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【コラム】令和のモトコンポ?話題の電動モビリティ「タタメルバイク」って!? <中編・開発者に聞く>

オートバイと自転車用のヘルメットの製造メーカー「株式会社オージーケーカブト(以下、Kabuto)」は、さまざまな人たちを応援しています。わたしたちはまた、新機軸を生み出す「パイオニア」にも注目。今回のコラムは、近年大きなウェーブを起こしている「電動モビリティ」の中で、SNSを中心に大きな話題となっているバイクの開発者にインタビューした中編(全3回)をお送りします。(前編はこちら)

🏍バイクに「新しい景色」を。開発者・生駒崇光さんに聞く

スーツケースにまで折り畳むことが可能な「収納性」に、コンセントによる充電で走行可能なコンパクト・モビリティとして、近年大きな注目を集めている電動バイク「タタメルバイク」。

プロダクトデザイナーの生駒崇光(タカミツ)さんが開発者で、販売展開するために設立したスタートアップ企業「ICOMA」のCEOを務めています。

ちなみにこのICOMA、先日日経クロストレンドにて、「未来の市場をつくる100社 2023年版」の1社に選ばれるほど新進気鋭の一社。さらに2023年1月5日から8日にかけ、アメリカ・ラスベガスで開催された世界最大の家電見本市「CES2023」では、“日本代表”として出展。現地でも評判となり、その注目は海外にも及んでいます。

そんな生駒さんですが、趣味で嗜んではいるものの、これまで一度もバイク関連企業に勤めた経験はありません。

ICOMA設立にいたるまで、彼が“ホームグラウンド”にしていた業界は「おもちゃ」。業界大手からベンチャーと、規模の異なる企業に属し研鑽を積みました。

また、幼少期から親しんでいた「ロボット」を、キャリアにおいて「変形の美学」として昇華。そして、エッセンスとして落とし込んだのがタタメルバイクです。

バイク界隈に新風を吹き込み、気鋭の若手経営者としても注目されている彼が、どのような人生を歩んできたのか、ぶっちゃけトークで語ってもらいました。

📔「ボンボン」と「スーパーロボット大戦」でロボットオタクに🤖

長野県安曇野市で生まれ育った生駒さん。わさび栽培で有名な自然豊かな安曇野ですが、生駒少年が渇望していたのは「テクノロジー」。最初に興味を持ったのはスペースシャトルで、ギミックなどの内部の構造面にも心惹かれる「メカオタク」でした。

そこから、当時講談社が刊行していた月刊漫画「コミックボンボン」に、現在もバンダイナムコゲームスが展開している「スーパーロボット大戦」にて、本格的に“ロボット”と邂逅!?

ところで、生駒さんは1989年3月6日生まれの33歳ですが“ボンボン”に“スパロボ”といったコンテンツはあったものの、アニメ放映において当時はあまり盛んではなく、ロボット作品の盛り上がりには欠けていた世代でした。

当時、リアルタイムで放映されたガンダムだと、1999年から2000年にかけて放映された「∀ガンダム」。しかし、当時も話題となった個性的なメカデザインは、独創的であったものの、市場ではあまり受け入れられるものではありませんでした。

余談ですが、同作のメカデザインを担当したのは、往年の名作「スタートレック」「ブレードランナー」などを手掛けたことでも有名な世界的工業デザイナー「シド・ミード」。後年、生駒さんにとって目標とすべき存在となります。

ロボットに憧れを抱きつつも、推しがなかったため、特定の“フォーマット”がなかった生駒少年。また、先の「スーパーロボット大戦シリーズ」が、<ロボットによる異種格闘技>的要素を備えたシミュレーションゲームで、新旧時代問わず名作ロボアニメに触れることができました。

このことは、生駒崇光さんにとっての知識として、そして工業デザイナーとしてのキャリアの下地として、現在に至るまで大きな影響を与えているそうです。

💴「アルバイト」から始まったキャリア🖼

彼には中学生1年のときから「ロボットのデザイナーになりたい!」という夢が芽生えていて、工業高校卒業後、美大への入学を目指しますが、経済的な事情もあり断念、浪人期間は安曇野にある「VAIO」の製造工場で、ノートパソコンの組み立てのアルバイトもするなど、悶々とした1年を過ごしました。

結果、アルバイトを辞めて上京し、デザイン専門学校「桑沢デザイン研究所」へ夜間入学。2年間「工業デザイン」について本格的に学ぶこととなります。なお、現在は同校で講師をつとめていらっしゃいます。

卒業後は、いよいよ「職業」としてデザイナーを指向することになるのですが、実はそれは狭き門。とりわけ「ロボット」になると相当なものでした。

なかなか進路が決まらない中、玩具メーカーの「タカラトミー」にて、「ロボットのデザインをする仕事」の求人があることを人づてに知ります。それに飛びつき、見事採用されるにいたりました。

最初に所属となった会社は、当時のタカラトミーの精算、試作部門で、当時の最新機材だった業務用3Dプリンタなどを活用し、試作業務を学びました。その後、本社で、代表的なロボット作品だった「トランスフォーマー」の海外事業の開発まで携わることとなります。

最終的に5年所属した後、生駒さんは家電スタートアップの「Cerevo」に転職。当時は20人ほどが在籍する新興ベンチャーで、業務が拡大していく変遷において、現在の「ICOMA」の技術メンバーと知り合う人脈が形成されました。

その後は、家族型ロボットペット“LOVOT”で知られる「GROOVE X」に移り、同機の開発に関わり「生みの親」の一員となります。両社での経験は、タカラトミーとは異なる仕事の価値感を得ました。

と、ここまでを振り返ると、ロボットに憧れた1人の少年が、夢を叶えて活躍するという立身物語。それはそれでストーリー性のあるものですが、この時点では、「タタメルバイク」どころか、バイクの「バ」の字すら出てきていません。

しかし、この「過程」こそが、“門外漢”であった電動バイク開発の素地であり、さらにいえば「ICOMA」起業にいたった要因でもあるのです。

🏍趣味からはじめたバイク作り🔨

生駒さんが初めて「電動バイク」と邂逅したのは「Cerevo」時代。関連会社が開発したものを目にしたときでした。

その電動バイクはコンパクトで変形することで、収納性が上がるものでしたが、しかしながら、生駒さんはその製品に「変形の美学」を感じることが出来ませんでした。

ただ、それは特段バイクに不可欠な要素ではありません。なので、「自分ならこうするかも?」とホワイトボードに殴り書きで描いたのが、「折り畳めることが可能な箱型電動バイク」。タタメルバイクの「ご先祖様」ともいえるものです。

「折り畳めることが可能な箱型電動バイク」のアイデアを殴り書きした

が、この時点ではそれ以上のものはなく、既にデザイナーとして活躍していた当時においてそれは、数ある「アイデア」のひとつに過ぎませんでした。ちなみにこれは、2016年頃の出来事。

数年後、長男誕生のタイミングで育休を取得した生駒さん。ここで「時間」を得たことで、自身のスキルアップも兼ねて、ラフデザインの具現化をしてみることを決意します。

ところで生駒さんは、普段より自身のSNSアカウントで発信をしています。それはバイク作りにおいても同様で、設計の過程を都度投稿していました。

そんな中で、最初の大きな転機が訪れたのは2019年12月。3D CADソフト「Fusion360」でデータ出力した、マシンが変形し、最終的にバイクとなっていくGIF動画の投稿がきっかけでした。

すると、これが1万を超える「いいね」が寄せられる大反響。最終的にネットニュースにも取り上げられ、自身がこれまで携わった「プロダクト」とは明らかに違う「流れ」を初めて感じとります。

製品の改廃の多いおもちゃ業界に身を置き、時には「これは」と思うようなものでもなし得なかった【バズ】。それを個人の趣味で、しかも“門外漢”の「バイク」で実現してしまったことには、少なくない驚きがありました。

デジタルで得た肌感より、生駒さんは「12分の1スケール」の模型で再現。まずおもちゃで再現性を確かめるというのは、「職業柄」ともいえるかもしれません。

そして2020年10月4日。ついに記念すべき「初号機」のタタメルバイクを完成させます。ホワイトボードに殴り書きをしてから4年の歳月が経過していました。

💡「同好会」から「起業」、「DIY」から「製品」へ

記念すべき「1号機」もまた、SNS上で話題となります。実機となったため、これまでの「流れ」はよりリアルなものとなりました。それを見た生駒さんは、懇意にしていた投資家に相談。「ビジネス」としての可能性を探ることにしました。

実際にマシンを見てもらったところ、先方からの返答は「続けてみればいいんじゃない?」。出資も含めて好感触を得ます。

さらに、志を共にする人物も現れます。開発者として世に送り出したいという欲も生まれ、GROOVE Xを退職して「ICOMA」を起業する大勝負に打って出たのです。2021年春の一大決心でした。

法人化を決めた生駒さんでしたが、マシンの組み上げは友人らに手伝ってもらいながらも、基本は一人で行っていました。企画・デザイン・設計・組み立て……そして試走も含めての「ワンオペ」です。

近年3Dプリンタの普及などで、個人レベルで著しい技術発展を遂げています。「モノづくり大国日本」なんて言葉があります。往年の名作「AKIRA」に登場する「金田のバイク」に挑戦するというツワモノもいたり。「日本って色んな人がいるなあ」とただただ感心しています。これもまた、タタメルバイクが生まれる素地ともいえるかもしれないですね。

脱線しましたが、引き続きバイク開発に勤しんだ生駒さん。初号機完成から1年後の2021年10月に、「2号機」を完成させます。

🔋2号機、完成!🏍

公道走行可能を意味するナンバープレートも取得した同機は、これまたSNS上で話題に。過去最高の「いいね」を記録し、自身そしてタタメルバイクの運命を大きく変えることになるのです。

~余談~ 「ICOMA」はバイクメーカーではない。

実機開発の道中、模型としても“開発”を行った生駒さんですが、それもあってなのか、こちらについても商品化が決定しました。当時と同じく12分の1スケールで、おもちゃメーカーの「ソータ」より、4月下旬ごろの発売予定となっています。

長年玩具業界にいた生駒さんらしい動きともいえますが、それは「ICOMAはバイクメーカーではない」ということも意味しています。

文中でもあったように、偶然が重なった結果生み出されたのが「タタメルバイク」。それがきっかけで起業にもいたったわけですが、彼にとってそれはきっかけに過ぎません。

「僕は『何か面白いものを作っている人』になりたいんです。だから、子供たちに憧れられるような存在でいたいです」

今回話している間にも、「首掛け式のプロジェクタロボット」など、アイデアは無限にあるという生駒さん。それらは、彼がこよなく愛するロボットでは中々得られない「独創性」に溢れたものとなっています。

「結局僕は『パイオニア』になりたかったんですね」

フリーランス的な働き方では、何らかの「スペシャル」が存在しないと、そう長続きできる代物ではありません。
それは起業についても同様で、さらに難易度が跳ね上がります。

もっともそれは、会社勤めでもいえることですが、SNSで個人から情報発信できるようになった時代の副産物が「タタメルバイク」、そして「ICOMA」ともいえるのかもしれないですね。

次回、【後編】へつづく(取材/執筆=向山純平)

【前編】はこちら👇

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