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掃除機。(2024/04/18)

毎月の妻の仙台出張のため、今日は夜まで家でひとり。

ひとり掃除機をかけていたら、昔のことを思い出した。

まだ大学院生の頃、当時の家の自分の部屋を掃除していた。初めて書いた小説を新人賞に応募したその日の夜、掃除機をかけていた。

あの時は本当に寝食を忘れて書いた。修論も書けていなかったし、将来自分がどうなっていくのかもまったくわからず、何になるのかもわからないその小説に、自分の人生のすべてがかかっているんだと息巻いて、必死で書いた。書き終えて、期限ギリギリで、まともに推敲もせず、出版社に郵送した。息も絶え絶えで、しばらく何をしていいのかわからなかった。

とりあえず掃除をしようと思った。

好きな歌を延々とリピート再生しながら掃除機をかけていると、急に泣けてきた。泣けてきたのがなんでなのか、安堵したのか、それ以外の感情なのか、よくわからなかった。

そういうことがあったなぁ、とさっき掃除機をかけてて急に思い出した。

結局、というか、当然というか、その小説は一次選考も通っていなかったし、通っていなかったからといって、人生は終わってもいなかったし、今も続いている。

あの時と同じような感じではもう二度と書けないだろうと思うし、同じような感じで書いていては意味はないとも思うけど、今の自分にとって、あの頃の自分はとても眩しい。どこに置いてきたんだろうな。

でも、そのことを思い出して、ふと思ったのは、今ではもうめちゃくちゃに書いたとしか思えないその小説の不完全で未熟な世界は、今の自分とも、ぜんぜんかたちは違うけれど、地続きになっている、あの世界は、今もまだ消えていない、ということだった。

それはきっと勘違いや妄想の一種にすぎないのかもしれないけど、でもなんだか、過去の自分から手紙を受け取ったような気持ちだった。

あぁよかった、昔、書いていて、書き残していて、と思った。

妻がそろそろ帰ってくるから、晩ご飯を作る。

今日は揚げ物まつり。

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