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夫婦になります。

その日は突然やって来た。ずっと待っていた日。部屋着でお化粧もしていない私にテレビ電話をかけてきて、スーツ姿の彼はその言葉を言った。もっと特別な日とか、私がちゃんと可愛くしている日とか、そういうの考えてよ、と言っても彼は待ちきれない人だから仕方がない。婚約指輪が完成した日が彼の決意の日となった。

私たちは日韓夫婦になる。付き合ってから随分と早い段階で私は彼と結婚することを決めていた。今までの経験から私のビビビはまったく当てにならないけれど、彼ほど安心感のある人は今後現れないだろうと分かっていた。熱に浮かされた突然のひらめきではない。

入籍し、韓国移住をするべく私たちはこれから本格的に動き出す。入籍すること自体は難しくないらしいが、どうやら結婚ビザが大変らしい。でもきちんと準備すれば大丈夫なんだから、大丈夫だ。

それにしてもこれが自分に起きている現実なのか分からなくなる時がある。日韓カップルが結婚するのだから日韓夫婦になるのは当たり前のことなのだけど、いまいち実感が湧かない。私が国際結婚をして海外に住む…?という感じである。らしくない。

いやいやこれが良くない。らしくない、と自分で自分を勝手に客観視してしまう癖。らしくない、なんてないのだ。私が決めたことなんだから、それは全部私らしいものになる。これが私!でいい。

そんな私が心配していることは、韓国での生活。日本と韓国、距離は近いけれど文化が違う。まだまだ私には分からないことがたくさんある。帰りたくなったら?慣れるまで時間がかかったら?と、昔の私では信じられないほどのマリッジブルーに足を踏み入れている。

そして、日本を嫌いな人に会ってしまったらどうしようと思ったりもする。日本語を話していることで何か言われるのではないか、嫌がられるのではないかという私の勝手な被害妄想で、日本人であることがバレないように振る舞ったことがある。

だけど実際に韓国で過ごしてみたら、日本人ということを知って優しくしてくれる人に出会うことはあっても、嫌なことを言ってくる人に出会ったことはなかった。食堂では店員さんが知っている日本語を使って話しかけてくれたり、マートでは私の拙い韓国語を一生懸命理解しようと何人ものおばさん達が手伝ってくれたりもした。

そして日本では、彼の日本語がとても上手なことに驚いて褒めてくれたり、韓国の軍隊について興味深く話を聞いてくれたりした人もいた。そんな経験をするたびに、私はいつも驚きつつ、自分のことを恥ずかしく思うようになった。

日本と韓国は国同士で色々あるかもしれないけれど、そんなの関係なく人と人とのつながりを大事にすればいいじゃないか、と思っていたはずの自分が、一番国の違いを気にしている人だったのだ。誰かに何かを言われたわけでもないのに、ただ自分が気にしていただけだった。「こう思われるに違いない」「こう言われるに違いない」といった思い込みが私を制限していた。

ニュースの中で見る情報は正しい部分もあるかもしれないけれど、それが全てではないのだ。経験してもいないのに恐れたり、偏見を持ったりするのは自分の世界を狭めてしまう。私は今まであたたかい人たちに出会ってきたのだから、その経験を大切にして、他の誰かにあたたかい優しさを向けられる人になりたいと思う。

国際結婚をするということは、国に関係なくその人自身を愛した結果だ。なにもそれまで生きてきた自分の国の価値観をなくして相手に合わせる必要はない。自分の国も相手の国も大切に思いやる心が大切になると思う。まだ移住前の私だが、それが韓国に適応するための第一歩になる気がしている。

そして、結婚して一緒に暮らしていくなかで、私たちの子どもに出会える日がやってくるかもしれない。日本人でもあり、韓国人でもある私たちの子どもが自分のことを好きになって、二つの国を好きになってくれるように私たちができることは何か。まずは私が韓国という国で楽しく生きて、子どもが安心して生まれて来られる世界をつくることから始めよう。

とは言ったものの、私だって初めてのことばかり。もうすぐ夫になる彼や、周りの人に助けてもらいながら無理せず頑張ってみよう。

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