これ以上お金を使えば大家さんに謝ることになりそうだ。わずかな貯金も削れないので食事もまともにできていない。いっそのことこの家の地縛霊になってカロリーとは無縁の生活を送りたい。だけど今、浮遊感を感じるどころか、むしろ重力を全身に浴びているような気持ちだ。ふらふらの体で布団を敷いた。明かりを消すとき、アドレナリンに脳を支配され意味もなく枕を投げたり取っ組み合いをして遊び疲れ眠り果てた修学旅行の夜を思い出した。消灯時間を迎えたとたん自分の中のスイッチが切れて急に眠気が襲ってきたっけ
春中頃、日々のなかに新しい体験を散りばめようと思った。ひとり焼き肉、ひとりカラオケ、知らない街や美大の卒展、映画、展示会、ジャズクラブ。足を運ぶ度に脳は喜び、腕の血管は、誰かに操作されているように、「ありがとう」の文字を描いて浮かび上がった。全身から感謝されている。もっともっと「ありがとう」をくれ。俺と脳と肉体で仲良く「生活」やってきましょうよ。彼らと幸せな日々を過ごしていくはずだった。なにかがおかしい。こんなに素晴らしい日常をどうして俺は味わえている。それは、紙幣の犠牲のも
おかのした2章というライブに「沙悟浄」として出た。出たと言ってもネタはやっていない。客席の最前列の端に1時間半もの間、立たされただけだ。それだけじゃない。舞台に決してあがってはいけないという制約までついている。読んでも意味がわからないと思う。わかりやすいように話をまとめると、要するに、「舞台にあがってはいけない沙悟浄がネタをやらずに客席の端で1時間半立っていた」ということだ。きっとこんなことが地下ライブでは常日頃行われているんだろう。地下ライブとして、正しいと思う。その日限り
今の「大喜利」の立ち位置は昔で言うところの「クイズ」や「なぞなぞ」に近いもんなんだろうか。最近では頭の体操として企業も取り入れているらしい。いつからか大喜利だけやる番組が生まれ、大喜利だけやるyoutubeチャンネルも生まれ、そして、大喜利カフェ「ボケルバ」も生まれた。もう駅構内の1枚のタイルに大喜利が書かれているという「大喜利床」があってもおかしくないところまで来ている。 同期2人に誘われてボケルバに行ってみた。誘われたら嬉しいし、新体験は脳の刺激になるから断る理由が見つ
空白の1日。なにがあったのか思い出せない。俺のポーネグリフにはきっとなにも書かれないであろう1日。本当に何も覚えていない。ずっと家にいて大阪湾の底で漂うワカメのようにだらだらしていた。 以前考えたことについて書こうと思う。 喫茶店にいると感情のないロボットのような気持ちになる。居心地が良すぎてなにもする気が起きない。なにも始まらない。時間が停止している。ただただくつろいでしまい気だるい感じがより加速される。ジャズが耳にまとわりつく。睡眠を誘うソファがうっとおしい。コーヒー
「まるで、自分の世界があるじゃん」 最近ポッドキャストで聴いたその言葉は、妄想の世界を飛び回るだけで満足している今の自分を、端的かつアイロニカルに突き刺して、共感を誘わない感情を今から言うよ、嬉しかった。 その皮肉の槍を自分の脳内世界にある自室に家宝として飾りたい。脳内にずっと横置きしていたい。しばらくその部屋には戻らないつもりだ。帰らないようにしようと思った。外に出て色々経験することに決めた。実家を脱ぎ捨てトー横という非日常の皮を被る少年少女みたいに。 こんないきさつ
3ヶ月ぶりにjetgigのオーディションに行った。いつも申し込んではいたけれど、自分のネタが面白くなさすぎて体調が悪くなり休んでいた。しかし、行動しないことは悪だというマインドに切り替わりつまらなくても出ることにした。 まずはオーディションに行くハードルを下げる必要があった。道具作りやなにかを演じるといったことがもう面倒くさい。体だけ持っていけばいい漫談をやることにした。ネタのテーマはコンビニにした。やり尽くされているテーマの方が笑いは取りづらくなる。だから新しい切り口やら
雨は水星が地球に送り込んだスパイだ。人々のバッグに染み込み、その中に本があれば侵入して文字を読む。そうやって得た知識を水星にテレパシーで届けて水星人は文化と教養を身に付けていく。 雨の日にブックオフへ本を売りに行くときは注意しなければならない。大量の本を持ち運んでいる人間は水星人の格好の餌食だ。俺は防水バッグを使う。もちろん雨から情報を抜き取られないためだ。水星人の養分になってたまるか。俺から搾取できるのは、弱者を救うポーズだけ取って強者が得する構造になっている、正直者が馬
親の扶養を外れた。昨日は自分にとって人生最後のこどもの日だったかもしれない。子供から大人になった瞬間をはっきりと自覚している人はどれくらいいるだろうか。一人暮らしとか、結婚とか、親の死とか、人生における大きな出来事は大人に変わるきっかけになりやすい。自分は親の扶養を外れたけれど、正直言ってまだ子供。未だに高校生と間違えられるし人として未熟なところも多々ある。一人暮らしをしているけれど、子供から大人になる瞬間をまだ体験してはいない。 子供から大人になる瞬間を自由にカスタマイズ
こどもの日。鯉のぼりを2つ用意し、1つを内干し、もう1つを外干しにする。外の鯉のぼりは風を受けて忙しそうにはためいている。中の鯉のぼりも窓から入る風に押されてお気持ち程度に揺れ動いてる。その2つの鯉のぼりを結んだ直線の中心を探す。おそらくそれは窓際にあると思われる。そこから2, 3歩後ろへ歩き、そこに2つの鯉のぼりと平行な面をイメージした。その平面に沿って家を切断し、さらに2, 3歩後ろへと下がる。すると鯉のぼりが2つとも視界に映った。寄り目で2つの鯉のぼりを重ねるとなにかが
同期のある2人はいつも映画に誘ってくれる。今回見たのは「砂の器」。大学生のときu-nextで見たけど途中でそっと停止ボタンを押した。昔の映画は早口でなにを言ってるかわからない。だけどこの2人とならどんな映画だって見れるんだ。1つのMRIの中に3人で入ることも可能さ。たとえ、ひとりぶんの検査結果しか出ないとしてもね。実際は、お金を払い、しかも周りに友達もいる状態で、映画を雑に受け取るほど高い地位についていないだけです。今はどんな獲物にも必死にしがみついて貪り食うしかない。僕らは
きょうのおおさと 吉祥寺駅北口すぐ目の前のサンロード商店街を少し左に外れたところ 地下へと続く階段を降りると歴史を感じさせる店内が見えてきます 老舗ジャズクラブ「サムタイム」 有名なジャズソング moanin'とtwo for tea に加え いくつかのオリジナル曲が演奏されました 軽やかで、力強く、哀愁漂う、生のジャズを目の前で聴けて大満足のおおさとなのでした きょうのおおさとでは日本全国の様々な環境で暮らす個性的なおおさとを募集しています。ご応募お待ちして
幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました 幾時代かがありまして 冬は疾風吹きました 幾時代かがありまして 今夜此処での一と殷盛り 今夜此処での一と殷盛り サーカス小屋は高い梁 そこに一つのブランコだ 見えるともないブランコだ 頭倒さに手を垂れて 汚れ木綿の屋蓋のもと スラーン スローン ポールスローン ふと、国語の教科書に載っていた中原中也の詩「サーカス」を思い出し、これ以上暇が膨らむと不快な域に達しそうだったので「ゆあ
つい最近まで、水曜日はサービスデイで映画料金が安くなるなんて知らなかった。 『「水曜日は映画を安くしよう」と最初に決めた映画館がもう取り壊されてるのかまだ取り残されてないのか』問題についての俺からの提言まだなのかという声が全国から数多く寄せられていない。ひとっこひとり聞いてこない。それでも意見を言わせてほしい。おそらくその映画館は既に取り壊されている。取り壊されているというか、旅に出たんだと思う。塵になり風に乗って世界各地を吹き渡っている。イギリス、フランス、インド、アメリ
仲のよい友達よりもまだ関係性が構築されていない初対面の人と一緒にいる時の方が盛り上がることがある。それと同じ理由で、自分は日本語よりも英語の方が好きだった。たいして日本語を知らないくせに、味わい尽くしたと錯覚して、英語の方に目移りしたのだった。こんなのは音楽に飽きて絵を描き始めるサンボマスター山口と同じだ。 単語帳を暗記する時、載っている英単語とその和訳をセットで覚えるのが普通だ。ところが、自分は英単語の横に書いてある日本語の意味がちっともわからなかった。 たとえば、単語
夜更かしを続けて昼夜逆転生活になったので無理して起き続けることで夜に寝る生活へ戻すという荒業を行うことにした。19時くらいか、意識の糸がぷつりと切れ机に下唇をぶつけ口の内側から血が出てしまった。俺はとても嬉しかった。忘れていたあの頃の日常を思い出すきっかけになったからだ。 俺は元来、興味のない科目では百発百中寝てしまう生徒だった。授業中に何度も机に頭をぶつけ定期的にガンと大きな音を鳴らす、人間楽器に志願せずともなっていた。時には、俺の奏でる音色に合わせて後ろの席のやつが指揮