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 水垢まみれの鏡は顔が見づらくて助かる。朝から嫌な顔を見たら仕事に行きたくなくなってしまうから、一度も鏡の掃除はしていない。どうせ、他人や両親が家に来ることはない。だからこのままでいい。
「よし。今日も頑張るぞ」
 見づらい鏡の前で顔を洗って髭を剃り、そうひとりごちて、小宮良太は服を着替え右足から家を出た。
 窓を開けた瞬間、暖かい空気と草花の匂いが鼻をくすぐる。アパートの近くに植えられているパンジーやチューリップの匂いがこちらまで届いているのだろか。それとも、春の陽気に惑わされて匂いが届いているような気がしているだけなのだろか。どちらにせよ、良い気分だ。匂いが良いというだけでこんなに気分が良くなるなら花瓶と生花でも買って家に飾ってみようか。
 そう考えて、小宮は首を横に振った。もし、花瓶と生花を買い、飾ったとしても、そのうち飽きるだけだ。花瓶の水を変えることもしないから花は枯れるだろうし、良い匂いどころか、悪臭が部屋に蔓延するに違いない。最終的には花瓶を捨て、使った金を無駄にするだけだ。そもそも、そんなにお金はない。今月だって家賃と電気代やガス代、水道料金が払えるか怪しいくらいだ。一時の感情で無駄なお金を使うわけには行かない。
 大学を卒業して就職したら、お金に余裕が出ると思っていた。好きなアーティストのライブ鑑賞や旅行、スポーツ観戦にお金を使えると思っていた。しかし、現実は厳しく、家賃や水道代、電気代、ガス代、生活費などの出費が多く、自由に使えるお金はほとんどない。食事も一日一食程度に節約し、やっと生活できるくらいだ。今ではそんな生活にも慣れたけれど、やはりお金があった方が自由な生活ができることに変わりはない。
「笑顔。笑顔」
 歩きながらひとりごちる。笑顔があれば状況は良くなるはず。小宮はそうやって生きてきた。それは、幼少期に笑っていれば両親が小宮を叩かなかったからかもしれないし、気性の荒い同級生たちに何もされなかったからかもしれない。とにかく、笑顔でいることが小宮にとって人生を豊かにする方法だった。
 駅に着くと、初々しいスーツを着た新入社員らしき女性が顔を強張らせてホームに立っていた。その女性の少し遠くには大学生になったばかりなのか、若い男性二人が楽しそうに話している。
 春は良い季節だ。草花の香りが漂ってくるし、道行く人たちの顔が輝いている。町全体が活力に満ちていて、歩いているだけで元気を貰える。
 数年前まではこんな状態ではなかった。感染症のせいで皆マスクをしてしかめっ面で歩いていた。感染対策としてリモートワークやリモート授業、ソーシャルデイスタンス、ステイホームなどあらゆる制限が課された。風物詩となっていた夏のフェスも軒並み中止になり、飲食店は数多くの店舗が閉店へと追いやられた。だからか、人々のストレスは溜まり、口から出る言葉はトゲが多くなり、露骨に鬱憤を態度に出す人もいた。そんな時期に比べたら、今のこの光景は天国のように見える。皆笑顔で、楽しそうでマイナスな発言をする人がいない。
 幸せな気持ちで電車に乗り、職場の最寄り駅からバスで向かう。見慣れた工場が見えると、電車の中なのに、すでに工場内の臭いが漂っているように感じる。それを取り払うように、小宮は自身の服についた柔軟剤の匂いを嗅いで気を紛らわしていた。
 今の職場は嫌いではない。ベルトコンベアで流れてくる加工された豆腐を取り上げてトレーに入れる。それだけだ。難しい事ではない。一緒に働いているアンドレやアルジュンは国は違うけれど、たどたどしい言葉でコミュニケーションを取ろうとしてくれる良い人達だ。長年働いているであろう本間さんや赤坂さんのおばあさん軍団も厳しいけれど、嫌な人ではない。問題は二つある。一つは臭いだ。この工場内はとにかく臭い。豆腐が加工される途中で出る臭いなのだろうが、マスクを通り越して鼻に届く。小宮はこの臭いにいつも気持ち悪くなる。だから休憩時間には急いで工場を出て、休憩室に逃げ、作業服を脱ぎ、着替える。そうしないと、そのうち吐いてしまうだろう。
 もう一つが薄給である。月給で十二万しか入らない。この地域の物価はとても安い。家賃も三万前後と安いものの、そこに食費や電気代、ガス代、水道費を加えると、ほとんど手元には残らない。花瓶や生花を買う余裕すらないほどだ。
「おはようございます」
 挨拶をすると、体の大きいアンドレはマスク越しに笑顔で手を振ってくれた。この笑顔を見ただけで、一日頑張ろうと思える。
「おはようございます」
 後からやってきた本間さんと赤坂さんたちにも挨拶をしたが、聞こえなかったのか、自分たちの会話に夢中だったのか挨拶はなかった。こんなこともよくある。それでもいい。彼女たちは元気そうだ。
 白い作業服に着替え、ベルトコンベアの前に立つ。今日も一日ここで加工された豆腐を拾い上げ、トレーに入れる。がんもどきや厚揚げなど、一日中流れてくる物をただひたすら拾う。それだけの単純な作業。小学生でも中学生でも高校生でも、男でも女でも、日本人でも外国人でも、誰でもできることをやる。一日中ここにいると、いつまでこんなことをしなくてはいけないのかと、気持ちが沈んでいしまうこともある。けれど、そんな事を考えるだけ無駄だから、何も考えないで機械のように動き、時間が過ぎるのを待つ。そうやって仕事をすれば、あっという間に時間が過ぎて、気持ちの良いまま帰ることができる。
 チャイムが鳴った。すぐに小さながんもどきがころころと奥から転がってきた。今日も誰にでもできる仕事が始まる。小宮は何も考えずに、機械のようにがんもどきを拾い上げ、何も言わずにトレーに入れた。
「そういえばさ、私の息子が就職してさ。お祝いに旅行連れて行ってくれたの。箱根の温泉気持ちよかったわあ。立派に育ってくれて、涙出ちゃった」
 遠くから、そんな声が聞こえる。ベテランのおばさん達はこんな作業はへっちゃらなようで、隣の人と話しながら素早く物を拾い上げる。時々、話し声がうるさくて工場長に怒られているけれど、そんなのお構いなしのようで、何日か経てば、いつものように笑いながら世間話に花を咲かせ、笑い合う。だから、外国人のアンドレたちも母国の言葉で何やら話し笑っている時もある。
「でも、人生何があるかわからないわよ。有名企業に勤めてたって、パワハラやモラハラで辞めちゃう人が多いんだから。最近の子なんて三年も続けられないなんて言われてるみたいだし」
「あの子は大丈夫よ。サッカー部だったし、厳しいのには慣れてるはずだから。それに、辞めたっていいのよ。続けるのが凄いわけじゃないんだから。パワハラやセクハラで精神的に病んじゃって引きこもりになるようなら辞めてくださいって感じよねえ」
「そうよねえ。ま、息子より、私たち自身の心配しないとね。もう歳なんだから。いつ死んでもおかしくないんだから」
「ちょっと、やだあ。縁起でもない事言わないでよ」
 キャハハハと明るい声が機械の大きな沙同音にかき消されていく。がんもどきを目で追っている小宮は何だかがんもどきが笑っているように思えて楽しい気分になった。
 今日も良い日だ。皆笑顔で楽しく仕事をしている。誰も怒っていないし、不仲でもない。がんもどきも美味しそうに流れている。毎日がこんなに良い日だといいのに。そうすれば、嫌な事も全て忘れて、毎日楽しく笑っていられるはずだ。
「あれ、笑ってんの。気持ち悪いわね」
 声のする方を向くと、おばさんたちがこちらを見て怪訝な表情をしていた。うっかり笑っていたようだ。マスク越しでも笑っているとわかるくらいの表情をしていたらしい。小宮はすぐに真顔に戻った。今は一人で作業をしているのだ。笑っていたらおかしな人でしかない。
「あの人って何歳なの?」
「知らない。でも若いわよね」
「嫌だわあ。息子がこんな所で働いていたら。せっかく苦労して大学を卒業して、これって。それならよくわからないユーチューバーになってくれた方がましだわあ」
「どうするのよ。迷惑系とかなんとかになっちゃったら」
「大学出てこんな所で働かれたら迷惑系よ。迷惑系息子よ」
「ちょっとやだそれ」
 また明るい笑い声が響いて、機械の音にかき消される。別にいい。皆が笑っているなら、今日は良い日だ。そうに決まっている。
 仕事が終わり、帰宅するとすぐにシャワーを浴びる。仕事でついた臭いを消すまでが、一日の終わりだ。そうしないと、帰宅してもなんだか落ち着かない。
 ユーチューバーか。
 朝のおばさんたちの話し声がずっと頭の中で響く。黒ずんだタイルに落ちるシャワーの水の音と一緒に重なって笑い声と話し声が浴室に反響する。誰もいないことは分かっているけれど、胸がぎゅっと締め付けられ、息が乱れてくる。
 浴室を出て、パソコンを起動しユーチューブを見る。派手な髪をした男の子や女の子がどっきりや世間話をして笑っている。面白いか面白くないかで言えば、面白いとは言えなかったけれど、この明るさや元気の良さを楽しんでいる視聴者は多いのだろう。小宮も楽しくはないと思いながらも、口角は上がっている。人は笑い声を聞くだけで自然と元気になるものだ。
 楽しそうだなぁ。これでお金が稼げるんだから羨ましい。
 今の職場は嫌いではない。皆楽しそうに笑っているし、肉体的にも精神的にもきついと思うことはない。けれど、やっぱり薄給とあの臭いはきつい。耐えられないわけではないけれど、変えられるなら変えてほしいと思っている。
 ユーチューブから楽しそうな笑い声が聞こえる。小宮と同い年くらいの男の子と女の子は臭いにも薄給にも困っているわけでは無さそうだった。
 こんな楽しい仕事で稼げたらな。
 この人達みたいに数人で集まって楽しことをしなくてもいい。一人でもできることは色々ある。料理とか、好きな小説の紹介とか、ゲームの実況とか。それでも視聴回数やチャンネル登録者数が増えればお金を稼げる。ユーチューバーはそんな夢のような仕事だ。小宮はそう考えてゆっくりとソファにもたれかかった。
 そんな簡単にいくわけないか。
 稼げている人間なんて一割にも満たないだろう。しかもその一割の人達は才能がある人達だ。料理ができるとか、歌が上手いとか、容姿が良いとか。そもそも他の仕事を本業にしている人たちが宣伝のためにユーチューブを始める場合が多い気がする。小宮のように何もできない、何も持たない、そんな人間で稼いでいるユーチューバーは本当にごくわずかだろう。そもそも、カメラを買うお金もマイクを買うお金もない小宮はスタートラインにすら立てないではないか。
 まあ、見てるだけでいいか。
 動画の中の若者たちが笑って転がっている。愉快な音楽とともに、楽し気な字幕が流れ、何人かがお腹を抱え、ひーひーと苦しそうに顔を綻ばせていた。それを見て小宮も自然と笑顔になっていくのを感じた。これでいい。楽しい人を見ていれば自然と楽しくなる。そうすればいつか幸せが訪れるだろう。それまでじっと待とう。
 動画が終わったらしい。部屋の中に静寂が戻った。冷蔵庫の音がやたらとうるさく聞こえる。パソコンを消すと、真っ暗になった画面に不気味に笑う気持ち悪い男が一人映っていた。
『初めまして!気になったのでダイレクトメッセージさせてもらいました。僕は情報販売で稼ぐ二十歳です。もし今の状況から抜け出したい。もっと稼ぎたいと思っていたらメッセージください。力になります』
 ベッドに転がり込み、だらだらと携帯を見ていると、SNSにメッセージが届いた。本人であろう人物が笑顔で象に乗っているアイコンにプロフィールには月収百万だとか隙間時間を有効活用だとか書いてある。
 こういうアカウントは詐欺かねずみ講か何かに違いない。どうせ、連絡したらこちらの連絡先を聞かれ、電話をすることになって、直接会う約束をされるんだ。そして、断れない雰囲気を作って何かしらに契約され、契約金として大金を支払わせるのだろう。絶対にそうだ。
 しかし、小宮の手は意志とは正反対に返信をしようとしていた。もし、本当に今の状況が変わるのだとしたら、連絡してみる価値があるのではないか。もし、大金を支払わせようとしても
支払わなければいいだけではないか。話しだけなら聞いてみてもいいのではないか。
 頭の中がどんどんとこの怪しいアカウントを肯定していく。連絡だけしてみようか。怪しかったら無視すればいい。
『今、工場で働いています。嫌なわけではないですが、薄給で困っています。隙間時間で稼げるなら方法が知りたいです』
 メッセージを送ると、数秒で返事が返ってきた。
『連絡ありがとうございます。まずは直接話しませんか?連絡を送りますので、そちらに一言お願いします』
 送られてきた連絡先に「小宮です」と送ると、すぐに返事は帰ってきた。櫻井と名乗るその男は丁寧な文章で「会える日はいつになりますか?」と返事をした。小宮は結局、怪しさを払拭できず、何も返事をせずに寝てしまった。

 

 雨の日だった。風が強くて肌寒く、少し厚着をして駅を歩いている時の事だった。券売機の付近で探し物をしている女性を見かけた。どうやら何かを無くしたようで、ポケットの中やバッグの中を慌てて探している。
「これですか?」
 ICカードが少し離れた所に落ちていた。風が駅の中にも吹いているからだろう。カードは落とした拍子に飛ばされたのか、彼女とは少し離れたところに転がっていた。
「あ、ありがとうございます。そうですそれです」
 女性は顔を上げ、小宮の袖を掴み、手を握った。顔はカードを見ていない。小宮の顔を見ているが、目は合っていなかった。
「ホームまで案内しますよ。一緒に行きましょう」
 彼女は小宮の手をしっかりと握り、一緒に歩いた。すべすべした手は白く綺麗だ。肌艶が良く、髪も綺麗で派手な生活をしていないことが窺えた。
「あ、エレベーターに着きましたよ。乗りますね」
「はい。ありがとうございます」
 彼女は話しかける度に口角をあげ、こちらを向いた。相変わらず目は合っていないが、一生懸命コミュニケーションを取ろうとしてくれているのが嬉しい。
「ホームに着きましたよ。後は大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。私は全盲ではなく弱視なので、ぼやっと見えているんです。だから、ちっちゃいものとか透明なお水とかは見ずらいんですけど、大きな物とか色があるもの、動いているものは見えるんですよ」
「そうなんですね。これから買い物ですか?」
「いえ、大学に行くんです。目の見えない人が行ける大学があるんですよ」
 目が悪いからか、距離感がとにかく近い。普通の女の子なら絶対にありえない距離で顔をまじまじと見てくる。思わず後ずさりそうになってしまうけれど、失礼だという感情が勝り、キスでもしてしまいそうな距離でお互い話している。彼女は目が悪いからか、化粧はほとんどしていないようだった。人工的な白い肌でも無ければ、びっくりするほど黒く縁どられた目元でもない。よく見れば、手も綺麗だけど、爪はガタガタで整えられていない。眉毛も無造作だ。
「何を学んでいるんですか?」
「医学療法です。医学療法士を目指しているので」
「実家から通ってるんですか?」
「いえ、一人暮らしです」
「大丈夫なんですか?大変じゃないですか?」
 わかりやすく彼女の顔が歪んだ。何も考えずに質問をたくさんしてしまったからだろうか。彼女は少し間をおいて「大丈夫ですよ。私は慣れているので」と笑った。
 それから、小宮と彼女は喋らなかった。彼女は質問をしてくる不気味な男が隣にいるからか、ずっと目を泳がせ戸惑っている。小宮も話しかけていいのか、目が悪い彼女を一人にして去っていいのかわからなかった。そして、何故、職場とは反対方向のホームに何もすることなく立っているのかもわからなかった。
「あ、電車」
 乗るはずだったホームに電車がやってきた。いつも乗っている男が反対側にいることなんて知る由もなく、当然のようにドアを開け、ドアを閉め、走り去っていく。これで小宮の遅刻、または欠勤は確定だ。
「え、どうしたんですか?」
「電車が行っちゃいました」
「え、あっちのホームだったんですか?なんでここにいるんですか?」
「いや、なんとなく。なんでですかね。わからないです」
 何を言っているんだろう。これでは不気味さに拍車がかかるだけではないか。足よ動け。今すぐこの場を去れ。さもないとこの女性に嫌われるぞ。もう遅いかもしれないけれど。
「あの、もしよかったら大学見てみていいですか?気になるので?」
「え、なんでですか?」
「どんな授業してるのかなって思って」
「たぶん部外者は入れないですよ?」
「そうですよね。大学頑張ってくださいね」
 遠くの方に電車が見えた。女性は結局最後まで笑ってくれず、小宮は「また今度」と言って改札までの階段を上った。また今度なんて友達でもないのに何を言っているのだろう。ちらりと後ろを見ると、彼女はもう小宮の事なんて関心が無さそうに電車に乗り込んでいった。
 工場に欠勤の連絡をすると、工場長は「お大事に」とだけ言ってすぐに電話を切った。派遣社員と違って正社員は忙しいのだろう。いつも慌ただしく動いている工場長は笑っている所を見たことが無い。いつも早口で息荒く「これをやってくれ」「あれをやってくれ」と人に指示を出している。アンドレはそんな工場長を見て「スマイルスマイル」と言っている。従業員には好かれたいのか一瞬だけ笑顔になる工場長はすぐに真顔に戻り慌ただしくどこかに去って行く。だから誰からも好かれていない。
 ーこんばんは!その後どうでしょうか?連絡待ってます 
 駅を出て、ぶらぶらと家までの道のりを歩いていると、櫻井から連絡が来た。直接会わないかと連絡が来てから悩んだ末に、結局返事をしなかったのだ。頭の中は彼の発言を完全に肯定しているが、やはりまだ信用はできない。情報商材だとか、月に何百万稼ぐだとか、経歴を誇張しているとしか思えないプロフィールに文字を打つ手は止まる。だけど、今の状況を変えたいのも事実で、小宮の中では色んな感情がせめぎ合っていた。
 ーすみません。もうちょっと考えさせてください
 ーそうですか。決断するのは早い方がいいですよ。状況を変えられる人間は誰しも判断が早いです。思い切りがいい人ばかりです。そういう人が自分や状況を変えられます
 それなら正直に「怪しいから戸惑ってる」と言ってみようか。しかし、こういう人達はそんな事は言われ慣れているに違いない。調子の良いことを言ってきて、さらに困惑してしまうだけだ。
 ー明日には返事します。それまで待ってください
 ーわかりました。待ってます
 明日、駅に彼女がいたら、櫻井と名乗るこの男に連絡して会ってみよう。彼女と話して仲良くなれそうだったら何かが変わる気がする。
 昼間の強い陽射しが差し込む部屋で小宮は一人決心した。パソコンに映る人達は楽しそうに笑っている。こんな仕事でお金を稼ぐためには何かを変えなければいけないのだ。何もしなければ何も変わらない。今の自分に足りないのは勇気と決断力。そして、金と清潔感と学力と経験とコミュニケーション能力と。考えれば考えるほど、自分に足りないものが湧き出てくる。他の人が持っているスキルが無い。そんなものは自分には一生身に付かないと諦めているけれど、やはり無いと不便なものだ。
「あの子、仲良くなったらどんな顔で笑うのかなぁ」
 部屋で一人、そんな言葉を口にしてみる。仲良くなれる保証なんて無い。むしろ嫌われているかもしれないけれど、今回は勇気を出して話してみよう。なにせ、彼女は顔が見えないのだ。外見で拒否されるなんて事は絶対にない。他の女性たちとは違う。内面が良ければ好かれるはずだ。彼女と仲良くなるためには勇気を出せばいい。それだけだ。

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