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【日記】からあげと神々と老い

 諸君。突然だが、紳士淑女である諸君らは老いというものを感じたことはあるだろうか。朝起きた時、唾液の量が少なく、息をしたくなくなるほど口が臭ったり、少し動いただけで息が上がってしまったり、筋肉痛が数日経ってからやってきたりと、老いのサインは至る所に出てくるはずである。それを喜ぶのか悲しむのかは本人の性格によるところだが、大抵の人間は老いのサインを見つけると悲しみ、昔を懐古し、哀愁を漂わせるのである。
 今、私の目の前にからあげがある。数はおよそ20個ほど。そして白米。茶碗3杯程度だろうか。これは今日の晩御飯だ。
 私は、からあげも白米も好きなため、うっきうきで晩御飯の支度をした。油の中で踊る鶏肉に心を踊らせ、炊きあがったご飯の匂いに胸をときめかせた。そして、これを今から食べてやろうぞ。と戦に勝利した武士のような気分でテーブルに並べた。この瞬間までは本当に楽しかった。
 しかし、いざ、口にすると、不思議な事に気が付いたのだ。まことに不思議なのだが、あれだけ楽しみにしていたからあげが喉を通らない。一口噛み、脂が喉を通った瞬間に脳やら食道やら胃やらが「もういいよー」と全力で拒否してくる。それを無視してご飯と共に口に入れようものなら「そんなことしてもバレてるぜー」と吐き気を感じさせてくる。からあげはあと19個ほどある。ご飯は少しだけ冷めている。これはどうすればいいのだろうか。

 話しは変わるが、お米には一粒につき、7人の神様がいるらしい。1センチにも満たない米粒にだ。何の神様なのかは皆目見当もつかないが、どうせ米の神とかだろう。米の神じゃない神が窮屈な米粒に幽閉されている意味がわからないからきっとそうだ。そして、調べたところによると、お茶碗一杯におよそ3276粒の米があるらしい(もちろんお茶碗の種類にもよるが)今日の晩御飯はお茶碗3杯分なので、およそ1万粒の米があるということになる。ということは今、私の目の前にはおよそ7万の神様がいることになる。そう、ドミニカ国の人口ほどの神が目の前にいるのだ。何とも神々しい。米が輝いて見える。タンボーラの音色が聞こえてきそうである。トコトコトン。
 しかし、そんな神も目の前でどんどんと冷たくなってきているのが現状である。このままだと、神を見殺しにすることになる。だからどうにか食べなくてはいけないのだが、どうにも箸が進まない。

 食べてー
 美味しいよー
 温かい方が美味しいよー

 目の前のドミニカ国の人口ほどいる神々たちからそんな声が聞こえる。

 僕たちも美味しいよー
 冷めても温め直せば美味しいよー
 
 からあげたちからも聞こえる。

 でもやはり箸は進まない。残念ながら神々たちは食べられそうにない。申し訳ない。というわけで最後に一句。

 三十路過ぎ 油と甘味は 目で食べる

 お後がよろしいようで…

 


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