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あなたの好きも、私の好きも、いいね

同性愛者を反対する異性愛者、異性愛者を反対する同性愛者。常に「こっち側」と「あっち側」に分断して喧嘩する。そんなことが、カナダのニュースやSNSで繰り広げられる。

何が多様性だ。違いを認め合うための活動が、どちらが正しいかになっている。争いから理解と尊重は生まれない。

何年か前、私は同性愛者の人に「普通じゃない」と言ったことがある。自分の発した言葉で、人がどう感じるのかを考えなかった。

自分の言動が失礼だと自覚したのは、何年も後。私の言ったことは、私の好きなものを、無理やり相手に「好きになれ」と押し付けるようなものだった。自分が同性愛者じゃなくても、相手を尊重することが大事だったんだと、今さら気がつく。過去の自分の無知から来た言動が恥ずかしくて、思い出すといまだに胸がズキッとする。

この前散歩していると、私の前に高校生くらいのカップルがいた。初々しさとあどけなさが残る2人がしっかり、手を繋いで歩いていた。見つめ合い照れ笑いする姿が可愛くて、青春だなと微笑ましく見守る。後から気がついたけど、2人は同性だった。

誰かを「好き」と思う気持ち、誰かを「慈しむ」心は、みんな同じ。何歳でも、異性愛者でも、同性愛者でも、人種や文化が違っても、だ。

異性愛者と同性愛者の議論をする時は、どちらが正しいかではなく、人を愛する気持ちの話をしたら、争いは減るんじゃないだろうか。

楽観視しているかもしれないが、「あなたの『好き』も、私の『好き』も、いいね」と多くの人が言えるような未来になったらいいな。

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