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自分に『合格』をあげれるように


本当は年始にごろごろしながらポチポチ更新すればいいやーと思っていたのだけど、隣で母が『私は記念日とか大事にするタイプ』とか言って残り2時間で足掻きはじめたので、私も隣で勢いとワイン片手に書き上げちゃう2023年の総括!

今年はひとつだけ、カタチになった努力の成果があった。

日本語教育能力検定試験というもので、簡単に言えば現在日本語教師として働くために必須条件としてこの試験の合格が求められることが多い。
今年の春に一念発起して受験を決意。夏から学校に通って10月に試験を受けて、クリスマスの日に晴れて合格証書が届いたのだ…!

落ちたらなんか恥ずかしいからあんまり人には言っていなかったものの、正直めちゃくちゃ勉強した。朝起きてから夜寝るまで、仕事中も、とにかく勉強のことで頭がいっぱいの日々を過ごした。休日には朝早くから試験対策の学校に通った。
高校は推薦入学で大学もエスカレーター入学だったからということもあるかもしれないが、今までで一番勉強した4ヶ月だった。4時間に及ぶ長時間の試験で、聴解問題もあったり手探りの中での勉強のやり方があっているかも自信がなかったが、やれることは全てやろうと決めてやった。

それでも試験の手応えとしては正直全然自信がなく、試験が終わった直後はやりきったという達成感よりも静かに見守って祈ってくれた家族や彼氏に申し訳ないな、と思っていた。

それでもやれることはやったのだ、と自分にいい聞かせて、でも現実に直面するのは怖くて自己採点が出来ない日々を過ごして、試験結果発送予定のクリスマスの日を迎えた。
今どき珍しく郵便というアナログなかたちで結果が届くものだったため、当日の昼間は仕事に手がつかなかったことは言うまでもない。早く帰りたいような、帰りたくないような。そもそも結果の発送何故クリスマス??(時期的に仕方ないんだろうけど)

いつも無心で入るマンションのエントランスで、挙動不審になりながら、なかなかポストの中を覗けずにいた。どうやら前情報を見る限り、合格だと合格証明書が入っているため大きな封筒らしい。(不合格だとハガキが一枚)

目をぎゅっと瞑りながら、
そっとポストに手を伸ばした。
なにか、入ってる??

触れた人差し指と中指に見覚えのある『封筒』の感覚。まさか、まさかと思いながら震える手でポストのダイヤルを回した。

出てきたのは、ポストの大きさいっぱいの大きな封筒。

うわああああああああああああああ

合格!!!!
合格って書いてある!?!?!????

胸にぎゅっと抱きしめて、込み上げる嬉しさと信じられない気持ちで脳が沸騰しそうだった。

嬉しかった。
私にとっては初めて『誰かに』認められた合格だと思ったのだ。いや、正確には高校も大学も合格を頂いて入学しているのだけど。
試験をして、合格を勝ち取るという経験が初めてだった。
合格と認められるだけで、それまでの私の努力は間違っていなかったのだと全てが肯定された気持ちになった。あれ程試験後に『学校が悪かったのでは』とか『勉強の仕方や時間の使い方が悪かった』とか後悔の念に駆られていたのに。結局結果が全てなので、その肯定感は間違いではないのだろうけど…

仮に、もし不合格だったら?
私は全ての過程を否定してしまったように思う。
自分の選択、自分の努力、日頃の行いといったところまで。

私は自分に自信がないから、結果が出なかったときに自分をとことん責めてしまう傾向にある。そして自己肯定感を下げてしまう。
今回は結果として合格だったものの、それは客観的な他者がが認めた合格なのであって。

私が私に合格をあげられる日がいつか来るのだろうか。明確な基準がない、他の人にとっては意味のない、一番曖昧な合格かもしれないけど。

この前Twitter(X)で
『人生は親からかけられた呪いを解く旅』だという言葉を見た。

もしこれが私の『呪い』だとしたら…


2023年では、この呪いを解くことがゴールだという人生の地図を手にしたような気持ちだ。
だからきっと、2024年はこの地図を持って、もっと遠くまで航海に出れるはず。

何年かかっても、自分から『合格証書』を貰えるように、一歩一歩、この旅で前進を続けるしかないのだ。

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