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罪と罰と救済。

タイトルが硬い。書いてて思ったが、他にタイトルが浮かばなかった。

私はまだ小中学生の頃から世の中の事件や事故について強い興味を持っていた。

大きな事件なのにずっと捕まらない犯人が、今この瞬間も社会に溶け込んでいる事を想像して恐ろしく感じることもあった。

高校を出て、大学は法学部に進んだのだが特に法曹界に興味があったわけではなく理由は自分でもよく分からない。

ただその頃から犯罪心理学などに強く傾倒していき、いまだに事件のルポや犯罪者のその後や未解決事件の詳細を読み漁ったりしている。

数えきれない程の凶悪犯罪が未解決のまま時効を迎えており(現在は殺人については時効は撤廃されている)、行方不明のままご遺体すら見つかってない被害者も数多く存在している。

京都の「長岡京ワラビとり主婦殺人事件」や福島の「便槽内怪死事件」や「熊取町七人連続怪死事件」など、不可解極まりない事件が山ほど国内で発生している。

それらについては、機会があれば書こうと思う。


そういった凶悪な事件の中で、当然ながら解明され犯人が逮捕された事件もある。

もちろん、犯人が行った行為は許されるものではないし極刑を持って処罰するのもやむを得ないというのは私も完全に同意だ。

決して死刑廃止論を唱えるつもりもない。

ただ、何故そんな事件を起こしたのか。その背景はほとんど報道されていないし、そこについて考えていかないと何度でも悲劇は起こると思っている。

中には犯人に対して少なからず同情すべき部分もあるケースも少なくない。だからと言って被害に遭われた方には何の落ち度もないのだから、何よりもまず事件が起きないようにする事が重要だと感じている。

ひとつのケースをピックしてみる。

※以下ショッキングな記載もあるため、耐性のない人はここから先は控えてください。

秋葉原連続殺傷事件

2008年6月8日 秋葉原で起こったトラックとナイフによる連続殺傷事件。

犯人であるKは2トントラックをレンタルして、歩行者天国の秋葉原に赤信号を無視して突入し5名をはねた。

その後に降車し持っていたダガーナイフで17名を刺傷。

警察官に取り押さえられ現行犯逮捕された。

一連の暴挙で7名が亡くなり、10名が重軽傷を負った。

犯行の動機は無差別殺人ではなく、自身の居場所としていたネット掲示板が荒らされた事への抗議。

罪状

殺人罪 殺人未遂罪 公務執行妨害罪 銃刀法違反により死刑が確定。

2022年7月26日に刑が執行されている。

Kの生い立ち

青森県青森市に1982年生まれる。虐待とも言える厳しい両親の教育の中で育つ。

⚪︎幼い頃からニコニコしてるだけで「締まりのない顔をするな!」と父親から叱責

⚪︎食べるのが遅いと食事を床に撒き散らされ、それを食べるよう厳命

⚪︎友人との交友を著しく制限され、友人宅に行くことも呼ぶことも禁じられた

⚪︎許されたテレビ番組はドラえもんと日本昔話のみ

⚪︎部活は許可されず、そんな時間があるなら勉強しろと叱責

⚪︎ガールフレンドとの交際を叱責され、断念させる

このような環境の中で隷属させられていたが学業は中学までトップクラスであった。母親の強い希望で県内の進学校へ進む。

しかし著しく閉鎖的な環境で生育したため周りとの交流がうまく形成できず、次第に成績も下降。

母親の念願であった北海道大学への進学は不可能となり、自動車関係の短大に進学する。

そこから幾つかの職場でそれなりに仕事をするのだが、周囲との関係や不満を発散する事がうまく出来ず、退職や無断欠勤などを繰り返し始める。

恐らくは幼い頃から恐怖で支配されてきた家庭環境と、母親による社会との断絶に近い教育方針が彼の「生きにくさ」を作り上げた。

その中で彼はネット掲示板に出会う。

そこで彼は「不細工なせいで孤独な男」と名乗り、彼の書き込みは一部で人気となり支持者や共感者を得る事になる。

彼の人生で初めて出会う「賛同者」だった。

そこで知り合った仲間達と彼は実際に旅行に行くなど、交友を深める事になった。

ここが彼の人生の分岐点だったように思う。

そのまま交友を深め、社会性などゆっくり育む事が出来たならば彼の自虐的な性格はそのままだとしても別の人生があったように思う。

しかし、不運は彼を襲う。

彼の唯一の居場所であったネット掲示板で、彼の名前を語る偽物が現れ始める。そして彼の名前を語り掲示板を荒らし始めたのだ。

幼い頃から累々と積み重ねられてきた「我慢」という爆薬は「荒らし行為」により発火した。

この事件がもたらした社会的変化は大きく、秋葉原の歩行者天国は禁止となり(現在は再開)、銃刀法はより厳格になった。

また犯罪予告への対応も徹底され、現在もそれは変わらない。

その後、彼は家族との面会を全て拒否し、自身の犯した罪の詳細などの書籍を刊行している。

晩年は社会との唯一のつながりとして絵画を描いていた。

この絵は一見普通の絵だが、用紙を貼り合わせて描かれた巨大なものだ。

特筆すべきは、黒い部分は単なる黒ではなく全て「鬱」という文字をドットのように使った途方もない絵だ。

その後の家族

彼には弟がおり、弟は普通の社会生活を送っていた。

事件後も交際相手が居たが、相手の親からは交際を否定されていた。またある日、喧嘩になった際に彼女から「やっぱ殺人者の家族よね」的な事を言われたことで交際を終えている。

悲しいことだが、この弟さんはその後自身で人生を終えている。

両親は離婚し、父親は勤めていた会社を退職。母親はその後精神病院に入院などしていたようだが、現在は1人で暮らしているようだ。

事件としてとても大きく、罪なき被害者が多いため彼の犯した罪は到底許されない。

酌量の余地もないのだが、彼もまた被害者だという視点はあり得ると思う。

何処かで誰か1人でも彼に寄り添えていたなら、多くの方の犠牲を出さなくて済んだのではないかと思えてならない。

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