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70年代以降、わが国で隆盛を極めることになった「僕小説」。その礎として、60年代に人気を博した「僕ソング」や「僕歌謡曲」があったに違いないという話

人気文学系YouTube『何か分かりづらいチャンネル』(2021年10月28日分)より。わが国における「僕小説」の隆盛は、庄司薫の芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969年8月10日発行)から始まるという論旨。

主人公の「僕」により語られ、物語が進行する小説が「僕小説」。『赤頭巾ちゃん~』嚆矢説に自分はなんら異論はない。

ただ、つけ加えて言いたくなったのは、その「僕小説」の礎と言うべき、60年代の音楽シーンにおける「僕ソング」、「僕歌謡曲」の隆盛について。歌詞の中に「僕」が出てくる60年代の曲をざっと挙げてみると、

坂本九『明日があるさ』(1963年)、『涙くんさよなら』(1965年)
三田明『美しい十代』(1963年)
舟木一夫『君たちがいて僕がいた』(1964年)
西郷輝彦『君だけを』(1964年)、『星のフラメンコ』(1966年)
橋幸夫『あの娘と僕』(1965年)
加山雄三『君といつまでも』(1965年)、『お嫁においで』(1966年)
荒木一郎『空に星があるように』(1966年)
山内賢&和泉雅子『二人の銀座』(1966年)
ザ・スパイダース『夕陽が泣いている』(1966年)、『あの時君は若かった』(1968年)
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ『ブルー・シャトウ』(1967年)
ザ・タイガース『僕のマリー』(1967年)、『君だけに愛を』(1968年)
オックス『ガールフレンド』(1968年)
パープル・シャドウズ『小さなスナック』(1968年)

「僕」がたくさん(選曲は自分好み)。一方で、1962年以前の大ヒット曲、

第1回日本レコード大賞の水原弘『黒い花びら』(1959年)
第2回大賞の松村和子&和田弘とマヒナスターズ『誰よりも君を愛す』
第3回大賞のフランク永井『君恋し』(1961年)
第4回大賞の橋幸夫・吉永小百合『いつでも夢を』(1962年)

などの歌詞には「僕」が出てこない。『黒い花びら』は「俺」。ほかの曲は「君」が出てくるのだから、フツーに「僕」が出てもよさそうだが、ない。あえて出てこない感すらある。

個人的感覚からすれば、坂本九の「僕」が大きい気がする。あの全米No.1ヒットには出てこないが、「僕ソング」はいくつもいくつもある。『見上げてごらん夜の星を』(1964年)には「僕ら」が出てくる。坂本九には「僕(ボク)」がピッタリ、ハマる。

『もう一人のボク』『ボクの星』は1962年のシ
ングル・ヒット(自分は今回初めて聴きました)


初期の石原裕次郎は「俺」や「オイラ」が合う。やはり、「僕ソング」「僕歌謡曲」は、坂本九以降に広まっていった感がある。親近感溢れる等身大のスタアの曲が好まれるようになっていったという流れ。男として多少弱っちくても、ナイーブでも、真摯でまっすぐで誠実ならいいじゃないかと。

いや、加えて、重要な「僕ソング」がある。ザ・ビートルズの楽曲だ。和訳の歌詞カードには「僕」(そして、「君」)がいくつも見られた。聴き手に与えたその影響は計り知れないだろう。ストーンズは「俺」が合う(ザ・テンプターズも基本は「俺」だろう)。

おそらく、庄司薫はこれらの曲が大好きだったはず。満を持して作品を書く際は(言わずもがな、『赤頭巾ちゃん気をつけて』)、これらの楽曲の「僕」よろしく、若者の感性にフィットする「主人公の僕語り」で行こうと考えたのだろう。

最後に自分が大好きな「僕ソング」。ザ・ランチャーズの『真冬の帰り道』(1967年)

“あなた”と来たら“私”となりそうだが、“僕”と来る。とても良い。自分はこの曲を聴く度、歌う度(笑)、内藤洋子(=あなた)が頭に思い浮かぶ。喜多嶋舞は浮かばない。

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