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海外でおなかを壊したどころじゃなかった話@タイ・ブラジル

海外によく行くと言うと
「海外でおなかを壊したりしない?」
と心配されることがある。

私の答えは「余裕で壊す」。
海外でも全然平気という
鋼鉄の消化器を持った人もいるようだが
私はこれまで海外で3回、「おなかを壊す」
という表現どころじゃすまない
胃腸の劇症に襲われたことがある。

それらの詳細を書き記すことによって
誰かの胃腸の健康が守られれば幸いだ。

(そもそも3回も劇症に見舞われる時点で
私からの助言は信頼性ゼロなのだが…)


ケース1 インド 劇症度☆☆☆☆

詳細は上記にて。とにかく大変だった…

考察
原因:温かいけど熱くはない豆カレー(多分温めなおし)
対処法:寝ても止瀉薬を飲んでも治らなかったので
病院で点滴を6-7本打ちまくる。
処方された抗生物質等を飲む(トップ画像)。

なお、医療費等は保険適用でほぼカバーされた↓

ケース2 タイ 劇症度☆☆

その日、私はタイ北部のチェンマイにいた。
チェンマイの後、中国の四川省は成都に
移動する予定があった。一人旅。

遠回りになる事情は忘れてしまったのだが、
私はチェンマイの後バンコクへ飛びそこで1泊。
翌朝のフライトで成都という旅程だった。

チェンマイ最終日、私はどこかのローカルな市場にいた。
観光客などがいないであろう超絶ローカル市場。
そこで私はランチに最適であろうものを見つけた。
カオマンガイ(チキンライス)だ。

物価の安いタイであっても、今まで見たことのない
底値。たしか10バーツ(当時30円程度)。
食堂や専門店ではなく、野菜とかが売っている片隅に
持ち帰り用のカオマンガイがいくつか売られていた。

多分、店主が家で飼っている鶏をつぶして
カオマンガイ作ったら多めにできたので
ついでに売っちゃえ的なホームメイド鶏飯。

私はそれを購入し、チェンマイ空港で搭乗を待つ間に食べた。
味の記憶はない。安さの記憶しかない。

翌朝のバンコク、体が重い。あ、風邪ひいたかも。
しかしそこで休養する、という選択肢はなかった。
成都に移動する日で、航空券の変更はできない。

当時のバンコクはドンムアン空港しかなかったので
ノンエアコンの29番の赤いバス(当時10円程度)で
空港に向かうことになった。
もちろんタクシーは使わなかった。

タクシーで行くのは誰かと旅行しているときか、
搭乗に遅れそうなときか体調が極悪の緊急事態のみ。
つまりその時はそこまで体調は悪くなかった。

ノンエアコンのバス内でじっとり汗をかき、
空港に入ったらそこはエアコンで冷え冷え。
出国手続きをし、タイ航空のラウンジに入った時には
すでに体が寒くてシャワールームに直行。

熱々のシャワーで体を温めようとしたのだが、
南国あるある、貧弱な給湯器の能力のため
どう考えても体温程度のお湯しか出なかった。
余計に寒くなって最悪。

そのうち下痢の症状が現れてきた。
ラウンジ内は食事や飲料が無料で提供されていて
いつもはフードファイターの如くがっつく私も
さすがにそれどころではない。

ラウンジにある白湯で体を温め水分補給をしつつ
トイレに行っては下から出す。
搭乗時刻になっても体調は依然としてよくない。

飛行機は通路を挟んで横に3席ずつのタイプ。
幸い私の横2席は空席だったので、離陸後
シートベルトサインが消えたらすぐトイレをすまし
その後は3席を使って横になった。

タイ航空は短距離線でも機内食の提供がある。
ありがたいしうれしいのだが、今は別。
機内食の蓋を開ける気力も食欲もない。
ただでさえ気分が悪いのに、機内食の匂いが余計に
気分を悪くさせ、吐き気すら感じるようになった。

成都に到着後、体調が悪いと本来は
検疫で申請するべきなんだろうけれど、
そこは中国。いろいろ怖くて黙って通過した。
雉も鳴かずば撃たれまい。

さすがにタクシーでホテルまで移動。
奇跡的に早めにチェックインさせてくれて
まだまだ昼過ぎなのだが速攻でベッドで爆睡。
起きたらまさかの翌日という15時間睡眠で体調復活。

考察
原因:常温保存のホームメイドカオマンガイ
対処法:薬を飲まずに原因菌を出し切ったのと、
水分だけ摂取し胃腸を休めた。あと爆睡。


ケース3 ブラジル 劇症度☆☆☆

当時JALが成田からニューヨークを経由して
サンパウロまでB747で運航していた。
ロサンゼルス経由便もあった気がする。

成田空港で、これからのブラジル旅行に
思いをはせた→「きっと日本食が恋しくなる」。
ということで、空港内の売店でおにぎりを
2個ほど調達し、カバンの中に忍ばせておいた。

サンパウロ到着後、すぐに国内線でマナウスに飛んだ。
アマゾン川中流部にあるジャングルの中の都市だ。
そこではアマゾン川ツアーなどに参加して
ピラニア釣りを体験したりと休暇を満喫した。

そのツアーのランチタイムにて。
私は持参した水がなくなりかけていたので
ランチ会場に用意されていた
ピッチャーに入った水を飲むことにした。

のだが。
明らかに濁っている。透明ではない。

一人旅ではなく友人といたのだが、
友人はピッチャーの水に手をつけなかった。
私はのどの渇きに耐えられずに飲んだ。

ツアーが終了しホテルに戻った。
そういえばおにぎりにまだ手をつけていない。
かれこれ成田で入手してから72時間は経過している。
ブラジルは遠いのだ。そしてそこから国内移動もしたし。

ずっと常温保存だったが飛行機内は涼しかったし
ホテルの部屋もクーラーが効いていた。
私は日本の保存料まみれのおにぎりを信じる。
夕食前に私だけおにぎりを食べた。

翌日、アマゾン川河口のベレンという都市に移動した。
ホテルにチェックインし近所を友人と町ブラ。
そこでハンバーガーの屋台があった。
肉を鉄板でじゅうじゅう焼いて煙が上がっている。

なぜ私はそこでバーガーを食べたのだろう。
普段そんなにバーガー類が好きではないのに
今となっては理由が思い出せない。
ともかく、私だけバーガーを食べたのだ。

翌朝は体調不良と下痢でスタート。
せっかく前夜のうちに、地球の歩き方「ブラジル」の
巻末にあるポルトガル語会話集で
「空港行きのバスはどこで乗れますか?」
Onde posso pegar o onibus para aeroport?
を必死に覚えたのに(今でもこのフレーズだけは言える)
私から友人にタクシーで空港に行くようお願いした。

そのうち座っていることさえ辛くなり、
空港では長椅子を見つけて横になった。
そして搭乗。まずはブラジリアまで飛び、
そこで飛行機を乗り換えてリオデジャネイロまで。

飛行機が離陸し、シートベルトサインが消灯するや否や
私は機内後方のトイレへダッシュした。
便座に座りながら、顔は手洗いボウルの上で固定。
なにせ上から下からいつマグマが噴出するか
予想できない黒ひげ危機一髪状態だったので。

長身のため飛行機内では毎回窮屈な思いをしているのだが
こんなときに体が縦長でよかったと思ったことはなかった。
なにせ上下同時に排出可能な体勢を維持できるのだ。
それにしても私はその体勢でトイレを占拠し続け
突発的に体内のものを排出していたので、
同乗のブラジリアンたちは大迷惑だったに違いない。

ブラジリアで乗り換えた後の飛行機は大型機で
アブレストが2-5-2、そして空席が多かった。
私は真ん中5席を独占し、ありがたく寝そべった。
そんな瀕死状態の私にも、ヴァリグブラジル航空のCAは
「ガラナ飲む?」と優しいのだが今は無理。

機内で上下から出すものを出したからか、
リオ到着時にはいくらか体調が持ち直した。
だから私が言った。ホテルまでバスで行こうと。
せっかくバスが私たちが予約したホテルの
目の前まで行ってくれるのだ。経済的だ。
バスはポル語でonibus鬼ブス。響きがよい。

その日は12月31日だった。大晦日。
年越しをリオのビーチで迎えることにしたのだが
あいにく私たちは二人ともパリピ気質がなかった。
コパカバーナでウェーイとか騒ぐ気にはなれず、
ホテルはビーチのはずれ、しかも大きな岩で区切られ
プライベートビーチ感のあるシェラトンを予約した。
のんびりしたいね、ゆったりしたいねと。

そのロケーションが裏目にでた。
まず、大晦日の夕方、道路は渋滞しバスはノロノロ運転。
さらにホテルはコパカバーナやイパネマなどの
賑わう海岸沿いを走り抜けた後の場所に位置する。
つまり、長時間バスに乗ることが強いられた。

持ち直したと思われた私の体調も
渋滞のイライラが引き金となったのか、
再び低空飛行になり突発的マグマ噴出の予感。
どちらかというと下の方から出そうな雰囲気。
でも渋滞。バスが進まない。

丘の上のキリストがこっち来るなと通せんぼかな

何度も途中下車を考えたが、
そこですぐトイレに駆け込める保証はない。
日本だったらコンビニがあってトイレがありそうだが
そこはリオデジャネイロ。絶対トイレなさそう。

道端で脱糞?いやいや、年越しをビーチで迎えるべく
ブラジリアンたちがぞろぞろ歩いて賑わっているのだ。
そんな所で無理無理。生きて日本に帰れない。

死ぬ気で腹に力を入れて引き締めた結果、
どうにかシェラトンのトイレに駆け込み成功。
外のビーチの賑わいや、遠くの花火の音も
耳には入ってくるのだが、それを確認する余裕はなく
私はベッドとトイレの往復をした。

正月になっても私の行動は変わらなかった。
ひたすらベッドとトイレの往復。
ブラジルのトイレは水圧が弱いから
紙を流してはいけないと地球の歩き方にあったので
使用済みのトイレットペーパーをゴミ箱に
捨てていたのだが、すごい量になった。

友人には一人で観光してきて、と伝え
私はひたすら部屋で休養。まさに寝正月。
20年前でネットで動画などは見れない時代、
やることなさすぎでテレビをつけたら
偶然ポル語吹替のドラゴンボール。
GOKUと人名だけしか聞き取れない地獄。

ポル語はもちろん英語も苦手な友人が
ジェスチャーで何かの薬を買ってきてくれ
なんだかんだで3日ほどで回復。
リオに来たのに私は結局何も観光できなかったので
時は流れて15年後に一人でリベンジ観光をした顛末。
(その時に丘に登ってキリストの写真を撮った)

考察
原因:消費期限が過ぎたであろうおにぎりor
アマゾン川河畔レストランのうっすら濁った水or
屋台のハンバーガーのどれか。
対処法:よくわからない薬を飲んだが、その前に
上と下から原因菌を出し切ったと思われる。
あとはひたすら安静。


おまけ インド再び 劇症度??

ケース1でインドでひどいめにあった数か月後
私は懲りずにまたインドに行った。
本当はインド経由でパキスタンに行く予定だったのだが
パキスタンのビザがなかなか承認されず、
結果としてインドに滞在することになってしまったのだ。

そのインド滞在中、腹痛等の自覚症状はなかったのだが
ある日、排せつ後にトイレの水を流そうとしたときに、
便器の中に血が混ざっていることに気が付いた。
えっと?どういうこと?痔か何か?
でも全然痛くもなんともないんだけど。

文字通り、水に流した。排泄物も記憶も。
そして数日後。またもや便器に血が。
これは病院に行くべきか?でも痛みゼロだし
ここはインドで今は旅行中。
あと1回血を見たら病院に行こう。

問題を先送りにしたまま帰国。
そしてそれ以降血を見ることはなかったのだが
後日別の症状で通院したときに
かかりつけ医師にそのことを話した。
すると「検査しますか?」との提案。

便潜血検査って費用も安いって聞いたことあるし
軽い気持ちで「じゃあお願いします」と言ったら
「予約をいつにしますか?」って。

えっと、予約が必要?家で便採取できるよね?
そうしたらそこで初めて医師の意味する検査が
大腸内視鏡検査だということが判明。
今更やっぱやーめた、とは言えない雰囲気。
心の準備が全然整ってなかったけど
こうして人生初の大腸内視鏡検査決定。

数日後、「こんなの初めて」という経験をして
ひとつ大人の階段を上った。
そして結果は異常なし。腸炎だったらしい。
私の胃腸とインドの食事の相性は最悪らしい。

考察
原因:インドの食事すべて
対処法:帰国後に精密検査



ま、海外でトイレを見つけるのは大変、という話です。
日本だとコンビニやカフェなど、ここに行けば
トイレはあるだろう、という見当がつけられるが
海外はそう簡単にはいかない。

インドのデリーでおしゃれなカフェに入って
「トイレどこ?」って来たら「ないYO」って返答。
具体的な店名はblue tokai coffeeのsaket支店。
道路の反対側のモール内のトイレを使えとのことだった。

海外ではどこにトイレがあっていつトイレに巡り逢えるか
全然見当がつかないことがほとんどだ。
だから旅先のトイレは千載一遇で一期一会。
見かけたら絶対に逃すなトイレとツチノコ。






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