🗝📌大熊猫📚📝

水をかけるとパンダになりお湯をかけると人間に戻ります。

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最近の記事

林芙美子と西村賢太は似ている

林芙美子の『放浪記』を読んでいる。これが実に面白い。この面白い小説を青空文庫で0円で読めるのだからいい時代だ。 アンパン売りからセルロイドの人形作り、カフェーの女給と女性の根無し草的底辺生活を割と明るくかつ切なく詩的に描いていて大変読ませる文章だ。 何かに似ていると思った。 西村賢太の私小説だ。男性の日雇い労働と風俗嬢との情事を赤裸々に詩的に語っているのが西村賢太なのだが、林芙美子は女版の西村賢太との印象を持った。 底辺の生活感情というものは切なく詩的だ。そんな世界を

    • グローバルリベラリズムの理念

      北岡伸一の『覇権なき時代の世界地図』新潮選書を読んでいて同意できる記述があった。 "私はG7などのいわゆる西側が体現している近代の理想──自由、民主主義、法の支配など──が死んだとは毛頭思っていない。今なお、重要な原則だと思っている。中国やその他の新興国に、世界にアピールする普遍的原理があるだろうか。"という記述だ。 かつてフランシス=フクヤマという人が自由と民主主義が人類史の最終段階であって歴史は終わったと言ったときに、世界はそう単純じゃない、イスラム原理主義の台頭など

      • ヘーゲル解釈について

        僕のヘーゲル解釈は池田晶子のヘーゲル解釈である。 その特徴は絶対精神についてのもの。私とは何かという存在論について、私とは何かとさらに問うたときに、その問うたところのものは何かというものである。 私を認識するところのものこそが絶対精神であり、人間の精神の歴史とは、絶対精神が絶対精神そのものであると一体的に認識するものということである。 絶対精神こそが存在するのだ。

        • マッドサイエンティスト

          映画などに登場するマッドサイエンティストは論理のみを追求し一般常識から離れた行動をとる。 作家チェスタトンは「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。」と言っている。 偉大なる保守思想家であるチェスタトンは一般常識こそが肝要だと言っているのだ。 僕はよく一般常識を学べと言われるのだが大変耳の痛い話である。

        林芙美子と西村賢太は似ている

          同時代から離れると死んでしまう文学

          大江健三郎はかつて同時代から離れると死んでしまう文学を書きたいと言っていた。時論を書くという意味にも取れるが、文学の役割として政治的な立場をはっきりとさせ、社会への影響に責任を持つという意味もあるのだろうか。 『戦後フランス思想』という本を読んでいて、その中にサルトルの紹介があり、サルトルが作家は社会への責任があるというようなことを言っていて、サルトルと同じようなことを大江健三郎も言っていたのかもしれない。 作家は芸術至上主義にならずに現実社会への時論も発表していくべきと

          同時代から離れると死んでしまう文学

          哲学書を読むということ

          バッハの同じ楽譜なのにグールドの弾くバッハと他のピアニストが弾くバッハはぜんぜん違う。音楽は作曲家のものか演奏家のものかという問題だ。 哲学書を読むという行為はどうか。読み手によって解釈が変わってしまうというのはどうやら具合が悪そうだ。あらゆるテクストは誤読可能性に開かれているが、誤読と言うくらいだから哲学書を書いた著者と違う思考をすることは間違いなのだろう。 だとすると哲学をするという行為と哲学書を読むということは別の行為のようだ。哲学するとはあくまでも自分の頭で考える

          哲学書を読むということ

          消費が伸びないことについて

          3月の家計調査で前年同月比が1.2%減少と13カ月連続で前年同月比減少となっているということだ。 コアCPIがインフレ目標である2%をずっと上回っており、物価が上がったので買い物を手控えるという合理的な行動だ。 アベノミクスでは賃金と物価の好循環を目的としてインフレ政策を取ってきたわけでだが、物価の伸びを賃金が上回ることは滅多になく消費が低迷するのも致し方のないことだ。 ではその消費の低迷は想定されていたことなのか? リフレ派も一般国民も想定していなかったのではないか

          消費が伸びないことについて

          宇多田ヒカルと倉木麻衣

          BSで『オードリー』の再放送をやっている。主題歌は倉木麻衣だ。歌を聞いていて再認識した。 やっぱり倉木麻衣と宇多田ヒカルは似ている。 声が似ている、歌い方が似ている、曲調が似ている。 かつて倉木麻衣が出てきたときに宇多田ヒカルが私のパクリが出てきたと言い、それを聞いた倉木麻衣がショックを受けたという報道を目にしたことがある。 真相はどうなのだろうか?

          宇多田ヒカルと倉木麻衣

          詰将棋について

          僕は将棋を趣味としている。主にネット将棋を楽しんでいる。 将棋の上達には詰将棋を解くことだと言われるが個人的には詰将棋は得意じゃないしあまり好きでもない。 詰将棋が強いけど本将棋は強くないという人もいる。詰将棋は詰むことがわかっていて、かつ持ち駒を余りなくすべて使って連続王手をするという条件付きの読みの訓練だからだ。本将棋では詰むか詰まないかわからない状態で、しかも即詰みよりも必至をかけたほうがよく、連続王手をするのが好手というわけでもないところが詰将棋と違うからだ。

          『日本改造計画』の時代

          小沢一郎の著書に『日本改造計画』といいベストセラーがある。自民党時代に若くして幹事長となり将来の総理候補と目されていた頃、財務省の香川俊介氏を中心として産官学のプロジェクト形式で取りまとめた日本の大戦略である。 このプロジェクトにも関わった北岡伸一氏が中央公論2023年4〜5月号で当時の話を回顧している。 小沢一郎氏はこの本に書いてある通りには政策を進めなかったので多くの人に失望を買ったが、『日本改造計画』に書いている方向性は現在の日本の政策方向と一致している。 労働時

          『日本改造計画』の時代

          世界は「ある」のか「なる」なのか?

          BingのAIに「世界は「ある」のか「なる」なのか?」と聞いてみた。 答えはこれだった。 "「ある」か「なる」かは哲学的な問いですね。このテーマについては、多くの哲学者や思想家がさまざまな立場を取って議論してきました。私はAIであり、主観的な意見を持たないため、この問いに対する正解はありません。" なんか拍子抜けした。

          世界は「ある」のか「なる」なのか?

          トマス・ハーディの独特のカタルシス

          新潮文庫からトマス・ハーディの『呪われた腕』という短編集が出ている。これが独特のカタルシスを与えてくれるのだ。 トマス・ハーディの作品はほぼすべてバッドエンドで終わる。救いが全くないのだ。 自分はとてもアンハッピーな人間だと思っているのだが、作り話でも他人のバッドエンド話を読むとそれが相対化されるのかもしれない。 他人の不幸は蜜の味なのである。

          トマス・ハーディの独特のカタルシス

          安倍晋三はもういないじゃない

          衆議院議員3補選は立憲民主党が全勝した。奇をてらった人は落ち、地道に支持を獲得した人が当選した。 岸田さんは早期解散総選挙はできないし次の総裁選挙で自民党の選挙の顔が変わって衆議院の任期満了での総選挙突入を予想している。 自民党の党勢が落ちていることで日銀は自民党の顔色を伺って政策を取る動きが弱まるだろう。植田総裁が強調する「基調的物価上昇率」が教条的に権威を振るうだろう。 ネットミームとなった「ヒンメルはもういないじゃない」ではないが「安倍晋三はもういないじゃない」。

          安倍晋三はもういないじゃない

          魂を救う文学

          僕は大学受験に失敗して浪人生活を送っていた経験がある。将来どうなるかという不安と孤独感で大変辛い時期だった。 そんなとき救ってくれたのがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だった。 別にカラマーゾフの兄弟が浪人生の孤独感を慰めるようなストーリーではない。何やら長広舌を繰り広げる個性の強いキャラクターたちが登場するだけの小説だ。小説のテーマについてもよく理解できたわけではなかった。 だけど読んだらなんだかスッキリしたのだ。魂が救済された気がしたのだ。 人文学は何の役

          衆議院の解散権が首相の最高権力である

          日本の首相には衆議院の解散権がある。これが首相の権力の最大の源泉である。先進国でも議会の解散権を持っている国は実はそれほど多くない。 日本の首相はとても強い権力を持っていると言っても言い過ぎではない。 岸田首相は解散という伝家の宝刀を抜かない。今解散すると選挙で大負けして政権交代の恐れすらある。 このまま衆議院は解散せずに任期が来るのではないか?

          衆議院の解散権が首相の最高権力である

          リムランド理論と囲碁のアナロジー

          地政学において「リムランド理論」というものがあることを知った。マッキンダーのランドパワー論でユーラシア大陸のど真ん中をハートランドと呼び、そこを支配するものが外部へ侵攻し世界を制するというものに対して、スパイクマンという人が実際にはユーラシア大陸の三日月状の地域が焦点となって世界を制するという理論を提唱した。 これは囲碁のアナロジーからすると正しい。ユーラシア大陸を囲碁盤だとするとリムランド理論は盤面の端に地を確保することと一致するからだ。 囲碁では中央部よりも端や隅のほ

          リムランド理論と囲碁のアナロジー