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青森市。(2024/05/21)

昨日、久しぶりに青森市へ行った。おにぎりをにぎるワークショップへ出かけていくお腹を空かせた妻を見送った後、商品の納品をして、三角形の物産館アスパムの休憩所でぼーっとしていた。

お昼ご飯を食べている人、テーブルに突っ伏して寝ている人、勉強している若い人たち、大きなテーブルいっぱいに資料を広げて何かに勤しんでいるご老人がいた。

ふとなにごとか書きたくなり、つらつらと書き始めた。いい感じいい感じと思いながら書いていた。「アタイ、オナカ、イッパイ」と妻からメッセージが届いたので、迎えに行き、そのまま弘前に戻った。おにぎりをにぎるワークショップはたいそうたのしかったようだ。よかったよかった。

帰ってきてシャワーを浴び、海を見ながら書き始めた文章の続きを書いた。妻とお母さんと晩御飯をいただき、また続きを書いた。書きながら、雲行きが怪しい感じが出てきた。なんか身に覚えのあるいやな感じだった。

書き終わって読み返し、あぁ、やっちまったなぁ、と思った。妻に読んでもらい、自分でも感じていたことを言ってもらって、あぁ、やっぱりそうなっていたよなぁ、と思った。

歯を磨いて、おやすみなさいを言い、先に寝室に向かった。

ストレッチをしながら、じわじわと悔しさが込み上げてくる。あぁまた、こんな文章を書くために、大切な時間を無駄にしたと思う。悔しくて恥ずかしくて泣けてくる。この1ヶ月、なにをしてたんだろう。少しずつ、いい方へ向かってきていると思ったら、このていたらく。悔しい、本当に悔しい。落ち着こうと思って、ずっと読んでる本を開いて文字を追ってみるけど、追えている感じがまったくしない。でも、また変に感情を反復し続けるモードに入っていたから、気にせず読み続ける。読み続けていたら、章が1つ終わり、新しい章に入った。「地獄についての考察」という章。うわ、おもしろそう、と思いながら、明日の楽しみにとっておこうと思い、その本を閉じた。

さぁ寝るぞと息巻いて、隣で漫画を読む妻におやすみを言う。少し経って、大丈夫か、と妻が言う。大丈夫だと答える。少し経って、涙が出てくる。俺はべつに泣きたいわけじゃない、いや、心の底で泣きたいとお前が泣きたいと思っているから涙は流れてくるんじゃないか、と苦し紛れに自分と問答を繰り返し、変な感情の反復から強引に身を剥がそうとしてみるものの、うまくいかない。うまくいかないけど、続ける。お前は恥ずかしい悔しいと思ったかもしれないが、あの文章にも多少なりとも何かしらの真実が含まれているんじゃないか、いや、それはそうかもしれないが、その内容がというよりも、その文章を書いていた時の俺の態度が俺は気に食わないのだ、それはどんな態度なのか、無邪気で無頓着で、不快なほど光の存在、光の言葉を盲信している態度だ、いいではないかそれでも、光がなければ人は生きていけない、そうだ、光がなければ人は生きてはいけない、だがそれだけなのか、むしろ光、我々の人生を明るく照らしてくれる絶体的な光源への無批判的な信仰が、我々が生きることを躓かせてはいないか、話が大きくなりすぎている、もっと小さく、手前に、手元に戻ろう、そうだ戻ろう、大きくするのはよくない、この先のことで確かに言えることは、俺はもう二度と今日書いた文章のようなものは書かないだろうと思う、それだけだ、今日はもうそれで終わりだ。

息をすることに集中していたら、いつの間にか眠っていた。何度か半覚醒状態になって、布団の上にいるのに夢の続きにいるような感覚を陥った。俺はなんだか必死に言い訳していた。言い訳をしている感覚が体に強く残っていた。夢の中でいったいだれに言い訳していたんだろうか。どんなことについて言い訳をしていたのだろうか。

朝、いつもより早く目が覚めた。さっぱりしていた。やっぱり一眠りすると落ち着く。台所に行くと、お母さんがお弁当を作ってくれていた。他愛のないおしゃべりをして、コーヒーを飲んで朝ごはんを食べて、これを書いていた。

結局なにを書きたかったんだろう。

たぶんただ残しておいた方がいいと思ったんだと思う。

これから畑に行く、うれしい。

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