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2022.8.12 割られたスイカのゆくえはどこに

蒸し暑い夏の夜が続いていたけどその日は接近中の台風のおかげで風が吹き荒れていて涼しかった。ジョギング中に流れる汗は全て乾いて、なかったことになる。家まであと2キロ、イヤホンから流れる音楽に合わせて走るテンポをあげていきサビで全力疾走しようとしたその瞬間、LINE電話の着信音が横入り「今からスイカ割りしない?」と同期の松本人玄から誘いがきた。

待ち合わせは0時12分。終電で最寄り駅まで来てくれた提案者。こんな時間でもやってる西友、24時間営業なんて初めて知った。スイカ1玉、冷えてはいない。温度はこの際どうでもよかった。

公園を探して適当に歩く。駅の向こうはあまり詳しくない。マップを頼りに見つけた公園は深夜にもかかわらず先客がちらほら。友達と長電話する人やベンチの枠にすっぽり納まって寝る人。人目を気にする俺たちはこんなところでスイカを割れない。

次の公園には誰ひとりいなかった。二人で静かに喜んだ。ところがなにかが妙だった。霊ではない、ブランコだ。鎖が他の公園に比べて間違い探し程度に長かった。微妙な違和感が、その公園の不気味さを際立たせている。だから、あの場所には誰もいなかったのかもしれない。

スイカを袋ごと地面に置き、その辺に落ちていた太い枝を、いい塩梅のサイズに折って振りかざす。二人で交互にスイカを叩いて、3回目で真っ二つになった。

グロテスクなスイカ(グロテスカ(バラライカ))

断面キモい、そして重い。いびつで生ぬるいスイカ半玉をどこから食べればいいのか悩む。水飲み場の角にぶつけてさらに小さく割ることにした。前歯を果肉に沈み込ませると、果汁が飛んでTシャツは赤まみれに。

そんなことお構いなしにじわじわと左腕に乳酸が溜まる。こんなに重量のあるものが今から全部お腹に入るのか。俺は暴力的な量の生ぬるいスイカを食べるという拷問を自ら行っているマゾヒストだ。

さすがにお腹いっぱいになってきた。甘さのゲシュタルト崩壊も始まる。松本玄人はもう食べ終わったのに自分の両手にはまだスイカがある。終わらないスイカ地獄に耐え切れず食べるのがどんどん嫌になる。この夏、いや、もう、あと1年はスイカを食べないと決心した。スイカのせいで夏も嫌いになった。海行きたいなあと思っていたけど、もう、十分。夏をこれ以上浴びたくない。

スイカを食べやすいサイズにしようと握力で裂こうとしたら、弾けて地面に落ちてしまった。砂だらけの果肉に水をぶっかけて洗い落とそうとするけど、ええい、もういいや、めんどくさくなり食べるのを放棄した。やけになって排水溝の網にスイカを押し付けて大根おろしみたいにすりおろした。子供の頃の無邪気さを取り戻したように無我夢中でスイカを削り、溜まっていたストレスが一気に解消され、たのしくてすごい笑っていた。

そのあと全身に染み渡った甘さをかき消したくて味の濃いラーメンを食べた。それから始発までだらだら散歩して4時52分にお別れした。

胸はもっと汚れている
スイカとラーメンを食べるときは白い服を着ないようにしよう
早朝

早く夏が終わってほしいしスイカはもう食べられない。でも、いい思い出になった。

ってなに美化しようとしてんだ。食べ物を粗末にしているんだぞ。謝れ。

ごめんなさい。

あれから、ふと考える。あの時すり落としたスイカは排水溝の網の下に永遠に存在し続けるんじゃないかと。腐り、黒くなり、異臭を漂わせながらもずっと自分を待っているんじゃないかと。いつか自分も誰かにあの排水溝の網の下に落とされるような気がした。あの網の下が自分を収容するために作られたスペースのように思えた。一生そこに閉じ込められて死ぬまで罰を償うんだ。ずっとあのスイカと同じ場所で寝る、そんな気がしてならなかった。その様子は24時間ライブ映像で流されている。それは誰かの娯楽になっている。

しばらくして、あの時の自分みたいに、溝に何かを落とすやつが現れる。そして、そいつも同じように誰かに突き落とされてしまう。その瞬間、自分とあのスイカは排水溝からふっと消えていなくなる。この世界から跡形もなく。下水に溶け出して川から海へ流されたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。順番が来て、居場所を奪われた。自分が落ちる前にもきっと排水溝には誰かがいたはずだ。でもスペースが足りないから、だから消えていなくなる。ただ、それだけの事。

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1年後。今年の夏はスイカを食べずに終わった。2022年のスイカを越える出来事はなかった。

最近、なんとなく菊次郎の夏を見て、2回だけ映された風鈴のカットが妙に印象に残った。summerはまったく刺さらず

ぼんやりと生きていくの、やめたいな!

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銭ズラ