建築活動家という選択を考える
なかなか寝付けず、変なことを考えていたので、noteに起こします。
8年くらい建築設計の仕事に携わっていて、自分の中で明確化(違和感)できてないことが多々ある。
社会人になりたては、公共建築を手掛ける事務所に所属していたが、計画段階では素晴らしいストーリーがあり、誰もが幸せになるプランが、いざ竣工してみると、どこがズレが生じている気がするのである。
公共建築の使い方は、そこに在籍するプレイヤー(職員さんや地域住民)が企画、実行により、なんとか開けた場所として運用されているケースもあるが、建築家はその企画に密接な関係にあるかというと、そうでは無い気がする。あまり、社会を知らないので想定になってしまうが、日本の公共建築は世界に比べると、どこか虚しい気がする。
次に住宅や店舗など、BtoCにおいてのケース。こちらは公共建築とは違い、個人のお客様とのコミュニケーションによって、建築がおきる。しかし、個人的な建築家像は不思議で、自分の思想が8割ほど建築に落とし込めないと、どこか不安な気持ちが生じる。お客様のお代を預かって、建築をするのだが、建築家は、なぜか作品という自分のモノにしたがるのも不思議な感覚だ。それはデザイナーという仕事の認識になっているのだろう。
ハウスメーカーの住宅が作品ではなく、物品的な扱いなのは、価値観の違い、態勢の違いということでいいのか。
個人のお客様とのコミュニケーションによっての建築は有限でもあったり無限でもある。
無限の可能性については、ご縁から起きる広がりで、ワクワクするような建築が可能性を秘めていること。有限においては、コストや思想のズレが生じた場合だと思っている。
建築活動家には、これまでに上げたズレを好転させる力を持ち合わせてみたい。
地域に溶け込み、住民を豊かにする為の建築とまちに問いかける提案
↑すべて?
被災地で出来る建築の力
↑ボランティア?
暮らしの提案
↑アドバイザーなのか?
こんな場所があったらいいなという提案
↑不動産と協力?
建築家とクライアントが望む方向性のズレ
↑店舗や施設である場合に、クライアントの現場にお邪魔し、アルバイトさせて頂きながら、現場のお試しではあるがリアルを体感し、設計者へ伝える?
提案を行動に実行出来れば、この社会により良い事が起きると建築の力を信じたい。
こんな働き方が出来れば、心のままに行動できるかもしれない。課題としては、仕事として確立できるか。生活が出来るかは未知である。学者とは違い、現場で行動することが求められることもあるので、1プロジェクト単位での立ち回りになるのかもしれない。
OIDE STUDIOは活動家がたくさんいるようなイメージでもいいし、自分が活動してパートナーにお願いすることも出来ると思う。
これからも建築と向き合って、社会に行動していきたい夜であった。
おわりに
深夜の、はちゃめちゃ文なので、都度、編集するかもしれません。ご理解下さい。
建築活動家、響きはかっこいいけどな。
いったい何やるんだろ笑
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