16『ジム史上最弱女がトップボディビルダー木澤大祐に挑んでみた』
#16 ヘル・レベルアップ前編
「よろしくお願いします」
この日は一階が賑わっていたので、二階からのスタートとなった。誰もいない。殺人現場に酷似した二人きりの空間に緊張が走る。
「じゃあ、これやりましょう」
見たことがないマシンだ。なんという名称で種目か尋ねてみたところ、「なんだっけ。分かんないです」との回答を得た。よし、何も分からないけど頑張るぞ。
「名前は忘れましたけど、でも、これは初心者の人に凄くいいやつです。対象筋以外に負担がない。さ、やりましょう」
そうだ。確かに効能さえあれば名前はどうだっていい。仮にチャームと名付けよう。チャームに背を預ける。
第一種目目/チャーム
「胸を張って。足裏の位置はもっと下、手は後ろを掴んで。膝を開いて降りて、ですぐ上がる。踵は必ずつけたまま」
ハックスクワットとレッグプレスの合いの子みたいな感じか。恐る恐る降りていく。辛いが、動きの要領がつかめてきた。やれる。これはやれる。
しかし、何度目かの切り返しに差し掛かったとき前腿にいきなりズン、と重い痛みが広がった。
「……!??あああ゛ッッツ!!!」
「はい、すぐ上げる休まない」
「いいぃ゛!!」
「止まるなすぐ上げる」
痛い。途轍もなく痛い。本当に大腿四頭筋のみにダイレクトに攻め入ってくる。ついこの前まで感覚のなかった四頭筋が、明確に悲鳴をあげている。力を込めるためとか気合いとかではない、苦悶の叫びが響き渡る。一種目目からこんな悲鳴が出たのは初めてだ。なんだこの種目は。
「はい遅い、休まない。下ついたらすぐ上がる」
「休むなっていってんの、下で止まんなくていい」
絶叫に対し、全く感情のない指示が飛ぶ。呼吸が上手く回らなくなり、頭に白い霧がかかって、涙が勝手に出てくる。「息吸って」「息吸って」と聴こえるが、煽った心臓が肺を圧迫してほとんど吸えない。わかった。これは拷問器具だ。チャームなどという可愛い名前ではない。“大腿殺戮丸・改”とかそんな名前だ。
「かかとがついてない!かかとつけて!」
「ハイィぁぁぁ!!!」
「もっと下げる!下げ切ってすぐ上がる!」
「うぁッ▲★∂+▲§!!」
止まらない指示。さらに絞り上げられていく大腿。返事もままならない。
「かかとつけて!」
「かかとが浮いてるんだって!!わざとつけてないでしょこれ!」
「ち゛が!い゛ま゛す!!」
本当に違う。私は足首が非常に硬いのだ。いつかこれが支障をきたす日が来ると思っていた。様子を見ていた木澤さんが、「一旦降りて、壁に向かって手をついて下さい」といった。
「今度から、脚トレやる前にこれやってください。壁に手をついて、こう」
まさか、100kgのバーベルを担がないと足首が曲がらないのに、「トレーニングには支障ない」と言い切るビルダーランキング暫定トップの木澤さんにストレッチを教わるとは。でも確かに伸びる。伸びすぎて脂汗が出てくる。
「すごいです。セット中より汗が出る」
「なに?戦闘中?戦闘???」
「セ ッ ト 中 です」
民間人が戦闘するわけない。会話で戦闘とか普通言わない。やはりここは兵士育成場なのか。
木澤さんは喋ると毎回意味のわからないことを言ってくれる。インターバル中のこういった雑なやりとりが、ひと啜りのオアシスだ。ともあれ、私はひとつコンディショニング(おそらく超初歩)を手に入れた。
そのあとは5セットずっと同じく絶叫していた。すでに喉の奥から血の味がする。市街地なら警察が呼ばれるが、ここではただの日常だ。なんの変哲もない毎日だ。ただ、私は大事なことを言い忘れていたことに気づいた。
「木澤さん、言い忘れてたんですけど、私生理中です」
木澤さんが固まる。生理知ってるのかな、という一抹の不安がよぎる。
「で、痛みは大丈夫なんですけど、関節がグラつくんですね」
「あ、そうなんですか。わかりました」
本当にどこまで分かったんだろうか。念のため付け加える。
「だから、いつもより動きがおかしくなりやすいです。変な動きをしたらすぐ止めて下さい」
「いつも変です。変じゃないときない」
「常に変です」
言うと思った。弄れそうなポイントはすかさず食う。安心できるデリカシーのなさだ。爆笑しながら階下へと降りた。生理中だから軽くなるのかな、という仄かな願いは、この後すぐに打ち砕かれる。
第二種目/レッグプレス
通された瞬間、嘘だろと思った。一種目目で既に瀕死なのにここから更に脚を?さっきの話聞いてました?
「ナローで行きましょう」
足幅を腰骨よりも狭め、背を丸める姿勢をとる恒例のレッグプレスのひとつだ。だが私はいち早く気づいた。今日は、前回よりも荷重が多い。
「GO」
だが、上がった。前回までは到底無理だった荷重が普通に上がった。そう、実は私は今3つのジムに通っている。ここと、遠くのゴールド、近くの24hのコンボで、日々の隙間を縫ってトレーニングに行っているのだ。その成果が如実に出ている。
「1.2.さん。2でもっと受け止める」
「もっと早く」
「もっと強く押して。ギリギリまで耐えて、そう蹴る」
「ワギャァアレピギャ(わかりました)!!!」
しかし、辛いものは辛い。てか、より辛さのレベルが上がっている。今までの比じゃない悲鳴が出る。うめき叫ぶマッチョの中でも一際うるさい。声を出すと腹圧が抜けるのはわかってるが、声を出さないと痛みに抗えないのだ。
「ああ゛ーー!ー!痛い痛い痛い!!!」
「何処が痛いんすか」
「腿前と裏です!!」
「じゃあ大丈夫です。GO」
やはり、ジュラシックアカデミーは主人公のレベルの上昇に比例して、敵のレベルも上がるシステムだ。上達すればするほど、難易度が上がっていくのだ。呼吸と共に嘔気が込み上げ、胃からこいつが迫り上がってくる。
それを必死に飲み込む。しかし、どんどん強まる嘔吐感。インターバルに入り、木澤さんに聞いた。
「……あの、脚トレって吐く人いませんか?いつも出そうになるんです」
「しょっちゅうですよ」
あ、しょっちゅうなんだ。だからトイレ近いんだ。親切な設計。
「でも、あなたのは脚トレの吐き気じゃないですよ」
衝撃の言葉。吐き気の種類が何故判別できるのか。
「あなたのは、ただ腹部に圧がかかって出そうになってるだけ。本当の脚トレの嘔吐はね、“酸欠”です」
「脚に血が一気に巡って、脳に酸素が足りなくなって、顔面蒼白になって吐いちゃうんですよ。下半身のパンプで上半身が目に見えて萎むような、ハードなトレーニングができる人が吐くんです。それが本当の脚トレの嘔吐です」
私のは辛さだけでなく、吐き気まで贋物だったのか。たしかに言われてみれば、嘔吐代表サイヤマンさんがコラボ動画で酸素マスクを吸引していた。そういうことだったのか。
「だからトレーニング前に食べなきゃいいだけの話です。はい、いきます」
エネルギーを補給するつもりでやってたことが裏目に出てた。これからはやめよう。束の間の休息はあっという間に過ぎ、また地獄が始まる。やや重量の下げられたプレス。ここからが本番だ。
「あと3回いきます、1、2、ラスト思いっきり」
「……はい、あと3回」
「ラスト。……はい、じゃああと5」
恒例のブラフ合戦だ。永遠に終わらない嘘つきセットだ。思わず見上げる私に「なんすか。なんか言いたいんすか」と、非情かつ目の奥が笑った台詞が落ちてくる。頼むからブチャラティかテレンス・T・ダービーを呼んできてくれ。
「はい遅い。遅い。……ちょっと。ちょっと」
テンポがまったく合わなくなって、遂にレストの状態で動けなくなった。無理。本当に無理。降りれば確実に訪れる痛みに、本能的に脚がすくんで動かない。あと何回この地獄が続く?いつになったら解放される?
「早く」
一向に動かない私に、痺れを切らした恐竜が急かす。
「早くいけって」
凄まれても動けない。だって痛いし苦しい。もう限界だ。ほんとにやめ
「早くいけ!早くいけホラ!」
吠えた。AVでしか聞いたことないよこんな台詞。痛みの恐怖と恫喝の恐怖で後者に天秤が振れ、絶叫を上げながら下ろしていく。泳げない者も海に叩き落とされれば泳ぐ。フィットネス界の戸塚ヨットスクールだ。
「はい上げる!上げて終わり!上げたら休める!」
しかもこれが、本当にできてしまう。本当にギリギリのギリで挙げられてしまう。残力の見極めが凄すぎる。的確に限界の1%を突破する領域に追い込む能力、木澤さんが己に課してきた鍛錬の賜物だろう。
「はい、OK」
最終セットがおわり、レッグプレスから移動しようとして崩れ落ちる。膝が抜けるのだ。そのまましばらく放心状態でへたり込んでいた。皆、こんなのをいつもやってるのか。信じられないアホどもの集いだ。見渡す限り馬鹿デカい人しかいないのが納得だ。
助けてください。助けてください。心の中で繰り返していると、木澤さんが優しく声をかけてきた。
「じゃあ、次スクワットいきましょうか」
「自重、いや、スミスで」
目の前が真っ暗になった。
(続く)
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