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伐採。(2024/04/10)

昨日降った長い雨のおかげで花粉が流れたのか、今日はそこまで症状は出てこない。助かる。でもなんだか気持ちが乗ってこないので、ちょっとでも書いて弾みをつけようと思って今書いている。

窓側の席で日差しがたくさん入ってくる。気持ちがいい。

先週くらいから連日畑に出ている。今シーズンはできるだけ毎日畑に出たい気持ちがあって、とりあえず今のところその気持ちは途切れないでいる。

剪定したり、枝を切った切り口に墨汁と木酢液を混ぜたボンドを塗ったり、フラン病にかかった樹皮を削り取ったり、治療が難しい木を伐採したり、している。

剪定は楽しくなってきた。剪定がその年のりんごの出来栄えを決めるということだから、他の作業と比べて重要度は高いし、そういうことが楽しくなってきたというのは、たぶん悪いことではないのだろう。

でも今年は、それ以外の作業、りんごの木やりんご畑のケア、というところを淡々とやっていきたい気持ちが強い。病原菌が侵入しないように枝の切り口にちゃんと塗布剤を塗りたいし、フラン病にかかった枝を見つけたら後からじゃなくてその時いま処置したいし、木肌や枝、葉っぱを見てその木の状態を思えるようになりたいし、土壌をよくしていくためにクローバーとかそういう草の種を蒔いたりしたい。草刈りもちゃんとやりたい。

それまではそこまでやりたいと思えないくらいには忙しなさがあって、その時々で辛かったししんどかった。できなかった理由や状況があった。でもやれていなかったから、ほったらかしにした病気は少しずつ確実にりんごの木を蝕んでいた。だから今、じっくりりんごの木を見てみると、もうちょっとこれは治療できないんじゃないか、という状態のものがけっこう目立っている。たぶん1年前、2年前に、ちゃんと処置をしていたら、今年伐採する必要がなかったりんごの木はたくさんあると思う。病気をこれ以上園地に広めないという点では、伐採することには意味がある。でも、治療できる可能性があったものを数年間放置したあげく感染源になるからという理由で伐採することには、なんの意味もないしぜんぜん筋が通っていないし何かが捻じ曲がっているような気がするので、木の治療をしていると、数年間なにもしてこなかった自分とも向き合う気持ちになって、ひどく消耗する。その消耗、蓄積していく疲労の感じは、今までにないものなので、きっと自分のなかでも何かが耕されているのだと思うし、そう思いたい。

樹齢数十年のりんごの木を十分もかからないくらいでチェーンソーで輪切りにすることの意味の前で、今年はちゃんと立っていたい。

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