると思います。

コンピューター内でマウスを生成して、モデル化して交配させて、生態系を進めることができるわけですよね。もちろん必要とあれば、それによって出てきたコドン…遺伝子っていうか、ゲノムを逆にリアルのマウスに注入して…ということもできます。マウスから遺伝子を取って、これをモデル化する必要があるんで完璧ではないんですけど、90%位モデル化して、一定の特定のマウスの種と交配させるっていうのを繰り返して100世代位やっちゃって、そこに出てきた遺伝子をこのマウスに注入してしまえば、それはもう100世代経ったってことになってしまう。

インコンピュートな科学実験によって、今後の科学はめちゃくちゃ進んでいきます。今も多分、どこかで殆ど部分的にはやっていると思っていて。自分はちょっと詳しくはないんですけど、絶対こういうことやってるんですよ。

コンピューターの環境っていうのがめちゃくちゃ重要になってきていて、科学とかは実験をしない方向に進んでるはずなんですよ。医学で言うと、外科の手術はしなくていいんですよ。薬が一番いいんですよ。あとは内視鏡手術と…お腹を開くみたいなのは殆どやってないんですよ。メスを入れるのは美容ばっかりですね。

そういう感じになっているので、今後インコンピュートという研究方式が絶対にメジャーになるし、そうしたら結局、科学がコンピューターの進化スピードだけに依存するようになります。

数学もじきにコンピューターが人間よりも高性能に解けるようになるだろうし、このへんが西洋思想の終わりとも、科学も終わるって話につながってるんですけど、僕のアイディアではここまでしか俯瞰できないです。今回話したかったのは、東洋思想が流行ると思ってる根拠なので、このくらいでいいと思うんですけど。

 

東洋思想とは何か

東洋の思想っていうのは逆に何かっていうのをちょっと言っていきますね。もうほとんど話は終わってるんですけど、おまけで東洋の思想が何なのかっていうのをちょっと言及しときますね。

東洋の思想っていうのは、西田幾多郎の話とかが一番僕的にはしっくりきていて、年輪てあるじゃないですか、木の年輪。林があって、林のことをここではあえて環境と言うんですけど、西田がそういう風に言ってるんで。ごくありふれた木と林の、包む包まれるの関係についての考察が面白いので紹介します。

年輪を調べると当時の環境がわかるみたいな話ってあるじゃないですか。年輪のことを地層と言い換えてもいいですよ。年輪は、その時の環境から影響を受けるって言うふうに俗説では考えますよね。今、あなたもそう考えますよね、普通に。僕も最初はこれしか考えられませんでした。

普通考えるのは、年輪は環境に影響を受けて、例えば、こっちからめっちゃ風があたったら、こっちは膨らみづらいとか、たぶんそういうのがあると思うんですね。ここはめっちゃ日陰だったから、キノコの菌が挟まってるとかね。そういうのがある気がします。ジメジメしてると、逆にフニャフニャでそこだけ曲がっちゃうとかね。

年輪が環境から影響を受けてるって確実にあるんですよ。西洋の考え方だとここで終わりです。ここで止まっちゃうというか、これだけをマジで考えるのが西洋思想です。西洋思想では複数のオブジェクトを考える際に必ず片方をFIXして考えます。

一方向の作用を考えるので、環境→年輪という矢印だけを考えるのが西洋思想なんですけど、実は年輪が環境に及ぼしてる効果があるんじゃないか?と考えないといけない。東洋思想を考える上では、逆に年輪→環境の矢印を絶対に考えるべきなのです。

年輪が、例えば、少しこっちが太くなるとか、そういうことがあるっていうのは環境自体を変えてるよね?という話なんですよ。言葉でいうとめちゃくちゃ簡単なのですが、これを理解するのに僕は時間がかかりました。

確かに環境っていうものの中に、年輪自体を含めて考えないといけませんよね。西洋の考え方だと、透明人間みたいな感じで透明年輪な木として考える、どうしてもね。だけどそうじゃなくて、年輪にもこの木自体が環境でこの木を変えたとしても、その木自体が無くなってしまったら、環境より木に有利だったがために、木こりがやってきて、木を切ってしまうとかがあるんですよね。そうなったらもう、それ以上の考察ができないですよね。木を切られちゃったら、もうそれ以上にこの木に関してそれ以上の情報を得ることはできない。

 

東洋医学導入

つまり、西洋思想の限界はここにあって、FIXされたものについて考えるわけですけど、FIXされたもの自体が消えたりすると、もう考えることができないっていうね。これはもうめちゃくちゃ難しい話です。これは難しい話なんで置いておいていいです。今回重要なのは双方向の作用、すなわち相互干渉を考えましょうってことなんですよね。

年輪が環境に対して、もちろん及ぼす影響があるんですよ。そもそも年輪が、木が屹立している時点で太くなったら、年輪に模様ができるように変な感じに盛り上がったら、そりゃ環境自体を変えてるんじゃないかって言う話なんですよ。これを理解することが東洋思想を理解することの第一歩ですね。

これがわかると西洋思想と東洋思想のクリティカルな違いを理解することができます。例えば、東洋医学では内臓っていうのはまるい物体のことじゃないんですよ。肝臓…肝という言葉があるんですけど、五臓六腑の五臓っていうのは基本内臓のことですけど、カン…レバーね、シンと…心臓じゃなくて、シンなんですよ。シンとヒと…ヒは脾臓のヒですけど、肺…肺は息するところなんですけど、腎。この五個は臓器の丸い玉のげんこつのことじゃなくて、むしろ機能のことを言うんですよ。

東洋医学においては呼吸のことも「肺」に入るし、これ厳密に言うと当たり前で、西洋思想、西洋解剖学で言うと、ハートがあるじゃないですか。ハートから大動脈の…アレオラだったかな?何とかアーテリーじゃなくて。動脈はアーテリーなんです、静脈はベイン。これ基本なんですけど、アレオラだったかな?大動脈の付け根と心臓の端っこって、本当はそこに名前が付いててもいいんですけど、どっちでもないですよ。心臓でも血管でもないというか、ほんとはそこに区分なんてないじゃないですか。

心臓に大動脈がくっついてるわけですけど、そこの付け根とかも考えると、明確に境なんてないじゃないですか。場合によっては、心臓があって大動脈がついているとすると、この付け根分ぐらいまでは心臓って考えた方が話が早いって言うか。大動脈弁が心臓と大動脈のどちらに所属するかを考えると話は混迷を極めます。西洋医学だとこの玉のことを心臓にしちゃうんですよ。ここも本当は心臓なのかもしれないけど、やっぱこれは大動脈て名前つけましょうっていうね。

目に見えるものしか信じない主義というか、目に見える区分けしかできない。本当は機能的には心臓と大動脈はくっついてるって考えた方が良かったりもするわけですよね。

東洋医学における「心」という考え方は、心臓と大動脈は一体であるという風に当然考えるんで、一体というか、物理的に線を引きません。機能単位でみると概念までいけるというか、見えないものまで見ることができるというか。

 

人体の区分

西洋思想では区分が重要ですよね。物事をディスティンクトして区別をつけることを、ソシュール的な話かもしれないですけど、言葉が区別して、言葉で世界を切り分けていくみたいな話に近いんですけど、多分。

違うのかな?目に見えるもので、世界を切り刻んでいくっていうのが西洋の思考なんですけど、そこには必ずと言えないけど、その目に見えないものを考えたほうが話が早いことがあるんですよ。

本当に何度も言うようですが、大動脈の付け根が病気だったら、これ心臓っていうかハートの病気って言うふうに考えた方がなんか割とスムーズじゃないですか。大動脈乖離と言った時に、これは血管外科なのか心臓外科なのか。これって確か心臓外科なんですけど、これともすると血管の領域かなって思うじゃないですか。確かに血管の領域でもあるんだけど、大動脈の付け根なんてほとんどもう心筋に近いというか、もう発生学的には心筋とほとんど区別はできないはずなんですね。

本当は心筋も血管も平滑筋も無くて、間があるんですよ。ここからここが横紋筋で、ここからここは平滑筋というのは無くて、本当はその間もあるんですよ。

横紋と平滑の間にある筋肉の例としてハラミとかが挙げられると思います。本当はすごい平滑筋っぽい感じなんだけれども、あんまり意識して動かす部分じゃないから、平滑筋ぽいんだけど、横紋筋っぽい。つまり、意識して肺を膨らませることもできるという。そういう横紋筋的な側面を持ってるみたいな、確かそういう話だった気がするんですけど、違うのかな?わかんないけど。

ちょっとそのへんは忘れましたけど、定義の間に実は間があるんですよね。本当はそっちを見たほうが話が早いことが多いってことです。だから今後、こういうふうになっていくと思います。

 

西洋思想が終わり宗教の時代へ

結論ですね。まとめると、西洋思想が終わる理由はアカデミズムの腐敗というか、学問のフレームワークが細分化しすぎてリベラルアーツがどんどん軽視されていくことにより、もう全く統合が取れなくなって、最終的にはビジネスと言う発想でしか、アカデミックな論文が使われなくなるっていうことが今起こっているのと同時に、シンギュラリティーですね。

AIによって仮想環境で実験をすることが可能になってきました。数学とかも特に、考古学も含めて、コンピューター内で完結して研究が進むようになってしまうと、所謂科学っていうものが、もう人間の手を離れて自動的に発展していくことになるっていう話なんですよね。それって結局、100年分の科学が1年で終わっちゃうという話なんで。そうするともう科学オワコンになるって話なんですよね。

西洋科学が物事を解き明かしていくスピードが限界値まで上がっちゃうというか、全部解き明かされ尽くされてしまうという話になります。そこでここに変わって台頭するのが、東洋思想です。東洋思想というのがザックリどういうものか?ということをここまででは喋りました。

ここから最後…とか言って長くなっちゃってもう30分も話しちゃってるんですけど、ここから最後、東洋思想と西洋思想の今後の関係について話します。

西洋思想から見ると、東洋の思想なんて馬鹿にされてるじゃないですか。南無阿弥陀仏とか、逆になんかお賽銭とかモスク礼拝とか、「ファジュル礼拝だん」とか、あとはミサとか。シスターとかめっちゃ馬鹿にされてるじゃないですか。そういうのが逆に復権してくる。宗教の時代が始まります。

なんでかと言うと、西洋思想と東洋思想は今、西洋思想が優位なんですけど、これが逆転してくるっていうふうに思っているからです。では実際に科学が今後どうなっていくのかというのに絞って話していこうかと思います。

 

東洋思想≒宗教

普通に東洋思想が上位なんですよ。東洋思想の考え方を利用してざっくりと大まかに考えるべきことを決めて、細かいことに関しては西洋思想を使うっていう形が今後の主流になります。あくまで道具として使用範囲を限定した上で科学とかを使っていくっていう。

具体的に言うと、東洋思想っていうのは宗教です。宗教なんだけど、西洋思想を一神教…キリスト教と言い換えていいんですよ。東洋思想を多神教って言うふうに言い換えても良いです。宗教が1個しか無いか、いっぱいあるかって言う話に入れ替えても良いです。

ここは難しい。ここから先は西洋思想で、ここから先は東洋思想ですよっていう言い方自体が、多分に西洋思想っぽいですよね。それは相当、言語の世界取り付かれていて、今は基本的に傾向を喋っているに過ぎないです。だから僕はなるべく東洋思想っぽく喋ろうとしてるんですね。

これが宗教なんですよ。今後宗教が凄いプレゼンスを増してきて、例えばコロナウルスの対策とかはもう宗教と言ってしまっていいと考えています。コロナ問題は時代の最先端いってるんで、そろそろ宗教ブームのシグナルは始めてるんですよ。この変化に気づいている人は偉いですよ。古田さんと僕くらいしかいません。僕らの話を聞いてください。皆さん、古田さんの話を聞いてください。ちゃんと古田さんの本を買ってください。

コロナで、例えばマスクするかしないかどうかの問題ってあるじゃないですか。あれってどうでもいいんですよ。駅でマスクをつけるのとつけないのとで、どちらが老人を殺す可能性が高いか?みたいなことって、考えても不毛だっていう、そういう宗教があるんですよ。

あるっていうか、考えても不毛だって言う。そういう宗教は、それが便利なら通っていいんですよ。大学教授みたいな話し方になっちゃったんですけど、予備校講師っぽい喋り方になっちゃったんですけど、とにかく「コロナはただの風邪です」という理屈が通ってもいいんですよ。僕はそういう考え方で生きているんで。僕はそこで、見知らぬ他人、見知らぬ老人にコロナウイルスうつして殺したとしても、それはいいんじゃないの?って言うふうに思う。全部がトレードオフなので、それより自分の方が苦しいし辛いから、これはやっていいんじゃないっていうのがあって全然マスクつけてないんですけど。

こういうのがもし、真面目に考えようとか言われたりとか、確かに自分のおじいちゃんと会うかどうかを考えたときに、まじで考えようと思ったら東洋思想。まず宗教。それで、まず僕はマスクが嫌だなと思う。これを言語化しちゃう。東洋思想っぽく生きるレクチャーをしてます。

まず、マスクは嫌だなと思う。メディアがマスクマスクうるさいけど、嫌だな従いたく無いなと思う。これは宗教です。OK! まず宗教を採用したあと、マスクは全然つけなくていいんじゃないかな?と思って、つけない。これを全然やっていいって採用したあとで、例えば友達とかと議論になって「お前マスクつけろよ」と言われたときに、はじめてそこの下を掘るんですよ。

マスクに関して西洋のデータベースを参照するというか、引くというか。論文とかを出しててきて、「なんかデータあるんですか?」って始めるんですよ。そもそもディベートに勝ち負けはなくて、どちらがより科学的かどうかしかないんです。どちらがより正しいかというのは無くて、どちらがより科学的かどうかしか無くて。

どのへんまでお互いに科学的なのか、ディベートするとはっきりするんですよ。だから、ディベートに意味があるのかどうかを最初に決めるのが最重要です。それを決めたあとディベートするときには、マスクとかコロナウイルスとかワクチンとか、もちろん論文を漁るべきだし、西洋科学で培われた膨大なデータベースを参照すべきだし、って感じなんですよね。

 

安楽死の実現

思想、宗教による意思決定が一番大事です。例えば安楽死の問題は現代の未解決問題の一つです。この問題は西洋思想でいくら研究しても無駄です。この問題について僕は、実はビルについて研究する必要があると考えています。

ビルを人が安楽死をするような場にすると仮定します。サンシャイン60の40階までを商業施設にして、そこから上を順々に順番が回ってきて、57階が大ホールで、死ぬ直前に屋上に行って、一旦儀式をしてキャンプファイヤーをやって、57階の大ホールに戻って、大ホールで順番に58階に案内されて、薬飲んで死んで、遺体をエレベーターで40〜47階までで処理するみたいな、そういうスキームを例えば組みたいな。組んでみることに意味があるんじゃないかなとか思ってるわけですね。

これはもう思い込みだから。安楽死を日本で実装するとしたらこうなるんだろうな?という話ですから、そこはもう宗教でしかない。東洋思想ですよ。これは全然論理的に作ったことじゃない、僕の頭の中にあることなので。そのイメージを具現化するときに建築学を知らないといけない。大地震があったときとか、しょうもない話で恐縮ですけど、そもそも構造的にビルの57階をくり抜いて大ホールにいきなりするとか、サンシャイン60は、そもそもくり抜かれてないし、中は空洞の構造になっているのに、いきなりそんなことはできないですよ、とかそういう話が細かくて出てくる。いきなりエレベーター作るとしたら、この辺の位置に作ったほうがいいよとか、そういう細かい話がでてきて、そこは西洋科学を用いるわけです。

 

量子コンピューターに芽生える感情

こういう風にして東洋思想を上位にして、その下に西洋思想及び西洋科学、西洋哲学を掘っていくという、そういう構造で物事を処理していくと早いんですよ。めっちゃ早くなりますよ。

僕は東洋思想を始めるために必須なのが量子コンピューターだと考えていて、人間の頭は、量子コンピューター的に働いている。感情の機能は量子コンピューターとよく似ていると考えています。

僕はしゃべりながら、実はさっき食べた牛丼の匂いを思い出してる一方で、さっき歯磨きしたので歯磨き粉の匂いを思い出している一方で、もしかしたら昔仲良くしていたエロい女性のことを考えてたかもしれないじゃないですか。そういう風に並行処理が量子コンピューターの醍醐味っていうか、本質っていうか。そういう機能なので。人間の脳みその中にもプログラム処理みたいな部分もあれば、並行処理みたいな部分もあるんですよ。並行処理というと、どちらかというと図形処理みたいなもんだと思うんですよ。

僕が古田さんのことを頭良いと思う理由は、まさにここで。僕は結構、AIに近い脳みそしてるんですけど、古田さんの脳みそは量子コンピューターに近いんじゃないかなって思うんですよね。丸とか三角とか、地形とか浮いて見えているって思うんです。重要度とか議論してて、議論の中で重要度とかが立体的に浮いて見えていると思います。

僕は殆ど全ての現象をフラットに捉えてしまって、それでぶわっと計算するみたいな脳みそしてるんで、例えそれが全然重要じゃなくても好奇心がそっち向いて舐めるように考察しちゃうという脳みそしてるので、線形な脳みそと言えます。線形思考を好むっていうか、線形思考を方向付けられて好むというか、線形思考っていうか、そういう感じなんですけど。

古田さんの脳みそは逆で、もっと量子コンピューターぽくて、グラフ処理より図形処理というか、図形思考なんですよね。すごい探知に向いている。探すことが上手いんですよ。ダニエルの脳みそは、観察に向いているんですよ。どちらも人間の能力としては必要なんですけど、観察はAIぽいっていうか、それに対して探索っていうのはARっぽいですよね。

探索とか言うとまさにARですよね。図形思考は量子コンピューターぽいというか、量子コンピューターの役割というのは簡単で、答えがどの辺にあるかというのを探すっていうのが機能になるはずなんですよね。この並行処理で色々な問題を解決しながら、こっちいいぞみたいなシグナルを送るのが量子コンピューターだと思うので、量子コンピューターの開発と共に科学は、ただ量子コンピューター自体は結構しょぼいと思っていて、そもそも最初はもっと人間が色々やると思うんで。そもそもコンピューターがやる必要があるのかどうかっていう問題があるので、僕はそれはもしかしたら違うと思っていて、全然SNSとかのほうが探索機能としては色々な人間の脳みそを並行処理して使うわけですから、もっといいんじゃないかなって。

僕が本当に量子コンピューターと言ってるのは、アカデミズムに忖度してるというか、自分がそういう思考しかできないから、そういうことを言ってるのかもしれないですけど。古田さんの逆転オセロニア評論と僕の量子コンピューター評論というのは殆ど同じです。実はこれから本当に発展するのはソシャゲでも量子コンピューターでもないですね、多分。どちらの性質も合わせ持つ新しい概念が発明されると思います。それを発明した人はチューリングになれると思います。蒸気機関、コンピューター以来の大発明です。

それは誰なのか、どういうものなのかというのは楽しみですけど、そういう風にして図形処理のあとにグラフ処理があるということを認識することで、世の中もう少しくっきり見えてくるんじゃないかなという。これからの東洋思想についてマニアックな議論をしてみました。

以上です。ありがとうございました。

 

 

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