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RIP小出斉さん

RIP小出斉さん。

日本人のブルースに興味関心がある人で彼の文章を読んだことのない人はいないだろう。ライブも沢山観に行った。
テレキャスを弾くようになったのは小出さんのライブを見てからのことだったと思う。
散歩しているのを良くお見かけしたが、話しかけられなかった。大きく後悔している。
新潟高校出身であることを知り、なぜか大きく納得していた。

ブルースマン達の名場面というのがある。
ブラインドレモンジェファーソンの遺体が列車でテキサスに到着したところ。
憂歌団とスリーピージョンエスティスとのツアー 札幌大谷会館で観客が感動で椅子から微動だにできず 木村さんが日本語でやっていくことを決意したその顔。
Tボーンウォーカーがゲイトマウスブラウンのコードをギターから引っこ抜いて音が止まったとき。
そして、誰もが知る四辻でロバートジョンソンが悪魔に魂を売り渡した瞬間。

中学のとき、大宮新星堂で中央アート出版の「プレイザブルースギター」を購入し、早稲田大学理工学部「ロッククライミング」の部室で録音されたソノシートを聞きながらブルースギターのイロハを学び始めた私にとって、夢にも出てきた(私の妄想の中での)日本ブルースシーンでの決定的な名場面がある。
新潟県中学生としてBBキング来日公演を観覧感動後、新潟県立新潟高校生徒としてブルースバンドを既にやっていた小出さんと、東京生まれ麻布高校卒「麻布ロック強制収容所」の一員として「高校生なのに妹尾さんやローラーコースター界隈の人たちよりブルースのことを知悉していた」吾妻光良さんが早稲田大学ロッククライミング部室ではじめてセッションした瞬間とその後打ち上げで会話している場面だ。

これから、ブルース系のレビューとか日本で誰が書くんだろう?

吾妻さん以外に書ける人は思い当たらない。
これから、レココレとかマガジンを立ち読みするときに小出さんの名前を見られなくなるかと思うと途方に暮れる。

毛糸帽子系の団塊ジュニア世代小生意気ライターにブルースを語ってほしくはない。

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