「港区おじさん」全話一気見してしまった

昨日、「港区おじさん」を一気見してしまった。YouTubeで公開されていたショートドラマだったのが、人気に火がついて2年間120話まで公開され、映画サイズのものまである。
(ちなみに今日は今から映画サイズも見るつもり)

朝から夜中まで、多分15時間くらい見続けちゃった。
・・・自分でもどうかしてると思う。


あの港区おじさんの船田さんに、そっくりな人を知っている。

私はその人に、恋をしていた。

ドラマの船田さんが、あまりにもその人まんまで、見ていてクラクラした。

ファッション、歩きかた、髪型、メガネ、スーツ、佇まい、セリフ、価値観、とぼけかた、忘れかた、優しさ、鈍感さ、行動力、包容力、食べ方、はしゃぎかた、笑いかた。
全部似てる。

もちろん私は港区女子でもないし、東京に数えるほどしか行ったことない田舎者だけど、彼は正真正銘の東京生まれ東京育ちのしかもセレブ出身の人だった。

彼の隣に並んでいたくて、私は、ずいぶん背伸びをした。

ドラマの中で彼が「女を放置するのが優しさだと思うのは間違いよ」と指摘されるシーンがある。
いやもう、ホントそれ。
にこにこ笑って、「かおりちゃんの望みが僕の望みだから」「かおりちゃんの意思を尊重する」ってなんでも私に決めさせた人。
自分の意見は、ほとんど言わなかった。

あれ、それってズルいんじゃないか、と思った時にはもう、戻れないところに来ていた。

でも、肝心なことはひとりで考え、ひとりで決める。誰も懐に入れない。
でも、決めたらもう、あとはいつの間にか周りの人がなんとかしてくれる。

そんなところもそっくり。

私はその人のこと、大好きだった。


今でも思い出すいくつかのシーンと、ドラマの中のセリフが本当によく似ていて、思わず何度か泣き笑いをしていた。

唯一無二だと思っていたものは、人気ドラマのセリフ回しくらい汎用性のある言葉だったんだな。

なんて、今更なことを思った。

彼のために頑張ったことがたくさんあった。
あの人の描く未来を私も見たいと思ったし、一緒に作りたいと思った。
1番近くでそれを感じたかった。
ただ、そばにいたかった。
役に立ちたかった。
かおりちゃんをスカウトした僕の目に狂いはなかったね、って笑って欲しかった。

ただ、それだけでよかった。

船田さんのことが大好きな由美は、ドラマの中で問う。
「私が船田さんにしてあげられることってなんだろう」と。

私も何度も何度も考えた。
出した結論は、由美と同じだ。
「私が成長し、自律すること」だった。

甘えない。
寄りかからない。
頼らない。
期待しない。

そういう対応に慣れた頃。
甘い時期がもう、とうに過ぎていたことを知った。
その恋は終わった。

結局、最初から最後まで、私は片思いだったのだろう。

あの人は本気で人を愛したことがないと言っていた。
自分にはその資格がないと思うと。
でも、愛することを思い出させてくれた、諦めていた人生が蘇った、なんてセリフを私にくれたけれど、きっとあの人は、ドラマの船田さんのように「言ったっけ?」と品よく笑うのだろう。

そういう人を好きになってしまったのだ。
それはもう、惚れた方の負けなのだ。


「来世ではもう少し早く出会えたらいいね、必ず見つける。約束ね」

その約束を、私は一生忘れない。

あの人が死んだら、私はそれを風の噂で知るのだろう。

私は今はまだ死ねないから、できるだけ長生きしてほしいと思う。
そうすれば、今の年齢差が少し埋まる。

そんなことを思うくらいに、私はまだ彼のことを想うのだ。


そんな私にとって、「港区おじさん」は、ただ外見が似ているモデルの加藤章太郎さんが主演というだけじゃなかった。
完全に、記憶の蓋を開けてしまったし、なんというか、少し記憶の色を変えたかもしれない。

ああいう人種が、港区には生態系としているんだな。(もちろんあれがデフォルメだとは理解しているが)
危険な魅力だわ。


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