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【目印を見つけるノート】1487. 足りているけれど、足りない感じ

今日やれる仕事はやって出てきたという感じです😌

今日は雨かと思ったら、晴れました。
なので気分も高揚するはずなのですが、不思議なことにテンションは一定でした。
定時が近づくにつれ、部署がお休みカウントダウンモードになっていました。作業がギリギリまであったので終わるかなと思っていましたが、セーフ。

空。

何かが足りないような気分になります。
それは何だろうと思いながら信号を渡って駅の方に歩きます。

足りないものはたくさんある。
いや、そんなことはない。
本当に足りないものは
ほんのちょびっとだけ。

ネイビーのタイツとか、
クリスマス仕様の美麗な装丁の
アンデルセンの洋書とか、
ハワイのガーデニアのトワレとか、
チョーサー……ああ、
チョーサーとラブレーと
エラスムスとトマス・モアは
古本を買っていた。
欲しいものにはキリがないけど、
足りないとはいえない。

でも、何かが足りない。
見つからないものはある。
砂浜のサクラガイに
白いハヤブサ。
見つからないからと言っても
足りないわけじゃない。

ふと気づくと、三鷹行きの
電車の窓からオレンジ色の夕焼けが
ぱあっと広がっている。
ぼうっとして見失うところだった。

とりとめもない思いにとらわれたあと、
ああ、そうだと探し始めるのです。
例えばこんな曲。

忌野清志郎『口笛』

いっとき、オーティス・レディングの『Dock Of The Bay』の最後の口笛が吹けるようになりたくて、ずいぶんと練習しました。あまり人さまに評価されない類いの研鑽だったわけですが、サンフランシスコならぬヨコハマベイで人知れず吹いて悦に入っていました。

「足りているけれど、足りない」感というのがこの方の歌にはあったように個人的には思っています。それは熱中しているのに冷めているとか、そういった感覚に近いような気もします。

今日は命日でしたね。15年も経っちゃったんだ。2009年は「足りなくなっちゃった」年でした。
こんな風に思い出すのもありでしょうか。

それでは、これからまた、『オデュッセイア』にかかります。お読み下さってありがとうございます。

尾方佐羽

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