テキストサイト100人オフ オフレポ

2018年10月20日。
平成最後となる年に、よりによってテキサイ100人オフを計画したトンチキな男達がいた。

テキストサイト100人オフ
http://100off-text.site/

「テキストサイト管理人を集めて大規模オフ会をやろう」
酒の席でそんなことを口走ってしまったのはウケると思ったからなのか、それとも残波の水割りが回りすぎていたからなのか。
ともかくいつもは「ご冗談を」で終わる話が、今回ばかりは「やった方がいいかも」に傾いてしまいました。

テキストサイト。

オフ会。

今となっては懐かしいような、どこか耳を塞ぎたくなるような響きの言葉ですが、僕たちのインターネットがまだ裏路地だった頃、確かに異様な熱をもってキーボードを叩いていた時代がありました。

あれから20年近く。正直、認めるのは恐ろしいですが、あの時代が僕たちにとっての「青春」だったのかもしれません。ならば、平成が終わるこの年に”100人オフ”という狂気の催しが開かれるのも、ある意味必然のような気がしてきます。

あのころ、色々ありました。いい大人になった今だからこそ話せることも、あるかもしれません。

久しぶりの人も初めましての人もごちゃ混ぜの、よく分からない同窓会。次に「やろう」と言い出す人が現れるのを待つのは天変地異を待つようなものですので、テキストサイト管理人だった方は、ぜひ一か八かでご参加ください。

なんと子連れもOKだ!

平成最後のテキストサイト100人オフ 主催
原宿(桃色核実験)/岩倉(いちご帝国)/館長(人間道場)/カズヤ(黄漢升)

今やもう "テキストサイト" なんて言葉は生きていない。

テキストサイトとはなんぞやを説明する際に「昔のインターネッツは回線が貧弱だったこともあって文章くらいしかアップできなくてね」なんて昔話を懇切丁寧にする暇人も少数派だろうし、説明したところであの頃のあの空気感なんか伝わるわけがない。

よって、当時のテキストサイト管理人が死滅したら、二度と語られなくなる過去の文化である。

が、あの時あの時代にテキストサイトという文化に触れたお陰でその後の人生が激変したとか、死なずに済んだとか、リドミ1ページ目に載り続けられた事が人生で唯一の成功体験だとか、そんな人間が少なからず居たのもまた事実。

平成も終わる今だからこそ、そんな「テキサイのお陰で人生●●しました」的な人間達で、故・テキストサイトさんの在りし日を偲ぶというのも一興ではなかろうか。

そう思い参加を決意したのだが、直後にもうひとつ余計な事を閃いてしまった。

テキサイ管理人時代の私は、ドインディ系のAVメーカーに勤務するサラリーマン監督で、その会社の宣伝目的でテキサイを始めたという、よく分からない立ち位置だった。

半ば仕事でやらねばならなかったので、とにかく目立つしかなく、どうすれば効率的なアクセス乞食活動が出来るのか、そればかりを考えていた。
その一環として、オフ会があると聞けば駆け付け、会社で取り扱っているこの世の終わりのようなトンデモAVを参加者に押し付けてドン引きされる代わりに名前を売るという手法を繰り返していた。
まるで友達の作り方が分からない子供がお母さんの財布から金を盗んで、それを同級生に配っちゃう的なお話である。

いや違う気がする。

仲良くなりたいからモデルの尻の穴から回虫が出て来てそれに気付いて「オゥ」とか言いながら指でちぎる洋物ス〇トロAVを配る人間って、再起不能レベルのコミュ障ではないだろうか。
それだったらお母さんの財布から盗んだ金を配る子供の方が、他人を不幸にしない分だけいくらかマシだ。

ともかく、20年近く前はそんな人間だった男が、100人オフに子供を連れて行き「ウチの子、世界一カワイイんです~」なんて言ってたら痛々しくて面白いじゃん。子連れOKって書いてあるし。

こんなロクでもない事を思い付いてしまい、息子連れでの参加を表明した次第である。

『テキサイ管理人のおねえさん達に可愛がられながら、山盛りの唐揚げをひとりで平らげる息子氏』

会場に入った時点では、「元テキサイ管理人」というドス黒いオーラをまとったオッサン達の毒気にあてられて「ボクもう帰りたい」とゴネていた息子だったが、女性管理人さんのいるテーブルに落ち着くと態度豹変。あちこちから「かわいーね、かわいーね」とおだてられ、はしゃぎ倒してご満悦。

お前さっき館長に挨拶した時に「チ」って舌打ちしたよな?

ゴトウさんやミズハさんや兄貴が構ってくれようとした時もガン無視してたよな?

なんだその態度の差。
気持ちは分かるけどもう少し悟られないようにしろよ。
ヘタクソかキミは。


『テキサイ プロジェクトX ちゆAVを作った男たち』
(左から)兄貴/兄貴の館、健/侍魂、みずは/裏MIZUHAの憂鬱、私&息子/おはら汁、ゴトウ/一流ホームページ

今回の大きなミッションのひとつに「健さんに謝る」というのがあった。

というのも、私は上記のドインディAVメーカー時代に、個人サイト界隈のネタでAVを作って、それをテキサイや個人ニュースサイトだけで宣伝(AV誌などに一切情報を出さない)して売ってみたらどうかというプロジェクトを思い付き、実際に実行したのだ。

その際にネタとして選ばれたのが、ちゆ12歳のちゆちゃんと侍魂の健さんとのカラミという、テキサイを知らない一般人を完全に置いてきぼりにする内容。そしてそれを決めたのが上の写真の健さん以外の面々(+α)である。

そういえば、そのテキサイAVの企画会議が開かれたのは、2001年だったか02年だったか。場所は今回の会場から徒歩数分の新宿パセラだった。何だか妙な因縁を感じる。まさかあの当時、十数年後に子供を抱いてオフ会に参加するだなんて予想もしていなかった。

それはそうと、AV企画会議の席で、みんなの間に何故か共通認識として「ちゆ12歳はともかく、健さんを弄る分には何してもいい」という想いがあり、むしろちゆちゃんに断られたら、健さんを主役にしてホモAVにしようという案まであった。
兄貴の館の兄貴が、読者さんと協力して作ってくれた企画書やストーリーがまだPCの中に残っているのだが、そのタイトルは『アフロ探偵ー健KENー』である。
内容は、アフロにふんどし姿の探偵・健が、敵に掴まってエッチな拷問を受けたりすr

バカじゃないだろうか。

話がとっ散らかったが、実はこのちゆAVで「健本人が堤さやかとハメている」と噂になるレベルのそっくりさん男優を見付け出し、甚大なる風評被害を与えた私は、今の今まで健さんに会った事がなかったのだ。

会った事もない人間に対して、あれだけの事をしてのけたのである。
やはりテキサイ時代の私は人として致命的な欠陥を抱えていたんだと思う。

もう十数年経ってしまったが、真人間になった身としては、やはり1回くらい会って謝っておかないと、人としてナニがアレである。
お陰様で、長年の胸のつかえが取れました。

『危うくアフロ探偵健としてエッチな拷問をされるところだったひと』

今回のオフ会は、基本的には立食パーティするだけというシンプルなものだったのだが、やはり時代を作った男は違う。
何でも家にテキサイ時代から抱えていた先行者グッズの不良在庫があったそうで、それを処分させてくれと、急遽ジャンケン大会が開かれたのだ。

ジャンケンで勝ったら何か貰えると察した息子は嬉々として参加。
普通こういう時って、場内に子供がいたらその子らには無条件で配るもんだと思うのだが、さすがテキサイなんかやってた脳に問題のある人々は一味違う。小さな子供がいようと何だろうと特別扱いせず、アラフォーのオトナ達がムキになってガチジャンケンを繰り返すという、蜘蛛の糸のような光景を見せられた。

お前らそんなに先行者欲しいのか?
いま2018年だぞ?

そんな大人げない参加者達に混ざって、普通に勝ち上がって先行者をゲットして来た息子はやっぱり世界一カワイイなと思った。

『本日の戦利品』
缶に入った先行者のフィギュア?と、名札、それと参加者の女性に頂いた缶バッジ。缶バッジは有り難く息子の上着にでもくっ付けておきます。

『総括やら反省やら』
久々のテキサイオフ会だったが、姿が全く変わらない人が多く、十数年という時間はあまり感じなかった。
特に感傷的になる事もなく、お葬式感は全くなかったので、もしかしたら年号が変わったらすぐにまた催されるんじゃないかとすら思えた。

個人的な反省点を挙げるとすれば、参加を決意した当初は息子連れの方が面白いかもと思ったが、実際に幼児連れだと身動きが取れず、ロクに挨拶も出来ずに終わってしまったので、もし次回があったら素直に自分ひとりで参加すべきかなあ。二次会も無理だし、健康的ではあるけど楽しさは半減してしまったように思う。

それと、ほどよくお酒が回って来た頃に、九十九式の宮本氏に話しかけられ、思わず反射的に「毎日更新しなくなったお前に興味はない」くらいの言葉を投げ付けたことについては深く反省しております。本当にごめんなさい、ボク脳死スレに名前が載るような人間なんです。

あと、私と並ぶ脳死といえばopiだが、あの兄さんは相変わらず酷かった。某女性管理人さんと一緒に私に話しかけに来てくれたのだが、その際に「おはらん久しぶりー、この子〇〇、わかる?オレの当時のツレ。前の嫁の前に付き合ってた子」知ってるよバカヤロウ。なんだそのあまりに丁寧すぎる時系列の解説。普通に名前だけでいいだろ。この界隈ただでさえ色々と義兄弟いっぱいでセンシティブなんだから落ち着こう。
なんでこんな平和な集いなのに無駄にピリピリさせようとすんだこのネゲスレ野郎は。

という訳で、次回があるのかは分かりませんが、100人オフを主催してくださったナフ周辺の皆様には深く感謝しております。
サプライズで某竹田氏が現われるんじゃないかと期待していたのですが、それはまた年号が変わってからのお楽しみにしておきます。

皆様からの金銭サポートがあると、子育てに追われる哀れなオッサンの生活がいくらか楽になると思わせておいて、息子の玩具やお菓子や遊園地代で殆ど溶けます。