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六義園(知識編)

 六義園は江戸時代の柳沢吉保(1659~1714)という政治家が自ら設計した庭園。吉保は5代将軍・徳川綱吉(1646~1706、生類憐れみの令でお馴染みの)に寵愛され、その出世物語は講談『柳沢昇進録』として今も寄席に行けば聞くことができる。目まぐるしい勢いで出世するなかで貰った土地の1つがこの六義園だ。1702年に吉保自ら設計してオープンした。「六義」とは、紀貫之(?~946)が『古今和歌集』(905)の序文で記した和歌の分類方法(さらにその元ネタは中国の詩の分類方法)。吉保は和歌にも精通した文化人でもあり、六義園は和歌の聖地・和歌山をイメージして作られた和歌のテーマパークなのだ。吉保は時代劇などではヴィランとして登場することが多いが、生粋の文化人だったという一面を知ると決してヴィランとは思えない。

中心となるの池。この池の回りを歩き楽しむので池泉回遊式庭園という。


 庭園の形式は「池泉回遊式庭園」。池の中央には「妹背山」と呼ばれる山がそびえ立つ。「妹」は「女」、「背」は「男」の意味で、男女が並んだように見える山のことを「妹背山」という。歌舞伎『妹背山婦女庭訓』(1771)の舞台は妹背山だが、こちらは奈良の妹背山。この六義園の妹背山は、やはり和歌の聖地・和歌山の妹背山をイメージして作られた。

滝見茶屋


 また園内には標高35メートルの「藤代峠」という山がある。これも和歌の聖地・和歌山にある同名の峠をイメージして作られた。さらに「渡月橋」という橋があるが、これも「和歌のうら」(和歌山のこと)から始まる有名な和歌の一節「夜わたる月の」にちなんだネーミングの橋。京都・嵐山の渡月橋とは関係ない。このように園内には88ヶ所のチェックポイントが存在し(現在残るのは32ヶ所)、どれも和歌にちなんだものとなっている。

標高35メートルの藤代峠からの眺望


渡月橋。嵐山とは関係ない。

柳沢吉保という文化に精通した政治家が作った庭園は明治時代になって、三菱の創業者・岩崎彌太郎(1835~85)が購入し、岩崎家の別邸となる。ここで東京とその近郊にいくつかある「岩崎邸」を整理しておこう(○数字は○代目の意味)。

 ▼本邸
  ・上野「旧岩崎邸」…①彌太郎、②彌之助、③久彌
     ・六本木「国際会館」…④小彌太 
 ▼別邸
  ・駒込「六義園」…①彌太郎
  ・深川「清澄庭園」…①彌太郎
  ・箱根「吉池旅館」…②彌之助
  ・箱根「山のホテル」…③久彌
  ・国分寺「殿ヶ谷戸庭園」…久彌(③久彌の長男)

 和歌のテーマパーク・六義園。六義園におけるウォルト・ディズニーは柳沢吉保なのだ。

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