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「月の岬」−静かな海と満月を前にすると口をつぐむ−『名所江戸百景』

今日は明日の朝が早く、帰りが遅くなることを懸念して早めの時間に書き始めます。。。

80日目の広重。今回は『名所江戸百景』「月の岬」です。

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◼️ファーストインプレッション

なんとも日本的な絵でしょう。何をモチーフにしているのかがわからないけれど、気になるところはちらほらある絵です。人間がそこで商売や生活をしているんだなという生活感が散らばっていて、本当に日常の一瞬を切り取ったかのような描写。

細かく見ていくと、気になるのは襖に映る影。花魁のように髪飾りが付けられていて、支度をしている最中なのか、お客さんとの接待中なのか。裾が実物として見えているのがとてもリアルですね。

また手前の松の木の頭しか見えていないのも、この建物の階数からして地上から生えている松が2階まで顔を出せるくらいに生えているのかなと思えます。その奥にある徳利や箸はお客さんとご飯をしていた時の後始末まだな食器たちかな?

奥の畳の上では女性と思われる一人がいて、その横に食器や扇子が散らばっています。行燈もあるのが昨夜からの長い宴であったことを想像させます。

そしてその奥の海の見える景色がとても幻想的。船が何隻も浮かんでいますが、それを気に刺せないほどの青く静かな海。水平線を境に空と反転しているかのような美しさがあります。まるで大きな絵画を飾っているかのような景色の捉え方です。

左の方に浮かぶ満月がこの部屋の中で起こったことを全て知っているかのような佇まいですね。

◼️月の岬の所在

検索をかけたところ、まさに欲しい情報を載せていらっしゃるサイトを見つけたのでこちらを参考に検討させていただきます。

「月の岬」とは、聖坂上の三田台地の月見に好適な場所を指し、済海寺あたりといわれ ている。広重は『絵本江戸土産』の中で「月の岬」を描いて、「この所北は山、東南は海面 にて、万里の波濤眸をさへぎる。実にや中秋の月この所の眺めを第一とす。月の岬の名も 空しからず」と説明し、浜に迫る台地に「八ッ山(谷ッ山)」と書き込んでいる。しかし、 『江戸繁昌記』には品川の北には小さな茶屋と八ッ山茶屋があったと記しているだけで、 豪華な料理屋があったとは書いていない。したがって、品川の名高い妓楼「土蔵相模」を ここへ借りてきて設定したと考えられる。

場所としては聖坂上の三田台地という場所。細かくいうと済海寺あたり。広重自信が『絵本江戸土産』の中でそう記しているということです。

しかし、舞台はというと『江戸繁昌記』によると八ツ山茶屋ということですが、茶屋な見た目をしてない描写だからこそ、場所を借りて品川の『土蔵相模』という妓楼を描いていると予想されています。

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まさに真ん中の赤ピンが八ツ山通りというところですが、八ツ山自体現存していないものなのでこの辺りと仮定して良いでしょう。ここから江戸湾、つまり台場薬局の方面を眺めている位置関係になっているのでしょう。


◼️土蔵相模という妓楼

そしてこの場所に置かれた舞台が土蔵相模という妓楼。

旧東海道に面した飯売旅籠屋「相模屋」は、外装が海鼠(なまこ)塀の土蔵造りだったことで、通称「土蔵相模」と呼ばれていました。土蔵相模は品川でも有数の規模を誇った妓楼で、高杉晋作、伊藤博文ら幕末の志士たちが密儀を行った場所として知られています。

建物自体が土蔵造りだったことからこの名称なのですね。幕末の名士たちが通った場所であったそうです。

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まさにこの2階での景色が絵のような描写になったのでしょう。

ここが飯屋とは言っても妓楼であったことは不文律ですので、2階では絵のように遊女や芸妓が仕事をする場所であったのです。

襖に映る影が遊女であることは一目瞭然ですが、右側にいる女性と見られる人は三味線を弾く芸妓であると言います。

月夜の静かな海を眺めながら奏でる三味線の音色を、静かに聞いている客の物分かりの良さというか、無粋でない性格さえもわかる気がします。

派手な場所であるけれども静かに時が流れている一瞬でした。

夜に生きる人たちを見ることができて面白かったです。今回は月の岬の所在と描かれている妓楼について見ていきました。

今日はここまで!

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