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川の名は

埼玉県民にとっての利根川は隣県である群馬との県境を示す川です。

その川幅、水量は、内陸の埼玉、群馬県境でも広く深く、

小学校の社会科見学で初めて利根川を見たときは、

「川なのに向こう岸が見えない」

と小3、4くらいにして絶句したものです。

向こう岸が見えないものは海だと決めていたもので。

坂東太郎(利根川)、筑紫二郎(筑後川)、四国三郎(吉野川)と呼ばれるのも、

さもありなんといいたいところですが、

筑紫二郎も四国三郎も、

私はちゃんと見たことがないので、

なんとも言えません。

しかし現在の利根川は江戸時代以降に公共工事として流路を人為的に変えられたもので、

荒川もしかりでございます。

人為的にって、簡単に言うけど、

えらいこっちゃですぜ。

どっちもごっつい太い川です。

高知で言ったら四万十川とか。

めちゃめちゃ土使わないと、埋められませんぜ。

繋げる水路もめちゃめちゃ掘らんといかんがです。

重機ないんです。人間の根性てすごい。

利根川も荒川も、その流路を人為的に変えられるまでは、

どちらも現在の東京湾に注いでいたそうです。

今は荒川水系だけ。

今の利根川は千葉の銚子から海に出てます。

あの、太平洋に向かって鼻みたいにとがってるとこです。(わかります?)

全然違いますよね。

私の生まれた町には江戸時代にその河川の流れを変える前の本流が複数あって、

つまり、多分その工事をする以前は、

水害あればめちゃめちゃ水びたしもいいとこの地域だったらしいのです。

想像してみよう。

小さな町に利根川と荒川と隅田川流れてたら、そらそうよ。

それでも、ちゃんと人住んでたんですよ。

よく住んでたよね。えらい。

人が住めるように工夫した地域、との説明も読みました。そんな雰囲気はあります。

アスファルトで塞いでも、土の記憶は、浮かぶモノなんでしょうか。


確かに、川は大人しかったけど、冠水しやすい地域でした。

昔はあちこち沼だったと言うことで、

地名は町中沼だらけ。

私がいたころには全然、沼、なかったですけどね。

住んでた頃にはあまり関心がなく、

古利根川って名前だけど、利根川とは似ても似つかないし、利根川とつながってないし、

なんかよくわかんないけど、別モノじゃない?

くらいのイメージでした。

ものすごいわかりやすい名前なのに、そうなった経緯を理解してないとそのくらいのイメージなんです。習ったのかな?覚えてない。


私は、昨日思い立ってネットで調べて

40にして生まれ故郷の川が古くはマジの利根川だったことを知りました。

なんかごめん、って

思い出の中の川の風景にあやまってます。


川が好きっていっても、知らないこと多いなと改めて感じてます。


ちなみに一級河川と二級河川の違いは、

流域を複数県にまたがるかどうかで

決まるそうです。ご存知でしたか?

高知でよく見る、

太くて深い川でも二級河川なのは、そういうわけなのです。

これも昨日知った、自称川好きの私なのでした。




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