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酔った勢いで、信玄公と共に語る


酔っぱらって普段より気が大きくなることってありますよね。
わたしは父親に似てお酒は強い筈なのですが、ビールジョッキ2杯でかなりいい感じに出来上がります。
コップじゃなくて大ジョッキ。
ただひとり今、飲んでいるのは真っ赤な缶の新本麒麟。
ほろ酔いになったところで、唐突に夢を語りたいと思います。長くなっちゃうかも。
誤字脱字ありましたらご勘弁を。


世の中、何はなくとも人だと思うんです。
信玄公もいいましたよね。
人は城。人は石垣。人は掘。だと。


工場などで、素晴らしい技術を持ったその道のプロと呼ばれる人たちの手が機械に取って代わられ、そこで働く人は必要とされなくなりました。
どう頑張っても人の手よりはるかに生産性が高いからです。
この生産性というのが曲者です。
生産性に一番の価値が置かれたこの世の中ではなんらかの事情により働くことが出来ない人、障がいを持つ人、心や精神を病む人、子供を授かれない人、すべてがその対象になってしまいます。
先の信玄公はこうも仰っています。
我、ひとを使うにあらず。
その業を使うにあり。

その視点が現代ではすっぽり抜け落ちているのは悲しいことです。

逆もまた然り。
ひとの心や精神を病ませてしまう社会は生産性を損なってやいないでしょうか。
若者(だけではありません)の心身を損なわせ、人生を狂わせてしまうその人たちはこの世界から生産性を損なっていないでしょうか。
誰かの働く意欲と場所を奪ってしまうことはひいては社会の生産性を損なうことに繋がっていませんか。


遠い昔を思い返すとわたしにもありました。
上司はとにかく『気に入らないと決めた人』に対して暴言を吐く人でした。
いついかなる時であってもその対象になった者には容赦なく恫喝、詰問(難癖ともいう)、その答えに満足できないという理由でまた長時間ネチネチ。
周りは同情はしてくれますが、基本我関せず。
わたしは言葉が出なくなりました。
いらっしゃいませと言おうとしても、どうしても言葉になりません。
い、いら、いら、と壊れたロボットのようになり、言葉を発することが恐怖になりました。


そんなわたしを救ってくれた人がいました。
取引先の会社の方で、温厚穏やか。
件の上司の無理難題にも笑顔で気持ちよく切り返す対応力は今でいうところの『神』でした。
その方はお客様の来店時にわたしが声かけができないことをわかったようでした。
すると自ら接客し、お買い上げという段になると
はい、オラヴさん、お願いねと笑顔でレジへお客様を案内してくれました。
わたしはレジを打ち、包み、お品物をお渡しすればいいまでにしてくれたその方のことを今も忘れることはありません。
わたしは励まされ、許され、応援され、助けられたのです。


わたしにはその時のご恩返しがしたいという夢があります。
あの時、ドン底にいたわたしを救ってくれた方のように、今度はわたしがあの時のわたしを救ってあげる番だと思うのです。
まだどういう風にすすめていったらいいのか暗中模索状態ですが、ひとりひとりが肯定され生きやすく働きやすく、どんな人であっても自分の価値に気づいて生きていける世の中になるようにしたい。
できるかは置いといて(笑)


さきほどの信玄公の言葉には続きがあります。
人は城。人は石垣。人は堀。
情けは味方。仇は敵なり。



まさか飲みながら信玄公と夢を語れるとは。
酔ってるから。
少しだけ酔ってるから。
まじめにね、語ってみた。


昨夜のnote、読み返すと恥ずかしいです。
でもせっかくなので投稿しちゃう😆
長くて酔っ払いでごめんなさい。



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