春の嵐と桜のあとのひだまり

春は別れの季節でもあり出会いの季節でもある。
人に疲れてしまって、人と話すのも億劫になることが多い自己中な私は、初対面は気が楽だが微妙な位置関係が嫌いという典型的なコミュ障である。

だからたまに、初めて会った時の記憶が良すぎて、もうそれ以上関わりたくないとか思ってしまう。
というか今それにぶち当たっている。

その後の関係がうまく行けば最強の記憶、駄目ならもうどうしようもなくなる。そんなふうに思ってしまう。

その後の関係を丁寧に構築すれば良いのだが、その過程を以てしてまで仲良くなりたいと思うのは一握りで、大人になればなるほど(拗らせているのもあるが)その労力で身が削られる。
さらに、むこうがそう思っているとは限らない。
恋愛に限らず片思いはきっと存在する。




仕事や学校の人間関係だったら割り切れるのだが、今ぶちあたってるのはそうではないケースで戸惑いが隠せない。

唯一の連絡手段のインスタのdmの通知を待ってる自分がいる。返信も時間はばらばらだが、むこうも話を途切れさせようとしないから、いいかなとか思ったり。
それにしてもインスタは良くない、あの入力中のもこもこするやつ、誰であってもどきどきしちゃうから。

まあ、もう好きである自覚はあるし楽しいには楽しいけど物理的距離ありすぎて苦しい。今までなんとなく聴いていたaiko様の曲の歌詞が刺さるなんてどうかしている。

それはもう恋と言ってもいいのだろうが、なんだか一言で片付けたくなくて、もっと大事にしたくなって、もう全然そのまま勝手に相手の幸せを願っていれば幸せで、それ以上になりたくない自分がいる。
つまり自分が超絶めんどくさい。

まあ、駄目になっちゃったら酒の肴にすれば良いや。たぶんどっかで覚めるから。どうしようもなくなったらインスタでフォロー外せば良いだけだし。どうにでもなれ。今は夢現に溺れていよう。

これ読み返してまた頭抱えるんだろうなあ




恋愛論について、恋愛体質の友人となぜ私が彼氏ができないのかという話になったとき、私には「独占欲」がないという話になった。
好きになっても誰かにおすすめできるのなら「推し」、自分だけが良さを知っていたいなら「恋」だとか言っていた。
もちろんこれに正解はないし、結論のない会話(個人的には1番楽しい)なのだが、妙に納得してしまった。

まあ、どちらも相手に好意を抱いている時点で素敵な感情だよね、推し付けすぎずお互い不快でなくしつこくなければウィンウィンだとなった。(どうだか)




私には美麗な心友がいる。
彼女はその容姿だけでなく飾らない素直な感性を持っているためとてもモテるのだが、本人はむしろそれに苦しんでいる。本当に好かれたい人には好かれないし、見てほしいところを見てもらえないと。
正直割と贅沢な悩みだし羨ましい限りだが、彼女の良いところをたくさん知っている分、安易に見た目だけで好きになる相手に不快感を抱く彼女の気持ちはわかるし、そこだけ見てる奴が私も気に食わないため、私は彼女のガードマンで邪魔者で小姑となっている。
(彼女の恋はめちゃくちゃ応援している、素直じゃないので彼女はそれを恋と認めていないが…この辺が似てるのか…)




今日も新歓の花見の席で他の友人が無理矢理彼女と彼女に好意をもっている匂わせをしている子(誰にでも好きというチャラ男)をくっつけようとしてるところで割とはっきり「そういうのだるいって」と言ってしまった。その場の空気は微妙になってしまったし、なんか申し訳なかったけど、彼女に「ありがとう、たすかった」と言われて少しほっとした。
でも、これは私の正義の押し付けかもしれないとも思った。勢いから始まるものもあるし、見た目から入るもののすべてがすべてネガティブではないことはわかっているから。何か変わるかもしれないし。


彼女と話をすると全然違う立場や状況でも共感できることが多くて、ついつい飲み過ぎ酔いつぶれることが多い。更にお互いに苦労してきたことや協力して乗り越えてきたことがたくさんある。自分の胸の内を安心してぶちまけられる。
不健康だが精神的に健全な精神を保ているのは彼女のおかげでもある。

今日も花見のあとに私の部屋で酔いつぶれいびきをかく彼女を見てなんかうれしくなっている自分がいる。そしてその横で安心してうたた寝できる私も。どんなに心地良いか。まじ阿佐ヶ谷姉妹みたいになりたい。
これは全然インスタでつながっている彼とは似て非なるものだが、好きという事実は変わらないし言葉にくくりたくない説明できない愛と知っている。




そんな彼女とは恋人になりたいとかは思ってない。
おばあちゃんになっても、お互いの状況やライフステージが変わっても変わらず語り合えたらいいなとは思う。

しかし、母親が言っていたことが引っかかる。
「親友だったけど、私が子供を生んでからも独身バリキャリだった彼女は『私、あなたのことは幸せをずっと願えるくらいに好きだけど、一緒に話すのは合わないかも』って言われてからお互いに会うのやめるかって疎遠になっちゃった、今でも大好きな友人だけどね。」という話を聞いてから、やはり立場も環境も違えば、わかりあえていたものも、わかりあえなくても大切にできる関係も、近くで続けていくのは難しいのかもしれないと思った。
そしてそれ以上に今の関係性がとても尊いものだと思った。

最近インスタの彼の話をする時に彼女があんまり乗り気では無いことには気付いている。だからあんまり話をしていない。
まあ、それ以外の話で共感できることが多いため(同じ大学同じ学科の友達だし)話は尽きず、今日も私よりお酒に弱い彼女が先に寝潰れて聞き取れない寝言を言っている。
これはきっと永遠じゃないから尊いんだろうな。

卒業までまだ1年あるし、進路もお互いまだ迷ってるけどお互い後悔がない道に進めたらいいな。
そしてなんだかんだこうやって語り明かせる関係でありたいなんて贅沢だろうか。



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