リーフフィッシュ(コノハウオ)

新潮日本美術文庫『与謝蕪村』(1996)の、河野元昭「与謝蕪村――無為自然の画家」の、《鳶鴉図》について書かれた部分(73~76ページ)から。〔 〕ルビ(この美術文庫のカバーに《鳶鴉図》のカラス)
「与謝蕪村の傑作に、右幅に鳶〔とび〕、左幅に鴉〔からす〕を描く《鳶鴉図》双幅(図25・北村美術館)がある。」
イルカが、たくさん塩味。そこにカエルだろうサンショウウオ、ウナギ、ハム(たべもの)持ってきたパン。木
「鳶は吹きつける嵐のなか、しなう木の枝に止まって、きっと前方を見据える。」
ウニと、サメが、イカだろう氷のある箱だ、箱だ、そこに紫色のような生きもの。新鮮であるのだと、花を並べてカマボコも言う
「鴉は二羽、じっと耐えるがごとく、雪の降り積む樹幹に羽を休める。静と動、」
クラリネット(をたくさん印刷した、写真のカタログ)が、ここにあったのかと思う。探していたアコーディオン
「もちろん、風雨にあらがう枝葉の震え、枝にしっかりと食い込む鳶の爪の力強さ、」
ドロドロになっているアザラシではないもの。それはアザラシではないだろうと、イグアナも言わないだろうか
「舞うようにして降り続ける雪のゆらめき、寸分も狂わすことのできない鴉の重心など、」
畳の上に、乾燥した魚が、タラでありチョウザメであり、いいシーラカンス(たくさんの化石)アンモナイト
「あるいは、円山応挙(一七三三~九五)に対抗して岸派を開いた岸駒〔がんく〕(一七四九/五六~一八三九)の《雪中雀図》と比べてみよう。」
テレビだったのか、人間は(ピアノのように)ラフマニノフと言っている。言っていたウグイス・かなりや
「《雨中鳶雪中鴉図屛風》六曲一双(『俳人真蹟全集』7)につぎのような句賛があるところから、」
椅子が透明であるヴァイオリンを見ていただろうから、プールを青く塗ればジグラ(ガメラ映画に出た)になりたい飴
「  鳶の羽も刷〔かひつくろひ〕ぬはつ時雨〔しぐれ〕  去来
  日ころ憎き烏も雪の旦〔あした〕哉  はせを」
魚がいれば、鯉がいる。電気を出す魚が、いくつかのエイである象である、そのようである牛。そこに田
「鳶と時雨、鴉と雪の組み合わせが、まさに《鳶鴉図》と同じなのだ。」
いくつかの種類のムクドリのような(もしくはムクドリのようではない)キノコが、斜めになって窓から見える写真(のトカゲ)
「それでは、なぜ鳶と鴉が双幅上で相まみえることになったのだろうか。私見によれば、蕪村に啓示を与えたのは『荘子〔そうじ〕』の「雑篇」であったように思われる。」
アイスクリームが、キャラメルになりたいゴムではないチーズ(テーブルの上、金属の、上)たぬき
「「私どもは烏や鳶が先生のおからだを餌食〔えじき〕にしてしまうことを恐れるのです」」
(これは森三樹三郎訳荘子から)そして、サケという魚が、馬になって虫になっている、と言うリーフフィッシュ(コノハウオ)
「地上におけば烏や鳶の餌食となり、地下に埋めれば螻〔けら〕や蟻〔あり〕の餌食となる。」
(これも森三樹三郎訳荘子から)飛ぶ鳥の影は動かないテレビだと荘子の最後に書いてあった(のではないだろう)狗・犬
「以下、荘子の話は、人為の知恵など自然の霊妙な心には及びもつかないという結論に導かれていくのだが、ここに鳶と鴉が並んで登場する。」
水中の藻や、苔を(打楽器のように)食べる、トマトを食べているようなナマズが、いくつかの種類であるのだろう庭
(参考資料 森三樹三郎訳『荘子Ⅱ』中公クラシックス、2001)

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