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尊重という名の包摂が招く「巧妙な排除」

来週5月17日(金)に、神保町の東京堂書店であるイベントに登壇する。
こちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓

2004年に、32歳の若さで悪性リンパ腫により亡くなった、歴史学者の保苅実。彼が生前に遺した唯一の単著「ラディカル・オーラル・ヒストリー」は、オーストラリアのアボリジニの歴史観をつぶさに検証した名著として知られ、その独特の研究内容は今でも読み継がれている。

保苅実が世を去って20年。彼が高校生から大学生、そして、駆け出しの研究者として発表してきた論考などをまとめたのが、先月4月に出版された「保苅実著作集 生命あふれる大地」だ。

東京堂書店のイベントは、こちらの「保苅実著作集 生命あふれる大地」の出版記念イベントとして開催される。

彼は、歴史学者主体で検証される歴史学の立場を離れ、徹底的にアボリジニの視座に立とうと試みた。
その姿勢を表す一文が、単著「ラディカル・オーラル・ヒストリー」にはある。

アボリジニが語る昔話は、西洋の歴史学者からすれば荒唐無稽な話ばかりだ。事実に基づかないことを「本当にあったことだ」と、アボリジニたちは語る。
そんな神話などを、多くの学者は「事実ではないが重要な語り」であると、排除しない代わりに「掬いあげて尊重」しようとする。

保苅はその科学者の姿勢に疑問を呈し、こう書く。

「尊重」という名の包摂は、結局のところ巧妙な排除なんじゃないでしょうか。

ラディカル・オーラル・ヒストリー

「僕たちは排除しないよ」っていうグループがいくつかあります。典型的には、記憶論をやっている人たちです。あるいは、人類学が中心ですけれども、神話論というのも昔からあります。記憶論や神話論をやっている研究者たちは、たしかに排除しないんですけれど、そのかわり包摂しちゃうんですね。別の言い方をすると、記憶論や神話論は、アボリジニの人たちが実際に経験したという、その経験を無毒化してしまう。経験の無毒化とはどういうことかというと、要するに、「それは事実じゃないけれども、でも、それはそれとして重要ですよね」って言って、とにかく掬いあげるわけですよ。

ラディカル・オーラル・ヒストリー

東京堂書店のイベントでは、保苅実のお姉さんである保苅由紀さん、そして保苅実と大学時代の同期生だったという山本啓一さんと登壇する。

それもあり、改めて「ラディカル・オーラル・ヒストリー」を読み込んでおこうと、最近ずっとこの本と向き合っている中で、この一文に出会った。

「尊重」という名の包摂は、結局のところ巧妙な排除なんじゃないでしょうか。

この一文を読んだときに、私には「多様性」という言葉がすぐに浮かんだ。
以前のnoteにも書いているので、まず以下のnoteポストをご参照を。

多様性を認めましょう、という言葉があるが、その言葉とは、多様性を外側から眺めている非当事者の視座ではないか。私はそう感じてきた。

当たり前のことを確認しておくのだが、別に私は「多様性なんていらん!アホらしい!」なんていう乱暴な立場に立つつもりはない。

上のnoteの中にも書いたのだが「多様性を認める」という立場に身を置いた時、その認めている主体はもはや「多様性の外側」にいるのではないか?という言葉のニュアンスを感じている。

多様性の外側に立っている人などいるのだろうか?つまりは、全ての人が単一性の中に整然と収まっていて、右を見ても左を見ても、全部同じ。そんな人はこの世にいないと思う。

誰しもが、多様な存在として当事者である。多様性という概念に非当事者は存在しないと思う。その視座に立てば、多様性は認めるものではなく、自明であるという事実に気付く。

もちろん、ある「型」を用いて、男、女、みたいなマジョリティを設けて、その「型」に合わないマイノリティに対してのケアが必要、とか、もちろんその通り過ぎて当たり前だと思う。

が、危険なのは、まさに保苅実が書いているように「はい、私は多様性を尊重していますので、マイノリティの皆さんは大事だと思いますよ」という、尊重の名を借りた包摂を、なんの疑問もなくやってしまうことの恐ろしさだ。

それは「私はマジョリティにいますが、あなたはマイノリティですよね」という、分断を生み出している。
保苅実は、その「尊重」の名を借りた包摂を、巧妙な排除であると喝破した。

尊重しているあなた自身は、多様性の中にはいない人なのか?尊重することで、多様性というレイヤーから外れようとしていないか?自分も「多様な存在の一人」であるという、当事者としての自覚が大切なのだと思う。

その時、多様性が他人ごとではなく自分ごとになるのではないだろうか。


荻田泰永が経営する「冒険研究所書店」は、神奈川県大和市、小田急江ノ島線「桜ヶ丘駅」東口目の前。


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