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【不定期】第二回ノベルゲーム感想日記 『親愛なる孤独と苦悩へ』

【始めの挨拶】
 今回の主役は、ものらすさんの『親愛なる孤独と苦悩へ』です。ものらすさん、ありがとうございます!

【感想日記の説明】
 私が気に入ったゲームの感想を「勝手に」書くだけ。そのため、問題等があった場合この記事は削除・修正いたします。紹介とリンクの下に感想があります。感想はネタバレを含みますので、読まれる場合はプレイ後を強く推奨します。
 それでは、始まります。

 以下の紹介と感想は三月くらいに書いたものです。


【作品の紹介】

 長めのゲームがやりたいなあと思って探していたところ、今作を見つけた。
 魂の作品。このゲームについて検索をかけると、そう書いてある文がいくつかあった。調べているうちに、作者の思いが込められたゲームであるということがわかった。プレイ時間も私の期待通り。そう思って、このゲームをダウンロードした。
 とんでもないゲームだった。魂の作品という言葉には、なんの誇張もなかった。こんなゲームが作れるのかと驚いた。すごいとしか言いようがないほどに、私は心を揺り動かされた。プレイしたからこそ言える。このゲームは、紛れもなく魂の作品だと。

 この作品はカウンセリングを通して私に語りかけてくる。
 相談をしているのは間違い無く私であり、キャラクターは自分を重ねる対象であった。そして読み進めていくと、キャラクターはだんだんと私から距離を置いて、個人的な悩みに入っていく。その後私は、キャラクターを客観的に眺めて、応援したりもしながら行方を見守る。
 そして最後にキャラクターは私から完全に離れて、一人の人間になる。こうして私は取り残されるわけだが、残された後には、まこちゃんだけでなくキャラクターもが、自分を応援してくれる存在になっている。
 つまりはカウンセリングを通して変わった姿を見せてくれる。
 これが読者である私にとっては最高の勇気になる。重ねていた自分がいつしか自分を応援してくれる。こんな経験は誰かの人生ではできないだろう。自分の人生と相談者の人生を重ねなければ、これはできない。だから、このゲームはターゲットがはっきりと決まっていると思った。
 親愛なる孤独と苦悩へ
 これに当てはまる人ならば、間違いなくこのゲームから得るものはあるだろう。
 すべての意味を感じよう。

 ダウンロードは上記サイトからできます。


【感想】

 正直にいえば、このゲームに関してあまり言うことはありません。感想は個人的な事情を含むものになりますし、展開についての不満もないので。なのでそれを私自身、十分わかった上での「感想」を書きます。また、この作品に関しては、すでにたくさんの感想やレビューがありますので、評価や批評をお求めの方は、数々の読者さんが残している文章を探して読んでください。
 私は自分の経験と照らし合わせながら、思ったことを雑多に残すという形式でいきます。タイトルをレビュー等ではなく、「感想日記」にした意味はここにあります。

 私情がほんとうに多いのでご注意ください。

 私は姫紗希ちゃん、龍くんを通して、カウンセリングを受けていたと思います。姫紗希ちゃん、龍くん、海くん、そしてまこちゃん。みんなそれぞれに、たくさんの思いを抱えていました。
 最初の頃に思ったことは、なんだか気合いが違うなということでした。オープニングは実写動画だし、絵も差分の量すごいし、涙も汗もちゃんと描いてあるし、画面に映らないのに足先までちゃんと描いてあるし。そして姫紗希ちゃんの涙差分を見たときに私は確信しました。あ、これ涙いっぱい描いてるやつだと。
 私はこの作品、プレイヤーに自分の人生や、自分の苦しさや悩みについて考えてもらう。そうして考えることを通して、今まであったたくさんのことも、これから起こるたくさんのことも、まあそれはそれでいいかと思えるように、みたいなことを思ってつくられた作品なのかなと感じました。間違っていたらすみません。ただ私はそうだと思ったので、この作品を通して私が考えたことを書きます。いろいろ考えたので先述の通り本当に私情ばかりです。
 本作は、作者さんのたくさんの思いが詰まっているのがよくわかります。それはちゃんと作品を通して伝わってきます。そして、物語としての語りかけはいつもやさしい。だめとは言わない。まこちゃんが、絶対に味方をしますというのも、作者さんのやさしさなんじゃないかなと思います。そういうカウンセリングの手法もあるのだとは思いますが、私はきっと作者さんもたくさん悩んだから、まこちゃんがこういう発言をするのだと感じました。
 あまりゲーム以外の部分に触れるのはよくないかもしれませんが、でもそれだけ真剣に作ってあるのがわかります。私もゲームは作ったことがあるので、どれだけの思いがあったのか想像することは、少しだけできると思います。
 この作品は、熱意が、熱量が、尋常ではない。作者さんの人間性と許しで満ちた、本当に温かいやさしい世界だと思いました。作者さんがやさしくなかったら、きっとあんなきれいな終わり方にはしないでしょうからね(と私は思います)。

 ちなみに私はちょっと前まで名古屋に住んでたので、どこかわかる背景もちらほらありました。あ、これ名駅のとこだ。とか思いました(笑)
 私がよく使ってたのは桜通のほうでしたので、海くんがいたところとは逆側ですね。名古屋にはいまだに行くので、他にもけっこうわかるところもあったり。住んでたところが科学館から徒歩十分くらいだったので、科学館とかはすぐにわかりました。


 姫紗希ちゃんは、家庭のことが主でした。
 しかし親に何かを言われて、強制させられるという経験、私はあまりないんですよね。でも見た感じだとかなりきつそうですね。まあ家庭については私もいろいろと思うところあるので、それだけに姫紗希ちゃんの悩みは、他人事とは思えませんでした。観念がある、そうわかっていても、姫紗希ちゃんのようにうまくはできないかもしれない。うまくやらなくてもいいことはわかっているつもり……でも伝わらなくてもいい……と、思えるかなあ。急にはできないというか怖いので、いつかはできるように、頑張りたいです。
 教育実習のことは想像ですが、たのしいと思えないときっとつらいですよね。それも教師になるという目標があるわけでもないので、なおさらだったと思います。まこちゃんが許してくれて、受け入れてくれてよかった。姫紗希ちゃんの少しずつ、少しずつ溶けていく観念を、私も応援しながら読んでいました。
 でも、こういう自分が自分を責めているとか、自分の観念が行動を制限しているとか脳がどうとかの考えって、私なぜか知ってたんですよね。大学の共通教育の心理学ではこんなこと絶対言ってなかったのは覚えているので、自分で調べたんだったかなとか思って、ちょっと思い返してみました。
 で、たぶんネットの匿名掲示板で見たんじゃないかなと思います。たまにあるじゃないですか、そういう悩んでる人の相談にのってるやつ。そういうのをみていたから知ってたんだと思います。それで私はこういうのを知っていたから、結構実践してきたんですよね。そういうわけで少しだけ知ってたので、カウンセリングを受けるというよりはカウンセリングを受けている人を見守る、とか応援する立場でいたようにも思います。まあこんなのは最初だけでしたが。やっぱりかじった程度ではだめですね。
 姫紗希ちゃんは、お姉さんといつかどこかで会ったら、笑って話せますかね。まあでも、笑って話せることが最善とも限りませんし、なんとも言えません。べつにこのまま会えなくても、それはそれでいいんじゃないかなと思います。


 龍くんは兄妹関係が主でした。
 あぁ、龍くんと境遇が似ている……(というかほぼ一緒)。なんともいいタイミングでこのゲームにふれたものだな、と思いました。悩んでいたのは間違いないから、その影響でこのゲームにたどり着いたのでしょうか。
 スピリチュアルだなあ……。
 龍くんは唯菜ちゃんのことが、本当に大好きなんですね。いやあ、兄弟姉妹のなかがよいのは、すごくいいですね。仲睦まじいのはよいことだと思います。
「レッツゴー、クロタニさん」
 格ゲーはちょっとだけやったことあるので少しだけわかります。それにしても、あの描写は本当によかったと思いました。あれだったら格ゲー知らない人も、問答無用で画面に釘付けになりますし、すごいがんばってるんだってわかりますもんね。私も龍くんを応援しながら読んでました。
 あと私はやりたいことって一応は明確なはずなんですよね。ただ、そのためにはいろいろやらなきゃいかんので、そこの踏ん切りをつけるかどうかで迷っているという感じです。でもやりたいことはあるので、挑まないのもなあとは思います。まあ私はたぶん諦めきれなくて挑むんだろうなと思います。とりあえずやるだけはやってみて、その結果できなかったら、まあそれもいいんじゃないかな、と思うので。龍くんが唯菜ちゃんを励まそうとしてかけた言葉は、私にもそのまま届きました。
 龍くんのおかげでこんな今から諦めるのは、はやすぎると思えるようになりました。
 もしやり切ってうまくいかなかったら、てきとうに金貯めて、いつかはやりたいと思っていた日本一周でもしてきます。


 海くんは友だちが主ですね。
 ただ絵にはあまりいい思い出がない……。みなさん本当にお上手ですよね。ものらすさんの絵は、私からするとうまいのですが、まあ上には上がいますよね。絵の優劣を比べたいわけではないですけど。

 少し話が変わります。嫌な人は飛ばしてください。
 優劣に関して。フリーゲームとかだとすべての要素が優れている作品って、決して多くはないじゃないですか。でも、それで公開されているということは、見てほしいところがあるからだと私は思うんですよね。『親愛なる孤独と苦悩へ』でいえばシナリオが飛び抜けているように。
 それでその公開したやつに、感想やレビューでここはこうしたほうがいいと書かれるとき、あると思うんですよね。そのときに、確かにそうかもなあ、と思うなら変えたらいいと思います。適切な批評は作品の向上につながりますからね。でも、そこはこうしたかったからこうしたんだけどなあ、と思うところがあるなら変えなくていいと思います。
 この意見は私の個人的なものですが、「反応が欲しい」「評価されたい」みたいな方であれば従うのも手かなと思います。そういう方は、むしろプレイヤーの需要に合わせると、より反応がもらえると思うので、どんどん研究していくといいと思います。どうすれば受けるのかなあとか考えるのも、けっこう楽しいと思います。
 逆に「こういうのが作りたい」「こういうのを伝えたい」みたいな方は、こういった意見には全然従わなくていいと思います。「ああ、この方には作品の魅力伝わんなかったか、残念」とか思うくらいが楽だと思います。
 まあ厳しい批判も嬉しい感想も、結局はその人の主観でしかないことを念頭に置いておくとさらに楽かも。どれだけ偉そうに上からものを言う人も、この世界の物事の全てを知っているわけではない。その意見は、その人が見たもの、聞いたものという経験から判断されているわけですよ。そのときの優劣の基準は、その人の中にあるものなんです。
 まあ誹謗中傷を目的としていない人の意見なら正当性はあると思いますので、取り入れるかはともかく検討するのはおおいにありだと私は思います。
 また、どんな形であれ否定意見は嫌だという方は、そういうのを一切禁止にしたらいいだけですよ。過敏な自覚があるなら、はじめから防衛するのが賢明です。正当な低評価にも過剰反応して、作者ひいては作品の品位を下げてしまうのが一番もったいない。そして、その正当な低評価に「周りの人も嫌だと思う」なんて言葉は絶対に用いてはいけない。それは「本当の正当な評価」が欲しい方にとって迷惑です。自作にそういった評価をされるのが嫌なら、周りは巻き込まずその旨のみを記載しましょう。
 
 話を戻します。
 海くんはもうちょっと、人のことを考えられるとよいのになと思うことが多かったです。自分のことはたくさん考えたと思いますが、人のことはあまりですよね。尋くんもそこらは強く感じていたでしょう。
 尋くんの涙はすごくきました。かなわないという思いは、自分が一番わかりますからね。どれだけがんばったかなんて、それでも追いつかないことなんて、そんなことは自分でわかってますもんね。私は尋くんのような人を、けっこうみてきたように思います。人前では泣かないし、いつも強がっている。裏での努力も惜しまないけれど、それでもかなわない。かといって努力を惜しまないの知っているだけに、安易な言葉をかけることもできない。
 才能? 実力? それとも努力が足りないだけ? 答えは諦め度合いによって変わるでしょうね。個人的に私は、尋くんにすごく共感を覚えました。
 とはいえ海くんのそういう性格があるからこそまこちゃんを探す! なんて提案ができてしまうので、これはかなり重要ですね。これは海くんにしかできない。カウンセリング歴が一番長い、まこちゃんの教えをずっと支えにしてきた海くんにしかできない。諦めの悪さもいいかんじです。
 正直にいえば、あまりこういう周りのことを見ていないというか、見えていない人って苦手なのですが、海くんは思いっきり突き抜けていくのでそこまでは嫌でもなかったです。むしろまこちゃん探しあたりからは、姫紗希ちゃんや龍くんと同じように応援していました。いつの間にか、応援させられていました。尋くんにも非があるということが描写されていたからかな。


 ついにここですね。まこちゃんの話。
 ここまでひどい状況の人って、私は実際に見たことないです。そういう人もいるとは、いろいろなもので触れて知ってはいますが、それは想像上でしかない。
 でも、あの学校に行けなくて、手が上がらなくて、涙が出てっていう描写は、私にもほんの少しだけわかります。あのような感じではないですが、少しだけ似ているなと思うときがあったので。そしてあの描写は何度も何度も出てくる。正直にいえば、きつかった。でも、他人事ではない分、ぜったいに進めなきゃ、見なきゃ、という思いがありました。
 また、市郷さんの誘いに対して、それさえも行けなかったら私は……というシーンは、わかっていたのにつらかった。わかっていたらある程度は身構えることもできますよね。なのに、身構えていてもつらかった。ああ、まあそうなるよね。と思い落ち込みました。
 この作品に触れるまで、私としては、死にたいほどにつらいのなら、死ぬ選択をすることはべつに間違いではないと思っていました。でも、こういうつらさを実際に見ていると、そういう考えも結局は知らない人間の勝手な考えなんだなと思わせられました。実際私には、こんなにも生きる希望を失った経験がありません。どこまでいっても支えてくれる人がいました。
 本当につらい経験をした人にしか、わからないことってあるんだと思います。私にはここまでの苦しみは味わえない、だからその人がどう思うのかは結局想像でしかない。想像と現実は違います。白状しますと、私は自殺に対してこういう考えを持っていた自分が、嫌になりました。自分のことも他人のことも、あまり否定はしないんですけどね。
 この考えばかりは、浅はかだったなと反省しました。


 まこちゃんが金髪になって
 打って変わって雰囲気は明るくなります。私もまた名古屋を意味もなく歩きたいなと思いながら読んでいました。
 それでこのときに、まこちゃんがカウンセリングを見る描写がありますよね。あれって姫紗希ちゃん、龍くん、海くんのカウンセリングを見ているプレイヤーと同じ状態ですよね。私がした三人を見守るのと同じことを、まこちゃんもする。ここでプレイヤーとまこちゃんがよりいっそう重なるんです。すごいですよねこのゲーム。なんというか、計算されてるなあと感じるところがたくさんありました。
 やたらと多い「……………………」←こういうのとか、キャラクターの表情だったり色反転とか、踏み切りのところのシーンとか、いい演出だと思いました。こういうのはノベルゲームのよさをいかした演出ですね。作者さんが今作を作るにあたり、どれだけの努力をしてきたかは、プレイヤーである私自身が感じとりました。でもきっと、私の想像を遥かに超える努力をされているんだろうなあ。
 そんなこんなでけっこう楽しく過ごすまこちゃん。ひまそうにしていたけれど、心理を学んで自分についても考えて、かなりいい方向に進んでいたと思います。そしてボーリングのバスに乗れなくて、寂しくて、そんなまこちゃんが辿り着いた、カウンセリング。一人目の子が、まこちゃんの味方をしますという言葉に涙を流すのは、まこちゃんには本当によくわかるでしょう。カウンセリングをするにあたっては、そういうつらい経験というものもいきてくるなと思いました。それがいいことなのか? と言われたらわかりませんけれど、人のつらい気持ちをわかってあげられるという部分においては、大事なことだと思います。
 それで、海くん、姫紗希ちゃん、龍くんも出てきて、最後に海くんの章で止まっていたところに戻ってくる。


 お兄さんと和解し、最後のシーンへ。
 この展開って、予想はつくじゃないですか。ホールとか言ってるし絶対なにかは用意しています。それで、なにかなと考えたら、まこちゃんへの感謝だろうなあ。といった感じに予想はある程度つきます。姫紗希ちゃんとか龍くんとかのときもそうでしたが、これってこういうことじゃない? とかその観念の元ってこれだよね? みたいに期待を裏切ることはなかったので。客観的に見てるというのもあるとは思うのですが、常に想像から大きく離れることはなかった。
 それで、このシーンもまあ想定通りだったんですよね。

 姫紗希ちゃんが歌い出すまでは。

 いやもう、びっくりしましたよ。……え! みたいになりました。しかし察しのいい方はこれも気づくものなんですかね。まあ振りがなかったわけでもないですもんね。私は全く想定外でしたが。
 それでああこれはやられたとか思いました。しかもまこちゃん思いっきり泣いてるじゃないですか。あれはずるいですよね。だってあんなにまこちゃんの人生を書いてきて、死んでからのことも書いてきて、こみ上げてくる思いは満タンじゃないですか。それを一気にこう、あふれさせてるまこちゃんがいるんですよ。あれは耐えられる方少ないのではないでしょうか。
 キャラクターというか登場人物を完全に生きている一人間であると認識して、そこへさらに自分の経験全てを使って感情移入をし、友だちを超えた心のつながった存在であるという意識まで持つ私は、耐えられませんでした。思いっきり泣かされました。
 目が潤むとかそんなものではなく、涙が実際に流れ出て、その涙を服の袖で拭いました。そうして歌を聴きながら、少し冷静になって、まこちゃんの気持ちを振り返る。するとまた涙が出てきました。そんな予定ではなかったのに……とか思いながらも、私は涙をこぼしながら、笑顔で姫紗希ちゃんの歌を聞き、みんなの顔を見ていました。

 最後の言葉とかも、よかったですね。姫紗希ちゃんも、龍くんも、海くんも、市郷さんも、そしてお兄さんも。
 涙は止まりませんでしたが、いい気分でした。悩んでいたみんなだからこそわかるまこちゃんのつらさを、最大限に理解しようとして、まこちゃんもそれに応えて本音で話す。ここに至るまでの長い道のりは、細やかな描写は、このためだったんだなと思いました。
 無駄なことなんて、きっと何ひとつなかったんだ。

 だからこそ、
 すべての意味を感じよう。


 この言葉に集約されている意味の大きさは、やった人はきっとわかると思います。
 私はこのゲームが本当に好きです。一人でも多くの人にやってほしいです。そして私は、この『親愛なる孤独と苦悩へ』に追いつきたいとも思いました。そう思えるほどに、私はこの魂の作品に心を動かされました。好きなときに好きなことができる。それが本当に素晴らしいことだと、改めて思いました。
 テストプレイヤー矢野さんのTwitterでの呟きを通して、作者のものらすさんについてほんの少しだけ知りましたが、人間味あふれる方のようですね。あとブログにあった、英語話せないけど海外自転車旅行をしたというのをみて、すごいなあと思いました。その行動力は見習いたいです。
 ものらすさん、ありがとうございました。
 私はあなたがつくりあげた『親愛なる孤独と苦悩へ』のおかげで、自分の道を信じられるようになりました。これからはもっとまっすぐに生きられると思います。


 すこし余談
 この作品の感想について私がお蔵入りにします。と言ったツイート(けっこう前のやつ)なんですけど、「上手な感想は難しい」とか書いてるんですよ。
 ……それは観念ですねえ。
 でも気づいたからよかったかな。あの時もまだ、まあ多分今も、観念には縛られているのかもしれません。でも、それをわかっているかいないかでは、けっこう違いますよね。
 というか実際お蔵入りにした理由は、「次作で書くことに影響が出そうだった」が真実なんですけどね。私情を語るのがいやだなという意識もなくはなかったですけれど、公開をやめるほど大きくはないです。もちろんある程度時間を置いてから見返すことで、書いても大丈夫なことかを冷静に見るためというのもありましたが。
 あと、感情を味わい切るってやつあったじゃないですか。あれやってみたら、なんか悩んでたことの元がすっとわかりまして。今はその気づいたことのおかげで、思い切って創作に打ち込めてます。ほんとうにありがとうございます。もう頭が上がらんです。
 この作品には個人的に多大なる恩義があります。だから布教の仕方も考えようと思いました。それで、複数回に分けて布教したほうが目に留まるかなと思ったので、感想はしばらく経ってから公開しようと決めていました。
 恩義もありますし、それを抜きにしても、本当に一人でも多くの人に知ってほしい作品なので。
 なので今後もちょこちょこ宣伝していくと思います。


【書いて思ったこと】

 感想日記は、私が作品を通して思ったことを残したいから作ったものです。主たる目的は自分で見返すことなので、正直公開する理由は特にないのですけどね。まあ楽しませていただいたからには何かしたいので、ちょっとでも宣伝になったらいいなあ、くらいの気持ちで公開しています。でも宣伝ならツイートするだけで十分な気もするので、やはりこの感想日記はただの自己満足ですね。宣伝効果の程は謎ですが、今後も気に入った作品は紹介していきたいです。
 ちなみに私の感想日記で取り上げる作品は、長編が主になるかと思われます(シリーズ物や、同作者さんの作品を一気にまとめることもあります)。これは単純に、私が長編作品を好むからです。短編のものは、気が向いたら取り上げるかもといった具合です。あとティラノフェスが終わったら、私がプレイしたゲームのまとめはやろうかなと思っています。想定としては一言コメントみたいなのをつけて紹介するやつなんですが、去年やっていた方がいたので私もやろうかなと。ああいうの、うれしいですよね。
 それと私は日々の生活においても思ったことや覚えておきたいことを書き留めるタイプなので、この感想日記が特別負担になっているということはないです。感想を書くために何かをしているというわけでもないので。公開する際に表現を変えたり、変な文章を直したりはしていますが、根本的にやっていることはいつもと同じです。雑多に書き残してある文章を、少し手直しして公開するだけの、ひどくゆるい企画ではありますが、読んでくださる方は今後ともよろしくお願いします。

 今回は私情多めで書きました。このことに関しては、それだけ内面への影響があった作品だという好意的な解釈でお願いします。

『親愛なる孤独と苦悩へ』が教えてくれたことはたくさんありました。自分についてもたくさん考えました。
 そして、それを踏まえた上で、この感想にこの言葉を残しておくのが私にとって今やりたい、好きなことなのかな、と思います。
 まこちゃん、ありがとう。
 ありがとう、ものらすさん。
 ほんとうに、ありがとう。


【終わりの挨拶】

 それでは最後に、ものらすさん、改めてほんとうにありがとうございました。ものらすさんの魂のゲームは、私の魂をも動かしました。この作品に出会えたことを、私は心の底からの自信を持って、胸を張ってよかったと言います。やったことない方は、ぜひやってくださいね。ほんとうにいい作品ですよ。
 それでは、今回はものらすさんの
『親愛なる孤独と苦悩へ』
 を取り上げさせていただきました。
 ものらすさん、ほんとうにありがとうございました!

 この挨拶をもちまして、『不定期 第二回ノベルゲーム感想日記』は終了です。
 私のノベルゲーム感想日記はタイトル通り、不定期ですので、次回は二週間後かもしれませんし、二ヶ月後かもしれませんし、二年後かもしれません。もっと後かもしれません。気が向いたときにやります。
 それでは、失礼します。
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【追記】新作の話を書き終えたときに書きました。七月中旬頃。
 次作で書くことに影響は思いっきり出ました。でも、それは決して悪い方向には働いていません。この作品がなければ、私の新作はあのようになっていませんでした。でも、ものらすさんのおかげで、あることに気づくことができた。もし親愛なる孤独と苦悩へという作品にふれていなかったら、あの締め方にはできませんでした。
 ものらすさんのおかげで、私は自分の物語を最高の終わり方にできたと思います。私はやっと、自分なりの答えを表現できました。
 あなたの熱意に救われました。
 あなたの魂に助けられました。
 ほんとうにありがとうございます。
 ほんとうに、ありがとうございました。


【追記の追記】新作がゲームとして完成したときに書きました。八月末頃。
 このゲームで表現されていることって、ずっとずっと苦悩のあったまこちゃんが、最後の最後にはそれを悪くないと思えたということですよね。これを踏まえると、『親愛なる孤独と苦悩へ』が同人ゲームとして出される予定だった意味、今はフリーゲームとして誰でも手が取れるゲームになっている意味を考えさせられます。
 ものらすさんには、ゲームとして表現したいものがあったんだと思います。自分の思いを、伝えたかったんだと思います。自分と同じく悩んで生きてきた人を、肯定してあげたかったのかなと思います。これだけの熱意を注げるのですから、こんなにも丁寧に作られているのですから、それは間違い無いかなと思います。
 そうして確かな思いが込められた、ものらすさんの思いに溢れたこのゲームを読んで、私が受け取ったものはたくさんありました。
 『親愛なる孤独と苦悩へ』は、私の一番好きな系統の、思いが強い作品です。そして『親愛なる孤独と苦悩へ』に憧れた私は、似たように思いが強いゲームを作りました。それは私が、『親愛なる孤独と苦悩へ』から得て進んだことも形にしたかったからです。新作は当初の予定では、あそこまで暗い部分を描写する気はありませんでした。だけど、私はものらすさんの思いに心を打たれた。そして私も、魂を込めた創作がしたいと思った。
 私は『親愛なる孤独と苦悩へ』への憧れから、自分のゲームを大幅に変えました。全力で思いを込めたので、憧れの作品に、少しは私も近づけたのかなと思います。模倣ではなく、確かな自分の思いでもって。
 ものらすさん、ほんとうにありがとうございました。